日本人って、美術に興味無いね [無断転載禁止]©2ch.net
>赤はキリスト、青は聖母マリア、黄色は裏切りのユダとそういう背景知らないし。
別にいいじゃん、楽しけりゃ。
5000年前だって、空色は青色だよ。 >17, 18
東大生協食堂での宇佐美作品破棄についてのシンポジウム。
文化資源科というのがあるらしいから、その足元で資源が棄てられたんじゃ格好つかないだろう。
生協に全責任を押し付けた担当建築家や顧問弁護士は?
東大全力での工作イベントに喜んで出た連中は恥知らず。
大学権力には興味があっても、美術には興味ない。 日本国民は戦中戦後の混乱とそれに続くガムシャラ高度成長期のため、
モダンデザイン(所謂ミットセンチュリー)を嗜む、余裕ある生活を持てなかった。
「アート」らしきものを認識しだしたのは、その後のポップアートからで
「なんだ、アートなんてマンガと一緒じゃないか」と極端な認知をしてしまい
幼稚 = アートとなって現在まで続いてる。 柿右衛門の濁手を日常使いしておるよ(´・ω・`)
何百万もするようなものではないけれど癒されるよ
https://i.imgur.com/qCP0iFC.jpg 現代美術が先を行き過ぎてもはや美術マニアしかついてこれないってのも原因では >>35
いや、そんなことないと思いますよ
例えばジョジョが美術館で展覧会やるじゃないですか。現代美術ですよね?
多くの人がついて行ってます
CGで描いた絵も現代美術といえますし、アニメも現代美術ですよ
でも私は古美術とは分けて考えてます
ジョジョも好きだしアニメヲタだけどあれは私の中では美術じゃない
マンガでありアニメというジャンルだ
美術は私の中では古美術だけです あと私…マンガやアニメは大好きだけど、
現代美術とか現代アートって言葉が大嫌いです >>38
技法重視からコンセプト重視へ転換したのが現代アートじゃないの?
ただ現代の人や技術が使われた物ってだけじゃ現代アートとは言えないような 20年近く見てきた美の巨人たちも終わって触れる機会無くなったわ ねぇノートルダム大聖堂燃えたけどなんか貴重な壁画とかも燃えたの? 明治時代の日本人(上流階層だ!)
https://www.namuji.co.jp/2019/04/1386/
明治時代にフランスの画家ビゴーが西洋化しているつもりの日本人男女を
描いた絵ですが、立派な西洋人の服を着ても西洋人から見たら中身は黄色い
肌をしたサルにしか見えない、という風刺画。
現代も西洋人から見ても、どんなに高価なブランド品を身に着けても、
日本人は何ら変わりなく, 自分では欧米人に近い顔つきやスタイル
と思い込んでいるけど、欧米人から見たらまるっきり、黄色い猿。 ◇◆◇ 創価学会と韓国 ◇◆◇
創価学会には在日韓国人の信者が多い。近年、創価学会は海外布教に力を入れているが、
日本以外で最も多くの信者がいる国も韓国である。そのため、韓国には気を遣ってきた。
創価学会の福岡研修道場にある「韓日友好の碑」には、日本を「小国」とし韓国を「師
恩の国」と述べる池田大作名誉会長の詩が刻まれている。また、日本と韓国の創価学会
の代表者が出席した「韓日友好代表者会議」で、池田は以下のようなスピーチを行った。
> 韓国は、日本にとって「文化大恩」の「兄の国」である。「師匠の国」なのであ
> る。その大恩を踏みにじり、貴国を侵略したのが日本であった。ゆえに私は、永遠
> に貴国に罪滅ぼしをしていく決心である。最大限の礼をもって、永遠に貴国と友情
> を結び、貴国の発展に尽くしていく決心である。(『聖教新聞』2000年5月22日付)
創価学会は言葉で韓国に媚びへつらうだけでなく、公明党を通じて在日参政権の実現を
目指しており、日本人信者に対しても、韓国を「兄の国」として敬うよう洗脳している。 日本人は意味のレベルで作品を理解しようとしたがるよね
何が描かれているのか、どういう意図でそれを描いたのか知りたがる
「世界にひとつだけの花」って曲があるけれど、皆歌詞の意味を喜んでいる
メロディーとかリズムとかどうでもいい
楽曲としてはあれは出来がさほどよくない
だから槇原も当初プッシュしなかった
作り手にとって重要なのは意味の網目でも掬えないもの
これを表現したくて人生をかけて作ってる >>45
シャガールやモネを有り難がる人を叩くような
全く逆の日本人鑑賞者論も見かけるのはなんなんだ?
