藤圭子 本スレ
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明確にしましょう。ここが本スレです。Part1です。 >>615
どうなされましたか 急に?
大丈夫ですか 早目に病院に行かれては如何ですか、 >>621
貴女こそ5ヶ月も前の書き込みに返信するなんて、どうかしてますよ
該当するんですか?
そうだとしても被害妄想です
一度と言わず何度も精神科に通われてくださいね(笑) ここ数日、藤圭子のつべを聴いてる
すごいの一言だな
CD5枚組と藤圭子劇場と新宿の女と女のブルースのアルバム
買おうかどうか迷っている とりあえず「新宿の女」と「女のブルース」のCDアルバムを買った
3~4万のCDプレイヤーとアンプと5万のゼンハイザーヘッドホンで聴かせてもらった
ヘッドホンはゼンハイザーに限る
他のヘッドホンは現代に合わせて高音を強調する作りになっているから
ユーチューブとは格段の違い
藤圭子の濁った声がたまらない 「圭子の夢は夜ひらく」はアルバム「新宿の女」からのシングルカットなんだな
シングルカットはアルバム発売一ヵ月後だからアルバム買った奴は
シングルまで買わなかっただろから
もしアルバムに入ってなかったらミリオンだったろう 殻を破れず時代に取り残されたからワンパターンで飽きられるのも早かったな 空前絶後の栄光と悲惨の持ち主
栄光・・・オリコンアルバム37(或いは42)週連続1位
娘が一つのアルバム売上枚数日本一の記録保持者(800万枚)
悲惨・・・幼少期の疎外、差別、貧困、父親の母親へのDV
デビュー後、金銭問題で家族バラバラ、絶縁
20歳で結婚1年で離婚
育ての親石坂まさをにも裏切られ
宇多田氏と結婚離婚の繰り返し結局最後は離婚
娘のブレイクに母親のスキャンダルが影響しないように
歌手復帰を封印し、その娘にも愛想つかされ
全てを失い自殺 >育ての親石坂まさをにも裏切られ
・・これ違う。自然に離れた。
石坂は手相が悪いと
暴力をした馬鹿。 >>628
あなたは何も知らないのですね
藤圭子は2006年頃に「この世で一番、憎んでいるのは母親と石坂まさを」と何度も繰り返し話しています
https://www.asagei.com/excerpt/15958
そして石坂まさをの葬儀には出席せず、偲ぶ会の前日に自殺しています 藤圭子はクリスチャンだったのか?
アルバム「新宿の女」のジャケット写真に手にロザリオを下げている
カトリック教徒の前川清と結婚してる
マスコミ取材にも「神様」という言葉が会話に度々出て来る 藤圭子はたびたびキリスト教を信仰していることをうかがわせる発言をしています
前川清と知り合うより前にキリスト教を信仰するようになったのだと思います
デビューする前、苦難の流しの時代にキリスト教に救いを求めたのでしょう >藤圭子は2006年頃に「この世で一番、憎んでいるのは母親と石坂まさを」
・・?それヒモに洗脳されたからだろう?
あなた文春読んだ?流星読んだ?
流星には、石坂のことをそれほど恨んで書かれてはいない。
あんたは情弱だね。 >>632
流星って26年前だ いつの話をしているんだ
石坂まさをに関して「洗脳」されたなんてことは文春にも書かれていない
藤圭子をどうやったら「洗脳」できるのか オウム真理教じゃないんだから 馬鹿馬鹿しい
藤圭子が石坂まさをの葬儀に出席しなかったことがすべてを物語っている ↑ひどい情弱。洗脳したのはヒモ。
文春読んでたら真相が分かる。
図書館で探しな。
圭子の晩年知ってるの?
母親の所に行ったんだよ。そして泊まった。
過去の板見なよ!!ひどい情弱さん!! >>634
文春は持ってるよ 石坂まさをに関して「洗脳」されたなんてどこにも書かれていない
母親と一緒に1週間暮らしたが、もういいと帰ってしまい連絡を断ったのが真相
3000万円を持参したこともあったが翌日に取り返しに来ている
母の葬儀に出席していないことがすべてを物語っている
2ちゃんに書かれていること事実だと思っているとはね
とんだ情弱さんだ 決めつけはよくないな
発言はその時の感情に任せてのものと思いたい
葬儀に出席しなかったのは
藤圭子がそういう儀礼ばったのが嫌いだったから 藤圭子は20年近く母親とは絶縁状態にあったのだから、母親を憎む感情はその時などという一時的な感情ではない
藤圭子が終生母親をこの世で一番憎んでいたのは事実 藤圭子が葬儀などの儀式に出たくなかったというのは事実ではない
1995年に石坂まさをの母が亡くなった時、藤圭子は葬儀に出席している >藤圭子が終生母親をこの世で一番憎んでいたのは事実
・・・違う。ヒモといた時だけ。親戚は洗脳された発言
NYに行くまで脳は正常
NYでヒモと一緒の時におそらく・・
千葉で薬抜き入院(新聞系週刊誌よる)
晩年は母の家に行き謝り、泊まる
あんた図書館に行って調べなよ あんた何回同じことを言ってるんだ
そのことには635で答えている
2013年9月12日号 週刊文春 「藤圭子は自殺願望を打ち明けていた」が情報源
少なくとも私は藤圭子に関してあんたより多くの情報を持っているよ
国会図書館から藤圭子に関するすべての記事を取り寄せているからね
入手した藤圭子に関する記事の数は104件だよ
前川清との結婚関係は除いてだけどね 図書館から赤の他人の藤圭子に関する資料104件取り寄せてるだって気持ち悪 文春記事読んだか?
サンデー毎日?
新潮?
流星もな
俺は読んだうえで書いてる!
情弱!! シングル連続一位歴代記録
1位:18週 女のブルースと圭子の夢は夜ひらく
2位:17週 渚のシンドバッドとウォンテッド
3位:16週 女のみち
アルバム連続一位歴代記録
1位:37(42)藤圭子
2位:カーペンターズ
2位:エルビスプレスリー
ちなみに通算一位は井上陽水「氷の世界」34週 藤圭子ってそこまで低音は出ないんだな。
無法松の一生のカバー聴いて思った。
勢いがあってうまいけど、低音部はうまく誤魔化して高く歌い上げている。 週刊誌では前川清との離婚の原因を旭川の祭の後の男女のあれを見て
性に対してトラウマを持ったからと
しかし、東京に出て来て歌の修行を始めたのが15歳だからまだ処女だったと推測する
そのままデビューし人気が出て仕事に忙殺される日々で
20才になって早く処女を捨てたいが
女の命である貞操観念は捨てたくない(恐らく竹山澄子も生娘で嫁ぐ)
だから結婚して処女を捨てることにした
初夜を過ぎれば清にもう用はない ファンは自殺の理由をなにかと美化したいと思いがちだが
藤圭子も含めて人はそういう美化された理由で自殺を行うものではないと思う 此処は便所の落書きだよまともに取らない方が良い此処に書き込んでいる人みなウンコだから 
ウンコまみれのクズ人間だらけ(笑) 遠足など費用のかかる学校行事はすべて欠席
服装は一年中穴のあいた同じものを着て来る
靴もゴムの底がカッパカッパと音を立てて取れそうだった
寒い日は走って帰る
保護者達に古着を持ち寄ってもらい
それをあの子の家に届けたこともあった(小4の時の担任の先生) 遺言書があって「火葬のみで散骨」ということで
その通りに実行された
そういう遺言書がなければ普通の葬式が行われただろうから
やはり遺言書はあったのだと証明される
なぜ火葬のみで散骨か、おそらくキリスト教を信じていたからだろう
かといってどこか教会に属していたわけではない
だからと言って仏教形式での葬式・納骨はされたくなかった 藤圭子が「この世で一番憎んでいるのは石坂まさを」と言った理由がいまいち分からない 母澄子との絶縁の理由は周知のように金銭の着服と実は目が見えていた
騙されたというこの二つの問題であったが、石原まさをとは直接絶縁する理由はなく
私(圭子)と同調して母澄子と絶縁しなければ、石坂まさをとも絶縁すると言ったことに対して
