【南画】文人画を語るスレ【南画以外】 [無断転載禁止]©2ch.net
東洋の伝統文化である、文人画について語りましょう。
対象は教養を反映した写意画全般。
対象となる人物
@中国(系)の文人
王維や米芾、徐渭、八大山人、揚州八怪、趙之謙、呉昌碩、王一亭、斉白石。
彼らに師事あるいは影響された若狭成業、西晴雲、藤原楞山、宅野田夫といった
日本人、日本で活躍する馬驍、李庚。父が中国人の卓吾。
潘天寿の来日時に影響を受けて画も始めた書家の殿村藍田など。 >>41
私は好きですね。柏木如亭も。
しかし、比較的近年(2009年)に出た『漢詩鑑賞事典』には二人の作は掲載されていません。
なんとなく同じような傾向の詩ばかり選ばれているように感じるのは、個人が選んだ以上は
必然と言うべきでしょうか。
詩人も日本では大津皇子・菅原道真と来て、その次がいきなり南北朝時代の禅僧二名。
中古に厳しいあたり、『万葉集』ばかりもてはやされて古今・新古今が蔑ろにされるが如し。
おそらく、故事の引用や修辞に熱心で中身に乏しい(『宋史』日本伝にもそうした記述があり
ます)という理由でしょうが、それらも立派な取り柄であり、特徴です。
また「和臭」があるというのをマイナス要素とされていますが、これもどうでしょうか。 中国へ渡った経験もあった安田老山は、元羽黒の山伏であった菅原白龍の絵を見て「和臭があ
る」と言ったところ、「確かに私は羽州の出ですから和臭があって当然ですが、貴方はどちら
のお生まれですか」と言い返され、返答に窮したという話があります。
村松梢風がこの逸話を紹介した上で老山の絵をけちょんけちょんにしているのには、私も一部
同意する点がありますが、妥当な評価という以上に、梢風自身の属した社会・世代の影響もあ
っての評価であったのでしょう。
そういう意味では本書を編纂された石川先生の御意見も一意見として尊重されるべきでしょう
が、軽さとか和臭があるのもいいくらいじゃないと、漢詩は衰退すると思います。
廃刊になる前の『山陽風雅』も読んだことがありますが、評文がいちいち真面目臭いというか
堅苦しいというか、これじゃ亡んでも仕方が無いと思いました。 しばらく書き込みがないのでとりあえず。
観音図というのは中世以来の古典的な画題ですが、南画から狩野派まで信仰
と鑑賞の両面から描かれており、しかも描き手によって表現が変化している
ので、なかなか興味深い存在ですね。
南画家が描いた場合、白抜きを残し、渇筆で簡略に衣を描いたものが多いで
すが、その素っ気無さが逆に脱俗の味わいを生じていていい。
上手い人が描かないと駄目なやり方ですが、上手い人が描いていても今日は
省みられないのが、なんとももったいないことです。 南画じゃないですけど、白隠の観音図なんかは
絶妙な味わいがあって面白いですよね >絶妙な味わいがあって面白い
仰るとおりです。
ああいう絵を生み出せたことは、世界に誇っていいと思います。
ただ、工芸画にもなっているような観音図は、禅画としてはやや達者過ぎ、
料理で言えば「美味過ぎる」ものなのかもしれません。
食べるのが大変で、味わう余裕がなかなかありません。
それがまた凄いのですが。
南画家の、少なくとも上手い南画家の描いた観音図は、もっと描こうという
精神をよく抑制しているものだと思います。
描き込めるからこその省略。
私も南画とは言えないまでも水墨画は描きますが、欲のせいで入れなくても
いい筆を入れてよく失敗します。
白隠は、あれだけ書き込んで欲による余分と思えるところがないのも偉い。
本人は、下手なのは焼いただけだ、と笑うかもしれませんが。 広島市の頼山陽史跡資料館で開催中の現代水墨画展は日曜日までですが、図録
で南画についても触れられていますね。
見本はただで読めますし、お立ち寄りの際にご覧になるのもよいかと。
小室翠雲(谷文晁の孫弟子)が衰退した南画人気回復のために岩絵具ではなく
水墨の南画を一般に普及しようと努力していたこと、翠雲の亡くなった戦後を
矢野橋村、河野秋邨、松林桂月らがあがいていたことに触れられています。 田中一村の奄美時代の花鳥画に南画の山水画的要素を感じます。
一般的には若いころ南画と決別したと言われているようですが、かなりの求道者的気迫を感じます
本人としては南画と決別したというより当時の南画会と決別したのではないでしょうか?