門外漢からしたらスノッブな丸暗記バカが初心者いじめしてるようなもんでしょ
芸大でても伝達者やってるやつばかりで
嘆きやすいもんを嘆いて
世田谷区のじじいが国内向けオンリーの名誉白人ぶって
ごちゃごちゃ語るジャズみたいでキモいんだと思うよ 日本の文物というか、
もともと、コンテクストかがちがちに出来上がっているなかで、参照したりされたりして、説明抜きに楽しめるものだったのかな、
近代にはいって、それが難しくなった。
中国以外にヨーロッパやアメリカの文物まで目配せする必要ができて、野暮に説明が必要になった。 >>48
時代の変わり目だからね
浮世絵に衝撃を受け、タダイズムを作らなければならないほど疲弊してたのは
西洋美術の方だった。
これから、現代アートがサブカル扱いだったことこそが
日本の美術や作り手を救うと思う。
アウトサイダーがアウトサイダーに売ればいい。
藝大卒の変な連中は無視でいい。 >>7
そうは思わない。
思うに、西洋の美術は言語に駆逐され過ぎ。
あの人たちは、アフリカから逃げて、
ワイン葡萄に適した、石灰質の土壌を耕さねばならなかった人たち。
農業どころか、日本に先駆けて工業がダメになったり、侵略の歴史が長かったり
アメリカのフロンティア主義とも相性が悪いのが当たり前。
進化に取り残されたって比喩になぞらえると、
釣具でイノシシ狩りしてるような現代美術の訓練を受けた場違いな連中が
サバイバルのつもりで淘汰されてるだけなんだと思う。
学を納めたような連中が、日本人とアートの価値を問うときに
名和晃平が逆輸入されてることなんかを嘆くけど、
モダンアートって西洋美術の一形態なんだから
むしろそれが正規ルートだし、
60〜90年代が、たまたま白人の真似ができるほど豊かだっただけで、
啓蒙思想が成功したかのように見えていたツケが回ってきてるんだと思う。
歴史的には西洋が東洋から学ぶ時期にきてる。
日本人がやるべきことは、まず、ギリシャや、ローマ、イギリスアメリカなど、
戦勝国には戦勝国の衰退があることを戦略的に学ぶことで
頭から憧れてかかるのはまた違うような気がする。
これから20世紀を総括するときに、アメリカから学ぶところがないから学べた(ように見えた)。
って部分がより強調されていくかもしれないよ。 アメリカとイギリスで全世界での売上の8割だかを占めてるのだから仕方ない。 >>51
まさにそれ。
メディチ家のようにロックフェラー財団を語る記事なんて、英語でしかヒットない。
あと、西洋西洋うるさいけど、西洋が一枚岩じゃないことも知らないよね。
ドイツが村上隆路線でアーティスト支援してるのは敗戦国で、ヒットラーという失敗した反自由主義者がいたから。
そして、フランスがなぜモダンアート嫌い(安直に弱いって表現を使う関係者は死ね)か、
なぜポンピドゥセンターの批判が長引くか
三島を読んでいるか、誰も語れない。
イタリアにレオナルドダ・ヴィンチ空港があるように、シャルルドゴール空港があるのか。
結構、新自由主義やモダンアート嫌いな白人っているんだよ。
それに、本当にモダンアート価値がわかられたら困るのは日本の美術関係者でしょ?
六本木にロックフェラー財団から委託されたギャラリーやオークションハウスがあったら
芸大の教授も不勉強なインチキ野郎だってバレる
前に転がせない丸暗記バカが偉そうに素人や鑑賞者や教育のせいにするなって思うよ。
むしろ、ウォーホルがデュシャンと同じと言える感性が残ってる方がアート思考(形而上学)だよ。 >>52
村上隆がフランスで展示したとき、なぜルーブル「美術館」ではなくヴェルサイユ「宮殿」だったのか。
なぜルーブル美術館は、マンガを第9の芸術に認定し、荒木飛呂彦の方が先に展覧会をやれたのか。
ルーブルがやったことは、俳句にノーベル文学賞を与えるようなもん。
実は、日本にモダンアート市場がある振りしてる爺さん連中だけじゃなくて、
それを暴いた村上隆の発言も片手落ちなんだね。
村上隆はアメリカを侵略したかもしれないが
フランス人からしたら、アメリカに侵略されてるのと同じだからな。
まじさ、芸大を批判せず、つまらねえ日本人論でやってる感だすために西洋ひとくくりにして
公立の中高の美術教育を批判してるモダンアート関係者とか
筆の向くまま抽象画をこさえれば
ダ・ヴィンチをクラフト呼ばわりしていいと思ってる
洋画出身のバカと同じくらい短絡的だよ >>52
ごめん、なぜレスしたかを端折ってしまった。
新自由主義が世界に与えた影響や日本の関係など、政治性の視点でアートをみたら
モダンアートだけがアートだとして、プレモダンへの憧憬を技術主義とまとめることも乱暴だよね。
村上隆も、日本人叱るように、フランス人のアート観が古いって批判しろよって話しになってくる。
グローバリズムの弊害があちこちで出てる中、日本は、現代美術も伝統技法もインチキ野郎が素人いじめしてて、どう語るかって努力を全くしていない。
あいトリも屁理屈屋の日展になったし、安藤忠雄建築の醜さなんて誰もパブリックで語らない。
両輪としても機能してないと思う。
フランスは美術史をアメリカにぶんどられたことに自覚的だって言うに言えない連中ばかり。
そこをうやむやにして
「なんとなく存在していることにしたい」連中が安直に教育批判まですることこそ、真の無知だと思う。 >>51
そんなこともフラットな知識として発信できない関係者が嫌いなんだよw
モダンアート嫌いな側の白人の存在を隠して(知らない?)、
欧米と日本を比較してる連中がおさらい程度の知識で価値とか言ってるのが嫌いなんだ。
印象批評に負けるのも、体系を暗記してるだけの伝達者が、実は価値を作る側にいないの隠してインサイダーの振りしてるからでしょ。
ゴッホはすごいからすごい。って既製品の評価にデティールが加えただけでプロ批評家なんだから。
ウォーホルを古いと言ってシビアぶってる関係すら
バンクシー論も上意下達で、あんなデニスホッパーがコレクションしてる啓蒙主義のなれの果てを有り難って、古いとは言わない。
小池知事が権威だと認めた東京のバンクシーと、でもじつは権威じゃないと地元の人が消しちゃった千葉かどっかのバンクシー(もどき?)を
好意的に展開させるほうがよっぽど美術批評だよw
死んだら俺と一緒にゴッホを燃やしてくれは、問題だけど、それでも日本人が現代美術そのものを嫌えることを歓迎する論がないまま
現代美術ベースで日本の文化や美術を語るのは大間違いだと思う。 >>52
連続レスしてごめんな。
村上隆が人物として嫌いになったのもそこ。
あの人がドバイのマーケットをただのマーケットとして語ったとき、
モダンアートがいかに思想として弱いかを確信した。
ポストモダン以降の時代区分の命名など
時代や現象に任せるしかないことを美術関係者は隠してると思う。
インスタでイラストレーターがそこそこ食えてるアーツアンドクラフトの復権を
アートの民主化とか言って権威主義を差し込もうとしてる美術関係者こそ人間とアートの関係の敵として警戒するべき。 >>57
コンセプトという意図の言語化によってモダンアートが覇権を得たならば
言語化できる範囲が広いものに敗北するのは当たり前だよね。
だから究極的には、この先、言語によるモダンアート論は用を成さなくなる。
美術史を破壊されて右往左往してる利口バカを尻目に
世界史の教科書にネアンデルタール人がかかれてる国の人間が、アウトサイダーの作品をアウトサイダーのまま情緒的に愛でて、なにが悪いんだろうね?
案外、これからの日本の美術は、モダンアートをサブカルチャー扱いしてた方が豊かかもよ? いずれにしても、日本人の偽インサイダーが嫌ってるものは
実はフランス人やイタリア人が羨ましがっているものと重複してる可能性があることは
頭の隅に置いててもバチは当たらないんじゃないかな あと、村上隆の弱点はAKIRAとAraki(ジョジョの作者)ね
どちらもあいつの翻訳無しで外国人が歓迎してる
彼がリツイートしてるYouTuberも、ハーモニカくわえてスネを叩く動画で
海外の人が自主的に広めたFischer'sは含まれてない
そりゃ絵としては圧巻だし、知識は自分よりあるんだろうけど
ロックフェラー財団頼りのグローバル絵師という立場が邪魔して
結構これまで語られてきたコンセプトに穴が出始めてる
あの手の知性の持ち主のくせにグローバリスト側だからBLMは黒人の味方すらフェイクだとも言えず
商売のために意図的に時代遅れのリベラル派となって支持を表明してる
あの人のコンセプトを批判するなら、意図的に空白地帯になってるアメリカ批判の無さに注視するといいよ
彼もまた動く価値を語れず、未来は作れなかった。 村上隆=名誉白人
技術なし、知識あり、コンセプトを語れる
現代アートはコンセプトの新規性を美術史に帰属させる投資商品だとして
日本の現代美術業界のインチキさを語れる
会田誠=尊敬されうる野蛮人
技術あり、知識の披露は不誠実、西洋美術まで批判してる
村上の主張に加えて、さらに現代美術はインフラだと言い切れる側にある
鑑賞能力がないと言われがちなアート嫌いの日本人=奇跡的にモダニズムを生き抜いた日本美術の鑑賞者
宣教師の墓場で何食わぬ顔しながら
多摩美卒の漫画家とバンクシーを同列に嫌う日本美術の購入者
日本の現代美術ファン=価値創造を白人任せにしてるくせに
自分が賢く嘆く側だと思ってる歴史音痴
観賞以前に、真剣に文化論として現代美術を捉えるなら
およそこんなふうになっていくと思うんだけどな。。。 >>1
成金や買い手の伝統もさることながら
興味のない人が本物の興味をもったら
その人は美術史家じゃなくて歴史家の仕事をすることになるぞ?
輸入学問を輸入学問だと言えるんだから。
それを印象批評だと冷笑した美術評論家の胸ぐらつかんで
「たまには白人を裁いてみ?」って言われたとき
お前は頭の中にある知識でなんて言い返すつもりだ? >>61
> 日本の現代美術ファン=価値創造を白人任せにしてるくせに
> 自分が賢く嘆く側だと思ってる歴史音痴
他力本願は恥ずべき態度であるとみんな思っていたのだけど、現生を見せつけられてどうにもならなんだ。
貧乏が悪い、責めるな。 身も蓋もない話、都度複数の潮流があるとしてメジャリティを獲得する表現は、その時代に強力だった政治思想を反映したものになるのか。 日本における美術の観衆はその程度だったということか、 みんな頑張ったがどうにもならなかった。
寂しいものだ。責めるな。 「アートに理解がない」って言葉の先にあるものが
我々の権威性、ピカソのような偉そうな振る舞いを維持するために
パンフレットを鵜呑みにしてくださいって業態維持の要請とほぼ同義なら、
タブーから自由な部外者の方が賢くなるに決まってるよ
漫画家とか名前挙げられる民間絵師がこんなにもいる国で
現代美術がなんたるかを理解した上で嫌える立場の人がごろごろいるのって、
本当は怖いことなんだぞw >>66
業界人に憧れなければむしろ豊かだよ。
視点を変えてみるといいよ。
権力べったりだったがために、明治の刀鍛冶のように、写真の登場(近代化した)くらいで絵師が右往左往してたのはヨーロッパだよ。
文化的に砂漠だったのは、本当はアメリカじゃないか。
むしろ日本と芸術は、権力と相性が悪い側面もある。
浮世絵や室町時代の芸術のように、民がかってにやったり、権力がダメになってから花開いたり。
鉛筆でフォトリアリズムの絵を描いてる人だって、歴史に残ろうとも思わずにYouTubeで稼いでる。
本当ははじめからなんの問題もなかったんだよ。 >>66
フランスの画家の死活問題の解決策だったものをコスプレの道具にしたんだ。
たいしたもんだよ。
当時の向こうのサロンだって死活問題だからこそ機能してたんだろうしw
本当に、勝手に楽しくやってりゃ向こうからやってくるもんだ。 >>63
バブルの土地成金がゴッホを買って、ボストン美術館から雪舟を買い戻さなかったのは
むしろ美術教育と、市場主義、当時の日本の美術業界にも責があるよね
弊害だけ他人事にするなよとは言わせてくれw 1個人の趣味、教育や助言者のせいにするのは彼に対してフェアではないと思う。
大正うまれの老人で応接室にワイエスを飾って、客が言い当てるとそれは嬉しそうに絵の話をした。
ゴッホはゴルフ場に飾って、そのゴルフ場の名前をヴィンセントゴルフ場と改めた。
数年で手放さざるを得なくなったとき、彼のことを嘲笑った人もいたが、妬みは醜いものだと思った。 >>64
パトロンに関して言えばそうなんだけど
少しばかり単純化するけど、
ヨーロッパの文化を守る目は、男は殺され女は犯されの血生臭い侵略の歴史がある
アメリカは根無し草による更地国家の天才の引き上げ、歴史の無さ、金融のメッカ
大英博物館は侵略と奪取の海賊国家
ってことでいいんじゃないかな。
文化を滅ぼされる危機感で過去を見ず
だからこそ人工国家として未来方向を語れず
それ故に同時代人を見いだせない
中世の反省がエネルギーだった20世紀の白人国家のようなキュレーターを
日本で育むことがいかに難しいかわかるでしょ
出来合いの知識だけでやるから、コスプレになるし
二言目には教育と、こうなってしまう >>71
たしかに、人様の感性を叩くのは良くなかったね。
しかし、根底にあるのは欧米主体(大正生まれならイギリスフランスあたりかな)の教養主義でしょう。
中世を反省するエネルギーと、幕末を甘受して、殖民地支配を奇跡的に回避して、戦争を無理繰り反省するエネルギーとはちょっとちがう。
現代につらなる感性として、やはり白人のようにやれないと思うんだ。
舶来ものの骨董として、中国の焼き物がゴッホになっただけという視点は
まだ連綿と続いているように思うんだけどな >>73
バンクシーだからという理由でバンクシーを支持したりねw
岡本太郎の太陽の塔は権力に回収された前衛と呼ぶくせに
最初から権力に回収されている反体制的表現になんの疑問も持たない。
なぜなら、バンクシーだからw >>64
実は、ロックフェラーのお気に入り作家は原発批判しないよw >>73
これに関しては肯定も否定もできる。
なぜなら、特に江戸時代の期間中、日本は資源の奪い合いとは無縁だったから。 >>63
のんびり楽しむ分には良かったんだよ
微笑ましい親子連れだっているのは知ってるよ
そこを権威主義と勘違いして、既成事実の威を借りて
近代的理性ごっこをするために
白人エリートと日本の無学者を比較する程度の
インチキな日本人論ばかりになったら
スノッブな連中を責めたくもなるでしょうよ
モダンアート以降のアートを作れる人間は藝大卒にいない >>64
ゴッホ、ピカソ、ダリくらいからアンディウォーホルへの移行期に
買い手の質と、市場も変わってったような気もする
貴族出身の金持ちから、企業の社長へとなんだろうけど。
だからね、単に知識がないってだけの人に対して
やることやってない殿様商売、まあ、80〜90年代の美術手帖のライターみたいな態度で
日本人が日本人を見下すような態度とってたら
「ニューヨーク近代美術館はロックフェラー財団が美術品の保管に金がかかるから作った」とか
今まで秘儀のように隠してた(ように見える)買い手や問屋の歴史なんかが門外漢の耳に入るだけで業界の人には分が悪くなるよね。
その人たちが怒ってもその戦略を認めても。
現代美術の関係者は欧米と比較して日本人叩くくらいなら
実は美術手帖が展覧会広報誌でも購入者も視野にいれた美術ジャーナル誌じゃないことを叩けよ
そして、電子化した美術手帖のサイトがやってることは、実は海外ではギャラリー単位でやってることだと喝破するのが先で
美術手帖の評論家は、本来、未来を語れるレベルまで教育した状態で
ギャラリーが雇うべき人材でしたって認めるのが先だよ >>78
訂正
×...実は美術手帖が展覧会広報誌でも
○...実は美術手帖が展覧会広報誌であって >>78
結局現代美術が自分たちの文化コードじゃないから
美術手帖のようなポータル雑誌が必要だったわけで
忖度しなくていいってだけで
自分とは無関係な人に向けて欧米人になれと
非専門の人にばかり意識改革を求めるなんて
欺瞞もいいとこだよ 荒木飛呂彦展のように、もし仮にルーブルでハローキティ展なんかやられたら、日本の現代美術関係者は困るんだ
本来マーケットのパトロンや、顧客であるべきはずのグローバル企業、サンリオ(荒木の場合集英社)と作家が契約してるから
あれ?現代美術のマーケットどこ行った?ってw
カメラの登場で職を失ったのがフランスの画家なら
出版で勢いづいたのが日本の絵師で
シンフォニーだとジョンウィリアムズって、スターウォーズとかの作曲者がウイーンで演奏会してる。
ボブディランはノーベル賞、つまり、近代化によって権力者となったミドルクラス向けの
20世紀出版文化の回顧展だね
村上隆が今YouTuberと組んでるのは
ロックフェラーが死んで、アメリカがおかしくなって
YouTuberをポストトゥルース時代の権力者と見立ててのアイコン贈呈ってことなんだろうけど
やっぱ20世紀っぽいからヴィトンのときほど浸食できてない気がする
SNSって伝統美術も現代美術も瞬間的なコンテンツにするから
過去のものとして飲み込まれてる印象しかない... 90年代初頭頃、日本で美術品のコレクションといわれるものは殆んどが古美術だったよ。
西洋近代美術は70年代からコレクションの対象となった新興のジャンル、70年代までは西洋美術館と倉敷美術館、石橋くらいしかなかった。 明治維新以降連綿と西洋近代美術と付き合っていたというわけでもなく、大衆は円があがってはじめてそれらを間近にみれるようになった。 観る機会がなくても論じる人はいたのか、
観てもない作品を論じて、観てもない作品に影響される。
それだって、ごく一部のエスタブリッシュメントかな。 >>82
詳しくありがとう。
近代化の前後で、しっかり文化が残ってることの証左だよね。
思うに、90年代の日本の現代美術って、CDの音楽と同じで、業界ごと投資の対象になったんじゃないかな。
おまけに、暗記能力のある大卒がはいて捨てるほどいたのがライターだけ過剰な状況を生み出した。
でも、岡本太郎のように何故かマーケットがないのに国内で売れてしまった人がいたりして、
評論家は評論家で成り立ちや個人の作品のコンセプトはわかるけど
値付けの仕組みに踏み込めないままマーケットに出来なかったと思っている。
出版芸術によって近代化以降を生き延びたからこそ、本質的に骨董しかないフランスやイタリアにならずにすんだし、リベラルな前衛に進むドイツにもならずにすんだ。
モダンアートなんて文化が死を歓迎するような芸術様式を
マーケットもないのに、さもメインカルチャーであるべきかのように語るのは、見ててきついものがあるw
留学生がフランスで油絵描いてたら、なにをやっているんだ!君は日本の美術をやれ!って叱られた話があって、まあ、優しいおじいさんだよねw 70年代ぐらい迄は現代美術なんて、実験音楽やら実験映画みたいなもんで、商業ベースにのらないドマイナーな、いわば、既存の枠組みに収まらない“なにか”だったのではないかな。銀座や神田の特殊なスペースまで出向かないとお目にかかれないような。
しかしながらイタリアやブラジルやフランスの�rエンナーレとかドイツのドキュメンタリいった国際展に出場する作家はいつ頃からかわからないが少なくても80年代には現代美術の作家ばかりになっていた。
90年代には日本中に美術館ができていて、金にならないそれらを展示できる環境ができていた。 現代美術が現代アートと看板を付け替えたあたりで、また、混乱していて、 ノーベル賞やらカンヌ映画祭やら外国での評価をやたらと気にするのはなんでだろう。 読売アンパンが49に始まって64年で終わってる、終わったあと街にたの画廊にあふれたのかな。 だいたい政治運動が盛んな時代は言語過剰になるのかな。 80年代までは団体展が権威的な存在だったとか、大学の先生から、小中高の美術系は大概団体展に関わっていたとか。
今となって何処の国のはなしかと思う。 80年代の以前の日本はどこか社会主義国に似ているように思える。 >>88
実験音楽や実験映画ってのは言えてる。
岡本太郎を語ることは肯定も否定も示唆に富んでると思うよ。
岡本太郎の活動は、ランボーの詩に傾倒してる大正時代のお坊ちゃんだし、表現に必然性が無いことまでそっくり。
(コンクリートで縄文をやったのは凄いし、太陽の塔の残り方はしっかり歴史的な遺物だけど)
そして、大衆への受け入れられ方は、宮沢賢治や藤子不二雄、手塚治虫、甲本ヒロトなどの快(怪)人物。
ろくな絵がないのに、ウォーホル語録のように重宝されてるのは、
受け手側が、老若男女問わず近代化に戸惑っていてたからかなあとかね。
なんにせよ、美術史ではなく、近代史で語るほうが通りがいいんだよね。 >>90-94
近代化自体が勝手にやってきた天災だからじゃないかな?
だから作家人物や作品そのものより、環境を語るほうが腑に落ちる。 モナリザ見物のように、鑑賞が確認になると、観賞も鑑賞に含まれる。
言葉遊びのようだけど、本当にそう。
中にはいいものがあるはずなのに、印象批評をそれだけで無学の証のように片付けるのはおかしい。
ウォーホルは空虚だ、とか、なんで現代美術って幸せな感じしないんですか?とかw
むしろ日本の評論家の方が芸術作品を博物として、
絶対評価たる歴史的知識の固定、伝達するだけでそこに面白さを見いださないから
発展が外人頼みになる。
てか、まだ普及段階にあるくせに、よくもまあ素人叩きなんて下らないことやるもんだ。
知識はあって当たり前だけど、輸入学問の伝達者なんだから
和音の定義を更新できなかった日本のクラッシック業界と同じ。
だから藝大はプレイヤー(ペインター)養成所なんだよw >>97
再三に渡って繰り返すようだけど
インサイダーのふりしたアウトサイダーだらけだから知識だけに頼ることになる。
発展がちゃんと自分ごとの科学者の方が直感と偶然を語るなんて、恥ずべきことだよ。 別に自分は感性至上主義者でも無学こそ至高とか言ってないからね。
舶来の知識で威張るのって、鑑賞を受験科目にしてるのと同じで
私は何もやってませんと言ってるのと同義で、みっともないと言ってる。
Twitterとか見てみなよ、落語の登場人物レベルだからw
論理はあくまでサブであり、道具だってことを知らない現代美術派の日本人が教育にケチをつけるのは危険なんだ。
やってることは伝統主義者だからなw
暗記科目とか税金の作文と変わらなくなり、
その意義は相対化して語ることはない。
(個人の表現しかなくなった=モダンアートは文化の死に立脚している。とかね)
ならばまだ技術主義の方がマシだよ。 90年頃から学芸員の文章が増えた。美術館が増えたのだから当然なのだげと。
その分批評家の文章はへったのかな。
批評家の、海外の文章を翻訳しながらレトリックを駆使して国内の作家を持ち上げる人間味溢れる文章は、好きだったのだけど。、 表象文化論みたいなのが多いのは日本だけでもない、アメリカの美術館のtwもそんなだよ、 学芸員が妙につめたかったり、すぐブロックするのは役人だから仕方ないにして、その目線を共有する学生さんやアートファンさんはきついかな。 滝口、宮川、東野、藤枝、みんな翻訳家的/輸入業者的/啓蒙家的/なことしてた。 現代アートの作品というか展示というのか、、修辞をきそっているような性質があるのではないかな、
クーンズの風船兎を哲学者が悦んじゃうような、
決まりごとのなぞなぞ遊びを
いかに洗練させるかとか、 ここ数日長文を連投してる者です。
日本の評論家や偽インサイダーの感性や、ちょっとかじった嫌なファンの論理性を同時に叩いて、ふらふらした印象を抱いているかと思う。
なぜなら、日本という国が、イタリアフランス(自国の歴史性)とアメリカドイツ(現代美術の非歴史性)、どちらにも振れることのできる国だと言いたいからです。
一見、全員叩いていたりするように見えるのはその両論並記のためで
一部村上隆の発言を支持しているのは、彼が日本の業界のアンチも表明しているから
しかし同時に現代アート至上主義にも懐疑的だから。
例えば、瀬戸内海の直島の現代アート施設。
仮にあそこの建設反対運動があったとき、連中はなんと言うでしょうか?
(「アートに理解がない」でしょうきっと)
しかし、フランス人がフランスで同様の反対運動を起こしたときだけ「自国の文化保護に自覚がある」だのなんだの言うことでしょう。
直島行って「心が洗われました」とか全くの嘘で、観光戦略が必要でも、死に続けることで価値を延命させている現代アートが
日本の島にあることは、
風景に価値がない、この土地は、モダニズムにすら敗北したという意味で、二重に冒涜してることになる。
本当はディズマランドより怖いことやってるんだよね。
草間彌生のカボチャ、カラフルだもんね。と言う人を叩いているんじゃなくて
内心ではそういう人を求めておきながら、対外的に美術館女子を叩いているような
あの偽物の本質論が嫌いなんだ。
現代美術がゼロベースで語れる国で
価値がわかる、鑑賞できるというのは
こういう結論にも至りうるって話にもなる。
本当に知的な国として欧米をありがたがるならば、
安藤忠雄はピーク時に疑問をもたれる批評をメジャー誌でくらってないとおかしい。
つまり、既成事実による業態維持と、提灯記事しかない。
美術手帖は、日本と現代アートの距離感を語り得る雑誌なのに、それができないでいる。
エリートが様々な白人を有り難がってるだけで、文化戦略がでたらめなのは、整理がやっとだから。
つまり、現代アートどころか、近代化にも戸惑っている状態で仕事できてる。
もっと言えば、全員が全員すでに幸福なんだと思うよw 自分が訴えたいのは、感性による現代アート嫌いは、知的な直感として正しく、むしろ、正しいが故に不当な扱いを受けていると思っているからで、
業界が育てようと求めて(嘆き芸のポーズなんだろうけど)してる、「価値理解や鑑賞能力」の範囲が、極めて限定的なのと問題を同じくしている。
それだけなら賑やかしだけど、教育とか言い出したから腹を立てて、こんな見苦しい文章を書いてるわけ(ごめんね)。
あんな、市場のために無理繰り殺し続けながら延命してる現代アートを学校教育で教えるのは、
言ってみれば、プロ中のプロも難儀している文化的なニヒリズムを
若者世代に「事実として受け止めよ」と言おうとしているわけで、非常にまずい。
たとえば、リーマンショックの時なんか
投資バブルを作り出すために、作品が物質と手を組むという、禁じ手をカンフル剤にしたりしてる。
大学教育や、美術館にでかいものが収蔵されているからって
現代アートの恒久性をそのまま鵜呑みにするのは、それはそれで、結構まずい行為。
金に変えられてない作家が、コロナであーだこーだオラついてなんか言ってるけど
アメリカ帝国主義も終わりがけな中
コロナ以後という、定義づけを後世の出来事に任せるしかない形で
ポストモダンも終焉するからねw
本当は現代美術で食えてないことに救われるかもしれない人が、
ピカソもやらない素人叩きしてんのくそウケるよねw >>105
> 現代アートが
日本の島にあることは、
風景に価値がない、この土地は、モダニズムにすら敗北したという意味で、二重に冒涜してることになる。
本当はディズマランドより怖いことやってるんだよね。
つまり、お前んとこの島は、もはや歴史を生み出せないって言ってんのと同じ。
心を洗ったのは風景で、草間彌生作品の表面だと。
「現代アートなんか知らねえよ」と言ったあとに「マンガがあるし」って、二の句が繋げられることが
いかに幸せなことかw
だからこのまま、美術手帖が非少年ジャンプとして、併走した振りを続けて永久に嘆き芸やっててほしい。
皮肉じゃなくて、本気で。 >>108
日本のアニメが人気なのは、伝統(退屈さを含む)と革新(ちゃんと、次のシーズンたのしみという範囲内)で
ストーリー(国家においては失われたはずの)やってるから。
そして、権力と結びついてない絵が、サラリーマン川柳的に市民に寄り添ってる。
市民が選ぶ絵とストーリーだから。
本質的にプロダクトだから、近代以後のゴミの量産を賛美する美術史とも距離がとれてる。
こんなに諸問題を解決してるアートフォーム、見たことない。
ちゃんと、本気でアートフォーム扱いし過ぎると、「うぜえ」って批評が飛んでくる。
卒業もできれば、マンネリも有りになる。
啓蒙思想の無さも気になるが、生活範囲内の道徳と非道徳がある。
はっきり言って、なんの問題もない。 >>109
文学のための文学にもない明るい前衛も、退廃もあり、舞台設定として伝統を内包できてて
アートの民主化もすでに終わらせてる。
革命は道化の姿で現れるって本当だねw せっかく市場やアカデミズムから自由なんだから、
アニメを見るように現代アートや伝統工芸をみたらいいじゃんね?w
つまるところこれらは、選択物であり、人生のひとつなんだってw >>110
絵そのものにストーリーをやらせればいいんだって、相当価値転換的な解決だよねw ああ、やばい!
村上隆の偉大さに気づいてしまった。
あの人、この手の論を発生させたかったんだw
やられたーw >>108
「現代アートなんか知らねえよ」と言ったあとに「マンガがあるし」って、二の句が繋げられることが
いかに幸せなことかw
イタリアなんか見てごらんよ
ベネチアングラスと、モナリザくらいしかないでしょ?
現代アートは、その価値を生み続けるために、価値を殺しまくってる
この薄暗い、弁証法の地獄って、まさにタコが自分の足を食ってるようなもんで、、、
あれ?なんかそんなタイトルの展覧会なかったっけ? なんで弁証法的作品じゃないと認められないんだろう?
なんで現代美術は学問の形式?を採用してるの? >>115
学問というか、まず、写真の登場によってヨーロッパの宮殿画家が食えなくなって
そこで用済みになった写実主義から解放されたとして主義
(インプレッショニズム、フォービズム、キュビズム、タダイズム、シュールレアリスム)の追求になった
新しい表現(テクニック)を生み出してるうちはよかったけど
最初で、伝統、古典の否定も兼ねてしまっていたから
すぐにテクニックそのものまで否定する流れになってしまい
自然と従来の表現を批判したり、美術そのものを批判するような
言ってみれば価値の更新が、そのまま価値になった。
コンセプトが価値の本体になったため、現代の作家は、前提として美術史を知らないとだめ、ってことになった。
学問に見えるのはこのへんだと思う。
そして、弁証法って何事かをよりよくするためにもあるし
コンセプトって用語も、工業製品なら普及も視野に入れる代物なんだけれど
特許だったり、特許を取らないことで国際規格にあたるような価値の所属先を
美術史に帰属させなきゃなんない現代美術にとってみると
反復させるための普及はむしろ価値を下げることになる。
時の洗礼を前倒しにする形で
値上がりする、または最初から高値の未来骨董となった現代美術はコンセプトの新規性だけが必要とされるはめになった。
そんなルール下で必要とされる弁証法は、価値を否定することで生んだ価値を
さらに否定することでしか価値を生み出せなくなってしまう。
アウトサイダーアート、ストリートアート、プリミティブアート、アクションペインティングの無学さ、非言語性や身体性は、その言語性への反発で
結局は現代美術が言語性ありきであることを補強していることになる。
だから、実は文化ですらないw >>116
文化ではないってのは、
文化っていろんなエリアのいろんな人々が
生活の中で繰り返しながら自然と更新してくものなんだけど
現代美術は、1人の作家が、いろんな新しい場所を探している、美術史更新ゲームだから。
この場合、文化的モチーフは、陣取り合戦の材料のひとつでしかない。 >>117
無論、ただのでっかい花の絵に50万払う文化も残ってるんだけど
日本でアートに理解がないって言う場合
そういった、技術にお金を払おうよってところと
現代美術への理解が重複してしまうから厄介なんだよね 普通の面白いオブジェクトにキュレーションとかでストーリー付けて売るだけじゃだめなのか・・・ 明和って、ソニーからデビューして切られて、吉本興行へいったんだっけ。 鴻池なんとかの根暗なディズニーランド的な表現も受けてるし悲観することはない。 イタリアは現代美術では地味なのか、少し前は現代美術やりたい人でイタリアに留学した人が沢山いたよ。
イタリアでは組分けがガッチリと出来上がってるとか聞いた。
あと、ドイツに留学する人も沢山いた、ファインアートを先行してるのに論文ばかり書かされたと閉口してた。
その後はイギリス留学が増えてるのかな。 どうのこうので日本にはいろんなタイプの表現をしてる人がいる。毒が抜けたり骨が抜けたりしてぐにゃぐにゃだけど。 毒とか骨とか、表現者の責任以前の問題だと思うよ。
はっきり言うけど、岡本太郎や明和電気、HIROMIXのような詐欺がもう通用しないことを周知しない業界が悪い。
ファイナンシャルタイムズを見てみるといい。
ニューヨークのアートギャラリーがコロナの影響による売れ幅のレポート出してる。
ギャラリーが、金融ジャーナルに売り上げグラフ公開してるんだよ?