石坂は拒否したから、石坂も母澄子と一緒に絶縁されたらしい 母親の目が実は見えていたなら、本当は娘としては喜ばしいこと
金銭着服が事実としても微々たるもんだろ
5億円もバクチに費やした人の、どの口が言えるのか
藤圭子は身近な人々皆に愛されていた
しかし藤圭子はそれを信じなかった 目が見えないと子供時代から騙していたのは、父親の暴力から逃れることができるから
父親が子供に暴力をふるっても、自分の目が見えないなら子供の盾にならず暴力を受けなくて済む
藤圭子は「目の見えない」母親の手術費用捻出のために仕方なく歌手を目指してつらいこともいっぱいあったことだろう
喜ぶどころか裏切られた思いでいっぱいだったと思う
金銭の着服も藤圭子が母親と絶縁する理由になったのだから微々たる額とはいえまい
5億円の件は自分の金だから着服されたのとは次元が違う
信じる信じないの問題ではない 馬鹿馬鹿しいい。
目の状態なんて知ってたろう。弱視レベルてことが。
それに金だって家族のためにアパート建てたんだから。
NYで薬で洗脳されたんだよ。それで千葉の病院で薬抜き。
自殺当時の週刊誌読めばわかること。 藤圭子の人気が出て大金が入るようになり
おかげで一家全員の住まいと暮らしが安定し豊かになった
そうして藤圭子は名実とも一家の絶対の主人となった
それだけでなく、恩師のはずの石坂まさをも上回る存在になった
圭子が従うべき人間はいなかった
だから裏切る奴は許せなくなった
これが大手プロに入っていたり、歌謡界の大家の作曲家、作詞家の弟子だったら
藤圭子は自分を抑制することを覚えただろう
しかし大手プロやレコード会社のオーディションにはことごとく落ちた
当時、あの声は受け入れらなかったのだ
石坂以外にはその声の革命的な斬新さが理解できなかった 藤圭子ほど成功した歌手はいないだろう
70年代に稼いだ金を広尾や綾瀬等の不動産を手に入れ
80年代に不動産バブルの時、それを売って娘への投資に使い
90年代に娘のブレイクで更に稼いだ 宇多田ヒカルもラジオでかけた藤圭子の「マイウェイ」がすごい
他の歌手にはない圧倒的な力強さ
こういう路線で新しい藤圭子を売り出して欲しかった 藤圭子とフランク永井は対して、
低音も出てないのに低音の魅力と言われる
謎が。美川憲一とか森進一とか青江三奈の方が
よっぽど低音だろ 大田ブルースを聴いて 心和みましよう
興奮状態は血圧に良くありません 脳卒中 オリコンシングル記録
69/9/25 新宿の女 9位 37.4万枚
70/2/5 女のブルース 1位 74.8万枚
70/4/25 圭子の夢は夜ひらく 1位 76.5万枚
70/4/25 命預けます 3位 46.8万枚
70/10/25 女は恋に生きてゆく 7位 23.3万枚
71/2/5 さいはての女 8位 16.0万枚
71/5/5 恋仁義 21位 8.1万枚
71/6/5 みちのく小唄 23位 11.1万枚
71/7/5 愛の巡礼 44位 5.0万枚
71/10/25 知らない町で 46位 3.2万枚 72/1/25 京都から博多まで 20位 13.8万枚
72/5/25 別れの旅 14位 19.6万枚
72/9/25 花は流れて 19位 8.2万枚
72/12/5 悲しみの町 59位 2.9万枚
73/3/25 今日から私は 21位 12.9 万枚
73/8/25 遍歴 50位 3.6万枚
73/11/5 恋の雪割草 41位 5.3万枚
74/4/5 京都ブルース 59位 4.4万枚
74/7/5 私は京都へ帰ります 95位 0.5万枚
74/8/25 命火 34位 6.9万枚 75/4/25 生きているだけの女 73位 21.1万枚
75/11/5 はしご酒 43位 11.1万枚
76/4/25 女だから 99位 0.4万枚
76/8/25 聞いて下さい私の人生 70位 4.5万枚
77/2/5 哀愁酒場 77位 1.6万枚
77/6/25 貴方ひとすじ 97位 0.2万枚
77/11/5 面影平野 78位 1.8万枚
87/2/25 新宿挽歌 89位 0.8万枚
以上 訂正:生きているだけの女 訂正前21.1万枚→訂正後2.1万枚 訂正:命預けます 訂正前70/4/25→訂正後70/7/25 ヒットしたのも前期くらい
さすがに石坂まさをがいいってわけじゃないけど
中期・後期はとうとう鳴かず飛ばすみたくなって、宇崎や阿木も加わるもイマイチで、
他の歌手の歌をあれだけ巧みに歌いこなせるのに、全般的にやりきれない女の同じ様な
歌ばっかり ネオンだとか蝶々だとか
そういった意味じゃ、中期以降は作詞作曲家に本当に恵まれなかった不運だなぁ もし中後期に初期に匹敵するヒットを飛ばしていたら
(例えば都はるみ、八代亜紀、布施明のように)
28歳で引退とはならなかっただろう
そうなるとアメリカへ行くこともないし
宇多田ヒカルも生まれなかった
歌手としての成功以上の成功をもたらした
前川清との結婚離婚、ポリープ手術による声の変化は幸運だったと言えるかも 親の死は子供を成長させる
宇多田ヒカルの2016年の新アルバムの中の「花束を君に」と
「真夏の通り雨」は母藤圭子の死について歌ったものと言われている
もし藤圭子が死なないでずっと長生きしたらこういう歌も生まれなかった
宇多田ヒカルの心の中に母の死に対する謎と傷が流れている
「いつまでも止まない雨・・・」と歌詞にある 約10年前から聴いているが、
宇多田ヒカルはリズム感は有るのに
声量が無さすぎる。歌唱力となると心細いね。
半世紀前歌手って声量が売りじゃなくても、
みんな発音がしっかりしてて、聴きやすいんだけどね。 確かにヒカルは声量があるほうではないが
曲そのものが声量を要求するようなものではないからね
別に声量が不足してダメだとは思わないな 今の歌は何言ってんだか分からない
歌が演奏の中に埋没している感じ
歌詞の意味を聴き耳立てていると
今度は演奏が歌と分離してる感じ 18日(火)のうたコンに藤圭子の顔がアップされたが
肌はきれいだし、歯も白くてそろっている
とても貧乏育ちには見えない >>676
そうそう、普通、美人っていいとこ育ちのお嬢さんってイメージあるけど、
藤圭子はそんなステレオタイプを超越してるよね。 貧乏育ちなら、栄養状態がわるいから
ニキビの後が残ってクレーター状態だったり、
歯だって歯磨き粉使ってないだろから
ボロボロで黄色い デビュー当時の藤圭子は美人というより中性的でボーイッシュだったな デビュー当時といえば、テレビで歌の宣伝してたの鮮明に覚えていた
例の椅子に座って黒の衣裳で白のギターを抱えて
背景は何も無く暗くして
白黒テレビだったが、唇が妙に赤くなまめかしかった ヒット曲の無い和田アキ子
NHK紅白 連続出場は何故か 自身の不滅の記録(37週連続アルバム歴代1位、18週連続シングル歴代1位)
英才教育を施した娘の不滅の記録(800万枚アルバム歴代1位、初週300万枚歴代1位)
家族に家を建ててあげた
豪遊の限りを尽くした
望み通りの人生を実現させたから何も思い残すことは無い
残された仕事は唯一、自分の血で以て、自分の歌に永遠の命を吹き込むこと 何もかもやり尽くした自分
後は老いさらばえて死んで行くだけ
懐かしく思い出すのは石坂まさをと一緒に25時間キャンペーンに必死になったこと
自分のレコードを聴けば、そこには確かに自分の魂が刻まれている
しかし、今の自分とは一つになっていない
自分の歌の魂と一つになるためには、今の自分の命を歌に捧げよう 8/22 の前 8/14 に宇多田照実氏に電話して
約8分間、世間話や頼み事をしている
離婚していたといっても籍は宇多田のまま
すなわち法的には離婚していないということだった
また
1990年に川越プリンスホテルで藤圭子が石坂に向かって
母親とは今後付き合わないでちょうだい、もし付き合うというのなら
石坂とも一切付き合わないと宣言したが
その2年後藤圭子は石坂と会っている
娘光の売り込みだった 別れの旅(オリコン14位 19.6万枚)
前作、京都から博多からの上げ潮ムードを引き継ぎ
前川清との離婚で水を差されることがなければ
ベストテン入り30万枚は確実だったろうと言われている
そうなれば、藤圭子の人気は盛り返し安定期に入り
28歳で引退することもなかっただろう
それをさせなかったのは藤圭子自身だった
石坂と運命を共にする道の方を選んだ
(石坂の後を追い、新宿で自死、石坂が煙になった桐ケ谷斎場で) You Tube で二人のビッグショー見たが
当時、45才、普通の女性演歌歌手だと高音が出なくなる
しかし藤圭子は非常に歌手としても並外れた声帯の持ち主だと 初めにおいて終わりを前提し、終わりに至って初めが現実となる円環
小3の冬休み、稚内まで、ひざまで雪に埋もれながら黙々と12キロの道を歩いた
しかし小屋主はその日の出演料を払ってくれなかった
「もう死にてえ・・」父のその声は一家全員の自殺願望に火を灯した
その火はその後のどんな栄光の中でも消えずに人生の虚無としてくすぶった
栄光が大きければ大きいほど影も濃かった
熟した果物が枝から落ちるように
時は熟した 大田ブルースがいいです♪
藤圭子さん 旨いみだれ髪 最高です 7月5日 藤圭子の誕生日に
前川清はステージで藤圭子の歌を歌った
絶賛発売中のアルバムの中に
その歌がカバーされてる 藤圭子が自殺して、照実ヒカルが口を揃えてその原因は精神の病だったと断定する
しかし精神というものは精神医学、心理学など、科学で割り切れるものではない
精神とは、人が距離をとって観察の対象とするものではないのである
精神を理解するためには、芸術、宗教、哲学の領域を学ばねばならない
精神病者とレッテルを張られた人間は、現代の科学万能時代の矛盾を突く人間であり
科学の権威からすれば否定すべき、けしからん存在であり
また正常人の狂気を正当化するための、現代の魔女狩りの犠牲者ともいえる
家族の一人が精神の病であるということは
その家族全体も精神の病にり患していたということであり
家族という精神の力動関係の中で一番弱い者が、いけにえという形で表に現れる
ファンなら藤圭子の名誉挽回のために闘わねばならない 最後は、それほど異常ではなかった
薬も抜けたんだろう
週刊誌に売った情報で、精神異常と工作
同居人は財閥の御曹司(これ一部の週刊誌情報)じゃないぞ
男はお水だ >>695
同居人は藤圭子の元マネージャー
照実氏が頼んだ
30代後半(2013年当時)元商社マン
その後、ヒカルの仕事をしている
ロスにもコンドミニアムを持っていて
新宿のマンションと往ったり来たりしていた
2013年3月にはロスの心療内科でパニック障害で入院していた(海老名香葉子談)
(海老名香葉子は藤圭子がデビュー以前からお世話になっている恩人、嘘はつかない)
自殺時、自室にはカバンひとつしかなかった(警察発表)のはロスから帰ってきたばかりだったからかも
だから、自殺8日前に圭子が照実に電話してきたというのは嘘
ヒカルが5歳の頃から精神障害だったというのは照実に吹き込まれた嘘
また藤三郎がヒカルが赤ん坊の時、千葉の精神科に入院させたが照実に退院させられ渡米した
というのも、妹の遺体に面会させなかった父娘に対する腹いせの嘘
というのは、その頃、藤圭子はシングル2枚、アルバム1枚吹き込んでテレビ出演も多かった
本格的に歌手復帰に忙しかった時期だから
照実は基本的に謀略家、嘘とホントを織り交ぜて相手を煙に巻くいい加減な人間
藤圭子は、いい加減なことは出来ない、真剣な人、そうだから思い詰める→自殺
ただ婚約(引退)発表時、離婚(復活)なんてあり得ないと言っていて
1年後には、ちゃっかり離婚(復活)しているのは、その時はそれが本心で
心変わりしたということにすぎない
嘘をついたわけではなく、あくまで自分の心に忠実だったということ 照実が藤圭子の自殺を知った時、最初に思ったのは藤圭子のファンからの自分への復讐だろう
藤圭子は新宿のネオン街の聖女で、その筋の人たちが崇めている歌手
照実が藤圭子を自殺に追いやったのは明らかだから、最初のコメントは何としても精神障害のせいにしたかった
今は照実はアメリカに高跳びして雲隠れだろう
しかし、内心はビクビクしているに違いない だいたいにして財閥の御曹司で元商社マンが、付き人になるわけがない。
学歴コンプのベタな工作。
付き人がお水て知ったのは、フリーの記者のネット記事から。
今日も出勤て書いていた。
それから兄は嘘を言ったとは思わない。純朴な田舎者だろう。圭子と同じ話し方だ。
後、NYで同居した自称ライターが怪しい。パーティーで何あった? まずヒカルデビュー前の数回の離婚の原因は全部照実の浮気
その際の藤圭子の感情的な抗議を、照実は精神障害の発作とごまかす
その後なぜ再婚したのかといえば、ヒカルのため自分が我慢すればいいとしたから
離婚の回数は照実が浮気をした回数
ところが2001年にレコーディング時、ヒカルが音程ミスを機械で修正するのを見て
それは邪道だと批判、ヒカルは痛い所を突かれた、自分は母親より歌唱力が無いことを指摘された
「もう、ここにはこないで!」と母親に言ってしまう
照実からも事務所の副社長の座から降りてくれと言われ、ヒカルのためならと承諾し
5年間の海外ギャンブルの放浪に出る
ところがNYの空港で例の現金没収事件に巻き込まれる
その後、フジとテレ朝に照実ヒカル告発インタビュー持ち込み未遂を起こす
照実と藤圭子が最後の離婚をし
ヒカルのためにこれ以上騒ぎを起こすなということで
ロスのコンドミニアムの近くの心療内科を主治医として
調子の悪いときはロスにいき入院したりした
2006年から西新宿のマンション13階に同居人と一緒に住み始め監禁状態におかれ
外部からの一切の連絡が取れなくなった
だから母親澄子や石坂の死も知らかかった
だが石坂の死を知って、偲ぶ会があると聞き、ぜひ出席したいと照実に懇願したが拒否され自殺 自殺は、今ではすっかり支配され、言うこと聞くしかない藤圭子の
照実への唯一残された最後の抵抗だった
渾身の力で飛び降りることで、藤圭子の自由と主体性を主張した
照実は藤圭子の強さに心の底から震撼し、負けたと思っただろう >>699
2013/9/8 上沼恵美子司会の「クギズケ!」で井上公造が言っている
NYの空港での例の現金差し押さえ事件の時のインタビュー映像の未放送部分で
「一人旅ですか?」と聞かれ、藤圭子は「いつも松村君が付いてきてくれるの」と答える
この松村君(当時38歳)が藤圭子最後のマネージャーで、
照実と藤圭子、両者の信頼が厚くて、英語も堪能な元商社マン
お水では5年に亙る世界のカジノで藤圭子のボディーガード兼通約は出来まいし
一緒に住む事などありえない
ヒカル5歳の頃から精神障害だという主張はあり得ない
ヒカル5歳から10歳の頃はヒューイット、清泉などの学校入学時
その時、母親が不在もしくは精神病患者だったら不合格になるに決まっている
また、その頃は盛んに藤圭子は日本で地方公演をこなしていた
1990年(ヒカル7歳)川越プリンスホテルで藤圭子ショーがあり
圭子は石坂に会って「母とはこれから付き合わないで」と言っている
またヒカル7歳のとき、自宅で父母の前で例のショーを開く
また1992年(ヒカル9歳)の時、青山のプレジデンスホテルのロビーで
藤圭子一家と石坂は会っている 藤三郎氏の話も、阿部家を侮辱されたという怨恨から
照実の嘘に対して、目には目を、嘘には嘘をということで
しかも母澄子も藤圭子もいなくなり真実を知っているのは自分だけという事態で
いくらでも嘘を付けるわけ
千葉の病院に強制入院させたとか(これはヒカル5歳の頃から云々に対する嘘)
藤圭子が2010年にひょっこりやって来て
母澄子に親不孝を謝罪し3000万置いて行った(ここまでは真実)
翌日、やっぱり止めたと言って3000万取に来た(これは藤三郎の嘘、
3000万は三郎が自分のものにした。その時すでに母澄子は肝臓がんで
一年以内に亡くなっている。その3000万は母澄子の遺産になるが
藤圭子が持って行ったことにすれば3000万は元々なかったことになる) 政敵を狂人扱いして葬り去るのは独裁政権の常套手段(ソルジェニーツィン) 画家なら精神障害を抱えながら傑作を残せる(ゴッホ、ムンク)
しかし歌手はそうは行かないのではないか
2時間で18曲を千人の客の前で一定のレベルで歌い
しかもトークを交えて独りでこなすのは無理なのではないか
終った後も、後援会主催の打ち上げにも出席しなければならないし
支持母体にも挨拶せねばならない
それを週一回ほど、ヒカルがブレイクするまで10年以上続けたのだから
さらにヒカル6歳の1989年の時にシングル「新地の雨」を出しているし 時には狂乱状態になったこともあろう
しかしそれは、原因がはっきりしている
夫の浮気であり夫への不信であり、子供のためにその夫とよりを戻して
自分の気持ちを殺して再婚したことであり
その夫に吹き込まれた嘘(実は目が見えていた、金銭着服)による母への不信感等々
その場合の狂乱は外因性の神経症にすぎない(藤圭子が生涯主張したところ)
ところが照実と照実に吹き込まれたヒカルは藤圭子を内因性の精神病として扱った
照実の犯罪は明らか
藤圭子は弁護士に頼るべきだった 70年5月、父・阿部壮に藤圭子へのボーナスということで事務所は3800万円を渡して
その資金で、父は世田谷区若林に4階立ての住居兼賃貸のマンションを建てた
藤圭子の父母が離婚したのが86年頃だとすると
その当時の若林の土地公示価格は坪単価、現在2019年のそれとほぼ同じ200万円
仮に60坪の土地だったとしても12000万円
広尾のマンションも米国での活動資金ということで手放しているが
広尾のそれは若林の倍400万円
60坪だとして24000万円か
あとちょっと売るの我慢すれば10倍になったのにな 人の心の底に流れている感情は悲哀だと高名な哲学者が言っているが
藤圭子の場合、それが人より強く、否定的な出来事に遭遇すると表に激しく現れた
清との離婚で「別れの旅」が歌えず、紅白に落ちた時、号泣し引退も考えた
照の最初の浮気が発覚した時、狂乱し自殺未遂を起こした
母は驚き自殺予防のために千葉の病院に親の権限で強制的に入院させたが
藤圭子にとって自分は神経症なのに精神病のレッテルを張られたと
社会的に生きながら死刑にされたと嘆き、そのことで母を恨み絶縁した
心に致命的なダメージを受けた藤圭子は
一生、自分は精神病ではないと、頑なに精神病の治療は拒否したが神経症の治療は受けた
精神病扱いされるくらいなら死を選ぶとして、その通り実行された 西部邁が自殺する前、自身の番組「西部邁ゼミナール」で
「人間にとって幸いなことは死ねることだ」と言っている
寝たきりでオムツに便を垂れ流し早く死にたいと願う超高齢の老人
彼らは普通の老人のように自分でトイレに行ける内に病気で死ねなかった老人たちだ
何が何でも延命を、ということにはこのような落とし穴が待っている
西欧では寝たきり老人はいないという
なぜなら、ほとんどの老人は寝たきりになる前に(例えば、肺炎になっても治療はせず
緩和措置だけで済ますから)死ぬからだそうだ
積極的安楽死に近いな 自殺もそうだな 母澄子との絶縁の理由が金銭着服と視覚障害詐称というのはイマイチ腑に落ちない
ヒカルブレイクによって莫大な収入を得たわけだから
その時点で金銭着服への恨みが仮に本当だとしても解消されているだろう
視覚障害詐称はそれが仮に本当としても絶縁するほど恨むものではなかろう
やはり母が藤圭子のためを思って千葉の病院に入院させたことが逆に藤圭子の恨みを買った
犯罪者の精神鑑定は数人の精神科医が数か月かかって結論を出すのに
そうでない人の入院は一人の精神科医が一時間で結論を出すと言う矛盾
それも家族の証言を判断の重要な要素として採用する矛盾
事態を知った照實は藤圭子に会いに病院へ駆けつけ面談する
そこで藤圭子は「私は精神病でもないのに入院させられた!今すぐここから出して!」と照實に懇願する
しかし二人は離婚して夫婦ではない、配偶者ではないからそのような権限はない
「それなら、今すぐ復縁するから、婚姻届けとハンコを持ってきて!」と藤圭子は言う
そしてそれはすぐ実行され、藤圭子は照實と渡米したというのが一番、真相に近い
その後、藤圭子は「夫は命の恩人、感謝している」旨の発言をしているのはそのことだろう 鏡を見て、映っている自分を 1)他者と思う段階(動物)、2)自分だと思う段階(同一化)
しかし別の自分だから、鏡に向かって話しかけたりする(幼児)
3)鏡に映っている自分も鏡を見ている自分も同じ一つの自分であることを知る
同一化と同時に統合化する段階
人間はものを認識するとき最終的には、それが自分が感覚している、自分が思考していることを確認している
いわゆるカントの超越論的統覚、それが自己同一化を構成するための基本
しっかりした自我の確立(同一化と統合化を同時に行うこと)が何かの衝撃によって揺らぐと
自分の思考が他者の思考のように思われ(幻聴)
自分の感覚が他者の感覚のように思われる(幻覚)場合が出て来る
しかし重度の神経症においても同じ症状は見られる
また古代の宗教書は幻覚や幻聴によって作られていると言っても過言ではない
それが中世をも支配したことを見ても、その中世が西欧近代をもたらしたことを見ても
人間の精神にとって病的な現象とだけ見るのは疑問である ヒカル照實が藤圭子の遺志どおりに直葬・散骨を行ったというのなら何ら問題はない
何も日本の伝統・慣習と言われる仏教の形式に則る必要はないからだ
ただ
ヒカル照實が遺言書に書かれていたからと法律を盾にとり
たった一人の阿部家もしくは竹山家の血筋を受け継ぐ三郎氏をして
亡骸と面会することを断り、直葬にも参列させなかったのは
国家の掟(法)を家族の掟(残された家族が死んだ家族を埋葬すること)に優先させたからであるが
家族の掟も国家の掟と同等の重さがあるのであり
ヒカルは今後、ギリシア悲劇に譬えて言えば
冥界から出て来る復讐の女神にさいなまれることになる
ヒカルの2016年のアルバム「ファントマ」はその最初の兆候 1970年のレコード大賞は菅原洋一の「今日でお別れ」(オリコン2位63.0万枚)
藤圭子はレコード大賞大衆賞「命預けます」を受賞
なぜ「圭子の夢は夜ひらく」ではないのか
それは「圭子の夢は夜ひらく」は先に第一回歌謡大賞の大賞を受賞しているから
本来、レコード大賞も「夢は夜ひらく」がふさわしかったのだが
TBSと対立してTBS以外の全民放が作ったのが歌謡大賞だったので
TBSとしては意地でも同じレコードを大賞にするわけには行かなかった
歌謡大賞の影響を受けたと思われたくなかったから 普通なら大衆賞は「圭子の夢は夜ひらく」をもって来るだろう
藤圭子の最大のヒットであり代表曲だからだ
それが「女のブルース」でもない「命預けます」になっているのは不思議だ
選考過程が非常に混乱していた証拠だ
「夢は夜ひらく」は大衆賞に貶められる曲ではないと選考委員に認識されていた
しかし、歌謡大賞と同じ最高賞には出来なかった
大衆賞にも出来なかった
外すしかない、賞そのものから
「もし、夢は夜ひらくで歌謡大賞を取らなかったら、レコード大賞がもらえたかもしれないかな」
「そうかもしれないね。その頃、その二つの賞が、すごいライバル意識を持っていて
歌謡大賞で夢は夜ひらくが大賞をとっちゃったんで、わざわざ夢は夜ひらくを外したわけ。
それで、命預けますが大衆賞とかいうのになっちゃったんだ」(『流星一つ』P136) 『流星ひとつ』より(p301)
「あたしは歌手をやめるけど、やめても藤圭子をやめるわけじゃないんだ・・・」
「あたしね、阿部純子と藤圭子ということで言えば、デビューするとき、
藤圭子っていう名前をもらったとき、生まれ変わったと思ったんだ」・・・
「あたしの本当の誕生日は7月5日だけど、デビューした9月25日の方が、
あたしが実際に生まれた日のような気がする、ということだったの」・・・
「いったん藤圭子に変わっちゃったんだから、戻るってことは出来ないんだよ」・・
「藤圭子をやめたいんじゃない、歌をやめたいだけなんだよ。
藤圭子であるかぎり、何をしようと変わらないはずだよ」 歌手も美を追求する人間
藤圭子の美はギャップの美
人形のような可憐な容姿とドスの効いたハスキーな声量のある声のギャップ
その矛盾が藤圭子の中に共存しているのに我々は驚嘆する
そのギャップが30年後、演歌の母とJ-POPの娘のギャップとして再現され
その緊張がプツンと切れて藤圭子は空を飛んだ
藤圭子の生涯は運命に翻弄されたが
最大限の人間の自由と主体性を発揮した上での運命だった
崇高な美を体現した人間として藤圭子の右に出る者はいないだろう 藤圭子の歌を聴きながら、亡くなったその後の熱いスレッド群や、出版物を読み漁っているにわかです
真実を知るために なぜ、藤圭子は自殺したか(着衣に乱れはなかった、部屋が荒らされてはなかった、抵抗したあとはなかった
睡眠薬などは体内から検出されなかった、故に他殺ではなく、また歩道ではなく車道に落ちていたということは事故でもなく
水平方向にも力が入っていた、即ち膝を屈伸させて足に力を入れて飛んだということで、自殺ということが分かる)
それは
娘ヒカルへの愛以外にあり得ない
娘ヒカルにとって自分がいない方がよいなら喜んで死ぬのが母親
戦場で死ぬのが恐くないのは一重に国家への愛があるからと同じ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています