>>158の続き

あいつはいい、あいつは気に入らない。

どの話題を議題にしようか、というように考えるのです。

私たちの話題はいわゆるアルメニア人虐殺の草案ですね。

私は自分の調査において、この件を隅々まで調べました。

そのおかげで、トルコのここ200年の過去も垣間見る機会を得ました。

ヨーロッパにはいつも、よりずっと負のトルコ像がありました。

この負の像は、メディアを通じて今日まで伝えられました。

例えば、草案の承認から2週間後にはドイツニューステレビのチャンネルN-TVのインターネットの
ページで、エーリヒという私と同職の者が、集会キャンプのことまで説明していたのです。

話の上では、このキャンプにはアルメニア人が集められました。

その後、この集会キャンプでアルメニア人が「虐殺」されました。

このことは全部、歴史の嘘です。

集会キャンプに関する証拠などありません。

この発表を放送した人物と連絡を取って、その人物からこの集会キャンプの資料を明かしてほしい
と頼みましたが、今日になっても何らかの返事は得られませんでした。


質問:ヘンリッヒさんの言われたところによると、この件を調べるのに10年以上も努力してこられたん
ですね。この件についてのヘンリッヒさんの見解は何ですか? 歴史の真実は何なのでしょうか?

ラジオ放送の範囲に収まるように、何とか話を要約するようにします。

この前後関係では、オスマン帝国において多くの人権侵害が行われています。

オスマンの法的な相続人であるトルコ社会は、このことを知っておくべきです。

推測では60万人から80万人のアルメニア人が「虐殺」されたと説明されています。

それでも私はヨーロッパの学者とドイツの両方、そしてメディアにも、次の罪があると言いたいのです。

およそ同じ数のムスリムが「虐殺」されたことは誰も話していません。

アルメニア人は、ロシア軍とともにコーカサスで「虐殺」を行っています。

トルコの観点から見れば、アゼルバイジャンの同胞が「虐殺」されているのです。

トルコ人はそれを見て見ぬふりはできませんでした。

なぜならトルコ人とアゼルバイジャン人は兄弟民族だからです。

この兄弟には隣人、友人、親戚がいます。

同様の方法でロシアのアルメニア人への支援により、ロシア・アルメニア人は東アナトリアのトルコ・
アルメニア人の間に密かにまじりました。

トルコ人に対して戦闘を始める前から、トルコ人に対して激しい攻撃を行ったのです。