日本人って、美術に興味無いね [無断転載禁止]©2ch.net
明和って、ソニーからデビューして切られて、吉本興行へいったんだっけ。 鴻池なんとかの根暗なディズニーランド的な表現も受けてるし悲観することはない。 イタリアは現代美術では地味なのか、少し前は現代美術やりたい人でイタリアに留学した人が沢山いたよ。
イタリアでは組分けがガッチリと出来上がってるとか聞いた。
あと、ドイツに留学する人も沢山いた、ファインアートを先行してるのに論文ばかり書かされたと閉口してた。
その後はイギリス留学が増えてるのかな。 どうのこうので日本にはいろんなタイプの表現をしてる人がいる。毒が抜けたり骨が抜けたりしてぐにゃぐにゃだけど。 毒とか骨とか、表現者の責任以前の問題だと思うよ。
はっきり言うけど、岡本太郎や明和電気、HIROMIXのような詐欺がもう通用しないことを周知しない業界が悪い。
ファイナンシャルタイムズを見てみるといい。
ニューヨークのアートギャラリーがコロナの影響による売れ幅のレポート出してる。
ギャラリーが、金融ジャーナルに売り上げグラフ公開してるんだよ?
金融商品として見たら、日本の美術館はただの買い手。
現代美術の発祥が、デュシャンとか、個人や団体だけにあるように周知して、
日本でMoMAの成り立ちを語らないのは、作り手向けの教養としてもおかしいんだ。
美術手帖はチケットぴあだと叩くのが先だよ。 美術館の予算を越える購買力のある個人コレクターがいるからな。
コレクター、画商、作家
この辺がリードして価値が決まるのかもな。 >>126
日本の買い手は、戦後まで新自由主義者じゃなかったのかも知れないね
売るつもりで買ってない素朴な人たちだったのかもね
だんだん、業界人っぽいのが中高の美術教育云々言ってるのに腹を立ててる理由がわかるでしょ?
藝大改革しないと進学先がないじゃんねw 一週間に一時間の授業では仕方ない。
常識も形成できない、
非常勤の先生方は食い扶持をなくしたのかな。 団体展、絵画教室、教え子、
先生の絵をお弟子さんが買う
そんなシステムだろ。
鶴太郎は団体展には所属していないが、
鳩山の女房や安倍の女房がお弟子さんだったろ? 絵を囲んでみんなでお酒をのんだり、お喋りをしたり、それだって無駄ではないし、無意味でもない。 >>129
それ言われると困る人たくさんいるぞーw
日本の美術業界は近代美術の普及に失敗したと言うべきなんだよね本当は
面白い話しよっか?
オレやあんたが当時の人間だったとしてよ?
ダダイズムが登場したってさ、油絵を受け入れた時点で賛成の立場にも反対の立場にも必然性がないw 当時だろうが今だろうが
日本でダダイズムはどうかな。
とほほなダジャレで終わる感じしかないな。 >>132
べつにフォービスムでも印象派でもいいけど
ありのまま受け入れちゃうと思うんだよねw
まさにダジャレだよ。音から似た音つくるw
歴史性から独立してるから、最初から表面でしか見れないw かたちから入って、
だんだん手垢がついて汚れていく、
次の世代が新しい形式を輸入して、“切断”とかいって騒ぐ。 というか、
きちんと印象派の真似をした画家なんて日本にはいなかった。
明治維新なんて印象派と同時くらいに始まってるから、もしかしたらチャンスだったかもしれないのだけど、藩閥人事で黒田を指導者を据えたのが失敗だった。
現、油画第一研究室の教授なんて黒田に呪われているとし思えない絵を描いてる。 日本画はストーリーとしては面白いのだけど、結果として出来た作品が貧血気味になってしまったのはなんでだろう。 今までみんなで話してきたところって
文でみたら矛盾してたり、どっちだよってなるかも知れないけれど
要は、パブリックにアートを伝える人たちの
重いところが軽く、軽いところが重いってことに尽きるよね
白人は野蛮だなあって思ってりゃいい部分めあるし
なにかと欧米優位のように見える「議論」だって、向こうじゃ作戦会議のようなやつだしね
ギャラリー行く人の目もフレンドリーだし
良い悪いを語るとするならば、ないものをさもあるかのように語る人たち(業界人)だと思うよ >>135
そこできちんと真似しても形だけになるのと
いずれ日本の近代絵画は、近代化の影響を見る博物になったから
富岡製糸工場と同じ歴史資料の価値と美術の価値が混ざっちゃって大変だよね 作品は形式だけではかられるものではないし、個々の作品のなかには納得のいけるものも出来たかもしれない。 プッサンはフランス的な絵を描こうとしたしたのだろうか。 ホイッスラーはアメリカ的な絵を描こうとしたのだろうか。 本人の意図と関係があるのか無関係なのか黒田の後輩達は今の目からみれば日本的、それゃそうで日本の絵しかみる機会がないのだから。 今となっては、日本中何処にいても、美術館があって、本場の絵画がみれるのだから、 それにまさるものをつくれていたならば、また、はなしは違った 日本人だけじゃないだろ?
