【南画】文人画を語るスレ【南画以外】 [無断転載禁止]©2ch.net
東洋の伝統文化である、文人画について語りましょう。
対象は教養を反映した写意画全般。
対象となる人物
@中国(系)の文人
王維や米芾、徐渭、八大山人、揚州八怪、趙之謙、呉昌碩、王一亭、斉白石。
彼らに師事あるいは影響された若狭成業、西晴雲、藤原楞山、宅野田夫といった
日本人、日本で活躍する馬驍、李庚。父が中国人の卓吾。
潘天寿の来日時に影響を受けて画も始めた書家の殿村藍田など。 文人画の世界は膨大な読書を要求される
嘆かわしいが、いまのところ現代人に深い教養を求めるのは難しい
結果>>70みたいのが湧く >>71
はいはい、スゴイスゴイ
お仲間と楽しくやってな♪ >>72
何度見ても笑えるレスで感謝です
ひとしきり笑ったら、あなたが悲しくなってきた。かわいそうだね >>65
の巌島虹石の展示会が、地元の光市文化センターで再来週の日曜日まで開催中です。
初期の師である南画家難波覃庵の作品も展示されており、二階の常設展でも一点見られます。 インスタグラムなんかで、「文人画」で検索したら、現役の文人画作家の作品が出てくる。
彼らの作品はどうかしら? 具体的にどの作品を指してらっしゃるのか分かりませんので(分かって論じても角が立ちますが)、
なんとも申し上げかねます。
ただ、文人の精神で描く(個人的には書法も用いて描く)絵というだけではなく、やはり皴法などの
様式とそれを実現するための技術も備えているべきだと思います。
筆線の肥痩や抑揚、余白のとり方は東洋画の欠くべからざる点であり、南画と言いながらもどこが
南画なのか、「鉛筆で描いても同じ表現が出来るのに筆を使う意味があるのか」という絵を見かける
ことがありますが、そういう場合は少し遺憾に思います。
※南画と文人画はとりあえずここでは同一のものとします。 ついでに申し上げておくと、私は所謂南画様式で描かれたものが南画、文人が漢籍の素養と
書の筆法を用いながらも南画様式でないものを南画でないが文人画としております。
西村清狂、土井聱牙、蓑虫山人、瀬川独活あたりが後者。
もっとも墨竹図ぐらいなら流石に様式の違いは目につきませんが。
墨竹図も、これほど同じようでこれほど人により結果の異なる画題もありませんけどね。 >西村清狂、土井聱牙、蓑虫山人、瀬川独活あたりが後者。
おっと、村瀬太乙を忘れていました。
師の頼山陽や親戚の村瀬秋水が描いたのは南画様式ですが、この人は違いますね。 この頃、水墨画づいてる。
森川竹窓の署名のある墨竹画の扇面を手に入れた。
本物知らないんで贋作かも知れないけど、見ていて気持ちがいい。
富岡鉄斎の水墨画の扇面も手に入れた。これはおそらくコロタイプ印刷だろう。
墨に濃淡があって、肉筆か印刷かよく分からない。
大正の初めの作だけど、大正の初めからコロタイプ印刷があったのかな。
横山大観が何とか三題とかいう絵で初めてコロタイプの掛軸を商品にしたそうな。いつなんだろう。
牧谿の龍光院蔵の柿図の巧芸画を額にして飾ってるけど、しみじみといいよ。
牧谿なんて、一般人が本物を飾れるわけないのでコロタイプで十分。 山野先生、
文人の理想は隠遁ですよね?
おれもう死にたいし、でも死ぬのいやだから隠遁したいんですよ
生きていても面白いこと何にも無い >>80
文人画は隠遁を描きますが、そこには多くの場合文友がいるものです。
世を捨てたつもりで世に捨てられているだけの人間がいるというようなことが『徒然草』
に書いてありますが、後ろ向きなだけでは隠遁のエネルギーも得られないかと思われます。
釣りも読書もやろうと思えばやれる世です。忙中に閑を求められては如何でしょう。 >>79
>この頃、水墨画づいてる。
>森川竹窓の署名のある墨竹画の扇面を手に入れた。
>本物知らないんで贋作かも知れないけど、見ていて気持ちがいい。
これは珍しい。良い物を手に入れられましたね。
渡辺崋山や伊能忠敬と親交のあった久保木竹窓、土佐派の渡辺竹窓、別号が竹窓の英一蜻
などもいますが、墨竹ということですし印章に森川竹窓の姓名があれば本人でしょう。
あまり贋作を聞かない人です。
なんにせよ、鑑賞して満足出来るのが一番ですし。
個人的に、見ていて煎茶が美味しく飲めるのがいい南画です。 >大正の初めの作だけど、大正の初めからコロタイプ印刷があったのかな。
描かれてからしばらくして印刷されたものではありませんか。
昭和初期時点でかなり普及しており、書画好きが泣きを見た話がいくつもあります。
画家が印刷だと気付かず箱書きをしたり。
今掛けているのは、南画ではなく国井応陽の比較的略式の画ですが、大正時代は軽い
と言えば軽いものの、軽妙さが南画性を感じさせる絵もあり、面白いと思います。
ブログで応挙の本画と応陽の模写を比べて技量の差を述べたものがありましたが、確
かにその通りではあるものの、応陽の絵というものも、応陽なりに生きていたことを
感じさせて好きです。 竹窓といえば、須子竹窓もいました。昭和初期まで生きていた岩国藩士ですが、詳細不明。
ただどうも南画を描いていたらしく、私も一幅所有しています。 浅学で恥ずかしいのですがどなたか
月波玉潤と言う画号についてご存知の方はおられませんか? >玉潤
『晋書』に、清らかで潤いのある人格を喩えてそう呼んだ例があり、漢籍慣れした禅寺
に玉潤軒があるので南画で見ても不思議はありませんが、フルネームで落款はまず入れ
ないので、もしかして画賛の一部であったりしませんか。
明治・大正期に望月派で平野玉潤という人はいましたが、南画家ではないですね。
幕末・明治初期の閨秀画家に下総(の内、現在の茨城県)出身の小林玉潤もいます。
夫の小林蔵六同様南画家ですね(蔵六は竹画が有名らしく、私も見た事があります)。
後は、川端玉章の弟子の吉田玉潤。
質問される際は、どういう理由で知りたいのか、どういういわれのどういう絵があるのか、
名前を判断したのは何からかといった情報も提示された方がよいと思います。 >>88
大変詳しくお教え下さりありがとうございます
非常に無礼とは存じますが
当方の勝手な一存で詳細にお伝え出来ません事お許し下さい
関係の方々のお許しが出ましたら是非又改めて御礼申し上げたく考えております
お調べ下さった事、深く深く感謝し参考にさせて頂きます
本当にありがとうございます まだまともな質問者の方でしたが、こういう例が多いですからね。
同好の士で語り合うのならまだしも。
質問者は便利な検索エンジンではないのですから、あまりに一方的な「利用」は感心出来ません。 山野先生、ぜひ三輪田米山の書の感想を聞かせてください。 >文人画は隠遁を描きますが、そこには多くの場合文友がいるものです。
>世を捨てたつもりで世に捨てられているだけの人間がいるというようなことが『徒然草』
>に書いてありますが、後ろ向きなだけでは隠遁のエネルギーも得られないかと思われます。
>釣りも読書もやろうと思えばやれる世です。忙中に閑を求められては如何でしょう。
いいこと言うなあ感動した。 山本梅逸の花鳥画が好きで何点か購入しています
見て気持ちの良いものを買っているので真贋についてはあまり気にしていないのですが
一方で自分の眼がどの程度か知りたいという思いもあります
(なので気にしていないと言いながら、実は気にしているのかもしれないです)
たとえばこれは私が買ったものではないのですが
この水準の作品なら梅逸本人か、梅逸に相当する技量のかたによる作かと思うのですが
詳しい方いらっしゃれば、ご意見をお聞かせください
https://aucfree.com/items/277567139
あまり言葉ではうまく表現できないものの、下手な贋作と比べると
葉の瑞々しさや花の表情の繊細さ、メリハリの利いた構図などが違うかなと思うのですが・・・ あと不勉強で恐縮なのですが、梅逸と浦上春琴の花鳥図は
かなり作風に通じるものがある気がするのですが
影響関係などご存知のかたいらっしゃれば教えてください。 >>95
山本梅逸は煎茶道に通じており、浦上春琴とはしばしば同席しています。
また父浦上玉堂の古希を祝う画を寄せたり、春琴58歳の時、一緒に京都に紅葉狩りに
行ったりと、父子ともに交友関係にありました。 >>93
ああいう交際はいいですね。
山陽とつきあうのは大変でしょうが、竹田とはあの世で会ってみたいです。
>>94
真贋はさておき、十分観賞を楽しめるものだと思われます。
実物は印象が変わるものですが。
私は梅逸の弟子の青根九江の作品しか所有しておりませんが、それと比べてもいい出来
ではないでしょうか。
倉敷出身の藤原楞山(1920〜1987)は浦上玉堂系の南画を学ばれた方だったというこ
とでしたが、今はもうそういう方のお話は聞かれませんね。
楞山先生の息子さんは健在ですが、画風はまた違います。
田能村竹田系や田中栢陰(直入の弟子ですが)の系統も、90年代までだった様で。 南画に限らず、画を買う時に、あるいは美術品を買う時に意識しておきたいこと。
・地元の人間の作品だからという理由で買わない
昔の老人がよくやっていましたが、同郷だからという理由だと目が曇ります。
・著名人の作品だからという理由で買わない
これが目を曇らせることは勿論です。
・好きな人の作品だからという理由で買わない
本当に気に入るものかが重要です。無名なら贋作の可能性は低いですが、凡作もあります。
竹内栖鳳のような超一流はさておき、一流の人でも凡作を描くものですし、二流の人
でも傑作を描くものです。
購入は落款を見る前に直感で決定されるとよいでしょう。
パソコンでいえば、サムネでいいと思った画は大抵がいい画です。
技術的にそこまででなくても面白い絵があるのが南画の妙ですね。
先日、田中栢陰(技術が高い)と難波覃庵(素人の余技)の画を同時に入手しました
が、後者も面白いものでした。 先ほどから「画」と申し上げておりますが、「絵」は『論語』八佾篇に「絵事は素を後
にす」とある様に、彩色を意味したもので、「画」は区切るという意味があり、画工的
な前者よりは後者の方が「南画」を語るのに相応しいという説に与するからです。
もっとも私もいい加減なので、たまに「絵」と書いてしまいますが。 連投失礼致します。
難波覃庵の名誉のために申し上げておくと、彼も端正に描いた力作はかなり技術的に上手いです。
ただ、そうでなくてもどこか面白みがあるのが良いと感じた次第です。
多分、絵で食べている人でなかったからこその余裕でしょう。
田中栢陰の場合、力を抜いた絵でもやはり上手さが顔を出します。
橋本関雪が「もっといい絵が描けるのに、腕が邪魔をする」と言ったのも、こういう面か。
「腕が邪魔をする」というのは「上手い絵を描いてしまう」ということでしょう。 >>96 >>97
丁寧なご回答をいただき有難うございます。
手元の資料では共作の事例を1作見つけられただけでしたので
詳しい交友関係を知ることができ嬉しいです。
また手元の作品も、写真のものほどではないのですが水準が知れて良かったです
弟子筋ですと上野雪岳の作品も何点か持っています。
彼らの花鳥図はむしろ写実よりだと思いますが、
あの水茎や花の生命感はもう少し評価されても良いのではないかと思っています。 >>101
>弟子筋ですと上野雪岳の作品も何点か持っています。
それはよいですね。以前書画店で作品を見たことがあります。
購入に至らなかったのは、やはり絵と買い手の相性ということでしょう。
ある人に気に入る絵が、別の人にはそうでもない。南画には特に起こることだと思います。
>あの水茎や花の生命感はもう少し評価されても良いのではないかと思っています。
あの系統の花鳥画が現代まで残らなかったのは残念ですが、再現も難しいかもしれません。
技量に対応してくれる画材が、果たして今あるものやら。
ツ寿平の花卉画もよいと思われます。
私は梅逸の師の張月樵も好きですが、好みが分かれるでしょうね。
名古屋の絵師は面白い。空襲が惜しまれます。 >>103
ご自身でこれがいい!と思って買い、楽しむならとてもいい買い物だと思いますよ
本物でしょ >>103
肝心なのはいい絵かどうかであって本物かどうかではないと思います。
そしていい絵だと思いますよ。
贋作が出るような人でもありませんし。
ずいぶん前に梅の絵を見たきりで、山水画は初見ですが。
先日、安田靫彦作の軍鶏図がなんでも鑑定団に出ていて「端を切り取って偽の落款を
入れたものではないか」と言われていましたが、あれもいい絵でしたね。
私もそういう軸を二幅持っていますが、気に入っています。
(どうも5ちゃんねるでトリップが使えなくなったようなのでなしで) >肝心なのはいい絵かどうかであって本物かどうかではないと思います。
しかし、なんでも鑑定団などで、お年寄りが永年大切にしてきたモノを持ってきて
贋作=ニセモノと鑑定されて意気消沈しているシーンをよく目にしますが、やはり人間はモノの真贋に関してはどうしても気になって仕方がない生き物なのではないでしょうか? >>106
そういう俗物であるまいとするのが南画の世界です。
描く側も見る側も自誤自楽。
老人が多いように思われるのは、長年の思いが裏切られたことへの落胆もあるでしょう
が、地元の人だからとか、○○の作だからという理由で騙された人が多いからかと。
今は同郷人への愛着も薄れ、大雅ですら知名度が怪しい時代になったので、逆に名前で
買って騙される人は減ったかもしれません。
一番騙されるのは、ずぶの素人よりも下手に自信と知識のついた半可通です。 >そういう俗物であるまいとするのが南画の世界です。
その境地へまで行きつくにはあと30年くらいかかりそうです・・・・。 俗物でないのではなく、あるまいとするので志していれば皆同志ですよ。
『道徳経』にいわく、千里の道も足下より始まるのです。 ヤフオクでこの掛軸を買った
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w443482406
現物はまだ手元に来てないけど楽しみだね
最悪、印刷でも送料込みで4000円だったらそんなものだしな
この掛軸(画像だが)を見て一眼で気に入って買ったけど、こういういかにも中国画て感じの掛軸て意外とないよな >こういういかにも中国画て感じの掛軸て意外とないよな
中国からのお土産物が90年代まで盛んに入ってきていましたが、大体緑がどぎついか、
墨色が黒ばかりきついのが目立つかが多かったですね。
これは墨色も線もぼかしもいいと思います。構図も達者ではないかと。
「まあこの値段なら」というぐらいの鷹揚な気持ちで買うのがいいですね。
私は最近藤本鉄石の画幅を描きました。柔らかい風のような線の山水画です。 大雑把に言うと「江戸時代に中国文化に憧れていた人たち=文人」でいいんですか? >>112
それでも間違いではないでしょうが、漢文学の実践者というのが重要だろうと思います。
消費するだけではなく生産する者が文化を花開かせたのですね。
しかし、漢文学という共有の基盤、お約束が理解されなくなれば衰退は必定。
日本南画院は今でもありますが、私があれを南画の継承と見做すことに躊躇するのは、
様式もさることながら、題名からして多くが漢文学の素養を感じ取れないからです。
それと「江戸時代に」限定されたものではありません。
教養ある南画家自体は松林桂月没後も結構な数が存命でしたし、今も存在します。
また、和文でも文人は文人ですね。 >また、和文でも文人は文人ですね。
追加で。一般に、南画=文人画とした場合、和文の文人の画、例えば俳画などは除外されます。
与謝蕪村が南画の名手でもあったように、両者は近しい関係にありましたが。
ただ、江戸時代でも寛永の三筆や江戸前期の琳派の絵画を「閃き」を重視して南画に入れた場合がありました。 浦上玉堂さんの山水は男性器と女性器のオンパレード、
老人でも枯れていなかったのか? 浦上玉堂の山水画は数多ありますが、実に色々な山塊を描くことに挑戦しており、その
中で男性器を連想させると主張されているものは一部に過ぎません。
描いていればその様式をあるい程度安定して描けるまで数をこなすものですから、一時
期そうした画を集中して描いていたこともあったでしょう。
ただ、それが男性器に見える、女性器に見えるというのは主観の問題です。
描き手にそうした意図があった「可能性」はありますが、明言されていない以上、あく
までも「見てそう思った人間がそういう人間だ」ということだけが確かなのです。
易への関心から、陰陽を表現しようとしたという説には一定の説得力がありますが。
それにしても、玉堂の他の山水画もあるので、こればかり取り上げて論じるのは如何。
大体において、玉堂のこの話を好む人は、元々猥談が好きであり、ゴテゴテした自己主
張で出来たアバンギャルド(これももう「日本語」としては死語でしょう)な現代美術
に関心があり、南画そのものにはあまり興味がない人が多いようです。 性器のことは橋本治本でしった。
もともと、玉堂の絵は好きだったから、そんな本も読んだのだけど。
以降、なにか不潔に思えて遠ざけてる。
描かれているものの意味だけのことで、印象が随分と変わってしまった。 最後の文人富岡鉄斎の、死の直前90歳の傑作「扶桑神境図」の賛に「森羅万象皆周易 八卦変爻我師為(この世の中の森羅万象はみな周易に書いてある 周易の文章は私の生涯の師となってきた)」というのがある。だから文人で周易に傾倒していた人は多かったのではないか。
まして浦上玉堂は50歳で脱藩、官吏を辞めて子供と琴を携えて無一文の放浪の身分。おのれの行き先を決めるのにもしかすると易経(占いの書でもある)に頼ったのかも知れない。実際に浦上玉堂には「山潤読易図」(岡山県立美術館蔵)という作品もあるし、自著・玉堂琴士集には「読易観時物 吟詩味古音(易を読んで事物を感じ、詩を吟じて古音を味わう」ともある。
ただそこから易経の陰陽思想を表すために男性器女性器を描いたかどうかは玉堂に聞いてみないことにはわからないが、玉堂の絵画を眺めてみた個人的な感想としては「そうだ」と思う。(川端康成も玉堂大好きだしね、しかも川端エロいし) 「山潤読易」も男根型の山水ですね。
「風高雁斜」もそうなので、意味はさておき意識していたと見るべきか。
「雁」という俗称が当時あったのかが問題ですが、平安期の「鉄槌伝」が「雁門太守」
に仮託して男性器を擬人化した文学であったことから、それも知っていれば容易であり、
なおかつ玉堂くらいの人物が知っていた可能性は高いと思います。
他の男根型の山を描いた作品の画賛も、「人が目にしない深山」であることを主張して
