誰だって美術作品だってオカルトだって、客観性を確保しなければならないのは当然のことだ。
たとえば「○○の科学」といった名でうさんくさいものがまかり通ることはよくある。
つまり正しさを保証する何かという意味で「科学的」という言葉を使った。

モダニズムのような、予定調和的なものは、絶対的に正しいのではないか?
絶対的に正しい客観性を狙ったがゆえに、批判も受け付けない。
予定調和的なものを目指さなければならなかった理由をきちんと踏まえないと、ただ退行してるだけでは?