岡本太郎4
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2ちゃんにスレがあったって、いいじゃないか …あってはならない、と主張するより
下手だろうが上手だろうが自分の感性を素直に押し出すことに尽きる なんでかってのは今日の芸術を読んでみれば分かる
うまく描かないっていうのはひねくれてんじゃなく、純粋に自分を表現した結果 岡本太郎が好きだけれども。
ピカソと比較すると、何が、見えた!?の!?? 下手で良いと居直るのは卑屈だよ
岡本太郎は下手でいろ!とは言ってない
下手なりに、未熟なりに、やれることがあるだろう
尤もらしい言い訳をやめて努力しろ!って言ってる 5年前にMOTで明日の神話を見て初めて絵で感動したんだよね
それで岡本太郎気になり出して青山の美術館にいったり川崎の方にもいって・・・
で、最近渋谷に行く用事が出来てもう一度明日の神話を見にいった
すごくがっかりした・・・
なんであんな場所に設置しちゃったんだろう?
あの場所で、あんな設置の仕方じゃ全く別の絵のよう、
なにより目の前の太い柱が邪魔で邪魔で・・・ 岡本は実はアンフォルメルに入りたくて
タピエに懇願して、結局入れてもらえなかったってほんと? 思い浮かんだ描きたいものが、高度な技術を要するものなら仕方ないと思う
しかし、表現の為の技術であって、技術はひけらかすものじゃない
そういう意味で、音楽も絵も技術のひけらかしは意外に多い。
上手さや、技術うんぬんで人に認められようとするのではなく、
表現したいと言う衝動、それが大事だろって岡本太郎は言ってると思う 技術や表現を越えたところで芸術を爆発させろと言ってるんだな
それは縄文人や古代人の呪術そのものだと
芸術は呪術であり人生だというのはそうゆうこと 岡本太郎の芸術観って、芸術家にとっての芸術作品はないらしいね。
無条件に爆発して生きることが芸術で
作品はその足跡みたいなものだとか。
だから作品は重要じゃないってことになるんだろうけど、
太陽の塔が壊されそうになったら岡本太郎は怒ってたし
足跡にしちゃ、芸術作品として激しく意識してるねw
芸術家としての芸術作品はあるってことだ。
太陽の塔なんか近代的な高い技術力が必要な訳で
ガチで下手なやつらが集まったらあの芸術も拝めなかった。 そうだな
けど下手の意味合いが違うと思う
技術力やそれをひけらかすことに対してではなく
体裁よくうまく見せようとする卑しさに対してだな
また技術は否定していない 体裁の良い、お上品な作品が卑しいんだろ?
周りから支持されるであろうことを効率よく狙ったり。 お上品な作品が卑しいってより、そういう作品を作ろうとすることが卑しい
認められたいけれど認められたくない
誤解されることをむしろ受け入れて自分を開けと もうちょっと具体的に言って貰えないとね。
ただの揚げ足取りになってきる。岡本太郎気取りはやめろw
発想、行為そのものが卑しいってことか?
もう少し自分の言葉で説明して欲しいな。 そうかそうか。岡本太郎の受け売りで自分の頭で考えられないか 岡本太郎気取りじゃなくて岡本太郎が言っていることを書いてる
認識がいちいちあさってに行ってるんで
具体的に知りたきゃ本を読め 岡本太郎の言葉を見たうえで語ってるんだけど。
あなたは本当に正しい認識をしているのか?
岡本太郎の言葉をそっくりそのまま持ってきて
私だけは解ってますみたいに書き込まれても、どうかと思うわ
だって全然、自分の言葉で解釈出来てない、洗脳されてるだけだもの。 じゃあまずあなたの考えからどうぞ
勝手に採点する側に回るのは卑怯だしね むしろ自分の言葉で書いてしまうからおかしな認識になってしまう
当然解釈もおかしい
洗脳以前の問題で理解できていない 岡本太郎好きだけろども、
ピカソに、わらい!!が、たっぷりと、あって、
悲観論に、人生が、全くならはいのが、よいと、思います。
岡本は、真面目であるから。はみ出るかわいが 何を言ってるのか全く分からない
日本語勉強して出なおしてこい >>120
俺の言いたいこと、
岡本太郎の言いたいことが違うならその方がいいわ
間違った認識でどんどん逸脱していくので そうするといい
理解してないんだから逸脱もなにもないけど
岡本太郎を引き合いに出すこともない >>125
岡本太郎せんせ〜って一生崇めてろ信者。
あんたは岡本太郎じゃないから
彼の本当の気持ちなんて解らないけどね
吐き気がするなこういう信者は。 それは全く逆
岡本太郎を全部知って全部忘れること
君は本当の自分にコンプレックスがあって逃げてるだけだ ダリの場合は自分が表現したいものを描くときに技術を必要とした、ってことかな。 そうだろうねぇ。
当然、卓越した技術を駆使する方が
一般民衆はアッと驚くので、これみよがしに
ダリはあらゆる技術をひけらかしているね。
逆に岡本太郎は技術を意図的に抑えていってる。
芸術に興味のない人は技巧ばかりに目を見張るからね。
モチーフの本質だけを見せて、挑発しているんだろうね
君たちに解りますか?って 技術力だけの驚異では世界は変わらない。
そこに本質が含まれていなければ空虚な世界になってしまうと考えていたんじゃないかな。 岡本太郎の芸術は結構だけどさ。
よく岡本太郎の言葉や思想に惚れている人いるじゃない
あれって危険だよね、岡本太郎の原動力って
明らかに幼少時代の憎しみだから。
人から人へ憎しみや復讐心は潜在意識を通して広まるんだよ
まさに悪い意味で岡本太郎の思想は呪術だと思う
気をつけた方がいいね >>132
ああ〜長ぁいぃ〜
時間をぉ〜
かぁ〜けてぇ〜ええええええ
作ぅってぇ〜
ゆぅくぅああい
イェーエエエ〜
たがあぁ 芸術家は危険なほうがいいよw
リーマンみたいな芸術家じゃ面白くない! >>134
その通りや!
成功目指して、世間に迎合してるやつなんざ芸術家やない! >>134,135
芸術家が危険なんてごく普通のことだから話題にすることでもない
>>131はネガティブな感情を拒否して安全な道を選ぶ人なだけ 何をやる時も憎しみが根底にある人って
見返すことばかり考えていて辛そう
そういう意味では楽しく気楽に何か好きなことに打ち込みたいな レベル低い話だな
憎しみの有無にこだわって生きるほうがよっぽど窮屈 >>140
あなたはさぞかしレベルが高い(笑)のでしょうけど
憎しみに蝕まれて生きていて
毎回憎しみを思いだしながら何かをするのって
ただ単に復讐したいだけであって
本当に好きでやっているのかな?て疑問ですよ
わかりますか? まぁな。確かに変な競争や見栄っ張りから逃れたいのはあるw
人を呪わば穴二つってやつだ。岡本太郎は好きだけど
岡本太郎の全てに賛同する必要もないしな >>141
そうやって憎しみに固執するのが新たな憎しみを生むんだな リベンジに燃える人って、被害者の立場と加害者の立場に分けて考えるからな
そこがやっかいな所なんだろうな
いつまでも被害者の立場で居たい、しがみつきたいんだろうね
悪い癖がついてしまっているのかも
私もなるべく人を許して生きていこうと思った >>145
君みたいな人のことを言ってるんだけど。 >>144
自演はやめろよ
幸福の科学とかそういうたぐいか?
いずれにしろ人間が小さい で、出たァ〜!
信者乙と捨てぜりふ言い残してトンズラこくやつw 芸術を理解してる奴って世界中で何人いるんだろうね。
たぶん数えるほどしかいないんじゃないか?
まあ俺も、自分がやってる事が芸術かどうか判らんから趣味でやってるが。
一番嫌なのは、民衆に迎合してどうでもいいような絵を描いてるくせに
世間から祭り上げられて「私こそが天才アーティストです」とか言っちゃってる奴
恥を知れって言いたいね >>153
民衆に迎合するのもまた一興といいたいが、それは芸術やアートってより単なるエンターテイメントだな。
表面的な驚きはあっても世界を変えていく力が欠けている。
つまり、真に響かない。 エンタメと割り切ってやる分にはいいかもしれないな。
芸術、芸術ってあまり固く考えない方がいいかも。 >>153
それは偏見で違うけどな
小説の純文学と大衆文学のようなものでもあるけど
大衆文学に芸術性が無いってわけじゃ無い
芸術性オンリーじゃ無くても純粋芸術の多くのジャンルと優劣は無いよ
>>154
エンターテイメントにも同様に芸術性やアートな要素も多かれ少なかれある
作品によってはかなりあるよ
世界を変えていく力も真に響くかどうかもケースバイケースで他に十分劣らずある場合もある
つまりエンターテイメントや大衆芸術も純粋芸術に劣るわけじゃ無い >>156
エンタメと割り切るのも良いと言えば良いけど
芸術をあまりに狭く考えるのは違うな
その意味で割り切る必要は無いとも言える てかもう一つ言うと
>>153>>154が言っているような作品は正確に言うと民衆への迎合とは違う
多くの場合その人が本当に作りたい作品(違う場合もあるが)
そしてさっきも書いたが
そういうポップなジャンルも見る人や作品次第で他に劣らない芸術性を見出す事も可能 受け手の事を考えた作品
あるいはウケるようにと作った作品であっても別にそれは迎合では無く
そして本当に作りたい作品だったり
そういう要素が十分にある作品って場合が多い
(勿論そういう作品も芸術性100%であっても無くてもエンタメ要素があっても芸術性は他に劣らず十分にある事も多い)
あと自由っていうのはスタンダードだったりメジャーな所や
その付近から外れなければ達成出来ない事では無いよ クマ○ンだったっけ?あの作者が芸術家と言われているのには呆れちゃうけど 太郎は芸術なんて石ころと等価値だって言っている。
世間の人が石ころに対して大衆だ、純粋だって言ってたって、
勝手にしやがれって話だ。
創る側にしたってそんな事気にしてる時点で芸術家失格だ。
太郎は、「自分に対しても、他人に対しても勝手にしやがれという気持で生きている」と言っていた。
芸術うんぬん言うよりも、絶対感を持っているかどうか、爆発しているかどうか、いやったらしいかどうかが問題だろう。 東京、大阪あたりじゃどうだか知らないけど、田舎で芸術活動してると好奇の目で見られると言うか、変人扱いされる。 >>166
それがどうした?
変人扱いは対極的に常人視されてることでもある だれか教えて!もしくは質問してみて!
http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m117952429
↑身長が157cmの1/140だと約11.5mmなんだけど、超巨大な手の人が精密なフィギュアを作ったってことなのかな? >>166
好奇の目で見られるのは誰でも嫌だろうが、
人間はバカで愚かで間抜けの変態クズなんだから楽しめ 変態おじさんなんてもんじゃない
職業が人間だったんだよ 岡本太郎って自分が言った事を忘れて
いきなり矛盾したこと話すよね
話を良く聞くと一貫性がないw
変な芝居のせいで無理が生じてる 対極主義だからな
矛盾や反対のものをどこまでもぶつけあい互いを強調させる 本音と建前に矛盾が生じてるだけじゃねーかw
まぁ対極主義を貫いてるって意味では面白いからいいか >>180
深すぎる考察よろしく!知ったかぶりの信者さん 彼の具体的な発言を挙げて矛盾を指摘してもらわないと何とも言えないなー。
だいたい人間なんて矛盾だらけじゃないの?
私の行動と発言は徹頭徹尾、首尾一貫しております、なんて自信たっぷりに言っている人を知らない。 えびね ◆MlViGudk9NNMって気持ち悪い奴が憂さ晴らしに書いてるだけだから話にならんよ 太郎さんとダリはピカソを生涯トリビュートしてたよね。
即ちピカソ、太郎さん、ダリをトリビュートしていれば、きっと道が開けるに違いない。 ウチの地元には太郎の作品は二つしかない。でっかいのと小さいの。 キャパ その青春(リチャード・ウィーラン) 文藝春秋(1988年)
パリ時代のカフェの仲間達の名にオカモトタロウが出てくるよ。 俺と岡本太郎とは容姿も性格も違いすぎるから、無理に真似しても無駄なような気がする
好きなんだけどね、岡本太郎
いっそのこと記憶を全部消して、まっさらな自分だけを出していけたらいいのかも知れないが 太郎とダリはどっちもピカソを崇拝してたから画風が似てるんだな
写実的か否かの違い 太郎は強いていえばシュール寄りの体質。常に思想性が優先する。絵画性あえて
無視。
ダリはやはり技巧家。良くも悪くも。
ピカソは天才造形屋。