藤圭子 本スレ
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明確にしましょう。ここが本スレです。Part1です。 歌のレベル以前に、ひばりの偉そうな感じ、聴かせてやるてところが嫌なんだよな。
藤は旅芸人の子、という悲哀そして別れという感じが出てていいんだよな。
普通の人じゃこの表現は無理。 嫁にとる → 婿にとる
栗ん飯 → 粟ん飯
圭子さんは中卒で漢字の読みが弱いんだから
周りの人が教えてあげないと駄目だよw
録り直しの時間が無かったのかも知れませんが 元ソニーの偉い人が圭子を「大孤独」て言ったけど当たってる。 少し前、テレ東で28歳の時の動画が出てた。歌は15、16・・ 朝日・・は普通の歌詞は・・家て歌うのに・・丘になっている。
権利関係? >>447
藤圭子劇場(CD6枚組)のブックレットには
作詞・作曲:Alan Price/訳詞:不詳/編曲:葵まさひこ
と書いてありますね 昔は素人やセミプロにタダ働きさせること多かったみたいですね〜 日高ショーに、自叙伝本の写真に出てた、仲良し3人組が来てたような?
でも営業ドサ回りで、良い思い出は少ないな。
何キロも雪道歩いて、他地域営業でよく死ななかったよ。 今年こそ命日に献花して来ます、
西新宿 西向神社 花園神社、三光街角筈 お前らはNHK総合を当然みてるだろうけど、前川清が藤圭子の歌を歌ってるね 7/11(火) BS11 20:00-20:54
「あのスターにもう一度逢いたい #64 藤圭子....」
未公開の映像は無いと思いますが、念のため貼っておきます 良いオリジナル曲を随分残して呉れました、毎日聴いて居ます、聴き惚れます、
藤圭子さん、 >>462
私も去年の発売直後に買いましたが、DISC 1以外はイマイチでしたね。
DISC 2〜5のライブ収録盤は聴衆のマナーが酷くて、せっかくの圭子さんの歌が台無しでした。
金を払って聴きに来ているんだから他人にとやかく言われる筋合いはないということなんでしょうが、
CD制作時に何とか出来なかったんでしょうかね?
藤圭子のレコード、CD、Youtubeの音源をかなり聴きましたが、
やはり渋谷公会堂の初ライブ音源盤が素晴らしいですね。
何故か藤圭子劇場のCDよりレコード(多少スクラッチノイズが有りますが)の方が
音に厚みが有るようで耳に心地よく聞こえます。 動画でアドロ聴いたけどうまい。(77長島ライブ)
なぜレコード用に録音しなかったのか?
もったいない。 やっと藤圭子さんYoutybe削除が無くなりました、
ファンのコメントも数ヾ消されました、 残念です、 NHKさん、藤圭子さんを何故、昭和歌謡番組に出さないのか、 この前しみじみ歌を聞いてた時思った
何で女の子もう一人産んでくれなかっんだと 今日のTBSで、今まで見たことがない動画が出ていた。
・汽車の椅子に座って、「女のブルース」を歌ってる動画が出ていた。
・有名な紅白の動画では、始め美空が紹介していた動画が出ていた。(15,16・・の歌)
いずれも一部で切れる動画だが。 ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。現在、
衆議員と参議院の両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。国会の発議は
すでに可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ 隠れたオリジナル曲が最高に聴かせます、
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http://jbbs.livedoor.jp/study/37●29/ →リンクが不良なら、検●索窓に入れる! 藤圭子の、霧の摩周湖は本家超えてる。話変わる。
失礼かもしれないが、藤圭子も青江三奈も八代亜紀も若い頃の歌唱力のおつりで歌ってた(る)気がする。年とって表現力が高くなっているのは分かるのだが、三人とも声が低くなった上にフェイクが多すぎて演歌くさい歌い方になっていると思ってしまうのだ。青江三奈は顕著だ。
池袋の夜、京都から博多まで、舟唄、、、。
ハスキーボイスは、高音域にこそ魅力があると思う。青江三奈が82年の紅白で歌った伊勢崎町ブルースは、以前と比べて、あまりに老けこみ過ぎているとおもってしまう。 青江三奈や藤圭子も、古臭く、暗い大人向けのイメージが付いている印象がある。でもそれは年とってからのこねくり回した歌い方の印象が強いからであって、
若い頃の明るく真っ直ぐなハスキーボイスからはそんな印象は受けないと思う。 上質の楽曲というイメージだ。
男の演歌歌手以外は、男女問わず溜めて歌うとあまり良いことが無いと思う。 70年代の暗いどんよりとした雰囲気は映画やドラマ、時代劇でも伝わる
その時代に歌が合ってたから受け入れられた
時代の変化に対応できなければ人気が落ちて当然 ちゃうねんなぁ
ダメになってたとしても、そこも、いいのよ 青江三奈も藤圭子も八代亜紀も若い頃は美人。
若い頃の金髪で童顔の青江三奈のファンでしたけど、急にイメチャンして厚化粧のおばさんになってたよな。 時代なんてどうでもいいだろう。
歌がうまくて味があればいい。それが歌手。 >>486
YouTubeで青江三奈見るときは、
伊勢崎町ブルースは僕も若い時のものしか見たく無いのですよ、、、。 伊勢崎あたりに⤴ ジュビドゥバア⤴
みたいに歌っているのは、若い頃だ。
晩年は意識的に下げて歌ってしまうのが嫌だ。
伊勢崎町ブルースは初期の、原曲キーで
若い青江さんがノリノリで歌ってるのが良い。
あれなら、若い世代にも受け入れられるだろう
古さを感じない歌唱だ。 青江三奈のスレかよ?笑
でもまぁ確かに青江三奈は、歌唱技術で言えば
70年代までが最高で、80年代からは雑になっていっているけど。口震わせながら高音域を歌うのも声帯が変化して、以前の歌唱方法と変わったからやろな。 >>487
後年の青江三奈さんも好きだけどな。
藤圭子さんは大好きで毎晩聴いてます! 藤圭子の、霧の摩周湖も君恋しも本家超えや。
伸び伸び歌ってる。
でも、某所で絶賛されてるひばりのみだれ髪も良いと思うが、なんせ歳とってからだから
わざと溜めて歌ってるのが、ちょっと受け付けない。やっぱり崩したらアカン。 あれ、崩さずに歌ってたらひばり超えてたと思うのだ。 圭子の良いところは、名曲カバーを本家よりレベルを上げて歌うことだな。
これが本当の歌手、てことじゃねえの。 >>493
でも藤圭子は、決してオールマイティーでは無いと思う。みちのくひとり旅や北国行きで
はただ歌っているだけで感情がこもってないきがする。 >>495
はい、一本調子のもあります
それも含めて良いのであります
で、最高峰の歌唱を語るなら「
黒髪ブルース」聞いてからお願いします 藤圭子は、もっとファンキーな歌を歌いたがってたのにレコード会社が暗いだけで面白くない歌歌わせて、五木寛之がへんなイメージ植え付けたりしたせいで気の毒だったな。
本当に、暗くて名曲なのは世間的に有名なやつと数曲ぐらいや。 テレビで藤圭子の話題になる時、流れる曲、映像は必ず「夢は夜開く」だよな。
他にたくさんいい曲あるのに。 夢は夜ひらくも、京都から博多までも
絶対初期の音源が良いね。
年取ってからの藤圭子は、上手いのに崩して歌うせいで雰囲気が壊れちゃった感がある。 初期の音源では、1970年の渋谷公会堂初リサイタル録音盤が良いね
歌い方が素直だし、19才と若いから声に艶と張りがあって聴いていて
引き込まれてしまう。収録されているカバー曲はどれも絶品。 渋谷公会堂のカスバの女、潮来笠、池袋の夜(歌詞間違い)、、
全て素晴らしい。 青江三奈も、藤圭子みたいに若い頃のリサイタル音源が聴きたい。
曲を盛り上げるあの声質とこぶしの回し具合なんかは、若い頃の高めの声でこそよく分かる。
青江三奈も、ブルース歌謡ばっかり歌うようにやってから声帯が変化して、歌唱技術に変なクセがついていったのは仕方無いことだけど、
俺は歌唱技術で言えばひばりなんかより、
75年くらいまでの青江三奈が最高だと思っている。ひばりは、言葉の発音が良かった。 藤圭子のウィキぺディアで、上京時の年齢が誤って17歳となっていたので、正しい15歳に修正しておきました。 八代亜紀は、元々声域が広くないので別だが、
青江三奈と藤圭子は、どう考えても若い頃の方が良かった。
紅白歌合戦の池袋の夜、国際線待合室とか、当時のレコード音源を聴いてみると、ハスキーボイス以前にしゃくりや、コブシや、ビブラートなどのかけ方が曲を最大限に盛り上げている。
藤圭子も、レコード音源の渋谷公会堂が最高。
京都から博多までも、夢は夜ひらくも、表現力と傲慢じゃない歌い方がぴったりくるのは、10代の頃だ。この頃のカバー曲は本当に良い。
としとってからの二人は、雰囲気と表現力は増したもののあの歌唱技術自体はどう考えても、お留守になってしまっている。 いわゆる
演歌歌手の崩して歌う歌い方になっていて雰囲気が壊れてるものもある。
本人たちは、あの頃の歌い方じゃないと往年のヒット曲が売れなかった事を余り自覚しなかったのじゃ無いだろうか。 藤圭子は、イメージが固定化して良い曲を提供されなかったのもあると思うが、青江三奈が低迷していったのは、声帯の変化してとともに高い声であの丁寧な歌唱技術を披露することが出来なくなったからだろう。
80年代には、もう完全に”ハスキーボイス”に頼った歌唱で、よくいる声の低い演歌歌手の1人になってしまっているのだ。口を震わせて歌う様子を清水アキラが物真似していたが、青江三奈が声帯が変化してるのに若い頃の発声方法で無理やり歌おうとするからああなるのだ。 >>505
藤圭子は喉を手術してから声が変わってしまい、歌い方に迷いが出るようになったという趣旨の話をしていますよ。これはずいぶん有名な話です。
これで歌うことが辛くなってきたので引退することにしたとか。それもあるでしょうが人気が落ちて事務所から雑な扱いを受けるようになり、プライドの高い藤が我慢できなかったのではないかと。RCAのレコーディングディレクター榎本襄氏の受け売りですが。 藤圭子が引退してアメリカに渡った時、きっといつかはリベンジすると思った
それが人間宝貝の娘をして成し遂げた時は心の中で喝采をおくったよ >>507
藤圭子が言ってましたね。
「でもね、これから先、どんなに続けても、いまのような状況じゃあ、いい歌が歌えるはずないんだよ。
いい歌を歌うには、いい舞台が必要なんだ。でも、そんな舞台が作れるのは一年に何度もない。
クラブや慰安会に出て、いいバンドもつかず、ひどい照明の中でいつも歌わなくてはならないんだよ」 昔から、有名な歌手には良い作曲家がついてるもんだね。
そのケースが特に多かったのは
美空ひばりと万城目正、上原げんと、船村徹
テレサテンと三木たかし、岩崎宏美と筒美京平
なんかだよ。 例えば、
最近食道がん告白した大橋純子が、歌上手いのにあんまりヒットしなかったのは作曲がイマイチな曲が多かった気がするよ。 >>510
藤圭子は何人ものヒットメーカーに楽曲提供されてるだろ
実力不足だからヒットしなかっただけ よく後年の新宿の女の、映像が流れるんだけど、
藤圭子が、小節ごとに、歌い出しを遅らせるせいでメロディーが台無しになってる。
同じように思う人いません?
藤圭子は、若い頃のライブ録音の方が絶対良いです。そりや、聴けないのは残念で仕方ないですけど、、、。
現役の由紀さおりも、変に崩しちゃうしねー。
歌の上手い人ほど、ズラして歌いたくなるのが嫌ですよ。 ↑曲のできが悪いだろう。下手な歌手でもいい曲ならヒットするよ。 そら、歌詞の意味が伝わるように歌うのも、大事かもしれないですけど、藤圭子の歌を聴いていると
歌詞云々よりも、メロディーとあの声と歌詞の3つで小宇宙が、出来ているように聴こえます。五木寛之が言うような、歌詞に感情込めて歌うタイプじゃ無いです。
それを崩して歌っちゃうと『歌手が歌っている』感じが強くて、なかなか聴衆は小宇宙に入れませんよ。 >>515
そうか、あの歌詞の最初といい、
メロディーラインといい、藤圭子では、良い部類だと思うが、 ↑初めの3曲はいいメロディーラインなのでで売れた。
後、京都から博多・・ぐらい。 >>516
そうですね。代表曲3曲は感情を入れて歌うような曲ではありませんから。
どちらかといえば投げやりな感じで歌うと良いので。
そうではなくて、カバー曲では思いっ切り感情を入れて歌っていますよ。
例えばファーストアルバムの「柳ケ瀬ブルース」
聴いていて恐ろしいほどの歌いっぷりで、心揺さぶられます。 >>514
初期の録音が最高なのはその通りです。
まぁ、本人が喉を手術してから歌い方に迷いが出て辛くなったと言ってますからね。
1970年の渋谷公会堂のライブがフルで聴けますよ。3本に別れていますが。 >>520
渋谷公会堂は、どこのオーケストラか分からないんですけど演奏も最高ですよ。
由紀さおりとは、関係ないけど手紙は
本当に若い頃から崩して歌っちゃってたのが気に入らない。ネットで探して聴こうと思っても
レコード大賞の映像くらいしかちゃんと歌ってない、、、。 >>519
霧の摩周湖の摩周湖のカバーも、同じくらい良いです。
なんと言うか、美空ひばりも青江三奈も八代亜紀も喋るみたいな発音で歌うことが多いんですが、藤圭子の言葉の1つ1つが『音』のように聴こえるので。真空状態みたいなんですよね。 >>522
そうですね。霧の摩周湖もいいですね。
ファーストアルバムで言えば逢わずに愛してもいいと思います。
>藤圭子の言葉の1つ1つが『音』のように聴こえる
他の歌手は「逢わずに 愛して」の「愛して」を「あい〜して」とほぼつなげて歌っていますが、
藤は「あいいして」と音符ごとに1つの発音を割り当てて区切って歌うので驚いたことがあります。 あの、言葉の発音で写実表現に、藤圭子優れて居ます。
情景描写が主な阿久悠の歌詞が、藤圭子には向いていると思いますね。 藤圭子生涯最高の名歌唱といえば1989年の「みだれ髪」でしょう。
みだれ髪へのアプローチの仕方が、美空ひばりと藤圭子では全く異なります。
美空ひばりの歌唱は何ら技巧を感じさせることなく、
正統的アプローチであれだけ聴き手を感動させることができるのは、
流石に天才歌手と言われるだけのことはあります。
一方、藤圭子はみだれ髪を持てる技巧の限りを使って唄っています。
声色の多彩な変化、一音ごとの強弱の変化、一音の中での高低の変化、フレーズの緩急の変化、節回し、巻き舌。
ひとつひとつの技巧の積み重ねが、誰にも真似のできないほどの表現力を獲得できたのだと思います。
美空ひばりのみだれ髪は、とても哀しいですがあくまでも健康的です。
一時は悲嘆にくれても、やがては立ち直れる女性です。
藤圭子のみだれ髪は寂寥感に満ち、荒涼とした風景が浮かび上がって、救いのなさが感じられます。
もう立ち直ることなどできない女性のようです。 歌唱技術とか声質では、美空ひばりよりも藤圭子の方が綺麗ですよ。
美空ひばりは、
登場人物に憑依して歌うけど
藤圭子はあくまで傍観者になって描写する歌手ですね。 藤圭子の、カバー曲は良いと聞くが
同じ曲なら青江三奈のカバー曲の方が歌唱も編曲も数段優れていると思う。
星の流れに、アカシアの雨がやむとき、うそ、
黒い花びら、赤と黒のブルース。
別れの朝は、藤圭子の方が良い。
やはり、藤圭子は感情移入して歌うタイプの歌手では無い。無機質に歌うタイプの歌手だ。 >>527
>やはり、藤圭子は感情移入して歌うタイプの歌手では無い。無機質に歌うタイプの歌手だ。
そうすると、藤圭子が歌った「人生街道」も「無機質」に歌っているというのですかね
「刃傷松の廊下」はどうなんでしょう >>527
ファーストアルバムのカバー曲「柳ヶ瀬ブルース」では思いっきり感情移入して歌っていますね。
要するに感情移入しないで歌った方が良い曲だと本人が考えたならそう歌うまでで、曲によって歌い分けているだけです。 曲を圭子の世界で表現するてこと。
だからカバーでも圭子オリジナルになってしまう。 藤圭子のカバーって同じような系統の曲ばかりだな
男性歌手の曲が多いし女性歌手の曲も淀んだ雰囲気の曲が大半
怨歌専門で明るい曲調は歌えなかったんだろう
オリジナルも暗い曲が多いから憂鬱になる >>531
そんなあなたに1974年のアルバム「圭子のにっぽんひとりあるき」をお勧めします
全曲オリジナルで明るいフォークソングを歌ってます そのアルバムに圭子の綺麗な声があるね。
古都とか。手術後? >>534
手術は5月でアルバムが9月発売なので録音は手術後だと思います。 あの綺麗な声いいね。わずかな間だけだった。もったいない。
本人はその後、営業のため酒で潰したのかな?
本人は手術前の声、気に入っていたんだよね。大地から湧き上がる声とか言ってたよね。 喉を潰すほどには飲めなかったと思いますが (笑
手術前の声は喉に一度引っ掛かってから出てるって言ってましたね
デビュー当時の声は高い音域で分かりますが確かに喉に一度引っ掛かってから出ています ひとり歩きの隠れ名曲は、古都とまりも。
あとジャケ写真がいい。 渋谷公会堂の有楽町で逢いましょうのカバーは、本当に素晴らしい。
オリジナルのフランク永井もそうだし、
その影響を受けてるだろう五木ひろしやしのライブも聴いてみたが、
どうしても、崩して歌っている箇所に違和感を覚える。
しかし、この渋谷公会堂の藤圭子も崩して歌っているがそのリズム感がとても良い。
だから、曲の高揚感を高めてはいるが不自然では無い。藤圭子のリズム感が素晴らしい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています