演歌を歌う人は他の曲も上手
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>>1
ビートルズも唄ってた。あとglobeの歌をKEIKOの前で歌って
KEIKOが明らかに嫌そうな顔をしてたなw キム・ヨンジャが他人の歌を歌うとき、感情を込めすぎだよな 演歌歌手は絶対的に上手いけど、
一拍置いたりこぶし利かしたりして
元歌のイメージを壊しちゃうきらいもある。 >>7
一概にそうとは言い切れない鴨
下手な演歌歌手は癖が出てしまうけど歌唱力ある人はポップス系歌っても上手いよ。
例えば香西かおりなんか演歌以外の方が実力が出ていると思う >>12
「Yeah!めっちゃホリディ」を中村美律子の歌で聞きたいが、ある意味聞きたくない 以前、NHKのど自慢で「Yeah!めっちゃホリディ」を看護婦姿の女の子が
歌っていたけど、はじけていて、とってもよかった。 演歌上手い人がポップス歌っても、演歌になってしまうんだ。
と思ったこと数多し。 冬実はうまいね。
ポップスやロックを歌ってもにじみ出る演歌の歌いまわしが
逆に魅力になってる。
逆に演歌のクセがモロに出てダメダメなのが細川たかし。
こいつ、ホントにプロか?と思った。 だいぶ前で誰だか覚えてないが、ウタダのオートマティック歌ってて、
すごい歌になってた記憶がありまつ 細川たかしの「泳げたいやきくん」と「また逢う日まで」はうめー!と思った。
新春のモノマネ番組に出てたときの。
モノマネだけどさ。 リズム感を要求される曲のとき、演歌歌手も苦戦することがある。
歌謡曲風、バラードでは演歌は無敵。 >>18
見た。うまかった。
天童よしみもスピード歌ってたが上手かった。 スレ違いだったらごめんなさい。
紅白で、雪やこんこん霰やこんこんとゆうのを
いろいろなバージョンでやってたんだけど、
沖縄バージョンを香西さんが歌ってて、
いきなり歌えてしまってたのが
すごいねとおもいまつた。 >>22
たしかにそう!
若い歌手ならまだ最近の曲聞いていただけに歌えるが、
上の世代の歌手になるとリズムがメチャクチャで聞いていて辛くなる
演歌歌手も「リズム感」をもっと強化すればいいのに 10さんへ。アンタの聞き才能・・・?どういうところが 上手さなのか?
是非聞きたい!!!!!!!
>30
いや単純なもんなんですが、彼女のネチャっとした歌い方が
オンナの情感を出していて歌の雰囲気にいつもマッチしてるし、上手いなぁと。 藤あやこさんはロックも歌うそうです。さぞかし素敵でかっこいいのでしょうね >>34
あっスマン 五木がなにかの番組で言ってたんで・・・・ 作曲家船村徹談
「たしかに、カラオケの流行に合わせて、演歌は素人のおじさん、おばさんに
向けた“覚えやすく歌いやすい”ものばかりを作りすぎた感は否めないです」
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200305/gt2003051808.html
演歌の大御所が演歌の底の浅さを暴露してどうする。
>>20
あ、それ、たぶん・・・
内藤やすこじゃないかなぁーーー 演歌歌手は歌が下手
上手といっている人は所詮はアイドル歌手あたりと比較しているに過ぎない。 >>42
に反論がないということは、認めたと認識していいですねw
演歌歌手は歌が下手という事実 それじゃあ今のJ-POP歌手とか悪いどころではないと… >>44
演歌歌手は歌が下手、今のJ-POP歌手はそれに輪をかけてもっと歌が下手
結論はまとまったようですね 「論」の意味がわかって使ってるのかおまいら。
上手い下手は論理的帰結ではなく感性の強度。 >>46
歌唱力というのは技術の問題で、感性などは関係ない。 ここで言ってるのは「演歌歌手が上手いか」ということで「演歌歌手の歌が心に響くか」と言うことではない。
あくまでも前者について言えばやはり「下手だ」という結論。
もちろん「下手だが心に響く歌唱」「上手だがそれだけの歌唱」というものがあり得ることは否定しない >>47
じゃあ演歌歌手がどのような技術が他の歌手に比べて欠如してるかの
説明もなしにただ下手だといわれても反論のしようがないな。
君がちゃんとした答えができない厨房なら放っとくよ。 あと歌唱力が技術だけに基づくというものなら
オペラのマリア・カラスは3点ハ音すら出せないしイタリアの
名歌手テバルディはコロラトゥーラの技術を持たないけど
欧米では「上手い」という評価だね。何でだろうね。
歌唱力が感性を排除したものであるという明確な論拠を説明してくれ>>47
ごめん、
訂正です。
>マリア・カラスは3点ハ音すら出せない
マリア・カラスは3点ハ音が「不安定で危ない」。
>>50
はあ?マリアの高音(あんたの言うハイC)が不安定になったのは、歌いすぎで喉を痛めたのと、夫の浮気で精神的に参り、
次第に高音域が不安定になったんだろ。
自己に厳しいマリアは齢四一歳、ロンドンのコヴェントガーデンの「トスカ」を最後にオペラの世界から身を引いた。
全盛時の1950年代の彼女の技術は随一だったと評価されている。
あなたは晩年壊れた彼女の話だけで全てを騙ろうとしている。 テバルディを忘れていた。
テバルディも絶頂期の前に一度ノドを壊している。デビューしたての頃の
洋書の伝記の付録CDでは最高音はF(ファ)と、とんでもなく高い音を
出していたとのこと。 >>52
知ってるよそんなことはw
俺の言ってるのは1950年代後半の「ノルマ」以降に高音に障害が
見えはじめて壊れたカラスも、評者は声の衰えを「歌唱力」でカバーした
と言われてることから、技術=歌唱力ではないという説明をしてるだけ。
テバルディを下手だという奴がいないのも同様。歌唱技術の過多をもって
「歌唱力」を評価できないということ。 >>53
テバルディは高音歌手だという認識はあまりなされてないじゃん。
そして彼女はベルディの前期の作品やロッシーニを歌えないけど
だからと言って誰も「下手」だと言う人はいないじゃないか。
>>47の理屈でいうとテバルディは技術が足りないから下手だという話に
なるから反論したかっただけ。 しっているのに50の質問?意味わかんねえ。
あのねえ。高音ていうのは野球の速球と考えて見ろ。快速球を投げていた選手が
肩を壊して若い頃のような速球が投げられない。だから、それを技術(投球術)
で乗り越えていく。マリアもテバルディも一緒。壊した咽をカバーできる技術
があった。
>>55
テバルディは高音歌手だという認識はあまりなされてないじゃん。
そりゃそうだよ。彼女の前期の音源はほとんど手に入らない。
後年まともに彼女の前期の歌声を知っている喪のは少ない。
洋書の伝記の付録CDなんてお宝ものだよ。 演歌歌手の上手い下手を表現するとき、技術より情感を優先しすぎることに
「?」と思う人がいても仕方ない。
ただ、演歌においては、情感も技術なんだ。
そこは47にも押さえてほしい。
>>58
そのとおりだよ。俺は>>47に順番に説明する順番があって、君のいうとおり、
ある技術の欠如をなんらかの別の技術(情感など)を持ってカバーする
わけでしょ全ての歌手は。つまり、技術は相対化されるということ。
>>47-48に分かり易く説明するために
OOという歌手は**という歌手に比べて〜いう技術に欠けてるけど
下手だといえるだろうかね?といって追い詰めるつもりだったw
演歌歌手を単に下手だという>>47‐48の理屈は、ワーグナーを歌う歌手をイタリアの
ベルカントオペラを歌う歌手より「〜いう技術がないから」下手だといってるの
と同じ暴論だということ。歌う曲の性質が違うのに比べるのが間違ってるでしょ。 そうだと思う。でもオペラ歌手の説明は無理ありすぎ。そして高い所
(オペラ)から質問しても相手がそれを知らなかったら意味がない。
しかし、私も技術的には演歌歌手は?というところがある。特に小林
幸子!
そして演歌は比較的歌いやすく、息継ぎが楽。
正直、最近のJPOPの方が難しい歌をこなしている。
でも、JPOPは演歌を超える事は出来ない。
それは、演歌は平均的に下手は少ない。
でもJPOPは・・・・・特に・・・・多すぎてw
ID:LWct/uAUって何を必死になってんだろうw
47ではないが氏に論破されて必死に言い訳しているのには笑った。
知らないことを必死になるからポロがでているのにw >>61
おまい読解力なさ杉
なかなか見応えのある話し合いだと思う。 議論を整理すると歌手には技術を補うための技術があるということなんだな。
演歌は歌いやすく旋律が単純で歌唱としては簡潔にならざるを得ないから
それを上手く聴かせるための技術(単純さを補う)が演歌にはあると俺は思うん
だが。
それが情感だったりこぶし、半音ずらしだと思う。
>歌手には技術を補うための技術があるということなんだな。
ちょっと違うな。
野球を例に出したけど、野球で速い球を投げること・オペラで高音を操ること
は、単純に技術以前の問題で天性が物を言う。つまり才能。技術は努力をすれ
ば身に付くが、才能は違うよね。多少努力で何とか向上できてもね。
でもこの才能も、年齢や怪我・病気によって失われていく。これを補うのが技術
あの江夏豊が若い頃快速球を武器に先発投手として活躍し、速球に衰えが出た頃
から投球術と制球力で抑え投手として活躍した。テバルディも一緒。
でも、野球で速い球を投げること、オペラで高音を出すことは基幹なんだ。それを
補う技術は枝。基幹の才能を持っていた者がその道のプロになる。そして才能が失
われたら技術により補う。
>演歌は歌いやすく旋律が単純で歌唱としては簡潔にならざるを得ないから
正直演歌は音楽的にはレベルが低いとしか言いようがない。これは「カラオケ
の流行に合わせて、演歌は素人のおじさん、おばさんに向けた“覚えやすく歌
いやすい”ものばかりを作りすぎた感は否めないです」
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200305/gt2003051808.html
と大御所船村が認めているとおり。
これにより、歌を聴く限りプロと素人の差が意外が小さくなってきた。その差を
明確にするため63のいう「技術」が使われるが、最近はそれが過剰になり聞くに
耐えられなくなっている歌手も多い。特に小●●子!
その技術は所詮枝の技術。演歌歌手は選ばれてプロになったはず。素人に歌うのが
困難な歌に基幹をもって挑戦し、「これが演歌歌手なんだ!」と実力を見せないと、
音楽的素養が高く、(以外だが)クラシックやジャズ等の音楽にも関心をもってい
る若い世代から「上手い」という評価を得るのは困難と思う。そして枝の技術も時代
遅れの技術が多いし・・・・
のど自慢を見て。若い世代での合格者は皆かなり難しい歌を自ら選んで挑戦している。
歌をレベル「高」「低」に分けて、低の歌を上手く歌っても「上手い」とは評価しな
い。高の歌を歌いこなして初めて「上手い」という。
演歌も高の歌をたくさん作って、(多少歌いこなした程度の)素人にはまねできない
才能と技術で実力を見せてほしい。ほんとうの演歌好き・プロ志望なら挑戦するし演歌
界全体の本当の底上げとなるはず。
まあ、おじさん・おばさん用の歌ものこさんといけんが。
>音楽的にはレベルが低い
>時代遅れの技術が多いし・・・・
演歌が音楽的に低いレベルなのは性質上いたしかたないと思う。
低レベルな歌をその時代遅れの技術を使って聴かせるのが演歌のいいところじゃないか。
革新的で音楽センスの高い演歌は気持ち悪い。
だから
>若い世代から「上手い」という評価を得るのは困難と思う。
と限定していっているだろ。 若い世代でもそれなりに演歌歌手は上手いと思ってるんじゃないの?
少なくとも例えば「森進一は下手だ」「五木は下手だ」と思うことは
ないだろうよ。
世論調査しないと事実はわからないがな。 だから
>若い世代での合格者は皆かなり難しい歌を自ら選んで挑戦している。
歌をレベル「高」「低」に分けて、低の歌を上手く歌っても「上手い」とは評価しな
い。高の歌を歌いこなして初めて「上手い」という。
とも言っているだろ。
いくら実力があっても失礼ながら音楽的素養が感じられないじじばば達でも歌いこなせ
る歌を歌っていたらだめなの。
正直じじばば達はどんな歌が難しくて簡単なのか全くわかっていないが、若い世代はよく
知っている。だから五木がいくら実力をアピールしても「あの程度の歌しか歌わない」と
いう評価になるのよ。簡単な歌ばかり歌っていると、上手い下手以前の問題で、評価の対
象外ということになる。
森は演歌以外に挑戦しているから結構評価されている。でも最近はちょっとね。
64,66,68も「47ではないが」氏だろうけど、何者?
いちいちもっともな理論派なのがすごい! ん〜演歌ってジジババのためにあってもいいじゃないかよw
俺はジジくさい演歌がとくに好みだな。 「他の曲も」上手かと言うことについてだからね。
演歌歌手で12音技法で作曲された歌曲を歌いこなしている歌手を少なくとも自分は知らない。
ただ、12音技法で作曲された歌曲となるとクラシックが本業の歌手でもまともに歌えない人もいるけど。 クラッシックの歌手が演歌を歌っても下手。
クラッシックの誰かが「川の流れのように」を歌ってたが
凄いだめだめだった。声だけよくてもだめ。 >>72
誰かって誰?
それが言えないと全くしんびょう性無し。
>73
詳しくないしテレビで見かけただけだから名前なんか知らないよ。
たしか題名のない音楽会で見た。
クラッシックの歌手は演歌には向かないな。張り上げてるだけだもん。 自分は何を歌っても唱歌になってしまう。
演歌を歌ってもオペラを歌っても唱歌になってしまう。
楽譜を見てその通りに歌ってるだけなのに。 全日本流し大賞2年連続優勝の、さくら井けんじは福岡で活躍してるみたい★ 原田悠里が元音楽教師でアルバムに「蝶々夫人よりある晴れた日に」収録してるよ。 スレがもうすぐ80に届きそうなのに
島谷さんの名前が出てこないのはンナヅェナンダ?
他の曲もということは
モンゴルのホーミーとか
基本的に歌唱法がまったく違う民謡なども上手なんですか? Λ_Λ Λ_Λ
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(6 ・ 」・). (6 ・ 」・) ( )
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(_⌒ヽ (_⌒ヽ ) ノ ( ・∀・) < 演歌だからうまいとかじゃなくて
ヽ ヘ } ヽ ヘ } (_⌒ヽ (_⌒ヽ \_____
ノノ `J ノノ `J )ノ `J )ノ `J
Λ_Λ Λ_Λ
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/ __ < / __ < ) ノつ ( ・∀・) < J-POPにはヴォイストレイニングをやってない奴が多いってだけだろ
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∠/ ノノ∠/ ノノ ∠ '´ )ノ ∠ '´ )ノ
やりたくてやってる訳ないだろ。無理矢理犯罪に近い形でやらされてんだよ。グラビア演歌もやれだって!お前はオバカだね。目が外むいてんじゃねぇの?どこ見てんだかわかんねぇんだよ!きもいからサングラスしろ。死ね!
正直J−POPの方が売り上げはもちろん技術的にも演歌をはるかに凌駕
している。
ただ一つ言えることは魂を揺さぶられる唄や歌手が少なくなっている事実。
これはJ−POP、演歌両方に言える課題だと思う。 このスレは本当におもしろいなあ。
オペラまでもちだして演歌と比較している。
高音で歌えるオペラ歌手でも中音から低音になると音程をはずす歌手はいっぱいいる。
だから演歌は歌えない。こぶしを使えないからではない。
演歌は高音で張るところも大事だが、そこに至るまでの中低音部が大事。
論客の多くが喝破しているように、演歌の曲を作っている人達には音大を出ている人は皆無。
だから音楽の基礎知識を持ち合わせていない。
また作詞家なども純文学を学んだ人などいないだろう。
以前星野哲郎が「どんなに文学的な詩や小説を学んでも、世にでる機会がなければ、なんぼのもんじゃ」
てナ事を言っていた。
毎晩女をはべらし飲みながら出てくる歌詞が演歌の半分をしめている。
結局このような環境から生まれてくる演歌が時代の先端を背負うはずはない。
編曲家はきちんと音楽理論を勉強しないと出来ないから別だけど。
さて本題「演歌を歌う人は他の曲も上手」
誰かのまねをして小手先で歌う程度の事なら出来るだろう。
米良美一の「ヨイトマケの歌」これを彼が上手に歌っているとはいわない。
うまいかへたかよりも大事な事があるって事。
>>89それじゃあ演歌歌謡曲が全盛を極めていた昭和の作家は
みなアカデミックだったと言うのだろうか。
本来演歌歌謡曲はそういったものとは対極のところで培われ
育まれてきたのではないのだろうか。
ジャズにしてもバークリーの音楽院出身のエリートが出現してきてより
ジャズにとって大事な人間臭さやパワーが稀薄になってきたと言われている。
また、時代の先端を担う音楽というのも曖昧な言い方だが、演歌が先端を担う
必要性など全くないのだ。
米良美一って演歌歌手だったっけ?「さて本題」以下の文章がちょっと不可解。
>>89 船村徹は東京音大を出てる。
>>90 理詰めの今のジャズよりボナビスタソーシャルクラブの生身の音楽が心地良い。
彼らには音楽は学問ではなく生活なのだ。
歌詞なんかはめちゃくちゃだ。”隣の女が浮気してえらいこっちゃ”的な井戸端会議を歌ってる。
それが庶民の生活だから。
>演歌が先端を担う必要性など全くないのだ。
言い得て妙だ。
ただ今の演歌が庶民の生活に根ざしたものかと問われれば、否と答えるしかない。
じゃ演歌は誰のために何を歌っているのか?
考えさしてくれ! 野口五郎の演歌がうまかった。
じゃだめ?
今の若い子は演歌を受けつけないみたいで,将来演歌は廃れるのだろうか。 氷川は前出のSAY.YESなどJ-POPも上手いが
勝手にしやがれとか私鉄沿線など昭和の歌謡曲を歌わせると
天下一品。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています