接続詞(ifやbut)によって「文と文または単語と単語が繋がる=基本的に同じ役割を与えられる」のは
解釈または作文上、基本の知識であるが馬鹿池沼回路はそれを運用出来ない。

従ってapathy toで思考が切れて理解不能に陥る、
notの後にあるbutの働きを読み取れない、
という事態に直面する笑笑

馬鹿池沼回路が正確に読める原書は存在しないという俺の推測は確信に変わった笑笑