世界中の人が美術に興味無いよ 義務教育で美術にさかれる時間は、昭和20年代が最高でそれ以降は減少、平成には半分程度となってなっていたとのこと。
昭和20年代に教育を受けた人というと、70〜80代の人達かな。 母数が多い上、その内容はともかく教育も行き渡っていた世代が頑張っていた時代については、美術関係の出版物もたくさんあって、古本屋で茶色くなってる。 >>148
義務教育で美術の水準が上がったという報告は無い。骨董趣味の人が少し増えた程度。 小中学校なんて、子供に絵を描かせるだけで終わり
美術史を教えたり、作品の鑑賞や鑑定や、
コレクションすることを教えないから全然駄目 昔は教科書には鑑賞に関するページもあったけど教員が無視して絵を描かせてた。
今でもそうなのかな。 ちゃんとした授業をやって色々教えるよりも、
適当に絵を描かせた方が教師は楽だからな
あと美術教師は元々、子供の頃から一人で絵を描いてただけだから
性格が暗い奴が多いし、人と話すことすら苦手な奴も多い傾向があるためだろう 日本は美術とか哲学とか教養を軽視してる。
受験戦争の所為か資本主義の所為か何かで
すぐ役に立たないものは切り捨ててきた。 >>156
しかし残したものはそもそも役に立たないものだったw 教養とか人倫を軽んじるがゆえに小泉や竹中のような阿呆に騙される。 確かに。哲学などを教えないのに、安倍内閣で道徳を必修化して
国や企業にとって都合のいい人材(聞き分けの良い奴隷)に仕立て上げようとしてる国だわ 衣食住足りてやっと美術とか興味が出てくるんじゃないかな。
新自由主義のせいで中所得層がどんどん少なくなって
そんな余裕がなくなってきてる。 そもそも鑑賞眼が育てられるって考えが道徳と同じで嫌いだ
正解のある鑑賞だけになるのは目に見えてる
おまけに「現代美術はマネーロンダリングの愛称だ」って言い出してる白人までいる
せっかくモダンアートを相対化できる国なんだから現代美術なんて趣味で充分
本当はまともな日本美術史を作り直すほうが先なんだ
東郷青児も岡本太郎も安藤忠雄も、前衛陶芸だって、あんなもん、なにもしてないのと同じじゃないか。
日本人として近代と芸術の有り様を達成したのは、手塚治虫、藤子不二雄、円谷プロ、土門拳と横山大観、ヒーローとしての田中一村くらいだよ。
大多数の関係者が普及してないことで食ってるただの海外通に堕する覚悟で買い手を育てる気がないなら
デザイン史教える方がまだマシだ。 >>161
だってそうだろう?
空欄を埋める形のモジリアニ鑑賞のテストでもやって丸でもつけるのか?
丸暗記バカしかいないもんなこの国は。
そんなもん、税金の作文や、道徳の感想文と同じ結果になるに決まってるよ。
バンクシー論なんかせっかく理解した上でくだらないと断じられる国にあって、
いまさらAIに代替される鑑賞なんて、アート思考でもなんでもないよそんなものは。
これから美術史教えるやつは、「ゴッホを出してはならない」から、「シャガールはもういらない」になったモダンアート市場のスローガンを本気で子供に教えたいのか?
モダンアートが実は不自由な創造性であること、技術の否定であることとどう向き合うんだ?
文化のニヒリズムを既成事実化して、さらに自由に鑑賞しましょう。哲学っぽいでしょ。
でも、通説は抑えてね、恥かくから。なんて
子供にそんなこと教えたいやつはバカだよ。 アート思考とか追ってるなら、上ふたつになんか発展的なアドバイスしてみなよ
カンディンスキー鑑賞できるならできるでしょうよ
自分は、アートは資本主義を予見するって考えには一部賛成だけど、アート思考なんてインチキは信じないね
水平思考など、変わりになるのものは沢山あるから
そして、むしろアート村の部外者の方が自由にものを考えてると思う 今まで散々、価値創造する責任を白人にアウトソースする形で、イズムの物真似で凌いできた
コスプレ連中が、近代的理性ぶって詩的な観賞や個人的な感想をバカにしてきたのに
今更庶民に笑顔でアート思考といわれても、山の手の卑怯者な没落貴族のご都合主義としか思えない >>160
そのミドルクラスを没落させた新自由主義の賜物がモダンアートじゃないかな
ダダイズムからピカソ、ダリくらいまでは工業化って意味での近代化
ウォーホルくらいになると、グローバル化や国際金融市場化って意味での近代化。
どうも、文化研究としてみるなら、モダンアートは総括と、継続の2派が生じる時期になって
教育カリキュラム化するには本物の文化論エリートが必要な時期だと思う。
いまさらバブル期のモダンアート礼讃をもう一度じゃ、東京五輪とかわらない走馬灯だとおもうけど
主体のない教養主義者、多分1960年代生まれの小賢しい爺さんの老後資金作りにならないことを祈るばかりだよ モダンアートは自分たちの文化じゃないと断じる派閥があっても良さそうだけど
分散してて、独自の文化を築いているし
アニメマンガの方が世界を侵略してる
昨今の色んな諍いや企みは、どうも日本の現代美術業界の独り相撲だと思うけどね
作家やりたいなら、技術なら美術予備校や独学で、海外の美術ジャーナルをGoogle翻訳にぶち込んで、
芸大すっとばして海外コンペのリンクがあれば
幾分すっきりすると思うよ
藝大なんて、変な教授全員クビにして学芸員とバイヤーの相談窓口を据えた、大作練習用の貸しアトリエにすればいいw >>164
価値創造って創◯学会の人たちが大好きな言葉… だけど、ゴッホ・モネ・フェルメール・バンクシーなどのブームにはすぐに飛びつく。 寂しい、
才能もあって努力も惜しまなかった画家志望の若者が薄気味の悪い拝屋に成り果てて、
主体もなければ主題もない空漠とした繰り言。 >>167
価値創造がカルト宗教くさいなら
コンセプトの更新でもマーケットの創造でもなんでもいいよ >>170
主体も主題もあるじゃない
ないのは陶芸家や日展だろうに
おまけに、日本美術史をどう更新するかとか問題点も明らかにしてるし
アイデア出しのきっかけとして解決案まで提示してる
空漠? 白人様がこさえたかっこたる既成事実にタダ乗りして
ずっと嘆いてるあんたの方が空漠としてるよ
本当に海外デビューした方がいい
日本は教育が更新されづらい
日本の60年代生まれの変なジジイと謝恩会やるくらいなら
アウトサイダーやイラストでそこそこ稼ぐか外国人キュレーターと真剣にやった方がいい >>167
むしろ創価は伝統語る人間とは組まなくない?
心外だよ 陶芸って楽しそうだな。
機会があれば試してみたい。 >>174
陶芸楽しいよ!
自分は器がそこそこ高い理由が体で実感できた
繰り返しになるけど、自分が現代アートがあってもなくてもってスタンスなのは
そういう時期にきているからで。
壁にダクトテープでバナナをはっつけたやつがあったでしょ?
あれはオークションの匿名性を利用したマネーロンダリングのためのおふざけのような気がしててねw
真面目にアート思考で鑑賞すると
壁よりバナナは腐りやすい、有機物の固定の困難さ、宇宙そのものが壁なら、種のない(自己家畜化で野生を一部放棄した)バナナは、有機物である人間界の大義名分の脆さを表してて
時間と空間として見たら、壁(宇宙)の面積の有り様よりも腐っていくバナナ(人類)に流れる時間のなんと、儚いことかw
まさに現代アートすらも滅びうるものだと
鑑賞してもマネロンの道具としてみても
今の現代美術の有り様な二重に表現されてるねw やっぱり日本ではダメだな。海外で認められるしかないんだろうな ニューヨーク在住のギュウちゃんは長いこと、作品は日本で売っていたのだが、最近はアメリカでもマイノリティ枠で売れるようになったらしい。 >>177
あれでよく売れるね。あの絵を欲しいとは微塵にも思わないなあ・・・ 他人がほしいと思ってるであろうものが売れるということはありそう。
ヒロポンとかナラミチとかもそうだ。 買おうとしたときに他人が欲しがっているであろうものを選んでしまう。 日本人は白人が褒めたものに殺到する習性がある
浮世絵も音楽家もノーベル賞の学者もみんなそう
それまで日本国内でゴミ扱いされていても、
白人に褒められると急に態度を変える アカデミックな訓練うけた芸大卒の連中が現代美術史上で遅れてるとされる様式で食ってる人に
これはアートではないとか喧嘩売って弱いものいじめしてるの見るけどさ
信用毀損気にして芸大の洋画の先生の立場や権威性の曖昧さを批判しないのは欺瞞だよ
今抽象画習ってトップ走ってる人より不勉強な人から気まぐれな印象批評で総評されてなんになるの?
鶴太郎批判もなにも、鶴太郎は自分のこと現代美術だって言ってなくない?
その矛先を芸大に向けないの?
よく大学を就職予備校扱いすることに対して怒る人いるけど、現代美術って売り物なんだから
コンセプト更新できてない芸大卒がサンドバッグ代わりにイラスト風の画家叩いてなんになるの?
写実的な洋画でインチキやってるのが日展なら
芸大卒は芸大卒でそれを現代美術でやってるだけじゃないか
現代美術以後を創るのも白人だろうけど、こんどはその物真似するの?
普及して欲しいのに存命中の関係者気にして、そこを言えないのはダメなんじゃない?
本当にシビアな世界ぶって現代美術の鑑賞を伴う教育改革語るのは勝手だけど
中高の教科書から岡本太郎削除できるわけ?
芸大卒のインチキアバンギャルドも、日展批判のように公然の秘密として秘術化して、何が評論だよまったく >>185
日本にマーケットが無いことで凌いでる人らを、自分や自分の同級生、恩師を含めて全員偽物だと言う覚悟はあるのかよ
そこを無視して鑑賞態度や感嘆符としてのアート(ヨーロッパにもいるし、法的には事業申請することになんの問題もない)
日本のアカデミシャンは、ラッセン批判じゃなくて、ラッセン批判程度の睨みを効かせることでしか権威性が保てない己を省みるのが先だ 村上隆が嫌われてるのは
日展批判のように現代美術風のインチキ芸大卒、つまり同業者を批判したからで
暴露もなにも海外なら学生のカリキュラムレベルのスタートラインを教えてるわけで
「日本には値付け機関がない」ことを抜きに、業界人が現代美術鑑賞を云々するのはおかしいよ
西洋人が写実を捨ててから写実を追求した日本の洋画史を肯定、または無視するキャリアしかないくせに >>183
浮世絵がある国で最先端のものとしてアンディウォーホルをスノビズムな態度で有り難がるのって
当時でも文化音痴の振る舞いだよね
美術関係者は村上隆を名誉白人呼ばわりしたら日本のアカデミシャンの国内向け名誉白人文化が道連れになるから
そこだけは決してやらない
近代的理性ぶってシャガールを詩的に愛でる鑑賞態度は冷笑にするくせに
商売人(れっきとした現代美術家である証拠)としての村上隆を遠まわしに嫌悪してて
言いやすい方にばかりケンカ売ってて本当によくわからない >>187
>「日本には値付け機関がない」ことを抜きに、業界人が現代美術鑑賞を云々するのはおかしい
ここにぶち当たる以上
美術教育の議論も、嘆き続ける風を装って糊口を凌ぐ流れしか今は見えない 現代美術が美術とイコールである、または上位に位置するという認識をまずは改めるべきで
素人相手に嘆いてみせて権威でございますなんて、プロとしておかしい
海外の現代美術の人たちをみてみなよ
イラストレーターに食ってかかってる人なんていないから
民主主義や人権が舶来品だから
同じ舶来品である現代美術で差別的な振る舞いができるんだろうよ
山手サロンのバカ芸大卒とその取り巻きなんて人として気色悪いよ >>190
現時点の関係者の振る舞いを見てると「絵画は死んだ」って現代美術の視点を庶民に教えるのは非常にまずいと思わない?
海外は純然たる価値づけ機関があるから住み分けできてるのに、日本はそれが存在しないから線引きが曖昧になってしまい
芸大卒を誇るような文化事業の失敗作みたいな「元生徒」が批判しやすい他ジャンルを容易に肩書き背負ったアカウントで叩けてしまう
そんな、海外だと追放されてしかるべき逸脱行為がさも批評のように振る舞えるのは問題だ
日本語圏内であたかも追放する側のように振る舞うのはどう考えても追放される側、つまりルーザーの振る舞いであって
本当に醜いし、おかしいことだ >>191
現代美術を教育したいなら、必ず日本が西洋美術の移植に失敗した歴史を語れなきゃ
はじまらないと思う
鑑賞者を育てるってことは、芸大で公然の秘密となっていた部分を含めて、制作者の目が育つことも意味する
そうなった場合、日本にある現代美術風のゴミの山をどうするの?
