抽象絵画を鑑賞するスレ
解釈、感じ方が人によって大きく異る抽象絵画
感想を勝手に書き込んでってください マイナ−で古いかもしらんが私ゃ
ボリアコフなんか好きですな。
後、さらに古いところでフランツ・マルクとその周辺とか。
マ−レビッチもかなり ベタだけどモンドリアン好きだわ
黒の線と色の組み合わせによるバランスのスッキリ感がたまらない そうなのかな?
フランスでしばらく行き詰まってて、疎開先のNYですこし方向性を変えたようなきもする >>6
最後は変節だよな。
ジャッドみたいに貫いてほしかった。 わかってねえ
だからいいんじゃねえか
ジャッドは甘え 変るならもう少し早くしてくれないと
作品が少な過ぎて変節なのか、発展なのか分からない モンドリアンの晩年の作品は発展という感じでは無さそう
行くとこまで行って、戻ってきた感じなのかな 解釈、感じ方が人によって大きく異るのは別に具象絵画でもかわらんけどな。 抽象絵画の見方が分らんと思ってたら具象でも分らん
分かるってなんなのかが分らん
こういう戸惑いも抽象絵画のおかげ ネトウヨとは・・・
人格に問題があるため社会に適応できない人種
そのため周囲に対して自分の存在を誇示するためのステータスが一切ない
唯一の拠り所が「自分は日本人」ということのみである為
ネット上で在日韓国人・朝鮮人を叩いてわずかな優越感を得ることでアイデンティティを保っている
また昨今では嫌韓流思考が顕著であり、またネトウヨ自身が社会と接する機会が少ないこともあり、
「韓流ブームは全て嘘」と本気で信じている。
その思考が右翼にも似ている為、ネトウヨと呼称される
@社会的地位:下層
A経済力:低収入、または無収入。
高い収入を得る人間に対しては、例え在日以外にも異様なまでの敵対心を持つ。例:公務員叩き。東電叩き。ステマ叩き。障害者叩き。
B対人関係:不得意。
匿名の掲示板以外では何も話すことは出来ない。その分ネットには莫大なエネルギーと時間を費やす。 難波田はなぁ、、、戦前の美術はコンセプトとか全然理解してない猿の物まねみたいな作家ばかりだ。
特にキュビズムとかダダイズム辺りの日本の作家は恥ずかしいの一言。 カンディンスキーの抽象Vは一見の価値あり。
でもミュンヘンは遠いな。 難波田は戦後美術のカテゴリー
和製アブストラクトの代表選手的存在 美術内容を教育で教えるって価値観の固定化かなんか?
お前どんな教育受けてんの? 好きな教授の講義を見極めて、欲すれば知識は得られる場所が大学
門外漢の美術ファンも作家が開く作家向けのワークショップなどにも顔出してみるとよい 日本でデ・ステイルをテーマにした展覧会って1997年に有ったセゾン美術館のだけかな? >>25
鎌倉画廊とかでもあったと思う。他にもいくつか
後、大学系の美術館とか >>26
マジか、ありがとう
もうちょっと調べてみるわ ポロックはただただパンクでデタラメって思ってたから、実物を長時間みたとき、物凄く感動したの覚えてる
四次元や〜って感じ ゴッホのよさも価値がまったくわからないんですけど。
なんであんな値段がつくの? ポロックは別格
ブルーポールズはほんと良いよね
あからさまに具象形態が見える晩年の作品は嫌い ポロックはあのまま生きてたらどの方向へいってことか。。。
いい時期に亡くなったと言えると思う。 ポロックぬきにしても、全世界的に絵画がなんかもうどこ向かってんのか分からんしな そもそもコンセプチャルアートとか、ミニマリズム以降は、確たる方向性なんて全然無い。
個々の画家は別にしても絵画全体としては死に向かってる。 絵にしても音楽にしても、もう人間の創造性がピークを過ぎてると考えるのが正常じゃないの
少数の一流だって否定しないでしょ 極端に抽象絵画で推し進めたのは間違いだったとか言ってる人がいるけど、どう考えても俺は抽象絵画が好きだ ポロックはあんな素晴らしい絵を残してるのだし焦る必要なかったのに
ラディカルでもあったけどなにより真面目だったのかな 抽象絵画のエッセンスは書や山水画などのそれと同じものだと言える。
水墨画、山水画を理解する事はデザインの根幹を理解する事に等しい。
とりわけ虚実相生の思想を感じる事が最も意義深い。
その思想・方法論とは、ネガポジの相互形態干渉によって奥行きと空間を認識し、
絵画に不可欠な平面的均衡をも、そのするどい対比によって同時に成立せしめんとするものである。
これら構成上の方法論は書から派生したものと考えられるが
世界各地のさまざまな民族の芸術においても似たような発想はあり、
西洋美術、アメリカ現代美術においても同様の方法論がよく見られる。
ポロックは陰陽の二元的認識から第三の認識(レイヤー空間)が発生することを強調した画家。
似た認識を持つ画家に、マティス、リキテンシュタイン、クリフォード・スティル、熊谷守一、
ディーベンコーン、Lou Loeber、ステラ、イミ・クネーベル、コルビュジェの絵画などが挙げられる。 >>44-45
2chで気の利いた文章は期待できないし、この文は中身があっててても面白いと思う
しかしなんか騙される気分にも陥る
白と黒、ネガとポジ、単純に還元しすぎてるからけっこう何にでも当てはまっちゃうような
しかしポロックが単純な白と黒の対比で描いてるってのは本当だと思う >>46
騙すつもりはなかったんですが、単純化し過ぎた見解に思われたかもしれません。
確かにコンセプチュアルなものなどは強引に一般化できないですよね。
僕が言いたかったのは、たとえ簡単な白黒の要素だけであっても
均衡と奥行きを同時に表すのは簡単ではない、ということです。
原理は簡単なのですが、完璧に上手くやれる人は少ないです。
しかしこの妙な空間の性質に、過去の匠達がいかに夢中になったかを考えると面白いですよね。
以下、僕の独断と偏見で、虚と実の高度な均衡・階層性・輝きを持つさまざまな作例を挙げておきます。 絵画は出尽くして
たとえ抽象の中村一美も具象の会田誠も
小山ギャラリーもみずまのギャラリーも
マーケットとしてはのびしろある?けど
最先端の現代アートではありません。
最先端はやはりメディアアートでしょう。
37 :バカボン哲学:2014/04/05(土) 12:48:20.97 絵画はミニマルで終わっているていうか、もはや最先端のアートでは
なく、最小限のキャンバスの画面にも、昔ながらのタッチ、テクスチャー
を求めている。例えばロスコは大画面の中に仄かに描かれた形体は昔ながらの
滲みのテクスチャーで深い芸術作品としての価値を得ているし、その逆に全く
排除した桑山忠明等のミニマルもそれまでの美意識のコンテキストの反発に
よってなりたっている。
また70年代の立体の作品のもの派にしても自然物の取り組みによる上記と同じである。
まさに真に最先端のアートとは現代のテクノロジーを利用したアートや今流行のメディア
アートであろう。
38 :バカボン哲学:2014/04/05(土) 13:00:37.37 それに2000年以降平面と呼ばず絵画と云い出した段階で
最先端から終わりを告げている。
でも最近最先端ではなくアバンギャルドお騒がせとして
会田とか売れてるみたいね。イイね。 >>45 にある米芾の作品は恐らく別人の作品です。米芾の書法的特徴を備えていないし、
何よりも、観ても感動しません。欠点ばかりが目立ちます。そもそもこの人は大きな字は
ほとんど書きません。我が国の東博にある「虹県詩巻」が例外的に大きな字ですが、それ
と比較すれば、作品の出来には雲泥の差があるのは一目瞭然。
それから、書を持ち出すのであれば、我が国の「継色紙」などはこのテーマのいい参考例
になると思います。虚の最たる余白が観る人を別の時空に連れて行ってくれます。 >>53
これは米芾の「多景楼詩冊」で間違いないです。
部分拡大なので大きく見えますが全体はこのようなものです。
http://blog.sina.com.cn/s/blog_548957b101019dca.html
継色紙の美しさには異論ありません。 >>52
絵画は出尽くしてもう終わりだなんて、ちょっと寂しい考えじゃありませんか。
僕は、単に消費される為だけであっても絵画はますます生産されてしかるべきだと思います。
また、霊感商法にも似た美術業界の胡散臭さを考えれば、その業界の発信する「最先端」も結局はまやかしに過ぎないとも言えるわけで、
そういった流行とは別なアナクロ的作家がいたほうが事態が複雑怪奇化して面白いんじゃないでしょうか。
桑山忠明に関してもそうですが、既存のコンテクストへの彼の反発、彼自身の極端な未来志向にあまり共感出来ないので
インタビュー記事などを読んでみてもあまり積極的に評価する気にならないんですが(笑)
彼の作品やミニマリズムは、より建築空間との一体化を意識するという方向において、昨今のランドスケープアートへのつながりを感じます。
メディアアートも含めて、よりシームレスにさまざまなものがデザインされるようになっていくのでしょうね。