いますが、「秘奥」という点で相通ずるものがあるでしょう。
川端康成の場合、一番好きな玉堂作品は「凍雲篩雪」であったそうですし、文人墨客に
関する古美術品自体を愛好していましたから、あまり性的な面ばかりを強調する必要も
なかろうと思われます。
それに、下品な物を語る、表現するのって、難しいんですよ。
その点をどう工夫したかも忖度してあげるべきだと思います。 そうですね、確かに川端康成が愛したのは「凍雲篩雪図」そのものですからね。
あれは陰陽・性的な意味は全く無い絵です。
でもまあ一人くらい「やや奇想の文人画家」(そういう概念が成立するのかどうか、
専門家じゃないのでわかりませんが)がいても面白いかな、とも思います。 まあ玉堂だけ性的な面が目立つだけで、文人墨客は大体奇人変人が多いですからね。
池大雅なんか典型ですし。渡辺崋山→椿椿山→野口幽谷→松林桂月などはまともですが。
性格も絵もおかしいのが、教養や高潔と並ぶ文人画の魅力の一面です。
中国だと、唐寅なんか絵だけ見たらまともそうなんですけどね。
関西を中心に、西日本の方が変なのが多い気がします。豊後はまだましか。
江戸は武家の町であり、豊後も祖が藩士の田能村竹田だった影響でしょうか。 玉堂の野趣の気がある画風は春琴も春琴も受け継がなかったけれど
強く影響を受けた画人はいたのでしょうか 間違えました・・・
×春琴も春琴も
〇春琴も秋琴も >>127
結論から申し上げれば、いないと思います。
まだ去年ミネルヴァから出た伝記に目を通していないのですが。
玉堂の画に親炙したのは息子二人でしょうが、玉堂は春琴の画を評価しなかったそうです。
ずいぶん前に読んだので記憶が不鮮明ですが、春琴の画は繊細で優美であったが故に売れ、
また同じ理由で父からの評価を得られなかったのでしょう。
つまり、表面的で深みがない(なくはないと思いますが)と見做されたのでは。
春琴には複数の弟子がいましたが、当然玉堂の画を受け継いでいるはずもありません。
南画のよさは大胆さや派手な個性ばかりではありませんが、やはり玉堂は無二の存在でしょう。
現代の美術史家の価値観が、現代の美術の立場に倚っており、いたずらに個性を賞賛するばかり
で、技術や学識、風雅味については対象外なのは、どうかと思われますが。
風雅味というのは「あくまで描いている者たちの内輪の了解」扱いで、共通の価値あるものとは
見做されていないのです。 玉堂の画とは全然違いますし、表面的に見れば「ただの南画」で没個性だと見られかねませんが、
城崎出身の斎藤畸庵(中林竹洞門下)は、なかなか面白い画を遺した人物です。
いい意味での騒がしさ、心のざわめきが感じ取れます。
構図や大胆さではやはり玉堂に一籌を輸するものがあり、そこが時代を超えた天才との差なので
しょうが、やはり魅力的です。
春琴に師事した熊坂適山や江馬細香ともども、評価して欲しいもの。
玉堂は脱藩後城崎に向かっていますが、畸庵が生まれる11年前の事です。
あるいは、畸庵が作品を目にする機会もあったかもしれません。
数年前に出た、とある一般向けの文人画の本は、中林竹洞の紹介がありません。
一応、名前だけは出て来ますが。個性偏重主義の弊害でしょう。 この南画スレには今まで出てこなかったけど、釧雲泉の画も素晴らしいものがありますね。
新潟の十日町市博物館にある六曲屏風は一度実物を見てみたい。
木村蒹葭堂や亀田鵬斎、脱藩前の浦上玉堂やの交友も興味深い。
慶応2年(1866年)刊の『南宗書画品価録』には池大雅に次ぐ一点3両の高額で売買の記録があるのに、今ではなぜか忘れ去られてしまった。 ×浦上玉堂やの交友→○浦上玉堂との交友
釧雲泉の画は人気があったから贋作だらけ。真作は何点残っているのやら。
2011年が没後200年だったから回顧展をしたら良かったのに、何もなかった。
南画は人気がない→学芸員が研究したがらない、展覧会が殆どない→誰も見向きもしなくなる の悪循環になってるみたい >南画は人気がない→学芸員が研究したがらない
山下某研究者曰く「南画はちょっと苦手なんです。じつをいうとちょっとではなく、かなり苦手。中国的な教養をひけらかしているところが鼻について」
芸術新潮最強の日本絵画100 「文人として生きる− 浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術」
https://www.museum.or.jp/event/30713
https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/872
浦上玉堂に関してはこの展覧会が素晴らしかった。(浦上玉堂や文人画に興味のある方はぜひ古本の図録を探して手に入れてください)
感想としては、父玉堂は本当に誰も真似できないモノクロームの独自の世界、自娯の世界。川端康成が愛したのも理解できる。春琴は花鳥草花も器用にこなす江戸当時のポピュラーな中堅絵師といったところか。秋琴はやや力が弱い地方絵師か。 >釧雲仙
私も一幅所有していますが、真贋は不明です。
ただ、雄大な構図と力のこもった筆痕が気に入って購入しました。
>中国的な教養をひけらかしているところが鼻について
こういうところが今の研究者にありがちな問題だろうと思います。
伝統や教養を否定して恥じない。
中国的なものに限って否定しているのならそれも問題ですし。
そもそも、前近代の美術を論じるならまずその時代の視線が欠かせません。
現代人の視線から評価出来るというのも結構なことですが、現代人の視線で理解し難
いからといって腐すのが問題でなくて何でしょうか。
鼻についたというのは理解出来なかったからで、理解出来ないのは本人に偏見がある
からなのを、対象に難があるかのように言うべきではありません。
「ひけらかす」のが駄目と言いたいのだとしても、そもそも好きな人間が描いて好き
な人間が見るものなのを「ひけらかす」という言葉が出て来る考え方がいけません。 失礼、釧雲泉でしたね。どうも地元の雲仙普賢岳の印象が強くて。
10年ほど前ですが、島原城内で展示されていました。
南画というのは何も万人に受け入れられるものではありませんし、万人に受け入れられ
ないことを嘆くものでもありません。
ただ、入りもしないで門外でさしたる理由もなく嫌うのは、どんな分野に対しても失礼
で軽はずみな態度ではないでしょうか。 「教養をひけらかす」というのは、漢学の知識が無いと分からない言葉で話している
ということでしょう。
しかし、それは日々学ばなければ身につかないものです。
学んでいる内に理解出来るようになり、学んでいる内に自分からも言える様になる。
なんとも楽しいことではありませんか。
これは漢学に限らず、何かしらの分野を学んでいる人に共通したものだと思いますよ。 山下某氏は室町絵画が専門だったから、文人画は趣味が合わないだけだと思われます
初期論文集を読むときちんと文献も読みこんで論を立ててますよ >>139
どうもありがとうございます。
しかし、専門ではなく、よく知らずよく分からないからこそ、言い方というものは考えたいものです。
よく知った上で嫌いだと言うならまだよろしい。 山下某氏はあれなんよな
師匠の影響で宋元絵画にも暁通してたことが災いして、世界的に見て日本美術は
中国美術のエピゴーネンに過ぎないのではないかと悩んだ時期がかなり長かったこともあり
漢籍や漢画を無批判に礼賛するような向きには同族嫌悪的なものがあるんやろな
南画を十把一絡げにけなしてるわけでもなくて、褒めてた作品もあった気がする 上で挙げたミネルヴァ日本評伝選の『浦上玉堂』を購入したので、まださわりを読んだだけですがご紹介を。
玉堂の絵画に、彼が得意とした琴の、音楽の影響があろうというのは卓見でしょう。
文人画の祖である王維が音楽に通じていたことも、意識していたものでしょうか。
著者は昭和21年生まれですが、冒頭からボストニアン、ニューヨーカー、カルチェ・ラタン、モーツァルト、
ゴッホと「洋物」の知識が披露されます。
これらは自然に出て来るのに、玉堂と関連しない東洋史・日本史の知識が文章として血肉になっていないのは、
著者の世代を象徴するものでしょう。
著者自身が「美術館は西洋画を収蔵するところであって、日本画は対象外であった」という事実を指摘されて
いるのですが、そうした「関心は専ら西洋」を著者自身も体現しているのは皮肉です。
コピーと写真の意義について述べた節もあります。
ただ、その是非はさておき、というより明らかに有意義なのですが、話題としての出現が唐突で、内容のレベ
ルが低いという訳ではなく、展開の仕方がアマチュア向けの郷土誌の様です。
玉堂の伝記の構成として見るなら蛇足と言わないまでも、頭と同時に腹が出たような印象を受けました。
おそらく、研究者以上にアマチュアの郷土史愛好者を本書の読者として想定されたためかと。 また、コピーと写真の意義を強調するのもいいですが、実物特有の良さを語らないのは片手落ちでしょう。
もし絵画というものが純粋に図形として成立しているとお考えなら、おそらく著者は南画の一幅も実物として
は所有してらっしゃらないのだと思います。
和紙や絹、墨や絵具の感触も併せて鑑賞出来るのは、少なくとも現状写真には出来ない芸当です。
良寛が写しで学んだことも言及されていますが、写しに筆勢を加えたのは良寛自身です。
写しはあくまで形状であり、学べないこともあります。
経年劣化以前の姿が写真の方が分かり易いというご指摘、これは事実でしょう。
歴史を知る上でも有意義なことです。
しかし、経年劣化を加えた上での鑑賞だからこそ得られる良さもありますが、そこへの執着は無さそうです。
わびさびに関する感覚が、自明のものとして存在しない人ですね。
そこが昭和21年生まれであり、今時は75歳の人でもそんな感覚になったかという感慨があります。 >>141
山下某研究者が評価しているのは「林十江」ですよ >>142
モーツァルトではなく、シューベルトでした。謹んで訂正いたします。
日本史関連での引用は藤原敏行、正岡子規、宮沢賢治がありましたが、いずれも常識的な内容でした。 自分で同等以上の本が書けるのならまだしも
なんでこんなに偉そうなのか 自分が書けないor出来ないなら言うなというのも変な理屈だがな
評価なんてどんなものでも見た瞬間に出来る 難があれば難を言います。
大体において、褒めるべき点は言うまでもないので現れにくく、瑕疵はことさらに言わざる
を得ないので現れやすいのです。
「ダブった」などと地の文で書かれる作者のノリが合わなかったせいもあるのかもしれません。
長所については、ある程度内容を確認した上で購入したと申し上げておけば十分でしょう。 おれは花鳥風月を眺めながら悠々自適に生きるのが理想 658 水先案名無い人 sage 2021/08/24(火) 21:44:26.49 ID:Secx1N5K0
>>656
469 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2008/12/20(土) 16:44:36 ID:X/4OAEIa0
昔の中国、東晋に、載逵という文人がいて、琴の名手としても知られていた。
その名声を聞いて、武陵王が宮廷の音楽演奏家として召抱えようとすると
載逵は『王の機嫌をとるための琴ではない』と使者の前で琴を叩き割った。
その故事から、お琴割り(お断り)という言葉が生まれた。 >>142
>コピーと写真の意義について述べた節もあります。
274頁には、図録が真蹟に勝てないとも書かれていることを付け加えておきます。 江馬細香の竹蘭図を買ったよ。崖に蘭と笹を描いた水墨画。
画賛は次の七言絶句。
紫毫痕湿浄娟 >>154
途中で投稿してしまった。
↓江馬細香の画賛
紫毫痕湿浄娟娟
一点無塵到硯辺
写竹人知痩於竹
半窓微雨昼蕭然
細香
制作年はわからないけど四十代くらい?の若書き。
細香の詩集『湘夢詩稿』に載ってるか調べたい。
1枚の画から師匠の頼山陽も身近になりました。 >>154
おめでとうございます。
作者や由緒を関係なく画を楽しむのも大事ですが、こと文人画となると作者に思いをかけたく
なるのは人情ですね。 >>156
ありがとうございます。安値でいい画を買いました。
あの漢詩は門玲子さんの『湘夢遺稿』訳注本に載っていました。
細香の漢詩に山陽が批点や感想を書いて、下手な私小説よりも面白い。
貴重な書画でもゴミ同然の価格で売られていることがあって、複雑な思いです。
署名や漢詩が読めない、とか掛軸を飾る場所がないなど
文化の断絶が背景にあるようです。
今回は安く買って救い出しましたが、重要な作品がゴミとして捨てられてていることもありそう。 >>157
>貴重な書画でもゴミ同然の価格で売られていることがあって、複雑な思いです。
近世のそれなりに名のある人の書画幅が数千円で買えたことが何度もあります。
名前が分かって売られていれば御の字。認識されず打ち捨てられていることがあります。
>署名や漢詩が読めない、とか掛軸を飾る場所がないなど
>文化の断絶が背景にあるようです。
>今回は安く買って救い出しましたが、重要な作品がゴミとして捨てられてていることもありそう。
絶対にあると思いますよ。知り合いの骨董商から「もう捨てられていた」話を何度も聞きました。
表装がボロボロなのでもういいと思ってしまわれるようですね。
学校教育で掛軸について教えてもいいと思いますよ。
時代劇漫画を含む漫画を読んでも、少なからぬ作品で掛軸の構造すら理解されていません。
よくあるのはタペストリーとの混同ですね(上下に軸棒がある)。
中身の絵画以前に掛軸自体に知識や親しみがないのですから、捨てられるのも当然です。 去年は大窪詩仏の墨竹を2点手に入れました。価格は2千円と3千円。
二百年前の当時の文人スターの書画が、こんな価格で手に入って嬉しいような悲しいような。
大窪詩仏の書画を集めた最大のコレクターは、俳優の故・渥美國泰だったらしいけど、今も集めている人はいるのかな。 年末に浜田杏堂の山水画をヤフオクで競り落とした
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w1025565033#dummy
某中国書画の美術館の学芸員に現物を見てもらったが、コピーではなく肉筆で浜田杏堂の真筆かどうかはともかくとして、
南画の勉強をしている人の作品なのは間違いないて言ってたから良かったわ
去年は浜田杏堂のコピーもつかまされたわ
表具も凝ってるけど古くてボロボロで長すぎるのが問題だわ
表具をし直さないと 詩は詩仏 書は米庵に 狂歌俺 芸者お勝に料理八百善 >価格は2千円と3千円。
自分が去年山口県で難波覃庵と田中柏陰を手に入れた時もそうでした。
哀しいですね。地元ですら分かって貰えていない。
これはそもそも価値以前に作者不明だったのですが。
>俳優の故・渥美國泰
あの人は文晁やその友人・弟子の作品が好きだったようで。
岡田閑林や横田汝圭はあの人の本で知りました。
知らなければ入手後作者がなかなか分からなかったかもしれません。
どちらも流石にそれなりにしましたが、「それなり」も状態に難ありとはいえ数万円。
浜田杏堂も今は分かる人が少ないのでしょうね。
館に収蔵する以上に、個人でもっと愛好家が増えて欲しいものです。 時に、ご自分が所有してらっしゃる作品の作者でお気に入りといえば誰になりますか?
私は
江戸:帆足杏雨
戦前:河村虹外
戦後:後藤秋
になります。きりがないので各時期から三人だけ。
後藤秋高ヘ伝記も没年(どうも昭和40年頃らしいのですが)もよく分かりませんね。
河村虹外はあんな変な絵を描いている割に温厚な人であったそうで(昭和初期の記述)。 >>160 の浜田杏堂、品があってとてもいい。印は「世憲」とありますね。
中谷伸生先生によると「香堂の贋物というのは見たことない」そうなので、真作の可能性が高そう。
daily-sumus2「浜田杏堂」 https://sumus2013.exblog.jp/21258875/
>>163
江戸:釧雲泉
戦前:下村為山
戦後:岩崎天外
釧雲泉のばかでかい米法山水図が気に入っている。真作だったら寛政5年の作。
やたらと贋作の多い雲泉だけど、今では史料が乏しくて真贋が分らない。
俳画家の下村為山を文人に入れるのはどうかと思うけど、中村不折と対照的に絵ひとすじに生きた孤高の文人画家。
戦後では岩崎天外という無名の南画家が気に入っている。吉嗣拝山の弟子ですが、天外の方が画家としては上を行く。
北九州三大奇人の一人・井上天外については梅崎大夢『雑録 春帆楼』(正風書舎 1999)に詳しい。 >>164
最後の行 ×井上天外→○岩崎天外
他に持っている掛軸では、吉田蔵沢の墨竹画と幸松春浦の初期南画時代がお気にいり。
幸松春浦は、初期はいいと思うけど、後期は好きじゃない。
春浦は賛文を減らして余白を削いで、近代日本画を目指したのに、結果として初期より魅力が乏しい絵を描いたように見える。 >>161-165
あけましておめでとう
雨に濡れた梅のつぼみを愛でながら
去年漬けた梅干で一献 >釧雲泉のばかでかい米法山水図が気に入っている。真作だったら寛政5年の作。
>やたらと贋作の多い雲泉だけど、今では史料が乏しくて真贋が分らない。
私も一幅やたらばかでかい山水図を所有しておりますが、やはり真贋不明ですね。
ただ釧雲泉作と認識する前に購入を決めたので後悔はしないでしょう。
下村為山はいいですね。南画家と言うのが微妙で戦前というなら瀬川独活も好きです。
下村為山はけっこう作品を見かける機会があるのも嬉しい。
微妙仲間で磯野霊山もいいものです。
>岩崎天外
なるほど、いい絵ですね。拝山の梅のような枯淡さに瑞々しさを加えた感じで。
昭和42年、84歳の時まではとりあえず生きたようですね。老人になってからの作品にも若さを感じます。 >幸松春浦は、初期はいいと思うけど、後期は好きじゃない。
>春浦は賛文を減らして余白を削いで、近代日本画を目指したのに、結果として初期より魅力が乏しい絵を描いたように見える。
これはけっこう色々なところに刺さると思いますよ。
春浦と同い年の岡山の南画家に片山秀陵がいますが、戦後の彼の画も彼に学んだ人の画も正直見られません。
南画の近代化は結局徒労というか無駄だったと言った、現代の南画家の言葉が胸に染みます。
日本画自体にも言えることでしょう。
かつて横山大観は旧派の画はなくなっても一向にかまわないと言ったそうですが。
彼の行動の結果の現状を見たら、彼が喜べるのかちょっと疑問です。