>>605はこれ

http://zodiark.jp/history/yoshitada_pro/7.html

竹藪にもいたらしい↓転載

徳川家康が信長の死を知って、明智光秀方からの追討を逃れるために、
滞在していた堺から本拠の三河に戻る途中に、一時交野の星田に潜伏したとの言い伝えがある。
市立妙見坂小学校敷地内の竹やぶに「家康ひそみの藪」という石碑が設立され近隣農民が応対したという文言があるが、
近年は宅地開発が進み、一帯の竹やぶは切り払われている。
史実でも「堺から山城・近江・伊賀の山中を通って……」となっているため、星田を経由した可能性はある。
なお、交野市星田に今でも伝わる平井家(当時の星田の里正〔村の長〕平井三郎右衛門清貞宅)には、家康伝来の品が保管されている