>>98
それは読めるという言葉の解釈の問題だろう。発音が
よくわからない古代語の詩も読解はできるが、当時の人と
同じように味わうことは不可能なのは当然。しかしこれは
まるきり鑑賞不可能であるということではないし、制作も可能。
詩が母国語のように理解、把握されなければ錯覚の味わい
というのはこれまた極端な意見だ。

漢詩に関して言えば、意味をよく理解した上で再建された音で吟じて
韻を味わうというのは普通に可能。それが詩のほんものの味わい方
ではないというなら、君にとってはそうなのだろう。それを否定はしないよ。