>>210
> 工業的洗練の中に
ある種のアウラを見ている点では同じである。そこからは洗練するほどアウラが増幅し
手作業の痕が出るほどアウラが減退する

これを感じたことがあるのは、ドイツの名前はド忘れしてしまったが大きな美術館の体育館ほどの室内にジャッドやロバートモリス、カールアンドレたちのデカイ作品たちに囲まれて、静謐ながらどこか穏やかじゃない暴力性を体感した時かなと。

自分(個々)の感受性の差異か、これらを日本でまとまった大きな作品達を見る機会がないからか、あっても狭くて雑音もあってとなると感じ得るのは難しいかもしれない。