曖昧さを廃してインチキ同級生やインチキ恩師を殺す武器を子供に与える覚悟はあるの?
以上の意味で自分は、教育を語る現代美術関係者は本腰を入れないと思っている
アウトサイダーのふりしたインサイダーか
インタイダーのふりしたアウトサイダーかがバレるんだから 様々な関係者の責任はあってないような名誉を毀損せぬように有耶無耶にしながら
「鑑賞者のみを育てたい」なんて、そんな都合のいい知識伝達がカリキュラム化できると思う?
いびつなものになるに決まってるよ
現代美術のマーケットそのものや、それに代わるものは思いつかないくせに
下位者の実直さから搾取しようなんて
同じマネーロンダリングの道具と見ても下等だよ
東京芸大の過ちを中高カリキュラムで繰りかえすだけだと思う 現代美術の鑑賞法(感性に基づかない)を教える記事や本のタイトルをみてほしい
「大ウソ」「世界の一流」「残念な日本のエリート」
なぜありもしない劣等感を煽るの?
これじゃ写実的絵画を教えてる人や水彩画家がバカみたいじゃないか
海外でモダンアート市場があることと、そういったリーグ違い人たちがそこそこ食えてることはイコールなんだよ
お決まりのセットのようにリーグ違いの人々を貶して、見物人にばかり理性を推奨しときながらインチキな日本同時代人を批判したりちゃんとした議論することは放置して
アートに理解がないのは知識止まりの現代美術ライターじゃないの? >>194
自分たちの怠慢を棚にあげて
感性と理性を対立物や価値の上下のように流布するのは大きな間違いだと思う
西洋人ぶりたいならフラッシュなしの撮影すら禁止されてる日本の美術館のパブリックの考え方を批判したら? 金の話で恐縮だけどロックフェラーが他界してコレクションがどんどん売られているらしい
そろそろ向こうのモダンアートも値割れするんじゃないか? >>197
少なくとも資金提供者はグローバル経済で食ってる富裕層なんじゃないかな
だから英米の白人か華僑かは分からない
Black Lives Matter の作品を出したから、どのみち人権派のふりしたクズだと思う
あの手の込み入った問いに人様を付き合わせる知性がありながら
マイノリティーが強者になる時代性を語らないんじゃなくて
語れないと思っといた方がいい >>197
モダンアートのリーグだと思うよ
デニスホッパーがコレクションしてて
パンク風のドクロマークを取り入れたハイブランドみたいで気色悪いから自分は嫌い
アートと落書きの違いとは、アートの価値は誰が決めるのかって問いは理解できる(←ここまでは美術手帖が語る範囲)けど、
「革命」すら富裕層に私物化された象徴だと思うとぞっとするね(←これは言論人しかやらない) >>197
富裕層による庶民の啓蒙表現の私物化でもあるから、実はストリートアートでもない
「メッセージ」という語に引っ張られがちだけど
グラフィティアートそのものやメキシコの壁画運動とは大きく違うことだけは留意してて欲しい
ドイツは西側諸国唯一の敗戦国だったけど
EUのリーダーとしてアメリカの真似をやめた
今日本のアート関係者が下品だったり、肩書き背負った人の物言いがふわふわしてるのは(80年代からだけど)
そのマンハッタンごっこが通用しなくなった東京の断末魔だよ >>183
ランボーの詩どころか、稲作伝来から変わってないのよ
そのときそのときの大国の真似するだけで 革命というのは富裕層のものだった。
煽られて動員された人には停止したように見えるかもしれないけど。 >>202
そうだねw
しかしなんで誰も反体制が売り物になってしまう悪趣味な皮肉としてバンクシーを論じないのかねえ
礼賛とアート扱いで気味が悪い
こういうのがアート思考なんだろうけど
こんな意見ですら生業にかかわる範囲を浸食したとして
実利主義のレッテル張られて排除されちゃうのが目に見えてるからアート思考の普及には期待してないw
・感性的鑑賞を否定し、三流サラリーマンを煽るかたちで理性的鑑賞を広める
・子供向けの本には睡蓮には見えないカエルがいる、自由な鑑賞を勧めてる→自然から学ぶのとなにがちがうの?
・コンセプトアートから発想する→美術として語るならマーケットの成り立ちがなければ不可能、文字化してない(アウトサイダーアートの場合等はキュレーターが文字化してる)重鎮ぽい人は無能無価値が確定する
実は理性で鑑賞する方が簡単なのに
理性で嫌悪してる初心者を、国内の偽物に忖度して歯切れが悪い片手落ちの説明で牽制したまま
実利主義者のレッテルを貼ったツケが回ってきてる
現代アートほど実利的な商品はないのにw
普及させたいのか、権威性を保つために秘術にしておきたいのか
わからないのはインサイダー風のアウトサイダーのせいじゃない?w >>201
稲作から現代アート、IT技術に至るまで
伝来元の覇権国家でなぜそれが必要になったのか
負の側面を教えなさすぎ >>203
だからこそモダニズムは文化から過程を殺した
カメラから起こり、またデュシャンから始まり、ポロックなどにより何度も終わった絵画がその証拠
ましてや工業国で部品みたいに暮らすしかない生活の中で
一服の息抜きとして情緒的に愛でる類の作品を前に転がせないただの丸暗記バカの欧米リーグ通が飯の種に貶し
さも一般人を越えた学があるかのように装うなんて
人間と芸術の関係、または知性に対する冒涜だよ
要は日本の美術って、美術評論においても「勉強」なんだよ
本質的に現代美術を相対化できる日本で、その絶対化を図るのは危険行為だし
注意深くなるべきところに素人いびりを交えるとか愚の骨頂だし
むしろ、現代アートが(発明品として面白くても)ただの趣味判断の域で止まってることに安堵し
興味がない人に対して一定の感謝はすべきなんじゃない? フェルメールも人物画だからだしね
フェルメール自身はそういう客層も認めそうだけど
オランダ風景画の説得力には個人的にはひれ伏したくなるんだが >>208
少しも悪いことではないと思う
草間彌生の表面にエネルギーを感じたり
現代美術よりもイラストの方がささっと構図モチーフ等を
選んで簡単に古典回帰できたりするから
これ、侮辱や皮肉のように聞こえるかも知れないけど、そんな意図は全くなくて
いよいよアカデミシャンに文化が作れない時代がやってきたんだと思う
それまで教会と宮廷という権威の下にアカデミーがあって、戦後にアカデミーそのものが権威のようになったでしょ?
そして、論理が神の代わりにならなかったのが平成時代(人によっては湾岸戦争やソ連崩壊からカウントするかもしれないけど)で
先にフロンティアを失った現代音楽の有り様になぞらえると
人々から愛されたシンフォニーの偽物(ジョンウィリアムズの映画音楽やゲームのBGM)の方が力を持ってきはじめたのが今の時代で
発展主義で補完したアカデミーの権威性が頭打ちになって
主権者である国民(選択者)とせめぎ合ってる
映画がサブカルチャーではなくなったように
現代美術が一個人から見てサブカル扱いされてもなんら不思議はないよ
なぜなら「教養」そのものが「選択されうる情報」に絡め取られてしまったから
若い芸術家は二足のわらじの二足目の方が稼げるだろうし
上でインチキが通用しなくなったといったけど
むしろ現代美術を標榜しないYouTuberとしての明和電気の方が本流(正確には人々が選択する無限の傍流のひとつ)と呼ばれるかもしれない
受け手も作り手も洞窟壁画のようなアート感情とつながってて
イラストと現代美術が等価値になってしまうと、もはや編纂することすら難しく
>>208 さんがやったように各個人が効果的に紹介するしかなくなってしまう
こんな面白い時代ないよ
芸術闘争論を読んだくらいで無学者を煽ってる黒瀬ナントカなんてなにもしてないのと同じで
SNS時代の池田満寿夫くらいの意味しかないw >>210
ポロックで例えると分かりやすいよ
80年代ならそのままイメージからの解放だったけど
イメージからの解放の「独占」って側面が強調されてきたんだと思う
美術鑑賞板だから言うけどさ、そもそもポロックって鑑賞できる?
どこまでいっても教養の確認でモナリザ見物の方が理性と感性(感嘆)がない交ぜでしょ?
散々理性による鑑賞を推して、閑古鳥が泣いてから感性とか言い出してさ
ただ、若い作家に意趣返ししたってしょうがないとは思うのよ
黒川紀章の建築は醜い。アラーキーの写真はハービー山口ほどの価値もない
と、こう20世紀の目上を正攻法で批評するべきでね
ほんと、批評家ふくめ宮廷文化の真似事してる分際で性根が卑しいんだよ
60年代生まれの日本の美術関係者って
広告もそうなってるでしょ?w
それで、自分は上でイラストをアウトサイダーアートですらないアウトサイダーの優位性として強調してみせたけど
文明として見たら、本当はアウトサイダーとインサイダーを超えた課題が横たわってるんだ
古今和歌集の国でもあるから余計に 話は変わるけど、伝統工芸のマグカップの耳って
絵柄との兼ね合いで様式的な改善の余地があるよね >>213 に補足
>ほんと、批評家ふくめ宮廷文化の真似事してる分際で性根が卑しいんだよ
60年代生まれの日本の美術関係者って
広告もそうなってるでしょ?w
・宮廷文化の真似事に、アカデミシャンのコスプレを追加
・若い作家はむしろこの年代の逃げ切り戦略の駒であり被害者の側面もある
・いまや現代絵画は白紙を目指しているに等しい
・意趣返しされたくないなら、現代絵画の更新を怠りながらイラストレーターの展示に呆れて遺恨残して回ってる
バカ教授の悪いとこ真似して権威主義だけいっちょ前の美大芸大卒のバカのルサンチマンをどうにかしろ
死体蹴りに死体蹴りが返ってくるのは当たり前だ
味気ない話ばかりで申し訳ないけど
ついでに。D.ロックフェラーが死去した際、現代美術のコレクションが大量に売りに出されたらしい
これ、投資の商品としてみたら売り抜けのような気もするんだよな
暴落まで見越したアート投資バブルというか
MoMAも人員削減されてるし >>213
>黒川紀章の建築は醜い。アラーキーの写真はハービー山口ほどの価値もない
と、こう20世紀の目上を正攻法で批評するべきでね
親の因果が子に報いで、90年代生まれの若い作家だけ叩くのは人として避けるべきだと思う
そして、奈良美智なんか見てみなよ、顧客がラッセンと重複してるって言われたくらいで
下を黙らせるために断筆宣言ほのめかしてさ
みんなウォーホル節の焼き直しに憧れてばかりで、誰もその振る舞いを注意しない >>129さんの意見に補足させて
自分が野放図に批評してるのの巻き添えになるといけないから一応、
業界ぶった人らの陰口の名誉回復を無関係な自分が担うみたいで嫌な気分だけどw
えっとね、鶴太郎、長渕、ジュディオング、ラッセンとか、ああは言われてるけど、実のところは結構わきまえてる人たちなんだよ
美術館、とくに現代/近代と頭につくようなとこじゃ決して展示やってないから
チムポムが登場したあたり?の時期に美術館が木梨憲武展で集客するようになってから
なにかやな予感がしてた
だから代替わりに失敗した美術手帖ライターの記事とか(最初から権威主義的引用者の墓場だったけどね)
スプなんとか子、表現の自由展だなんだといった、あの辺りの歴史的に全く無意味な議論や記事に頭使うよりも、
英語でググッてでてきたアートジャーナル記事を翻訳ぶち込んでた方がなにかと面白いよ
本の紹介がトップに出ないだけでも時間の短縮になる http://imgur.com/gallery/60KT2GP.jpg
海外のトップアートスクール(大学院)は倍率25倍〜35倍とかだしレベル高い。卒業後すぐ契約作家になる子も多い。若い作家がニューヨーク、ロンドン、香港などアートシーンを作り上げている印象。 緊急事態宣言やら自粛要請やらで大変だ。
景気が悪くなると意地悪になるやつも多い。
皆さん無事ですか? ps://youtu.be/UKg-wzLQ7nk 日本のアート村の欺瞞で明らかになった点がひとつある
表現の自由展や黒瀬らの活動に関して、連中は発表する権利だけに味方してばかりで、誰も作品論で展示内容を語らない
ラッセンはおろか、近代美術人気にまで呆れてみせてたような連中がだよ?
実は、日本の現代アートごっこ連中の弱点って
オリンピックロゴと同じで、ストレートな作品論なんだと思う お金持ちのお子様たちが集まって遊んでる、ただそれだけ、 >>226
まじそれ
そんな社会ではなく世間しかないような
アートを軽視している連中が「アートに理解がない」って
規制事実の側の振りして嘆く側をやってるからややこしくなる
百貨店しかコマーシャルギャラリーがない貸し画廊文化の犬だったくせに
鶴太郎けなせば素人騙しながら消去法で本物感が出せるとかそんなインチキばっか繰り返して
本当の意味でアートを批評してこなかったからな
カオスラ、チムポム、表現の自由展程度のものは「語るに値せず」ってのが向こうのプロの姿勢なんじゃないの?
まず作品の質がゴミ以下の、赤瀬川源平以下の政治的アート、60〜70年代レベルの程度の低い自由の観念、カオスラに至ってはまだ同人活動の域をでていない 別にいいじゃないですか。
美術大学も多すぎですから、整理すべきですね。
まず、東京藝術大学から潰したらどうでしょうか 減らすこともないだろ、
他所のことや、過去のことであれ、わけのわからない文化について説明をできる人間を一定数揃えておく必要はある。 日本画科は存続する意味あるのか?(東京藝術大学だと絵画科の日本画専攻)
余白描けない(あれは対象物以上に描くもの)、肥痩抑揚のある線引けない、薄塗り出来ない
から絹本の掛軸なんて描けない
日本画科は自身の存在意義を考えて戦後変わったが、その結果皮肉にも単に無価値な、先人より
下手な絵を生産するだけの存在になり下がった
代わりに出来るようになったのがマチエール()
川合玉堂や松林桂月や横山大観と比べれば下手だと思っていた加山又造>東山魁夷>平山郁夫が
今やましに見えるくらい酷い >>228
どばたみたいな美術予備校なんかで学芸員の資格のあるアート村嫌いの尖った人雇って、成人した芸術家向けにアーティスト戦略の補助してやればいいんじゃない?w
少子化してるし、なにより芸大の問題点は洋画家の教授が中途半端に作品を作れてしまうのが学生の邪魔になってると思う >>234
続き
なぜなら、卒業生が助教の空きを狙ったり展覧会作家に落ち着いたり、またはギャラリー作ったりする程度には有名無実だから
日本画はまだ気合い入れたら輸出できたりする可能性はある(発展主義を捨てようが捨てまいが)
問題なのは洋画と彫刻だと思う
洋画なんて設立当初から迷子じゃんw 東京芸大出ても有名になって歴史に名前が残るようになる芸術家って一万人に一人くらいですか? >>236
歴史が現代美術史をさしているなら
20世紀じゃないことを加味したら
世界中の画家合わせて50年に数名出してみて様子見ってとこじゃないかな? 日本の国は狭いから、これ以上美術品は必要ないよね。
置き場がないじゃん。
一般家庭はもちろん、美術館だってこれまでの収蔵品を維持するのに精一杯。 古美術は大事にされてるけど、
流行りのアートな作品はゴミ箱にいってそう。 近過去のモダンやポストモダンの作品だって多くはゴミになった >>243
調べてみたら、メシががっつり系でウケたw >>241
おれたち外野のゴミ呼ばわりならまだいいよ
もし自分がインサイダーだったとしてよ?
現代美術の発展主義が静止して、古典になったとき、現代美術やその他全てのアートの価値はどうなるんだろうか?
なんて問いにキュレーターとして向き合うところを想像すると、これはなかなかのホラーだよ チョコレートもヨーロッパではちゃんと文化として根付いてるのにな >>240
いわゆる現代アートでないのもでかいのが多過ぎる
どこに飾るんだというのを何枚も描き、置いておけないがさりとて寄贈したくもない
遺族が「寄託」して地元の公共施設の収蔵庫を無駄に埋める
創作者はもうちょっと鑑賞者のことも考えるべき
現代家屋では日の目を見ないと言われる軸装は収蔵を考えると結構合理的 寄贈しても受け取ってくれるところあるの?
ゴミしかなりようがない、
未発表のままゴミになることも多いだろうな。 >>249
だからこそMoMAなんかを作って、所有者の義務のようにしつらえて、保存と展示をアウトソーシングしてるんだけど、
巨大さが問題なんじゃなくて、
歴史的な保存価値がゴミな現代美術もどきを、日本のキュレーターが決定ないのが問題
保存価値のあるものは暗記知識で決められるんだけどね...
向こうの現代芸術の価値って、キュレーターやコマーシャルギャラリーの人が決めてたりするんだよw キュレータやコマギャラが問題提起なり煽りなりをして、観衆なりコレクターなりからのレスポンスがあって、価値が生成されるのかな。 そもそもこの女性、きちんとでてきて相手の前でまともに話できんだろ 原因は生活様式(特に住居)が完全に西洋化・無国籍化して歴史と断絶したからでしょ?
日本美術は仏教系以外は、漆器・陶磁器・屏風・金工など工芸的要素が強いけど、そういうのは今の住居には合わない。
日本人は上っ面は西洋化したけど、西洋美術は日本の歴史と繋がっていない所詮「借りもの」だから「お勉強」で、深い精神性に根差さないから身にならない 昔は全体性を表すための道具立てとして弁証法をもちいるために、仮に西洋と東洋という言葉をもちいていたのではないかな。 アジアは非ヨーロッパをさすヨーロッパのことば、実態としてはカオス。 >>255
言わないならなんて言って説明すればいい?
モダニズムの普及した個々の国名?
むしろ様式に特化して区分けするなら国名も要らなくなるじゃん?
その程度の手直しで釘を刺す人っているんだよ な
総じて発明家の才能がない、実は不勉強な人
抽象画は内面を描いているから具象画だとか言うには言うけど、そこから先のない人 >>7
ネアンデルタール人や人間のアート性を持って
現代美術嫌いを人間ではないと暗に示す論法は間違い
原人の芸術をもって美術の定義とするならば
人間であればだれでもアーティストで
アートを定義づけられる条件は人間であればこと足りることとなる
加えて、今まで散々アンチヒューマンだったのは現代アートだったでしょ
現代アートの価値を独占するならまだしも
アートの定義を独占したようにふるまうのは暴虐以外の何物でもない >>19
それだよね
バカな山手文化人と、そのマンハッタンごっこのスノッブさに気後れして育った変に権威主義的な現代美術ファンの目こそが腐ってる
知性でも感性でもなく、見栄の世界で生きてるからそうなる トーハクは常にガラガラだけど
版画やマンガ・アニメは受容されているので
単に嗜好性の問題だと思うけどね。 >>261
元々嗜好性の問題だったはずなんだよね
日本の現代アートの問題点は
元々庶民にアートの定義づけが可能だった稀有な国柄をアカデミシャン気取りの美術ライターが口悪く罵って居座った結果でしかない
真っ当な日本人現代美術作家にも害悪でしょ
でも、アンチなんかより、自警団かって出るような無能な取り巻きに嫌気がさすだけで
現代美術をリーグごと離脱しうる国って、日本の文化力ってすごくない?w
パンクロックと同じ漂流物なんだからw
キリスト教国家にならないと民主化できなかった国より特色あるよ
その特色が現代美術信者には邪魔みたいだけどね
日本人批判抜きで現代美術を進める手段を持ってないライター連中はなんなんだろうね 労働者としてはだな
生活が苦しくて美術どころではない
20年前はもう少しましだった
リーマンショック以降は全く駄目だ 古い物そのものより
古い物に何か作用がないかに興味がある
紀元前二千年とかの物を見たからなんか作用があると良いなぁ https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC-667487#:~:text=%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%80%90psychometry%E3%80%91,%E3%81%93%E3%81%AE%E8%83%BD%E5%8A%9B%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A4%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82 プロダクションにつくらせた日曜美術館をありがたく視聴してるんだから、ゲスな興味が育つだけ。 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして授業をサボって遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
結局不正がバレて平塚学園高卒の資格を剥奪されたのにも関わらず
芸大を受験する資格すらないのに"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
鎌倉市由比ヶ浜在住のこいつん家をけんまするのは大歓迎!!www『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ 行政の仕事をしていましたから、そういう気持ちはなかったです。ただ、ミナミで飲んでいる時に「どういう仕事をしているの?」と聞かれた時がありまして、「今度、大阪市が世界的な美術館を作る仕事をしています」と話すと、「そんなん、いらんで!」と言われたんですね。「美術館は京都にあるし、神戸にあるし」って。「大阪市は美術館にそんなに税金を使ったらあかんわ」とか、よく言われました。正直、辛かったですね。
―――「モディリアーニ19億円もしてもったいない」とか言われるんですね。
そうです、そうです。「大阪市にそんなカネあったんか!」と言われるわけです。「それならこっちにカネ回してほしいわ」と言うのが町の声ですよね。市民の方々から直接そのような声をかけられたのが一番辛い思い出ですね。 沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」 - 紡ぐプロジェクト
https://youtu.be/jMYk6u7skUk 絵画に関して言えば。
戦前は襖絵が当たり前にあって「日本人は庶民でも芸術と同居している」と欧米人から感動されていた。
生活は欧米化して掛け軸や襖絵を鑑賞することはなくなったが、額絵に移行したわけでもないので
単に絵画と縁が離れてしまった。 昔観た絵を探してます
当方美術ど素人なので詳しい方にお力添え願います
@秋っぽい夕暮れ?草原で子羊抱えた少女の絵
サイズはipadくらいで小さな絵でした
A10年ほど前に名古屋ボストン美術館の光と何ちゃら展で展示。エドワードDボイドの娘たちという絵がメインとして開催されていました。他にフェルメール?もメインとされていた様な
BGoogleで子羊、羊飼い、ミレーなどで探しても出て来ません
ミレーの作品は似た雰囲気がありました。
美術に興味なく暇だから正直洒落で美術館に行きその絵を観て初めて何か良いなと思い30分くらい観続けてました
その後もちょくちょくあの絵は良かったなと思いながらいつかまた観れるかなと放置してましたが改めて検索しても作者すら分からない状態です
心当たりある方が居ましたらぜひ教えて頂きたく、宜しくお願いします これって下手だから首長過ぎちゃった様に見えるけど、わぞとなの?
何を根拠にわざとだと評論家は言うの?
https://i.imgur.com/TuWMxqV.jpg エリザベス英女王の国葬、2週間以内に開かれる見通し
さすがやでレプタリアン
どこぞのアホウヨデンデングローバル葬とは違うな!
ネトウヨ死ね
ウヨスパイ死ね
ふははははははは 絵の解釈は個人の自由なんだけど、
作者がそう言ったのならともかく、勝手に解釈して公の場で「性器」とか言うのホント気持ち悪い
https://i.imgur.com/p8OvRB7.jpg 疑いの余地なく含まれる
けど、何の話が変わるんだ? >>297
ああ、スレタイね
確かにこのマンガ文化は美術と言える アニ漫画がみとめられて、日本における近代的ファインアートは、ますます駄目だな。 美術手帳のポップアート特集だったと思うが、村上隆が現代美術は難しいから日本人が理解出来るはずかないみたいなこと述べてたな
何かその号では日本のポップアートの代表例として、きゃりーぱみゅぱみゅが大きく紹介されてた SNSやらなにやらで同時代の外国の作品がみれるようになると、
美術手帳みたいな 美術手帳みたいな、
本場ではこれが流行ってますとかガセネタをながす輩が壊滅した。 椅子だけで取れるポーズは芸術点たかし
しかし机が加算されると途端にダサくなるのが厄介なこの世界 芸術への熱意と「身の丈に合わぬ高級マンション」 沖縄「おでん東大」店主殺害事件 娘夫婦の横顔
12/7(水)
沖縄タイムス
人気の店だった「おでん東大」。「閉店のお知らせ」が張られたままになっている=6日午後5時半ごろ、那覇市安里
沖縄県那覇市安里の通称・栄町にある「おでん東大」の店主の女性(58)を殺害した容疑で6日、逮捕された娘(34)は画家として活動し、夫(34)はギャラリーを経営していた。知人の話では芸術に熱意を持つ2人の横顔がうかがい知れる一方、「ギャラリー経営はポケットマネーで大変そうだった」との声も。捜査関係者は「夫婦は被害者から資金援助を受けながら、身の丈に合わない高級マンションに住んでいた」と明かし、財産目的の犯行を視野に調べを進める。
https://news.yahoo.co.jp/articles/80efea2d9aef62f611c0bb98e45ccd517eb9ed7e 新町は元々「特殊飲食街」として知られていた地域。2017年5月にオープンした当ギャラリーも元性風俗店の店舗を賃貸し改装した建物です。
沖縄県内においても複雑な背景を持つ地域に、多様なアートと触れられる場を作ろうと県内外、海外のアーティストに個展の場を提供してきました。 「初めて画廊で会ったとき、運命だと思った」彼氏ヅラを止めない「40代美術コレクター」に狙われた20代女性作家の悲劇
1/10(火)
文春オンライン
時には大学のアトリエにまで押しかけることも……。美大生や若手アーティストの女性を執拗につきまとうのが「ギャラリーストーカー」だ。きらびやかに見える美術業界で、悪質な性加害がはびこるのはなぜなのか?
◆◆◆
「今、真奈美の大学の前にいるんだけど」
美術大学の大学院生、山口真奈美さん(仮名)は、携帯から流れる声に背筋が凍った。美術コレクターの男性、A氏(40代)だった。
その日、山口さんはいつものように大学のアトリエで制作に取り組んでいた。集中していると、A氏から電話がかかってきた。
「真奈美に会いにきたよ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c435d18c2ed15217bc49c2f5ceacabd2989f86af ながながと話し込んでいく人については、途中で画廊のお姉さんが割ってはいっていたような気がする。 書店から美術に関する書籍が無くなったな。
美術館もメッキリなくなった、80年代には都内の百貨店は大体美術館をもっていたのだけど。 今でも名残はあるよね
ワンフロアまでいかなくても、定期的に展示会はしてる 百貨店でブリューゲルやレンブラント、ピカソやボナールの絵が観れた。
あるいは秋葉原の電気屋にダリの個人美術館があった。
みんな美術が好きだったのかは今一つわからない。 一般人は美術に触れる機会がなくなったけど、お金持ちは売り買いして楽しんでるのかな。 内面的生活がネットに吸収された今となってはアナログな美術なんて誰も関心がないのかな 近代的美術はそろそろ消えそうだけれども
骨董趣味は残るのかな 映画って大衆芸術になるのだよね。
ファインアートには分類されない。 浮世絵とか漫画とかなら分かるんだけどそ、こいらの公園に現代彫刻家の作品とかよくあるけどさ
あんなに金かけて石がもったいないよな。自治体もあんな無駄金つかうなよ。
どうせやるんなら古代彫刻のレプリカでも置いておいた方が100倍価値あるよ 日本人が興味がある美術
昔は浮世絵、今は漫画やアニメ そういやウィキペディアの英語版で検索するとラッセンは出てこず、日本でしか知られていない画家だと言う。
試しに平山郁夫を英語版ウィキで検索してみたところ、あれれ? ありましたよ!
『平山 郁夫(ひらやま 郁夫、1930年6月15日 - 2009年12月2日)は、日本の日本画家の画家、教育者。
広島県瀬戸田町に生まれ、イラン、イラク、中国の夢のような砂漠の風景を描いたシルクロード画で日本では有名です。』
日本では、ねw
『一部の(自称)愛好家は、彼の非常に収益性の高い作品の信憑性に疑問を投げかけ、彼の妻や他の人々が彼の名前でそれらを
作ったと主張しています。 』
このことは日本語のウィキには載ってないな〜w
ではと、米国のAMAZONで、Hirayama Ikuo で検索してみたが、ヒットするのは日本の書籍ばかり。
レビューも日本人ばかりだった。
まあ、平山の作品が海外の美術館に収蔵されているという話も聞いたことがないし、所詮その程度。 「芸術」観念というのはキリスト教を母体とした西洋近代のものなんだよきっと。
鉄斎没後百年展やってるね。
瓢箪の中で寝転がって本を読んでいるような図がある。東洋の教養人の典型的な幸福観念だろう。
西洋からみたら稚拙で芸術ですらないだろう。だか、いいもんだ。 鉄斎さんの作品、私もとても興味深く拝見しました。確かに、西洋の伝統的な芸術とは異なる表現方法で、最初は戸惑いを感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。
でも、ご指摘の通り、芸術には時代や文化によって様々な形があり、西洋の芸術だけが優れていると断言するのは短絡的だと思います。鉄斎さんの作品は、東洋的な自然観や精神性を独特なタッチで表現していて、彼のユーモアや遊び心も感じられますよね。
特に、瓢箪の中で読書する人物を描いた作品は、とてもユニークで印象的です。
確かに、好みは人それぞれですから、鉄斎さんの作品を「良い」と感じるかどうかは個人によって異なるでしょう。しかし、だからといって彼の作品を「稚拙」とか「芸術ですらない」と否定するのは違うと思います。
むしろ、異なる文化や価値観を持つ人々の作品に触れることで、自分自身の視野を広げ、新たな発見をすることができるのではないでしょうか。
鉄斎さんの作品は、私たちに多様な芸術の可能性を提示してくれているように思います。