南画=水墨画という風潮が定着してしまい。そこから外れた南画家が宙に浮いた感がなんとも残念です。 >>51
南画というのは自由な絵画です。
決別も影響の内で(決別後も松林桂月門下名義で出展しているようですが)、
どこかに彼という画家を形成するところがあったのかもしれませんね。
私は彼の絵画は少々見たばかりで、断言出来ませんが。
画風から山口華楊を連想してしまった私は、多分単純にして俗に過ぎるのでしょう。
兄の山口玲熙の絵は所有しておりますが、塗り絵的な日本画は嫌いなものの、この世代
まではまだ筆致が感じられていいと思えます。
>南画=水墨画という風潮が定着してしまい
>>50で御説明申し上げたように、この風潮は南画を「描く」面から普及させる為
に努力された結果ですが、「観る」側を狭めているというのなら残念。
いきなり気韻とか言わず、「可愛い」からでもいいですから、自由な南画の世界
が知られたらと思います。
もっとも、定型から外れた「可愛い」絵画というものは南画家に限らず、都会の
趣味人や流派以上に独学した地方絵師にも往々に見られるもの。
いわゆる南画家の作品でなくても、そういう物は面白いですね。
コトバンクにすら掲載されていないような人達ですが。 型にはまった「つくね芋山水」なんて飽きてくるんじゃないですか? >>53
南画というのは面白いもので、同じ南画の形式で描いていても、つまらない
ものはつまらなく、上手いものは実に上手いものです。
上手いものは見ていて茶が美味くなる。
しかし、南画の山というのも没骨や線描、シュン法や点法により、また同じ法
でも筆致の違いにより、また構図の取り方により個性が出て来るものです。
少なくとも、漫然と描いたものでなければ飽きは来ません。
貴方の御発言はフェノロサたちの言葉を借りられただけで、貴方の実際の鑑賞
に基づくものではないのではありませんか。
明治初期はとにかく南画がもてはやされた時期で、内容を問わない南画の流行
に対する北画復興の意味・意義があったのでしょうが、あの時代だからこその
発言という点も考えないといけません。
実際、明治末から大正にかけてまた南画は評価されています。
その後は漢学衰退と軌を一にし(新聞から漢詩の投稿欄が消えるのが大正時代)、
水墨画という形を強調することで生き残りを図って現代に至っていますが。 また、これは何も私が言い出したことではありませんが、南画は定型や水墨
で欠けた詳細や色彩のイメージを、漢文の賛で補完することで作品を完成さ
せて来た経緯があります。
つまり、描く側は漢文の賛が書けて、見る側も漢文の賛が読めることが望ま
しいのです。
南画の定型を批判する人々には、漢学の素養が欠けていた人もいることを疑
ってもいいでしょう。
田中一村の絵は、そういう意味では南画から生じても彼の絵ですね。
画賛が必要には思われません。
狩野派などでも画賛があって違和感なかったことを思うと、やはり近代の絵。 >南画を「描く」面から普及させる為 に努力された結果ですが、「観る」側を狭めているというのなら残念。
この辺は難しいところですかね・・・
展覧会でより多くの人に画家たちの技量を見てもらうためには「観る」ということを
怠ってはならないでしょうし、「観る」側にはそれなりの素養はあってほしい。
(しかしこれを望むのは難しい)
いくら技量がある画家たちの展覧会でも同じような山水画ばかりだと観る側は疲れる。
芸術論が違うフェロノサから見れば批判の対象だったでしょう・・
南画=地味で過去の遺産的なイメージが強いので華やかな南画もあるんだと
これは現代の作家さんに頑張って頂きたい。
明治生まれの江戸系の先生二人に手ほどきを受けたことがありますが、キレッキレの運筆は
衝撃的でしたね・・・二人とも岩絵の具を使うので南画から離れたようですが・・
一人は翠雲先生の弟子だったので、それは離れるか・・・・ >明治生まれの江戸系の先生二人に手ほどきを受けたことがありますが、キレッキレの運筆は
それは羨ましい。いや、実に羨ましい!
私は日本画か水墨画を習おうと思ったら運筆の出来る日本人の先生が見当たらなかったので、
中国人の水墨画の先生に師事することにしました。
あとで文晁系の上手い先生が地元にいらっしゃったことを知りましたが。
その先生は雅号持ちですが、どうも雅号を使わない世代から不味くなった気がします。
中国の伝統文化は失われたと言われがちですが、こと運筆を生かした画法という点では日本
よりよほど伝統が生きているのではないでしょうか。
岩絵具を使う南画もおおいにありなので、描くのも見るのも広まって欲しいですね。 文晁系の先生がご健在とは驚きです!!
昔、何かの説明で「平野五岳・帆足杏雨が政府の依頼で日本の伝統文化として
南画を万博に出展した。」との記憶があり、調べますと確かに耶馬渓の図を出展しておりました。
美術史では印象派は浮世絵の影響を受け云々とよく目にします。万博の際に彼らが足しげく日本のパビリオンへ
通ったことも何かで読んだ若しくは聞いた記憶があります。
ずーっと疑問に思っているのですが、印象派の筆遣いは浮世絵の影響とは言い難いし(版画だし)、彼らが目にした当時の肉筆の絵となれば
五岳と杏雨になる。ならば筆遣いは南画の影響では??と思っておりますが、確証がない。
新南画は後期印象派の影響を受け・・云々と言われますが・・・
その辺の歴史的認識で何か詳しく書いてある書物などありますでしょうか?
不勉強で・・・ いえいえ。貴方も文晁系でしょう。
谷文晁−田崎草雲−小室翠雲−その弟子
私の知っている先生は
谷文晁−佐竹永海−佐竹永湖−福田浩湖−以下略
2008年に亡くなられた佐々木鉄心先生は
谷文晁−渡辺崋山−福田半香−以下略
春木南湖の家は代々描いていましたが、それも1990年の南江没で終わりましたね。
平野五岳・帆足杏雨は穏やかな画風で私は大好きですが、豊後南画も同じ頃終わってしまった。
「南画は印象派よりも印象的である」と主張して描いたのが、今村紫江(1880〜1916)。
彼や交流のあった速水御舟らに関する書籍に記述があるのではないでしょうか。
詳しい書籍は、私も不勉強で申し訳ないのですが存じません。
翠雲の水墨画振興はあくまで間口を拡げるためのもので、本人が水墨画しか描かなくなっていた
というわけではなさそうです。弟子もまた然り。 本日、古書肆にて『服部二柳伝説』なる俗な題名の書籍を購入致しました。
この二柳という人は、父の五老とはまた別な意味で面白い南画家だと思います。
著者は南画に関して(基本的な「知識」はあっても)鑑賞面での造詣がないらしく、
それが面白いと同時に、物足りなくもあります。
ただ、現代の普通の人が価値を感じる力が二柳の南画にはあるのだと再確認さ
せられました。
しかし、作者が二柳を超個性的とし、父の五老を「正統派」としている点、これ
は頂けません。五老も十分おかしい人物であることは、絵から分かります。
初めて絵を見た時の感想が、「この人おかしいな」でしたから。
少なくとも、河村虹外と同じくらいにはエキセントリックです。
分かりにくい「変」というものは、ある意味分かりやすい「変」より根が深い。
田中柏陰もこの仲間でしょう。
「変」を形にしてとりえに出来るのですから、南画とはいいものです。
南画家ではありませんが、岩井昇山も変な人ですね。
絵を見て変だと思いましたが、実際伝記からも変人であった様です。 昨日の日経新聞に、会津八一が秋艸道人の号で自賛した絵が掲載されており、
三絶の人と言われていました。画賛は漢文ではなく和歌でしたが。
没したのは昭和31年ですが、「○○道人」と名乗っても格好がつく人間になり
たいものです。山人、漁人もまた然り。
彼は戒名も秋艸でしたが、空也や鈴木正三なども自称でしたね。
しかし彼らがいるからこそ、戒名などそうそう自称するものではないと、却
って自重したいところです。 >>21
今更ですが、戦前に新井洞厳・小室翠雲・松林桂月それぞれ描いた同名の書籍
『南画の描き方』を入手し、読み比べてみました。
知名度の面では、そして相手が強過ぎるので画力の面でも新井が他二者に譲る
ものがあると思いましたが、一番最初に出た新井の本が一番読み易いですね。
新井・松林は木炭可、小室はぶっつけ本番で墨で描け派。
それぞれ微妙に主張が異なっており、自分に合ったものを探すのが面白いので
はないかと思われます。
画幅では森琴石の門人の作を入手しましたが、やはり線がしっかりしていますね。
「墨と筆で描く必然性」というものが、今の南画家の作品にも欲しいものです。
銅臭のする話をすると、当世の南画だけに、例によって例の如く安かったです。
琴石の作品ですら廉価になりました。喜ぶべきや、嘆くべきや。 ×それぞれ描いた
○それぞれが書いた
失礼。三人が同名で別々の時期に書いた別々の本です。
収録されている絵画には、今は無いものも多いでしょうね。
とある南画家についての古い新聞記事で「戦災後は○○の作品をあまり見ない」
という文章を読んで、悲しくなりました。
あれだけ都市部を執拗に焼かれていれば当たり前です。 ×新井洞厳
○新井洞巌
でした。Wikipediaでも洞厳になっている。師は夏目漱石の褒めた長井雲坪、
奥原晴湖の褒めた菅原白竜、名人高森砕巌の三人。
ついでですが、円山派に南画味を加えた森寛斎の弟子で、その弟子に南画家
もいる巌島虹石もよく厳島虹石にされています。花園大学の出版物とか。 掲示板で話題のPCを使って稼げる方法とか
⇒ 『山中のムロロモノス』 というブログで見ることができるらしいです。
グーグル等で検索⇒『山中のムロロモノス』
8ZJQRPTBH6 どなたか渡辺崋山の現在の所定鑑定人を教えてください。 友達から教えてもらった嘘みたいに金の生る木を作れる方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグルで検索するといいかも『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』
GXZ6J 文人画の世界は膨大な読書を要求される
嘆かわしいが、いまのところ現代人に深い教養を求めるのは難しい
結果>>70みたいのが湧く >>71
はいはい、スゴイスゴイ
お仲間と楽しくやってな♪ >>72
何度見ても笑えるレスで感謝です
ひとしきり笑ったら、あなたが悲しくなってきた。かわいそうだね >>65
の巌島虹石の展示会が、地元の光市文化センターで再来週の日曜日まで開催中です。
初期の師である南画家難波覃庵の作品も展示されており、二階の常設展でも一点見られます。 インスタグラムなんかで、「文人画」で検索したら、現役の文人画作家の作品が出てくる。
彼らの作品はどうかしら? 具体的にどの作品を指してらっしゃるのか分かりませんので(分かって論じても角が立ちますが)、
なんとも申し上げかねます。
ただ、文人の精神で描く(個人的には書法も用いて描く)絵というだけではなく、やはり皴法などの
様式とそれを実現するための技術も備えているべきだと思います。
筆線の肥痩や抑揚、余白のとり方は東洋画の欠くべからざる点であり、南画と言いながらもどこが
南画なのか、「鉛筆で描いても同じ表現が出来るのに筆を使う意味があるのか」という絵を見かける
ことがありますが、そういう場合は少し遺憾に思います。
※南画と文人画はとりあえずここでは同一のものとします。 ついでに申し上げておくと、私は所謂南画様式で描かれたものが南画、文人が漢籍の素養と
書の筆法を用いながらも南画様式でないものを南画でないが文人画としております。
西村清狂、土井聱牙、蓑虫山人、瀬川独活あたりが後者。
もっとも墨竹図ぐらいなら流石に様式の違いは目につきませんが。
墨竹図も、これほど同じようでこれほど人により結果の異なる画題もありませんけどね。 >西村清狂、土井聱牙、蓑虫山人、瀬川独活あたりが後者。
おっと、村瀬太乙を忘れていました。
師の頼山陽や親戚の村瀬秋水が描いたのは南画様式ですが、この人は違いますね。 この頃、水墨画づいてる。
森川竹窓の署名のある墨竹画の扇面を手に入れた。
本物知らないんで贋作かも知れないけど、見ていて気持ちがいい。
富岡鉄斎の水墨画の扇面も手に入れた。これはおそらくコロタイプ印刷だろう。
墨に濃淡があって、肉筆か印刷かよく分からない。
大正の初めの作だけど、大正の初めからコロタイプ印刷があったのかな。
横山大観が何とか三題とかいう絵で初めてコロタイプの掛軸を商品にしたそうな。いつなんだろう。
牧谿の龍光院蔵の柿図の巧芸画を額にして飾ってるけど、しみじみといいよ。
牧谿なんて、一般人が本物を飾れるわけないのでコロタイプで十分。 山野先生、
文人の理想は隠遁ですよね?
おれもう死にたいし、でも死ぬのいやだから隠遁したいんですよ
生きていても面白いこと何にも無い >>80
文人画は隠遁を描きますが、そこには多くの場合文友がいるものです。
世を捨てたつもりで世に捨てられているだけの人間がいるというようなことが『徒然草』
に書いてありますが、後ろ向きなだけでは隠遁のエネルギーも得られないかと思われます。
釣りも読書もやろうと思えばやれる世です。忙中に閑を求められては如何でしょう。 >>79
>この頃、水墨画づいてる。
>森川竹窓の署名のある墨竹画の扇面を手に入れた。
>本物知らないんで贋作かも知れないけど、見ていて気持ちがいい。
これは珍しい。良い物を手に入れられましたね。
渡辺崋山や伊能忠敬と親交のあった久保木竹窓、土佐派の渡辺竹窓、別号が竹窓の英一蜻
などもいますが、墨竹ということですし印章に森川竹窓の姓名があれば本人でしょう。
あまり贋作を聞かない人です。
なんにせよ、鑑賞して満足出来るのが一番ですし。
個人的に、見ていて煎茶が美味しく飲めるのがいい南画です。 >大正の初めの作だけど、大正の初めからコロタイプ印刷があったのかな。
描かれてからしばらくして印刷されたものではありませんか。
昭和初期時点でかなり普及しており、書画好きが泣きを見た話がいくつもあります。
画家が印刷だと気付かず箱書きをしたり。
今掛けているのは、南画ではなく国井応陽の比較的略式の画ですが、大正時代は軽い
と言えば軽いものの、軽妙さが南画性を感じさせる絵もあり、面白いと思います。
ブログで応挙の本画と応陽の模写を比べて技量の差を述べたものがありましたが、確
かにその通りではあるものの、応陽の絵というものも、応陽なりに生きていたことを
感じさせて好きです。 竹窓といえば、須子竹窓もいました。昭和初期まで生きていた岩国藩士ですが、詳細不明。
ただどうも南画を描いていたらしく、私も一幅所有しています。 浅学で恥ずかしいのですがどなたか
月波玉潤と言う画号についてご存知の方はおられませんか? >玉潤
『晋書』に、清らかで潤いのある人格を喩えてそう呼んだ例があり、漢籍慣れした禅寺
に玉潤軒があるので南画で見ても不思議はありませんが、フルネームで落款はまず入れ
ないので、もしかして画賛の一部であったりしませんか。
明治・大正期に望月派で平野玉潤という人はいましたが、南画家ではないですね。
幕末・明治初期の閨秀画家に下総(の内、現在の茨城県)出身の小林玉潤もいます。
夫の小林蔵六同様南画家ですね(蔵六は竹画が有名らしく、私も見た事があります)。
後は、川端玉章の弟子の吉田玉潤。
質問される際は、どういう理由で知りたいのか、どういういわれのどういう絵があるのか、
名前を判断したのは何からかといった情報も提示された方がよいと思います。 >>88
大変詳しくお教え下さりありがとうございます
非常に無礼とは存じますが
当方の勝手な一存で詳細にお伝え出来ません事お許し下さい
関係の方々のお許しが出ましたら是非又改めて御礼申し上げたく考えております
お調べ下さった事、深く深く感謝し参考にさせて頂きます
本当にありがとうございます まだまともな質問者の方でしたが、こういう例が多いですからね。
同好の士で語り合うのならまだしも。
質問者は便利な検索エンジンではないのですから、あまりに一方的な「利用」は感心出来ません。 山野先生、ぜひ三輪田米山の書の感想を聞かせてください。 >文人画は隠遁を描きますが、そこには多くの場合文友がいるものです。
>世を捨てたつもりで世に捨てられているだけの人間がいるというようなことが『徒然草』
>に書いてありますが、後ろ向きなだけでは隠遁のエネルギーも得られないかと思われます。
>釣りも読書もやろうと思えばやれる世です。忙中に閑を求められては如何でしょう。
いいこと言うなあ感動した。 山本梅逸の花鳥画が好きで何点か購入しています
見て気持ちの良いものを買っているので真贋についてはあまり気にしていないのですが
一方で自分の眼がどの程度か知りたいという思いもあります
(なので気にしていないと言いながら、実は気にしているのかもしれないです)
たとえばこれは私が買ったものではないのですが
この水準の作品なら梅逸本人か、梅逸に相当する技量のかたによる作かと思うのですが
詳しい方いらっしゃれば、ご意見をお聞かせください
https://aucfree.com/items/277567139
あまり言葉ではうまく表現できないものの、下手な贋作と比べると
葉の瑞々しさや花の表情の繊細さ、メリハリの利いた構図などが違うかなと思うのですが・・・ あと不勉強で恐縮なのですが、梅逸と浦上春琴の花鳥図は
かなり作風に通じるものがある気がするのですが
影響関係などご存知のかたいらっしゃれば教えてください。 >>95
山本梅逸は煎茶道に通じており、浦上春琴とはしばしば同席しています。
また父浦上玉堂の古希を祝う画を寄せたり、春琴58歳の時、一緒に京都に紅葉狩りに
行ったりと、父子ともに交友関係にありました。 >>93
ああいう交際はいいですね。
山陽とつきあうのは大変でしょうが、竹田とはあの世で会ってみたいです。
>>94
真贋はさておき、十分観賞を楽しめるものだと思われます。
実物は印象が変わるものですが。
私は梅逸の弟子の青根九江の作品しか所有しておりませんが、それと比べてもいい出来
ではないでしょうか。
倉敷出身の藤原楞山(1920〜1987)は浦上玉堂系の南画を学ばれた方だったというこ
とでしたが、今はもうそういう方のお話は聞かれませんね。
楞山先生の息子さんは健在ですが、画風はまた違います。
田能村竹田系や田中栢陰(直入の弟子ですが)の系統も、90年代までだった様で。 南画に限らず、画を買う時に、あるいは美術品を買う時に意識しておきたいこと。
・地元の人間の作品だからという理由で買わない
昔の老人がよくやっていましたが、同郷だからという理由だと目が曇ります。
・著名人の作品だからという理由で買わない
これが目を曇らせることは勿論です。
・好きな人の作品だからという理由で買わない
本当に気に入るものかが重要です。無名なら贋作の可能性は低いですが、凡作もあります。
竹内栖鳳のような超一流はさておき、一流の人でも凡作を描くものですし、二流の人
でも傑作を描くものです。
購入は落款を見る前に直感で決定されるとよいでしょう。
パソコンでいえば、サムネでいいと思った画は大抵がいい画です。
技術的にそこまででなくても面白い絵があるのが南画の妙ですね。
先日、田中栢陰(技術が高い)と難波覃庵(素人の余技)の画を同時に入手しました
が、後者も面白いものでした。 先ほどから「画」と申し上げておりますが、「絵」は『論語』八佾篇に「絵事は素を後
にす」とある様に、彩色を意味したもので、「画」は区切るという意味があり、画工的
な前者よりは後者の方が「南画」を語るのに相応しいという説に与するからです。
もっとも私もいい加減なので、たまに「絵」と書いてしまいますが。 連投失礼致します。
難波覃庵の名誉のために申し上げておくと、彼も端正に描いた力作はかなり技術的に上手いです。
ただ、そうでなくてもどこか面白みがあるのが良いと感じた次第です。
多分、絵で食べている人でなかったからこその余裕でしょう。
田中栢陰の場合、力を抜いた絵でもやはり上手さが顔を出します。
橋本関雪が「もっといい絵が描けるのに、腕が邪魔をする」と言ったのも、こういう面か。
「腕が邪魔をする」というのは「上手い絵を描いてしまう」ということでしょう。 >>96 >>97
丁寧なご回答をいただき有難うございます。
手元の資料では共作の事例を1作見つけられただけでしたので
詳しい交友関係を知ることができ嬉しいです。
また手元の作品も、写真のものほどではないのですが水準が知れて良かったです
弟子筋ですと上野雪岳の作品も何点か持っています。
彼らの花鳥図はむしろ写実よりだと思いますが、
あの水茎や花の生命感はもう少し評価されても良いのではないかと思っています。 >>101
>弟子筋ですと上野雪岳の作品も何点か持っています。
それはよいですね。以前書画店で作品を見たことがあります。
購入に至らなかったのは、やはり絵と買い手の相性ということでしょう。
ある人に気に入る絵が、別の人にはそうでもない。南画には特に起こることだと思います。
>あの水茎や花の生命感はもう少し評価されても良いのではないかと思っています。
あの系統の花鳥画が現代まで残らなかったのは残念ですが、再現も難しいかもしれません。
技量に対応してくれる画材が、果たして今あるものやら。
ツ寿平の花卉画もよいと思われます。
私は梅逸の師の張月樵も好きですが、好みが分かれるでしょうね。
名古屋の絵師は面白い。空襲が惜しまれます。 >>103
ご自身でこれがいい!と思って買い、楽しむならとてもいい買い物だと思いますよ
本物でしょ >>103
肝心なのはいい絵かどうかであって本物かどうかではないと思います。
そしていい絵だと思いますよ。
贋作が出るような人でもありませんし。
ずいぶん前に梅の絵を見たきりで、山水画は初見ですが。
先日、安田靫彦作の軍鶏図がなんでも鑑定団に出ていて「端を切り取って偽の落款を
入れたものではないか」と言われていましたが、あれもいい絵でしたね。
私もそういう軸を二幅持っていますが、気に入っています。
(どうも5ちゃんねるでトリップが使えなくなったようなのでなしで) >肝心なのはいい絵かどうかであって本物かどうかではないと思います。
しかし、なんでも鑑定団などで、お年寄りが永年大切にしてきたモノを持ってきて
贋作=ニセモノと鑑定されて意気消沈しているシーンをよく目にしますが、やはり人間はモノの真贋に関してはどうしても気になって仕方がない生き物なのではないでしょうか? >>106
そういう俗物であるまいとするのが南画の世界です。
描く側も見る側も自誤自楽。
老人が多いように思われるのは、長年の思いが裏切られたことへの落胆もあるでしょう
が、地元の人だからとか、○○の作だからという理由で騙された人が多いからかと。
今は同郷人への愛着も薄れ、大雅ですら知名度が怪しい時代になったので、逆に名前で
買って騙される人は減ったかもしれません。
一番騙されるのは、ずぶの素人よりも下手に自信と知識のついた半可通です。 >そういう俗物であるまいとするのが南画の世界です。
その境地へまで行きつくにはあと30年くらいかかりそうです・・・・。 俗物でないのではなく、あるまいとするので志していれば皆同志ですよ。
『道徳経』にいわく、千里の道も足下より始まるのです。 ヤフオクでこの掛軸を買った
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w443482406
現物はまだ手元に来てないけど楽しみだね
最悪、印刷でも送料込みで4000円だったらそんなものだしな
この掛軸(画像だが)を見て一眼で気に入って買ったけど、こういういかにも中国画て感じの掛軸て意外とないよな >こういういかにも中国画て感じの掛軸て意外とないよな
中国からのお土産物が90年代まで盛んに入ってきていましたが、大体緑がどぎついか、
墨色が黒ばかりきついのが目立つかが多かったですね。
これは墨色も線もぼかしもいいと思います。構図も達者ではないかと。
「まあこの値段なら」というぐらいの鷹揚な気持ちで買うのがいいですね。
私は最近藤本鉄石の画幅を描きました。柔らかい風のような線の山水画です。 大雑把に言うと「江戸時代に中国文化に憧れていた人たち=文人」でいいんですか? >>112
それでも間違いではないでしょうが、漢文学の実践者というのが重要だろうと思います。
消費するだけではなく生産する者が文化を花開かせたのですね。
しかし、漢文学という共有の基盤、お約束が理解されなくなれば衰退は必定。
日本南画院は今でもありますが、私があれを南画の継承と見做すことに躊躇するのは、
様式もさることながら、題名からして多くが漢文学の素養を感じ取れないからです。
それと「江戸時代に」限定されたものではありません。
教養ある南画家自体は松林桂月没後も結構な数が存命でしたし、今も存在します。
また、和文でも文人は文人ですね。 >また、和文でも文人は文人ですね。
追加で。一般に、南画=文人画とした場合、和文の文人の画、例えば俳画などは除外されます。
与謝蕪村が南画の名手でもあったように、両者は近しい関係にありましたが。
ただ、江戸時代でも寛永の三筆や江戸前期の琳派の絵画を「閃き」を重視して南画に入れた場合がありました。 浦上玉堂さんの山水は男性器と女性器のオンパレード、
老人でも枯れていなかったのか? 浦上玉堂の山水画は数多ありますが、実に色々な山塊を描くことに挑戦しており、その
中で男性器を連想させると主張されているものは一部に過ぎません。
描いていればその様式をあるい程度安定して描けるまで数をこなすものですから、一時
期そうした画を集中して描いていたこともあったでしょう。
ただ、それが男性器に見える、女性器に見えるというのは主観の問題です。
描き手にそうした意図があった「可能性」はありますが、明言されていない以上、あく
までも「見てそう思った人間がそういう人間だ」ということだけが確かなのです。
易への関心から、陰陽を表現しようとしたという説には一定の説得力がありますが。
それにしても、玉堂の他の山水画もあるので、こればかり取り上げて論じるのは如何。
大体において、玉堂のこの話を好む人は、元々猥談が好きであり、ゴテゴテした自己主
張で出来たアバンギャルド(これももう「日本語」としては死語でしょう)な現代美術
に関心があり、南画そのものにはあまり興味がない人が多いようです。 性器のことは橋本治本でしった。
もともと、玉堂の絵は好きだったから、そんな本も読んだのだけど。
以降、なにか不潔に思えて遠ざけてる。
描かれているものの意味だけのことで、印象が随分と変わってしまった。 最後の文人富岡鉄斎の、死の直前90歳の傑作「扶桑神境図」の賛に「森羅万象皆周易 八卦変爻我師為(この世の中の森羅万象はみな周易に書いてある 周易の文章は私の生涯の師となってきた)」というのがある。だから文人で周易に傾倒していた人は多かったのではないか。
まして浦上玉堂は50歳で脱藩、官吏を辞めて子供と琴を携えて無一文の放浪の身分。おのれの行き先を決めるのにもしかすると易経(占いの書でもある)に頼ったのかも知れない。実際に浦上玉堂には「山潤読易図」(岡山県立美術館蔵)という作品もあるし、自著・玉堂琴士集には「読易観時物 吟詩味古音(易を読んで事物を感じ、詩を吟じて古音を味わう」ともある。
ただそこから易経の陰陽思想を表すために男性器女性器を描いたかどうかは玉堂に聞いてみないことにはわからないが、玉堂の絵画を眺めてみた個人的な感想としては「そうだ」と思う。(川端康成も玉堂大好きだしね、しかも川端エロいし) 「山潤読易」も男根型の山水ですね。
「風高雁斜」もそうなので、意味はさておき意識していたと見るべきか。
「雁」という俗称が当時あったのかが問題ですが、平安期の「鉄槌伝」が「雁門太守」
に仮託して男性器を擬人化した文学であったことから、それも知っていれば容易であり、
なおかつ玉堂くらいの人物が知っていた可能性は高いと思います。
他の男根型の山を描いた作品の画賛も、「人が目にしない深山」であることを主張して
いますが、「秘奥」という点で相通ずるものがあるでしょう。
川端康成の場合、一番好きな玉堂作品は「凍雲篩雪」であったそうですし、文人墨客に
関する古美術品自体を愛好していましたから、あまり性的な面ばかりを強調する必要も
なかろうと思われます。
それに、下品な物を語る、表現するのって、難しいんですよ。
その点をどう工夫したかも忖度してあげるべきだと思います。 そうですね、確かに川端康成が愛したのは「凍雲篩雪図」そのものですからね。
あれは陰陽・性的な意味は全く無い絵です。
でもまあ一人くらい「やや奇想の文人画家」(そういう概念が成立するのかどうか、
専門家じゃないのでわかりませんが)がいても面白いかな、とも思います。 まあ玉堂だけ性的な面が目立つだけで、文人墨客は大体奇人変人が多いですからね。
池大雅なんか典型ですし。渡辺崋山→椿椿山→野口幽谷→松林桂月などはまともですが。
性格も絵もおかしいのが、教養や高潔と並ぶ文人画の魅力の一面です。
中国だと、唐寅なんか絵だけ見たらまともそうなんですけどね。
関西を中心に、西日本の方が変なのが多い気がします。豊後はまだましか。
江戸は武家の町であり、豊後も祖が藩士の田能村竹田だった影響でしょうか。 玉堂の野趣の気がある画風は春琴も春琴も受け継がなかったけれど
強く影響を受けた画人はいたのでしょうか 間違えました・・・
×春琴も春琴も
〇春琴も秋琴も >>127
結論から申し上げれば、いないと思います。
まだ去年ミネルヴァから出た伝記に目を通していないのですが。
玉堂の画に親炙したのは息子二人でしょうが、玉堂は春琴の画を評価しなかったそうです。
ずいぶん前に読んだので記憶が不鮮明ですが、春琴の画は繊細で優美であったが故に売れ、
また同じ理由で父からの評価を得られなかったのでしょう。
つまり、表面的で深みがない(なくはないと思いますが)と見做されたのでは。
春琴には複数の弟子がいましたが、当然玉堂の画を受け継いでいるはずもありません。
南画のよさは大胆さや派手な個性ばかりではありませんが、やはり玉堂は無二の存在でしょう。
現代の美術史家の価値観が、現代の美術の立場に倚っており、いたずらに個性を賞賛するばかり
で、技術や学識、風雅味については対象外なのは、どうかと思われますが。
風雅味というのは「あくまで描いている者たちの内輪の了解」扱いで、共通の価値あるものとは
見做されていないのです。 玉堂の画とは全然違いますし、表面的に見れば「ただの南画」で没個性だと見られかねませんが、
城崎出身の斎藤畸庵(中林竹洞門下)は、なかなか面白い画を遺した人物です。
いい意味での騒がしさ、心のざわめきが感じ取れます。
構図や大胆さではやはり玉堂に一籌を輸するものがあり、そこが時代を超えた天才との差なので
しょうが、やはり魅力的です。
春琴に師事した熊坂適山や江馬細香ともども、評価して欲しいもの。
玉堂は脱藩後城崎に向かっていますが、畸庵が生まれる11年前の事です。
あるいは、畸庵が作品を目にする機会もあったかもしれません。
数年前に出た、とある一般向けの文人画の本は、中林竹洞の紹介がありません。
一応、名前だけは出て来ますが。個性偏重主義の弊害でしょう。 この南画スレには今まで出てこなかったけど、釧雲泉の画も素晴らしいものがありますね。
新潟の十日町市博物館にある六曲屏風は一度実物を見てみたい。
木村蒹葭堂や亀田鵬斎、脱藩前の浦上玉堂やの交友も興味深い。
慶応2年(1866年)刊の『南宗書画品価録』には池大雅に次ぐ一点3両の高額で売買の記録があるのに、今ではなぜか忘れ去られてしまった。 ×浦上玉堂やの交友→○浦上玉堂との交友
釧雲泉の画は人気があったから贋作だらけ。真作は何点残っているのやら。
2011年が没後200年だったから回顧展をしたら良かったのに、何もなかった。
南画は人気がない→学芸員が研究したがらない、展覧会が殆どない→誰も見向きもしなくなる の悪循環になってるみたい >南画は人気がない→学芸員が研究したがらない
山下某研究者曰く「南画はちょっと苦手なんです。じつをいうとちょっとではなく、かなり苦手。中国的な教養をひけらかしているところが鼻について」
芸術新潮最強の日本絵画100 「文人として生きる− 浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術」
https://www.museum.or.jp/event/30713
https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/872
浦上玉堂に関してはこの展覧会が素晴らしかった。(浦上玉堂や文人画に興味のある方はぜひ古本の図録を探して手に入れてください)
感想としては、父玉堂は本当に誰も真似できないモノクロームの独自の世界、自娯の世界。川端康成が愛したのも理解できる。春琴は花鳥草花も器用にこなす江戸当時のポピュラーな中堅絵師といったところか。秋琴はやや力が弱い地方絵師か。 >釧雲仙
私も一幅所有していますが、真贋は不明です。
ただ、雄大な構図と力のこもった筆痕が気に入って購入しました。
>中国的な教養をひけらかしているところが鼻について
こういうところが今の研究者にありがちな問題だろうと思います。
伝統や教養を否定して恥じない。
中国的なものに限って否定しているのならそれも問題ですし。
そもそも、前近代の美術を論じるならまずその時代の視線が欠かせません。
現代人の視線から評価出来るというのも結構なことですが、現代人の視線で理解し難
いからといって腐すのが問題でなくて何でしょうか。
鼻についたというのは理解出来なかったからで、理解出来ないのは本人に偏見がある
からなのを、対象に難があるかのように言うべきではありません。
「ひけらかす」のが駄目と言いたいのだとしても、そもそも好きな人間が描いて好き
な人間が見るものなのを「ひけらかす」という言葉が出て来る考え方がいけません。 失礼、釧雲泉でしたね。どうも地元の雲仙普賢岳の印象が強くて。
10年ほど前ですが、島原城内で展示されていました。
南画というのは何も万人に受け入れられるものではありませんし、万人に受け入れられ
ないことを嘆くものでもありません。
ただ、入りもしないで門外でさしたる理由もなく嫌うのは、どんな分野に対しても失礼
で軽はずみな態度ではないでしょうか。 「教養をひけらかす」というのは、漢学の知識が無いと分からない言葉で話している
ということでしょう。
しかし、それは日々学ばなければ身につかないものです。
学んでいる内に理解出来るようになり、学んでいる内に自分からも言える様になる。
なんとも楽しいことではありませんか。
これは漢学に限らず、何かしらの分野を学んでいる人に共通したものだと思いますよ。 山下某氏は室町絵画が専門だったから、文人画は趣味が合わないだけだと思われます
初期論文集を読むときちんと文献も読みこんで論を立ててますよ >>139
どうもありがとうございます。
しかし、専門ではなく、よく知らずよく分からないからこそ、言い方というものは考えたいものです。
よく知った上で嫌いだと言うならまだよろしい。 山下某氏はあれなんよな
師匠の影響で宋元絵画にも暁通してたことが災いして、世界的に見て日本美術は
中国美術のエピゴーネンに過ぎないのではないかと悩んだ時期がかなり長かったこともあり
漢籍や漢画を無批判に礼賛するような向きには同族嫌悪的なものがあるんやろな
南画を十把一絡げにけなしてるわけでもなくて、褒めてた作品もあった気がする