日本人って、美術に興味無いね [無断転載禁止]©2ch.net
バブルの時代も、
金になるからってだけで、鑑賞なんかしなかったし。 「鑑賞してるつもり」で、「偉い人がしたものなら、スゴイんだ」、と自分に言い聞かせるだけだったろ。 明治時代に政府が人工的に作って国民に押し付けただけだからだろ
音楽も同じだけど
日本では音楽や絵は根付かなくて消えたよ
欧米でも音楽や絵を追求し尽くして消えたけど アートでセンスを磨いても誰も誉めてくれないからな。
マニュアル通りの流行バカがオシャレさんと認識される世の中なわけで…。 日本は千年以上鳥獣戯画の時代から
漫画が
美術や文学を含む
総合芸術だもんね
今はアニメもね そもそも学校での図画工作や美術がおもしろくない。
ただ作品作るだけだし、その作り方も子供のもともとのセンスで作らせるしね。うまくできるように訓練するものでもない。
美術鑑賞や美術史なんて触れもしなかったし。 ネアンデルタールとホモサピエンスの大きな違いは、後者が芸術活動を行ったということだそうだ。
芸術活動は進化の結果だから、日本人は進化に取り残されているということになる。 洋画で壁に現代絵画や一般の家にも絵や写真が
飾ってるが
日本は、お金持ちは陶器の置物か掛け軸、風景画、花、
女の人の油絵。一般の人は子供が描いた絵しか
ない 自国の美術品を飾ることの何が悪いのか全くわからない。 青木繁の父親に言わせれば「美術とはなんだ武術のまちがいであろう」 ゾウ、数十年後に絶滅も 象牙狙う密猟増加
日本の象牙印鑑が密猟の原因に?――
象牙や角の採取を目的としたアフリカゾウやサイの密猟に歯止めがかからない。
タンザニアでは過去5年間でアフリカゾウが約60%減少。
中国などのアジア新興国の経済発展に伴い象牙や角を買い求める富裕層が増加したことが要因とされ、
保護団体は「アフリカゾウは今後数十年の間に絶滅する勢いだ」と警告している。
日本の市場では、象牙は主に印鑑として消費され、ネットショップなどでも簡単に象牙の印鑑を購入できる。
保護団体は、「日本政府は、象牙輸入の条件として象牙取引管理システムを導入しているが、密猟防止として機能していない。
合法と違法の区別がつかず、市場に出回る多くの象牙の印鑑は違法な象牙が原材料になっている」と指摘する。 実は1日83頭の象が毎日殺されて、サイは1日4頭殺されているんです。
サイは鼻のアレが漢方薬になるということだから、中華系の人たちは、だから日本がつかっているわけなんで。
漢方薬の精力剤になるということで。
象は象牙で。日本だったら印鑑、三味線のマチ、琴のツメ。
中国人はお箸につかったりしますでしょう。汎用、広いよね。
ウィリアム王子が生まれた30数年前はアフリカ象全体で100万頭いたのが、30年ちょっとで、35万頭まで減っているんですよ。 4年間で10万頭殺されたんで、去年、シャーロットの時は35万頭になっていたんです。それでも今も1日83頭ずつ殺されているんです。
サイが1日4頭ですけど、それだけじゃないです。自然公園の監督をしている人がいますでしょう。
それが1週間に2人殺されているんです。人間が。
一番は、麻薬の売買、次に武器の売買、3番目が人身売買、4番目がこういう動植物の取引。
密猟の取引が2000億以上の産業、4番目の産業になっていて、そういう国際犯罪グループの資金源になっているわけです。
このままでいくと、あと25年でアフリカ象が絶滅するわけです。アフリカ象もサイもね。
25年しかないんですよ、このペースで行くと。 掲示板で話題のPCを使って稼げる方法とか
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FT5DXTAB28 東京大学が著名な作品を知らずに廃棄
東京都文京区にある東京大学安田講堂前の地下食堂に飾られていた著名画家の大作が、
3月末の施設改修に伴い、廃棄されていたことが、大学などへの取材でわかった。
2012年に亡くなった宇佐美圭司さんによる4メートル角の作品だった。
宇佐美さんの作品には数百万円の値を付けるものもあり、
専門家は「絵の価値を知らなかったのではないか」と指摘している。
宇佐美さんは武蔵野美術大教授、京都市立芸術大教授などを歴任し、芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞。
さまざまなポーズの人型を円環状に繰り返し描く知的な画風で知られ、1972年の「ベネチア・ビエンナーレ」では日本代表を務めるなど内外で活躍した。
廃棄された絵は、77年に大学側から依頼され制作したものだった。
食堂を管理している大学生協はホームページで、
絵の行方を尋ねる質問に対し、
「新中央食堂へ飾ることができず、また別の施設に移設するということもできないことから、今回、処分させていただくことといたしました」と回答。
「吸音の壁」になることや、「意匠の面」で絵が飾れないことを処分の理由に挙げている。
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180427005454_comm.jpg
http://www.asahi.com/articles/ASL4W369RL4WUCVL003.html 【話題】東大、絵の価値知らず? 大学生協が食堂飾った著名画家の大作廃棄★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1524839784/
一流作家の大作でも
ゴミとしか見られてないw 日本人のよい作品を、よいと認めるのは外国人。
日本人だからというのではなく、よいから。 友達から教えてもらった嘘みたいに金の生る木を作れる方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグルで検索するといいかも『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』
LNCSY 日本人は、美術館に絵を見に行くのは大好きだけど
自分で絵を買って飾ろうとはしない >>22
よく美術館に行くが、チョット違うと思う。
日本人は美術についての勉強に行くのが好きなのだ。
決して、絵を鑑賞しようとはしない。
その証拠に、観覧者の多くは解説をしっかりと読み、解説の前に人だかりができる。
でも彼らは絵を一秒も見やしない。
絵の意味を言葉で知ろうとしているだけなのだ。
だから、絵を見る目は全く養われない。
なんでも鑑定団に根強い人気があるのもそのせいだ。
自分で絵を買わないというのはその通り。zozoの社長なんか投機対象、ないしは自己顕示としてしか扱っていないんじゃないか? 何らかのコンプレックス持ってる輩が
背伸びするためのツールだからな >>25
コンプレックスが無い輩に会ったことないそ゛ 美術館は○○展に行くところであって、通うところではないと思っているからね。
「年間パスポートなんてなんであるんだ?」「常設展示なんて糞」と
常設展示を一堂に集めたのが○○展なのに…。
あとは西洋美術が好きというのに、キリスト教嫌い。
色にまでどっぷりキリスト教絡んでいて、
赤はキリスト、青は聖母マリア、黄色は裏切りのユダとそういう背景知らないし。 >赤はキリスト、青は聖母マリア、黄色は裏切りのユダとそういう背景知らないし。
別にいいじゃん、楽しけりゃ。
5000年前だって、空色は青色だよ。 >17, 18
東大生協食堂での宇佐美作品破棄についてのシンポジウム。
文化資源科というのがあるらしいから、その足元で資源が棄てられたんじゃ格好つかないだろう。
生協に全責任を押し付けた担当建築家や顧問弁護士は?
東大全力での工作イベントに喜んで出た連中は恥知らず。
大学権力には興味があっても、美術には興味ない。 日本国民は戦中戦後の混乱とそれに続くガムシャラ高度成長期のため、
モダンデザイン(所謂ミットセンチュリー)を嗜む、余裕ある生活を持てなかった。
「アート」らしきものを認識しだしたのは、その後のポップアートからで
「なんだ、アートなんてマンガと一緒じゃないか」と極端な認知をしてしまい
幼稚 = アートとなって現在まで続いてる。 柿右衛門の濁手を日常使いしておるよ(´・ω・`)
何百万もするようなものではないけれど癒されるよ
https://i.imgur.com/qCP0iFC.jpg 現代美術が先を行き過ぎてもはや美術マニアしかついてこれないってのも原因では >>35
いや、そんなことないと思いますよ
例えばジョジョが美術館で展覧会やるじゃないですか。現代美術ですよね?
多くの人がついて行ってます
CGで描いた絵も現代美術といえますし、アニメも現代美術ですよ
でも私は古美術とは分けて考えてます
ジョジョも好きだしアニメヲタだけどあれは私の中では美術じゃない
マンガでありアニメというジャンルだ
美術は私の中では古美術だけです あと私…マンガやアニメは大好きだけど、
現代美術とか現代アートって言葉が大嫌いです >>38
技法重視からコンセプト重視へ転換したのが現代アートじゃないの?
ただ現代の人や技術が使われた物ってだけじゃ現代アートとは言えないような 20年近く見てきた美の巨人たちも終わって触れる機会無くなったわ ねぇノートルダム大聖堂燃えたけどなんか貴重な壁画とかも燃えたの? 明治時代の日本人(上流階層だ!)
https://www.namuji.co.jp/2019/04/1386/
明治時代にフランスの画家ビゴーが西洋化しているつもりの日本人男女を
描いた絵ですが、立派な西洋人の服を着ても西洋人から見たら中身は黄色い
肌をしたサルにしか見えない、という風刺画。
現代も西洋人から見ても、どんなに高価なブランド品を身に着けても、
日本人は何ら変わりなく, 自分では欧米人に近い顔つきやスタイル
と思い込んでいるけど、欧米人から見たらまるっきり、黄色い猿。 ◇◆◇ 創価学会と韓国 ◇◆◇
創価学会には在日韓国人の信者が多い。近年、創価学会は海外布教に力を入れているが、
日本以外で最も多くの信者がいる国も韓国である。そのため、韓国には気を遣ってきた。
創価学会の福岡研修道場にある「韓日友好の碑」には、日本を「小国」とし韓国を「師
恩の国」と述べる池田大作名誉会長の詩が刻まれている。また、日本と韓国の創価学会
の代表者が出席した「韓日友好代表者会議」で、池田は以下のようなスピーチを行った。
> 韓国は、日本にとって「文化大恩」の「兄の国」である。「師匠の国」なのであ
> る。その大恩を踏みにじり、貴国を侵略したのが日本であった。ゆえに私は、永遠
> に貴国に罪滅ぼしをしていく決心である。最大限の礼をもって、永遠に貴国と友情
> を結び、貴国の発展に尽くしていく決心である。(『聖教新聞』2000年5月22日付)
創価学会は言葉で韓国に媚びへつらうだけでなく、公明党を通じて在日参政権の実現を
目指しており、日本人信者に対しても、韓国を「兄の国」として敬うよう洗脳している。 日本人は意味のレベルで作品を理解しようとしたがるよね
何が描かれているのか、どういう意図でそれを描いたのか知りたがる
「世界にひとつだけの花」って曲があるけれど、皆歌詞の意味を喜んでいる
メロディーとかリズムとかどうでもいい
楽曲としてはあれは出来がさほどよくない
だから槇原も当初プッシュしなかった
作り手にとって重要なのは意味の網目でも掬えないもの
これを表現したくて人生をかけて作ってる >>45
シャガールやモネを有り難がる人を叩くような
全く逆の日本人鑑賞者論も見かけるのはなんなんだ?
門外漢からしたらスノッブな丸暗記バカが初心者いじめしてるようなもんでしょ
芸大でても伝達者やってるやつばかりで
嘆きやすいもんを嘆いて
世田谷区のじじいが国内向けオンリーの名誉白人ぶって
ごちゃごちゃ語るジャズみたいでキモいんだと思うよ 日本の文物というか、
もともと、コンテクストかがちがちに出来上がっているなかで、参照したりされたりして、説明抜きに楽しめるものだったのかな、
近代にはいって、それが難しくなった。
中国以外にヨーロッパやアメリカの文物まで目配せする必要ができて、野暮に説明が必要になった。 >>48
時代の変わり目だからね
浮世絵に衝撃を受け、タダイズムを作らなければならないほど疲弊してたのは
西洋美術の方だった。
これから、現代アートがサブカル扱いだったことこそが
日本の美術や作り手を救うと思う。
アウトサイダーがアウトサイダーに売ればいい。
藝大卒の変な連中は無視でいい。 >>7
そうは思わない。
思うに、西洋の美術は言語に駆逐され過ぎ。
あの人たちは、アフリカから逃げて、
ワイン葡萄に適した、石灰質の土壌を耕さねばならなかった人たち。
農業どころか、日本に先駆けて工業がダメになったり、侵略の歴史が長かったり
アメリカのフロンティア主義とも相性が悪いのが当たり前。
進化に取り残されたって比喩になぞらえると、
釣具でイノシシ狩りしてるような現代美術の訓練を受けた場違いな連中が
サバイバルのつもりで淘汰されてるだけなんだと思う。
学を納めたような連中が、日本人とアートの価値を問うときに
名和晃平が逆輸入されてることなんかを嘆くけど、
モダンアートって西洋美術の一形態なんだから
むしろそれが正規ルートだし、
60〜90年代が、たまたま白人の真似ができるほど豊かだっただけで、
啓蒙思想が成功したかのように見えていたツケが回ってきてるんだと思う。
歴史的には西洋が東洋から学ぶ時期にきてる。
日本人がやるべきことは、まず、ギリシャや、ローマ、イギリスアメリカなど、
戦勝国には戦勝国の衰退があることを戦略的に学ぶことで
頭から憧れてかかるのはまた違うような気がする。
これから20世紀を総括するときに、アメリカから学ぶところがないから学べた(ように見えた)。
って部分がより強調されていくかもしれないよ。 アメリカとイギリスで全世界での売上の8割だかを占めてるのだから仕方ない。 >>51
まさにそれ。
メディチ家のようにロックフェラー財団を語る記事なんて、英語でしかヒットない。
あと、西洋西洋うるさいけど、西洋が一枚岩じゃないことも知らないよね。
ドイツが村上隆路線でアーティスト支援してるのは敗戦国で、ヒットラーという失敗した反自由主義者がいたから。
そして、フランスがなぜモダンアート嫌い(安直に弱いって表現を使う関係者は死ね)か、
なぜポンピドゥセンターの批判が長引くか
三島を読んでいるか、誰も語れない。
イタリアにレオナルドダ・ヴィンチ空港があるように、シャルルドゴール空港があるのか。
結構、新自由主義やモダンアート嫌いな白人っているんだよ。
それに、本当にモダンアート価値がわかられたら困るのは日本の美術関係者でしょ?
六本木にロックフェラー財団から委託されたギャラリーやオークションハウスがあったら
芸大の教授も不勉強なインチキ野郎だってバレる
前に転がせない丸暗記バカが偉そうに素人や鑑賞者や教育のせいにするなって思うよ。
むしろ、ウォーホルがデュシャンと同じと言える感性が残ってる方がアート思考(形而上学)だよ。 >>52
村上隆がフランスで展示したとき、なぜルーブル「美術館」ではなくヴェルサイユ「宮殿」だったのか。
なぜルーブル美術館は、マンガを第9の芸術に認定し、荒木飛呂彦の方が先に展覧会をやれたのか。
ルーブルがやったことは、俳句にノーベル文学賞を与えるようなもん。
実は、日本にモダンアート市場がある振りしてる爺さん連中だけじゃなくて、
それを暴いた村上隆の発言も片手落ちなんだね。
村上隆はアメリカを侵略したかもしれないが
フランス人からしたら、アメリカに侵略されてるのと同じだからな。
まじさ、芸大を批判せず、つまらねえ日本人論でやってる感だすために西洋ひとくくりにして
公立の中高の美術教育を批判してるモダンアート関係者とか
筆の向くまま抽象画をこさえれば
ダ・ヴィンチをクラフト呼ばわりしていいと思ってる
洋画出身のバカと同じくらい短絡的だよ >>52
ごめん、なぜレスしたかを端折ってしまった。
新自由主義が世界に与えた影響や日本の関係など、政治性の視点でアートをみたら
モダンアートだけがアートだとして、プレモダンへの憧憬を技術主義とまとめることも乱暴だよね。
村上隆も、日本人叱るように、フランス人のアート観が古いって批判しろよって話しになってくる。
グローバリズムの弊害があちこちで出てる中、日本は、現代美術も伝統技法もインチキ野郎が素人いじめしてて、どう語るかって努力を全くしていない。
あいトリも屁理屈屋の日展になったし、安藤忠雄建築の醜さなんて誰もパブリックで語らない。
両輪としても機能してないと思う。
フランスは美術史をアメリカにぶんどられたことに自覚的だって言うに言えない連中ばかり。
そこをうやむやにして
「なんとなく存在していることにしたい」連中が安直に教育批判まですることこそ、真の無知だと思う。 >>51
そんなこともフラットな知識として発信できない関係者が嫌いなんだよw
モダンアート嫌いな側の白人の存在を隠して(知らない?)、
欧米と日本を比較してる連中がおさらい程度の知識で価値とか言ってるのが嫌いなんだ。
印象批評に負けるのも、体系を暗記してるだけの伝達者が、実は価値を作る側にいないの隠してインサイダーの振りしてるからでしょ。
ゴッホはすごいからすごい。って既製品の評価にデティールが加えただけでプロ批評家なんだから。
ウォーホルを古いと言ってシビアぶってる関係すら
バンクシー論も上意下達で、あんなデニスホッパーがコレクションしてる啓蒙主義のなれの果てを有り難って、古いとは言わない。
小池知事が権威だと認めた東京のバンクシーと、でもじつは権威じゃないと地元の人が消しちゃった千葉かどっかのバンクシー(もどき?)を
好意的に展開させるほうがよっぽど美術批評だよw
死んだら俺と一緒にゴッホを燃やしてくれは、問題だけど、それでも日本人が現代美術そのものを嫌えることを歓迎する論がないまま
現代美術ベースで日本の文化や美術を語るのは大間違いだと思う。 >>52
連続レスしてごめんな。
村上隆が人物として嫌いになったのもそこ。
あの人がドバイのマーケットをただのマーケットとして語ったとき、
モダンアートがいかに思想として弱いかを確信した。
ポストモダン以降の時代区分の命名など
時代や現象に任せるしかないことを美術関係者は隠してると思う。
インスタでイラストレーターがそこそこ食えてるアーツアンドクラフトの復権を
アートの民主化とか言って権威主義を差し込もうとしてる美術関係者こそ人間とアートの関係の敵として警戒するべき。 >>57
コンセプトという意図の言語化によってモダンアートが覇権を得たならば
言語化できる範囲が広いものに敗北するのは当たり前だよね。
だから究極的には、この先、言語によるモダンアート論は用を成さなくなる。
美術史を破壊されて右往左往してる利口バカを尻目に
世界史の教科書にネアンデルタール人がかかれてる国の人間が、アウトサイダーの作品をアウトサイダーのまま情緒的に愛でて、なにが悪いんだろうね?
案外、これからの日本の美術は、モダンアートをサブカルチャー扱いしてた方が豊かかもよ? いずれにしても、日本人の偽インサイダーが嫌ってるものは
実はフランス人やイタリア人が羨ましがっているものと重複してる可能性があることは
頭の隅に置いててもバチは当たらないんじゃないかな あと、村上隆の弱点はAKIRAとAraki(ジョジョの作者)ね
どちらもあいつの翻訳無しで外国人が歓迎してる
彼がリツイートしてるYouTuberも、ハーモニカくわえてスネを叩く動画で
海外の人が自主的に広めたFischer'sは含まれてない
そりゃ絵としては圧巻だし、知識は自分よりあるんだろうけど
ロックフェラー財団頼りのグローバル絵師という立場が邪魔して
結構これまで語られてきたコンセプトに穴が出始めてる
あの手の知性の持ち主のくせにグローバリスト側だからBLMは黒人の味方すらフェイクだとも言えず
商売のために意図的に時代遅れのリベラル派となって支持を表明してる
あの人のコンセプトを批判するなら、意図的に空白地帯になってるアメリカ批判の無さに注視するといいよ
彼もまた動く価値を語れず、未来は作れなかった。 村上隆=名誉白人
技術なし、知識あり、コンセプトを語れる
現代アートはコンセプトの新規性を美術史に帰属させる投資商品だとして
日本の現代美術業界のインチキさを語れる
会田誠=尊敬されうる野蛮人
技術あり、知識の披露は不誠実、西洋美術まで批判してる
村上の主張に加えて、さらに現代美術はインフラだと言い切れる側にある
鑑賞能力がないと言われがちなアート嫌いの日本人=奇跡的にモダニズムを生き抜いた日本美術の鑑賞者
宣教師の墓場で何食わぬ顔しながら
多摩美卒の漫画家とバンクシーを同列に嫌う日本美術の購入者
日本の現代美術ファン=価値創造を白人任せにしてるくせに
自分が賢く嘆く側だと思ってる歴史音痴
観賞以前に、真剣に文化論として現代美術を捉えるなら
およそこんなふうになっていくと思うんだけどな。。。 >>1
成金や買い手の伝統もさることながら
興味のない人が本物の興味をもったら
その人は美術史家じゃなくて歴史家の仕事をすることになるぞ?
輸入学問を輸入学問だと言えるんだから。
それを印象批評だと冷笑した美術評論家の胸ぐらつかんで
「たまには白人を裁いてみ?」って言われたとき
お前は頭の中にある知識でなんて言い返すつもりだ? >>61
> 日本の現代美術ファン=価値創造を白人任せにしてるくせに
> 自分が賢く嘆く側だと思ってる歴史音痴
他力本願は恥ずべき態度であるとみんな思っていたのだけど、現生を見せつけられてどうにもならなんだ。
貧乏が悪い、責めるな。 身も蓋もない話、都度複数の潮流があるとしてメジャリティを獲得する表現は、その時代に強力だった政治思想を反映したものになるのか。 日本における美術の観衆はその程度だったということか、 みんな頑張ったがどうにもならなかった。
寂しいものだ。責めるな。 「アートに理解がない」って言葉の先にあるものが
我々の権威性、ピカソのような偉そうな振る舞いを維持するために
パンフレットを鵜呑みにしてくださいって業態維持の要請とほぼ同義なら、
タブーから自由な部外者の方が賢くなるに決まってるよ
漫画家とか名前挙げられる民間絵師がこんなにもいる国で
現代美術がなんたるかを理解した上で嫌える立場の人がごろごろいるのって、
本当は怖いことなんだぞw >>66
業界人に憧れなければむしろ豊かだよ。
視点を変えてみるといいよ。
権力べったりだったがために、明治の刀鍛冶のように、写真の登場(近代化した)くらいで絵師が右往左往してたのはヨーロッパだよ。
文化的に砂漠だったのは、本当はアメリカじゃないか。
むしろ日本と芸術は、権力と相性が悪い側面もある。
浮世絵や室町時代の芸術のように、民がかってにやったり、権力がダメになってから花開いたり。
鉛筆でフォトリアリズムの絵を描いてる人だって、歴史に残ろうとも思わずにYouTubeで稼いでる。
本当ははじめからなんの問題もなかったんだよ。 >>66
フランスの画家の死活問題の解決策だったものをコスプレの道具にしたんだ。
たいしたもんだよ。
当時の向こうのサロンだって死活問題だからこそ機能してたんだろうしw
本当に、勝手に楽しくやってりゃ向こうからやってくるもんだ。 >>63
バブルの土地成金がゴッホを買って、ボストン美術館から雪舟を買い戻さなかったのは
むしろ美術教育と、市場主義、当時の日本の美術業界にも責があるよね
弊害だけ他人事にするなよとは言わせてくれw 1個人の趣味、教育や助言者のせいにするのは彼に対してフェアではないと思う。
大正うまれの老人で応接室にワイエスを飾って、客が言い当てるとそれは嬉しそうに絵の話をした。
ゴッホはゴルフ場に飾って、そのゴルフ場の名前をヴィンセントゴルフ場と改めた。
数年で手放さざるを得なくなったとき、彼のことを嘲笑った人もいたが、妬みは醜いものだと思った。 >>64
パトロンに関して言えばそうなんだけど
少しばかり単純化するけど、
ヨーロッパの文化を守る目は、男は殺され女は犯されの血生臭い侵略の歴史がある
アメリカは根無し草による更地国家の天才の引き上げ、歴史の無さ、金融のメッカ
大英博物館は侵略と奪取の海賊国家
ってことでいいんじゃないかな。
文化を滅ぼされる危機感で過去を見ず
だからこそ人工国家として未来方向を語れず
それ故に同時代人を見いだせない
中世の反省がエネルギーだった20世紀の白人国家のようなキュレーターを
日本で育むことがいかに難しいかわかるでしょ
出来合いの知識だけでやるから、コスプレになるし
二言目には教育と、こうなってしまう >>71
たしかに、人様の感性を叩くのは良くなかったね。
しかし、根底にあるのは欧米主体(大正生まれならイギリスフランスあたりかな)の教養主義でしょう。
中世を反省するエネルギーと、幕末を甘受して、殖民地支配を奇跡的に回避して、戦争を無理繰り反省するエネルギーとはちょっとちがう。
現代につらなる感性として、やはり白人のようにやれないと思うんだ。
舶来ものの骨董として、中国の焼き物がゴッホになっただけという視点は
まだ連綿と続いているように思うんだけどな >>73
バンクシーだからという理由でバンクシーを支持したりねw
岡本太郎の太陽の塔は権力に回収された前衛と呼ぶくせに
最初から権力に回収されている反体制的表現になんの疑問も持たない。
なぜなら、バンクシーだからw >>64
実は、ロックフェラーのお気に入り作家は原発批判しないよw >>73
これに関しては肯定も否定もできる。
なぜなら、特に江戸時代の期間中、日本は資源の奪い合いとは無縁だったから。 >>63
のんびり楽しむ分には良かったんだよ
微笑ましい親子連れだっているのは知ってるよ
そこを権威主義と勘違いして、既成事実の威を借りて
近代的理性ごっこをするために
白人エリートと日本の無学者を比較する程度の
インチキな日本人論ばかりになったら
スノッブな連中を責めたくもなるでしょうよ
モダンアート以降のアートを作れる人間は藝大卒にいない >>64
ゴッホ、ピカソ、ダリくらいからアンディウォーホルへの移行期に
買い手の質と、市場も変わってったような気もする
貴族出身の金持ちから、企業の社長へとなんだろうけど。
だからね、単に知識がないってだけの人に対して
やることやってない殿様商売、まあ、80〜90年代の美術手帖のライターみたいな態度で
日本人が日本人を見下すような態度とってたら
「ニューヨーク近代美術館はロックフェラー財団が美術品の保管に金がかかるから作った」とか
今まで秘儀のように隠してた(ように見える)買い手や問屋の歴史なんかが門外漢の耳に入るだけで業界の人には分が悪くなるよね。
その人たちが怒ってもその戦略を認めても。
現代美術の関係者は欧米と比較して日本人叩くくらいなら
実は美術手帖が展覧会広報誌でも購入者も視野にいれた美術ジャーナル誌じゃないことを叩けよ
そして、電子化した美術手帖のサイトがやってることは、実は海外ではギャラリー単位でやってることだと喝破するのが先で
美術手帖の評論家は、本来、未来を語れるレベルまで教育した状態で
ギャラリーが雇うべき人材でしたって認めるのが先だよ >>78
訂正
×...実は美術手帖が展覧会広報誌でも
○...実は美術手帖が展覧会広報誌であって >>78
結局現代美術が自分たちの文化コードじゃないから
美術手帖のようなポータル雑誌が必要だったわけで
忖度しなくていいってだけで
自分とは無関係な人に向けて欧米人になれと
非専門の人にばかり意識改革を求めるなんて
欺瞞もいいとこだよ 荒木飛呂彦展のように、もし仮にルーブルでハローキティ展なんかやられたら、日本の現代美術関係者は困るんだ
本来マーケットのパトロンや、顧客であるべきはずのグローバル企業、サンリオ(荒木の場合集英社)と作家が契約してるから
あれ?現代美術のマーケットどこ行った?ってw
カメラの登場で職を失ったのがフランスの画家なら
出版で勢いづいたのが日本の絵師で
シンフォニーだとジョンウィリアムズって、スターウォーズとかの作曲者がウイーンで演奏会してる。
ボブディランはノーベル賞、つまり、近代化によって権力者となったミドルクラス向けの
20世紀出版文化の回顧展だね
村上隆が今YouTuberと組んでるのは
ロックフェラーが死んで、アメリカがおかしくなって
YouTuberをポストトゥルース時代の権力者と見立ててのアイコン贈呈ってことなんだろうけど
やっぱ20世紀っぽいからヴィトンのときほど浸食できてない気がする
SNSって伝統美術も現代美術も瞬間的なコンテンツにするから
過去のものとして飲み込まれてる印象しかない... 90年代初頭頃、日本で美術品のコレクションといわれるものは殆んどが古美術だったよ。
西洋近代美術は70年代からコレクションの対象となった新興のジャンル、70年代までは西洋美術館と倉敷美術館、石橋くらいしかなかった。 明治維新以降連綿と西洋近代美術と付き合っていたというわけでもなく、大衆は円があがってはじめてそれらを間近にみれるようになった。 観る機会がなくても論じる人はいたのか、
観てもない作品を論じて、観てもない作品に影響される。
それだって、ごく一部のエスタブリッシュメントかな。 >>82
詳しくありがとう。
近代化の前後で、しっかり文化が残ってることの証左だよね。
思うに、90年代の日本の現代美術って、CDの音楽と同じで、業界ごと投資の対象になったんじゃないかな。
おまけに、暗記能力のある大卒がはいて捨てるほどいたのがライターだけ過剰な状況を生み出した。
でも、岡本太郎のように何故かマーケットがないのに国内で売れてしまった人がいたりして、
評論家は評論家で成り立ちや個人の作品のコンセプトはわかるけど
値付けの仕組みに踏み込めないままマーケットに出来なかったと思っている。
出版芸術によって近代化以降を生き延びたからこそ、本質的に骨董しかないフランスやイタリアにならずにすんだし、リベラルな前衛に進むドイツにもならずにすんだ。
モダンアートなんて文化が死を歓迎するような芸術様式を
マーケットもないのに、さもメインカルチャーであるべきかのように語るのは、見ててきついものがあるw
留学生がフランスで油絵描いてたら、なにをやっているんだ!君は日本の美術をやれ!って叱られた話があって、まあ、優しいおじいさんだよねw 70年代ぐらい迄は現代美術なんて、実験音楽やら実験映画みたいなもんで、商業ベースにのらないドマイナーな、いわば、既存の枠組みに収まらない“なにか”だったのではないかな。銀座や神田の特殊なスペースまで出向かないとお目にかかれないような。
しかしながらイタリアやブラジルやフランスの�rエンナーレとかドイツのドキュメンタリいった国際展に出場する作家はいつ頃からかわからないが少なくても80年代には現代美術の作家ばかりになっていた。
90年代には日本中に美術館ができていて、金にならないそれらを展示できる環境ができていた。 現代美術が現代アートと看板を付け替えたあたりで、また、混乱していて、 ノーベル賞やらカンヌ映画祭やら外国での評価をやたらと気にするのはなんでだろう。 読売アンパンが49に始まって64年で終わってる、終わったあと街にたの画廊にあふれたのかな。 だいたい政治運動が盛んな時代は言語過剰になるのかな。 80年代までは団体展が権威的な存在だったとか、大学の先生から、小中高の美術系は大概団体展に関わっていたとか。
今となって何処の国のはなしかと思う。 80年代の以前の日本はどこか社会主義国に似ているように思える。 >>88
実験音楽や実験映画ってのは言えてる。
岡本太郎を語ることは肯定も否定も示唆に富んでると思うよ。
岡本太郎の活動は、ランボーの詩に傾倒してる大正時代のお坊ちゃんだし、表現に必然性が無いことまでそっくり。
(コンクリートで縄文をやったのは凄いし、太陽の塔の残り方はしっかり歴史的な遺物だけど)
そして、大衆への受け入れられ方は、宮沢賢治や藤子不二雄、手塚治虫、甲本ヒロトなどの快(怪)人物。
ろくな絵がないのに、ウォーホル語録のように重宝されてるのは、
受け手側が、老若男女問わず近代化に戸惑っていてたからかなあとかね。
なんにせよ、美術史ではなく、近代史で語るほうが通りがいいんだよね。 >>90-94
近代化自体が勝手にやってきた天災だからじゃないかな?
だから作家人物や作品そのものより、環境を語るほうが腑に落ちる。 モナリザ見物のように、鑑賞が確認になると、観賞も鑑賞に含まれる。
言葉遊びのようだけど、本当にそう。
中にはいいものがあるはずなのに、印象批評をそれだけで無学の証のように片付けるのはおかしい。
ウォーホルは空虚だ、とか、なんで現代美術って幸せな感じしないんですか?とかw
むしろ日本の評論家の方が芸術作品を博物として、
絶対評価たる歴史的知識の固定、伝達するだけでそこに面白さを見いださないから
発展が外人頼みになる。
てか、まだ普及段階にあるくせに、よくもまあ素人叩きなんて下らないことやるもんだ。
知識はあって当たり前だけど、輸入学問の伝達者なんだから
和音の定義を更新できなかった日本のクラッシック業界と同じ。
だから藝大はプレイヤー(ペインター)養成所なんだよw >>97
再三に渡って繰り返すようだけど
インサイダーのふりしたアウトサイダーだらけだから知識だけに頼ることになる。
発展がちゃんと自分ごとの科学者の方が直感と偶然を語るなんて、恥ずべきことだよ。 別に自分は感性至上主義者でも無学こそ至高とか言ってないからね。
舶来の知識で威張るのって、鑑賞を受験科目にしてるのと同じで
私は何もやってませんと言ってるのと同義で、みっともないと言ってる。
Twitterとか見てみなよ、落語の登場人物レベルだからw
論理はあくまでサブであり、道具だってことを知らない現代美術派の日本人が教育にケチをつけるのは危険なんだ。
やってることは伝統主義者だからなw
暗記科目とか税金の作文と変わらなくなり、
その意義は相対化して語ることはない。
(個人の表現しかなくなった=モダンアートは文化の死に立脚している。とかね)
ならばまだ技術主義の方がマシだよ。 90年頃から学芸員の文章が増えた。美術館が増えたのだから当然なのだげと。
その分批評家の文章はへったのかな。
批評家の、海外の文章を翻訳しながらレトリックを駆使して国内の作家を持ち上げる人間味溢れる文章は、好きだったのだけど。、