抽象絵画を鑑賞するスレ
解釈、感じ方が人によって大きく異る抽象絵画
感想を勝手に書き込んでってください >>81
その疑問が出るのは良くわかります。
しかしそこは哲学の領域でも難解な議論の応酬があったところで、
とても僕がついていけるような分野じゃない。
だから単純な話に置き換えると、
ジョンケージは活道理を表し、モンドリアンは死道理を表しているとでも言いましょうか。
ジョンケージの言葉です。
「音楽をつくるのが簡単だということは構造の限界を受け入れようという意志からきている。
構造は考案し理解し計測することができるため簡単だ。構造は受け入れられれば何であれ、恍惚という稀な瞬間さえ受け入れる規律であり、
砂糖の塊が馬を調教するように、つくるべきものをつくるよう我々を調教する。」
「構造はあらゆるものの支えとなり続ける。ただ一つだけ難しい点は、支えようとしている場所がすでに進行中であることだ。」
ジョンケージの音楽は、生きたリズムの中に無が潜んでいる事が戦慄的なのであり、
最初から、止まった構造、死んだ原理というものは想定していない。
死道理というものは、現実に適用しようとすると、どうもさまざまな問題が発生する。
モンドリアンについても、そういった観点から触れてみました。
ただ、造形的には彼の作品は嫌いではありません。 哲学だけではなく、美術の領域でもあると考えるから、デュシャンやジャッドは評価したいなぁ。無や場や地や背景を問題にしてるって感じ……
対立してるポイントは、「うさんくさいものは排して科学的であるべきだ」
vs
「原理主義者は予定調和的でつまらない」
って感じかな >>83
デュシャンは評価してるよ。
彼は概念の領域へと芸術の位相を転換した、概念芸術の父とも呼べる存在で、
ジャッドはその子供、孫みたいなもんだ。
>「うさんくさいものは排して科学的であるべきだ」vs「原理主義者は予定調和的でつまらない」
ここは少し違うんじゃないかな。この図式だと「原理主義者=科学的」ということになってしまうが、
いうまでもなく、科学的であるというのは一般的に実証主義のことを指し、理論や仮説、命題が検証可能かどうかを重要視する立場だ。
その科学的実証主義の立場からすれば、検証不能の合理主義・原理主義・観念論・神秘主義はある意味全て、うさんくさいオカルトだということになる。
ジャッドやモンドリアンにしても、観念論者とは呼べても科学的実証主義者だとは到底呼ぶことは出来ない。
ただこのあたりを問い詰めていくと、もはや美術の話ではなくなってしまうね。 誰だって美術作品だってオカルトだって、客観性を確保しなければならないのは当然のことだ。
たとえば「○○の科学」といった名でうさんくさいものがまかり通ることはよくある。
つまり正しさを保証する何かという意味で「科学的」という言葉を使った。
モダニズムのような、予定調和的なものは、絶対的に正しいのではないか?
絶対的に正しい客観性を狙ったがゆえに、批判も受け付けない。
予定調和的なものを目指さなければならなかった理由をきちんと踏まえないと、ただ退行してるだけでは? >>85
>モダニズムのような、予定調和的なものは、絶対的に正しいのではないか?
まず、「予定調和的なものは、絶対的に正しい」という言い方は何の理屈にもなっていない。正しいかどうかは、そのように主張する仮説が外部からの検証に耐える必要がある。
仮にそれが正しいと実証されているのであれば、「ではないか?」と疑問符をつける必要はないだろう。
しかしそれが単なる思い込みであれば、君の言う客観性もないことになり、君の意見もめでたくオカルトの仲間入りを果たすことになる。
ちなみに、「予定調和的なものは、絶対的に正しい、或いは自己無矛盾である」という命題を立てるにしても、それはゲーデルの不完全性定理によって既に反証されている。
第1不完全性定理「ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する」
第2不完全性定理「ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない」
>絶対的に正しい客観性を狙ったがゆえに、批判も受け付けない。
再びジャッドやモンドリアンの例で言えば、彼らの造形的還元は創作上、当然恣意的な性格のものであり、「科学的実証」に耐える目的など負わされていない。
>予定調和的なものを目指さなければならなかった理由をきちんと踏まえないと、ただ退行してるだけでは?
モダニズムへの批判を「退行」と捉える、これを進歩主義という。いわゆる革新の思想である。
長くなるので書かないが、進歩と退行という概念も対のものである。どちらかだけが起こるというのはありえない。つまり、進歩の裏では退行が起こっている。
さらに人類はここ20万年、脳の容量は増えていない。タイムマシンで20万年のヒトの子供を現代日本に連れてきて教育を施せば、立派な現代人として通用すると言われている。
一言でモダニズムといってもさまざまな流れがあるが、それへの検証なき盲目的信仰、それこそまさにオカルトである。 言い方を変えるけど、
基本的に、モダニストは絶対的な客観性というものを疑っているわけでしょ。
そのうえでああいう予定調和的な作品を必要としてきたんだと思う。
モダニズムの性格には「客観性への疑い」と「絶対的な正しさの追求」の二つがある。
だからモダニズムを批判するときも、モダニストが持ったであろう「客観性への疑い」をきちんと踏まえないと批判たりえないはずだ。 >>87
キミは>>85で「客観性を確保しなければならない」「絶対的に正しい客観性を狙った」と書いているが
>>87では「モダニストは絶対的な客観性というものを疑っているわけでしょ」などと書いている。
まずそこが整理されてなければいけないよ。 もう一回言い方を変えるけど、
前に「無」「何もなさ」を肯定したらどうだ?と言ったよね
それは純粋さや客観性の追求だ。
まず最初に疑いがあるわけから、純粋さを求めるわけでしょ
主知的で、予定調和的な作品になっていく理由はここらへんでしょう。
それを踏まえないとモダニズムへの批判たりえない >>89
言い方は変えてもいいけど
君は「客観性」という言葉を恣意的に扱い過ぎているね。
>それは純粋さや客観性の追求だ。
この文では疑うべき客観性が追求すべきものに変質してしまっている。
哲学用語としての厳密さは求めないけど、もう少し内容を一貫させてほしいね。 モダニズムの二重拘束の状態が伝われば良いよ
たとえば「レアリスム」の言葉も説明しがたいのと全く同じ
「自然」と言っとけば何か正しい気がしちゃうよね。
しかし、なにが自然なのだ?と問わねばならない。これも美術の領域の問題だと考える。
ここの二重拘束の中で、作品を作ろうとすれば予定調和的になるよね >>91
>まず最初に疑いがあるわけから、純粋さを求めるわけでしょ
>ここの二重拘束の中で、作品を作ろうとすれば予定調和的になるよね
この二つの文はどちらも、何故そうなるのかのプロセスがはっきり説明されていない。
一見するとはた迷惑なオカルト以外の何物でもない。
当然「自然とは何か」はひとつの重要なテーマだろう。
ここに構造という概念が発生する。還元主義は便利な考え方だが、その問題性は多く指摘されている。
あと、「なにが自然なのだ?と問わねばならない」という問題意識と同じ強度で、「なにが身体なのか?」についてもぜひ問うてもらいたい。 自然を貧しく抽象化してしまうモダニズムを君は批判しているようだけど、「純粋な自然」を受け取るなんてことは有り得ないオカルトよね
モダニズムも「純粋な自然」なんてものはないとし、断念してるわけでしょ。つまり自然に対して疑いがあるのだ。
モダニズムが主知的になっていくのは、「不純なものを排する」って考えからだろう
これじゃ説明が足りないのかな?
「なにが身体なのか?」という問いは「頭でっかちは狂ってる」ってとこから来ていたりするのかな。 >>93
君は君自身の自己同一性がその身体性において保障されているのか、
もしくは脳が生み出す意識、観念においてなのか、それをどう考えるのかという事だ。
仮に観念において保障されている、とした場合、脳の身体性をどう捉えるのか、という問題がさらに発生する。
これはおそらくジャッドのハコよりずっと面白い問題だね。
それがそのまま自然をどう捉えるか、という問いにもつながるのだ。 忘れがちだけど身体からの影響は大きいかもしれないね。
身体があることは常識的であるがゆえに、認識がいかに身体に影響を受けているか、再び意識しないと見えてこないことはあると思う。
こう考えるのは自分の身体も自然=他者だと考えるからであり、自己同一性は観念的にしか保証されない(=観念的なものでしかないし、絶対的な動かぬ自己同一性なんてものは認めない) ひきこもり30代後半で童貞で低収入イラストレーターやってるバカ発見。
足立区に住んでいるそうだ
http://inumenken.blog.jp/ まるでだまし絵!?生身の人間を2Dに変える、驚きのアート
http://loveillust.com/category12/entry43.html
すごくね?生身の人間なんだぜこれ・・・がちで絵画に溶け込んでる 某県展は受賞作品が抽象画がかなり占めてるから外部から賛否両論されて複雑な感じだよ >>100
東北とだけ
賛否両論はちょっとニュアンス違っちゃったかもしれないけど、ここ数年はいい賞は抽象画多い。 抽象はたくさん見ていかないと楽しめないよね。
何も楽しめない抽象ぽく書いただけのとか見せられると悲しくなる。 抽象画と抽象っぽく描いただけのの違いを教えて欲しい 明確なビジョンと描画における明確な意志が感じられなければ何も伝わらない抽象になる。 抽象絵画は写実絵画よりはるかに難しい、ある意味一番人間の表現としての根源が問われる。 良い抽象は時間をかけて楽しめる。
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S00Z3 抽象画って、
とりあえず、彩度がたかめで、
響き合いもわかりやすい。
解釈云々の手前で取り敢えず鑑賞出来たりする。 このスレまだ生きてたのか・・
5年前の自分の書き込みが残ってる。懐かしいな。 シンプルで内的でシンボリックで美しい抽象画って今はないな 現代ほど多くの人が抽象的に形を扱う知識を持っている時代はない。
作家個人のコンセプトが広く一般に普及することはあまりないが、形そのものは普遍であり、
形の見方のみによって人類はラスコーから現代まで時代を超えた認識を共有する。
しかしそれは同時に、あらゆるものが相対的で決定論的であるという、
一種の運命論的認識によって引き起こされる不安の感情や、それにもとづく抽象衝動をも共有するということである。
抽象衝動は、宗教的感覚とつながっている。再び宗教の時代がやってくるのかもしれない。 最近はミニマルよりなアブストラクトペインティングが流行ってる気がする。
自分が好きで偏ってるだけかもしれないけど、
コンテンポラリーだとそうじゃないかな。 >>146
そうなんだ。画像があると分かり易いんだが。
自分の感覚では、ミニマルなアブストラクトペインティングはかなりレトロな代物という感じで、
流行ということならSNS上のCGアートがそれに最も近い気がする。 >>147
SNS上のCGっていうと、デザインの仕事も紛れて
美術ですってのは少ないかも。
抽象より具象の方が多い、抽象めいた具象とか
確かにミニマルな抽象画は昔からよくあった、
そして一般にデザインとして徐々に広まってきて、
それを若手が需要の匂いとして嗅ぎ取って拵えてるのを、
ちらほら見えるってくらいかな。
これは日本が主にじゃなくて海外のインスタでよく見るかな。
ミニマルだけじゃなくて、フォービスム的な大胆な抽象も
競い合う様に出てる感じ。
インスタのは「abstract.mag」って垢とかね。 ペロタンとカイカイキキのベルナール・フリズは観てないか
カイカイキキは全体的に全然良くなかったな。
メイビジュにも使われてた上部が黒いやつが一番酷い。
ペロタンの方が良かった。
偶然性より作為的な手法の方が綺麗にコントロールできてて見やすいんだな。 >>148
>>149
abstract.mag、たしかにペインティング多めだね。
フリズのは、ペロタンでは格子状のものが多かったのかな、感想からすると。
上部の黒いやつが一番酷いというのは、実物見ないと画像では判らないね。
構造表現ではCGアートが有利で、https://youtu.be/Nirt9x4Q0sE?t=88
ペインティングは出涸らしのお茶みたいだけど、なかなか嫌いにはなれないものだ。 >>150
そうペロタンのは大体格子状のやつだった。
奥部屋にカラーブロックに分かれてるけどブラッシングが
全体的に繋がってる不思議なやつもあった。
そういうCGのやつは詳しくないけど、ペロタンの上のYKGで
平川紀道がコンピュータープログラミングのインスタレーション
やってたけど、あれも言わばデジタルアブストラクトとも言えるのかな。
ライゾマやチームラボなどを含めずともCGアートは確かに流行ってる。
でもCGだと動画やインスタレーション的なメディアとなるから
抽象画とは言えづらいかな。
やっぱり抽象画は絵の具というメディアのうまいこと扱えれば
金の様に化ける付加価値の向上性とそれらの魅力はなかなか捨て置け無い。 >>151
平川紀道もやってたんだね。いいね。
もうここまでくるとサイエンスのカテゴリーに入っちゃうね。
デジタル関連のものは、たしかに抽象画とはいえないんだけど、アブストラクトってそもそも
何のメディアかは問題にならない、という特徴があるよね。
抽象画もその意味では絵の具によるインスタレーションとして
今でもCGアートやメディアアートと併置しうる存在だとは思う。
ただ、今までの絵描きというよりは、アートプログラマーみたいな人種が今後、
より幅を利かせていくようにはなるんだろうな。 抽象画ということで、絵の具が美しい、ミニマルなペインティングの作家というと、このあたりが好きかな。
Sanford Wurmfeld (サンフォード・ワームフェルド)
dan walsh (ダン・ウォルシュ)
Ennio Finzi (エンニオ・フィンジ) おーワームフェルドいいですね!
近しいので好きなのは
Felipe Pantone ー グラフィティ出身
Rob Pruitt ー 具象の方が少し多いですが
Robert Swain
Kanta Kimura ー でかいアームロボに描かせてる
Federico Herrero
Paulo Monteiro
荻野亮介
インスタで見つけがちなミニマルアブストラクトの
David Matthew King
David Ostrowski
Regine Schumann はメディアアートでインスタレーションで
ミニマルなアブストラクトですかね笑 >>154
ありがとう、目の保養になった。
ロブ・プルイットとレギーネ・シューマン、綺麗でいいよね。
Kanta Kimuraは、動画見たらアームロボが絵具を吹き飛ばしていて笑った。
パウロ・モンテイロと荻野亮介の作品は、インスタレーション的な空間性があるね。
壁との関係とかとても面白い。 >>155
益永梢子の布切れをアクリルケースに入れてるやつ
とかも多様な空間性があって好きですね。
前面のアクリル板の上部によくペイントしてたりと、
重力に抗うような内部配置をしてたり、
絵具で描くという行為を布の配置に置き換えることで、
立体やインスタレーションの内在する抽象画となってる様です。 >>156
彼女の作品もとても良いですね。
モンテイロなど、似た系統でも作家によって少しづつ空間の捉え方が違うのが面白い。
Rana Begum
Lutz Fritsch
Fergus Feehily
インスタ見てれば事足りるけど、
抽象絵画を鑑賞するスレなので(笑)
でも、どうしても絵画からはみでてしまいますね。。 Nathan Hylden
Alain Biltereyst
ラスコーでも既に抽象的な空間表現は成立しているけど、道路標識や路面標示も面白いですね。 Lutz Fritschの色棒は好きな感じでした。
標識的な空間構成を利用してる抽象画なんて
わからんと思いましたが、fritshの作品が
標識みたいですね。 >>159
インスタレーション的な表現の中でも、チームラボなどのCG動画に対して
Lutz Fritschや益永梢子、モンテイロなどの抽象画及び立体は、静止空間としての面白さがありますね。
向こうが動かない分、こちらが動いて視点を見つける楽しさがある。
チームラボは全部動いているので、そういった楽しさはないかもですね。 >>160
抽象画は側面も気になるんですよね
絵の具のタレや汚れがどんな具合か
少し作り方が見てわかるような。
下の方はどうなってるかしゃがんで見たり
離れて間近で見たりをさせる、そういうのも
鑑賞者を動かして楽しませるアナログなカラクリ
として面白いんですよね。 >>161
>側面も気になる
すごく分かります。絵具そのものにフェティッシュな魅力がありますよね。
印刷物、写真、映像、その他さまざまな素材にも固有のフェティッシュな質感があると思います。
CGは、そのへんがちょっと掴みどころがない。glitch artとかは少しフェチ要素を感じますが。
ただ、インスタレーションの類や美術館そのものがVRで保存されるようになってくるでしょうし、
VRインスタレーションやVRアートも出てきているし、ほとんどの美術作品はSNSで観ることが
多くなっているしで、ますますアナログの魅力とは何かが定義しづらくなってきてはいますね。
ただ、物質としての絵の具やその他の素材は一次ソースとして重要で、まだなくならない気がします。 >>162
現在の映像、CG、VR等のまだ埃っけのないキレイ目な
メディアとアナログな絵画では良さのベクトルの
方向が違うので住み分けができてますが、
いずれデジタルなメディアにもどこか有機的な
ヌクモリティを感じさせる作品が出てくるんですかね。
デジタライズされていく中で、人の感受性はどう変わって
行くのか気になりますね。
今でも抽象画をそっくりそのままジークレープリントで
複製できますが、その複製からも絵具の魔力を感じられるのか。
五感だけでは判別できなくなった時に、
それ以上か以外の知覚能力は発達していくのかな なんて。 >>163
ジークレープリント、複製技術の進歩はすごいですよね。
そもそも文字や絵画自体、現実の情報の複製・記録として始まった経緯がありますが、
さらにその複製である版画だけでも木版画→銅版画→リトグラフ→シルクスクリーン→ジークレーという
進化がありますね。(ジークレーはもはや版ではなくなってますが)
他の複製技術として写真→映像、別ルートでは彫刻・立体→型、全体にはアナログ→デジタルという流れがありますが、
やはり一次ソースが重要で、そこから無数の複製が生まれる、ということ自体は変わらない。
そして究極の一次ソースは現実で、デジタルは現実そのものの複製を目的としているように見える。
でも一次ソースである現実自体が、遺伝子をはじめとして複製に次ぐ複製ですから、
自然のマテリアルはデジタル複製を超えた精密な複製品として、人間にとっての価値を保ち続けると思います。
これらはまるで密教の胎蔵界曼荼羅のようだとも感じます。
菩薩をはじめ、森羅万象は全て中央に座る大日如来から生じる化身という・・。
一次ソースの大日如来は素粒子だとか太陽だとかブラックホールだとかブラフマンだとか言われてますが(笑) なんにせよ、抽象画とインド哲学的な宇宙観は切っても切れない関係にあると思います。
宗教を意識していなくても、空間の性質を考えている内に、それを意識せざるを得なくなってくる。
無限の形の複製、相対的な空間を眺めていると、それだけでは終わらず、
その中心に、まったくブレない絶対界(ブラフマン)があると意識されてくる、といったようなことです。 ひもも振動の違いによって様々な素粒子に見える。
振動が多いと存在する、振動が少ないと存在しない。 禅宗などは、観念論と唯物論の弁証法的な過程の中間に位置しているとも言える。 キェルケゴールの弁証法もまたヘーゲル的な弁証法に対置されています。
これは不二一元論と二元論との対処で、古くから宗教学のなかで言われていることでもあります。
ヘーゲルは、人間は弁証法的論理においてより真理に近い存在として自らを高めていくことができるとしていますが
これは人間と神との関係に於いて、人間と神は別のものであるとするキリスト教の教えでもあります。
キェルケゴールはそうではなく、全ての存在・非存在の中に絶対者(ブラフマン)がただ一者あり、
個々の人間にはそのただ一者の一部分(アートマン)があるとするシャンカラ哲学的な立場です。 色々書き散らしてすみません、でも言いたいことは単純です。
抽象画は、決定論の世界を表しているということです。
現在、GAFAに代表されるリバタリアニズム(自由至上主義)が世界を覆いつつあるわけですが、
この自由至上主義は、自由意志と決定論が両立しないことを認め(非両立説 )、
非決定論から自由意志の存在を唱える立場です。
ただ、アインシュタインがこれと真逆のことを言っているのが面白い。
アインシュタイン「私は決定論者だ。私達はあたかも自由意志が存在するように行動することを強いられている。
しかし、疑いもなく、私の生涯は自分ではどうにもならない、さまざまな要因によって決定されている。
ヘンリー・フォードならそれを内心の声と呼ぶだろうし、ソクラテスはダイモンになぞらえた。
二人とも独自のかたちで、人間は自由ではないという事実を説明している・・・
あらゆることが定められており、終わりだけでなく、始まりも、われわれにはどうにもならない力で決定されている。
虫も星も同じことだ。人間、植物、宇宙塵、われわれ自身。すべてのものが、
眼に見えない演奏者が遠くで奏でる不思議な調べにあわせて躍っている。」
人間に自由意志がないことは禅の修行などからも感得されるというのは、よく言われることではあります。
今後、自由意志と決定論についての議論はこれまで以上に盛んになってくると思いますが、
僕が何となく感動するのは、近代以前の大多数の人々や芸術家が、この息苦しい決定論を信じて生き、
それを絵にしていたということです。そして今も、抽象画にはそのエッセンスが残っている。 https://www.youtube.com/watch?v=gRivMEEZZE8&feature=youtu.be&list=LLIfC4zNTcXMRP2D_RRzLCnA 「オンライン団体」と申します。
建設的表現の場、議題持寄り、ボードゲームオフ
画集持寄りオフ 等の活動をしております。
団員募集
imgur.com/Y5S88ew.jpg 宮森はやとという抽象画家がよくTwitterで作品を公開してるんだが実際の出来や評価はどうなんだろう? >>179
見てきたけど恐らくアウトサイダーで、現代美術とは違って自称するようにただ画家なんだろうな。
高校の美術部員がやってるならまだ可愛いんだけど、作品はお粗末すぎるし、アプローチ方法は下品な感じがある。 >>179
ご本人はこの色合いいい感じだろ的な態度で描いてて自分でも何描いてるか分かってないと思えた
実際の作品と題名の間の違和感もある
過去の作品も見てみたけど基礎が全くできておらず芸術のうわべすら見えていない