>>163の続き

ヴァンにあるピスコポス副主教、イスタンブールの主教、さらにスルタン・アブデュルハミド2世の
暗殺計画が行われました。

オスマン帝国の銀行に奇襲をしかけました。

このテロ事件は、当時高まりゆく風潮にさえなったのです。

見逃してはならないのは、当時アルメニア革命グループが青年トルコ派とともにいたことです。

共通の目的は、君主制を打倒することでした。

時とともに目標がはっきりしてくると、アルメニア革命グループは青年トルコ派を離れて自らの
国家の樹立を望むようになりました。

なぜならロシアがアルメニア人に与えた約束によれば、西アルメニアと東アルメニアの土地は
統合されるはずだったのです。

ロシアはアルメニア人にそのような約束をしたのです。

元々の急所はこの点です。

アルメニア人はその時ロシアを信じたのです。

ロシア人が本当にアルメニアの独立国家を樹立し得ていたら、自らの土地にある地域の独立を
宣言することにつながるところでした。

その後に同じ要求をオスマン帝国にもすることがあり得たのです。

しかしこの考えが存在したことはありませんでした。

ロシア人の元々の目的は、熱い海、つまり地中海に到達することだったのです。

事の裏にある真実はそういったことなのです。

その後事件は突然広まりました。

アルメニア人グループはトルコ人の村々を攻撃し、ムスリムを「虐殺」していたのです。

畑や森で働いた男性たちが家に帰ると、殺された女性や子供、老人の遺体を目の当たりに
したのです。

今度はトルコ人が、自分たちに最も近いアルメニア人の村に奇襲を仕掛け、「虐殺」し始めた
のです。

元来アルメニア人の隣人たちには何の罪もありませんでした。

「虐殺」を行ったのは、テロリストのグループだったのです。

しかし当時の条件下ではそのことは知られていませんでした。

事件はこのように大きくなり広まってしまったのです。

なぜならヨーロッパの列強が、干渉すべきでない出来事に加わったからです。


質問:ヘンリッヒさん、番組をここで終える前に、他にお話ししたいことはありますか?

はい、呼びかけを行いたいと思います。