金融商品として見たら、日本の美術館はただの買い手。
現代美術の発祥が、デュシャンとか、個人や団体だけにあるように周知して、
日本でMoMAの成り立ちを語らないのは、作り手向けの教養としてもおかしいんだ。
美術手帖はチケットぴあだと叩くのが先だよ。 美術館の予算を越える購買力のある個人コレクターがいるからな。
コレクター、画商、作家
この辺がリードして価値が決まるのかもな。 >>126
日本の買い手は、戦後まで新自由主義者じゃなかったのかも知れないね
売るつもりで買ってない素朴な人たちだったのかもね
だんだん、業界人っぽいのが中高の美術教育云々言ってるのに腹を立ててる理由がわかるでしょ?
藝大改革しないと進学先がないじゃんねw 一週間に一時間の授業では仕方ない。
常識も形成できない、
非常勤の先生方は食い扶持をなくしたのかな。 団体展、絵画教室、教え子、
先生の絵をお弟子さんが買う
そんなシステムだろ。
鶴太郎は団体展には所属していないが、
鳩山の女房や安倍の女房がお弟子さんだったろ? 絵を囲んでみんなでお酒をのんだり、お喋りをしたり、それだって無駄ではないし、無意味でもない。 >>129
それ言われると困る人たくさんいるぞーw
日本の美術業界は近代美術の普及に失敗したと言うべきなんだよね本当は
面白い話しよっか?
オレやあんたが当時の人間だったとしてよ?
ダダイズムが登場したってさ、油絵を受け入れた時点で賛成の立場にも反対の立場にも必然性がないw 当時だろうが今だろうが
日本でダダイズムはどうかな。
とほほなダジャレで終わる感じしかないな。 >>132
べつにフォービスムでも印象派でもいいけど
ありのまま受け入れちゃうと思うんだよねw
まさにダジャレだよ。音から似た音つくるw
歴史性から独立してるから、最初から表面でしか見れないw かたちから入って、
だんだん手垢がついて汚れていく、
次の世代が新しい形式を輸入して、“切断”とかいって騒ぐ。 というか、
きちんと印象派の真似をした画家なんて日本にはいなかった。
明治維新なんて印象派と同時くらいに始まってるから、もしかしたらチャンスだったかもしれないのだけど、藩閥人事で黒田を指導者を据えたのが失敗だった。
現、油画第一研究室の教授なんて黒田に呪われているとし思えない絵を描いてる。 日本画はストーリーとしては面白いのだけど、結果として出来た作品が貧血気味になってしまったのはなんでだろう。 今までみんなで話してきたところって
文でみたら矛盾してたり、どっちだよってなるかも知れないけれど
要は、パブリックにアートを伝える人たちの
重いところが軽く、軽いところが重いってことに尽きるよね
白人は野蛮だなあって思ってりゃいい部分めあるし
なにかと欧米優位のように見える「議論」だって、向こうじゃ作戦会議のようなやつだしね
ギャラリー行く人の目もフレンドリーだし
良い悪いを語るとするならば、ないものをさもあるかのように語る人たち(業界人)だと思うよ >>135
そこできちんと真似しても形だけになるのと
いずれ日本の近代絵画は、近代化の影響を見る博物になったから
富岡製糸工場と同じ歴史資料の価値と美術の価値が混ざっちゃって大変だよね 作品は形式だけではかられるものではないし、個々の作品のなかには納得のいけるものも出来たかもしれない。 プッサンはフランス的な絵を描こうとしたしたのだろうか。 ホイッスラーはアメリカ的な絵を描こうとしたのだろうか。 本人の意図と関係があるのか無関係なのか黒田の後輩達は今の目からみれば日本的、それゃそうで日本の絵しかみる機会がないのだから。 今となっては、日本中何処にいても、美術館があって、本場の絵画がみれるのだから、 それにまさるものをつくれていたならば、また、はなしは違った 日本人だけじゃないだろ?
世界中の人が美術に興味無いよ 義務教育で美術にさかれる時間は、昭和20年代が最高でそれ以降は減少、平成には半分程度となってなっていたとのこと。
昭和20年代に教育を受けた人というと、70〜80代の人達かな。 母数が多い上、その内容はともかく教育も行き渡っていた世代が頑張っていた時代については、美術関係の出版物もたくさんあって、古本屋で茶色くなってる。 >>148
義務教育で美術の水準が上がったという報告は無い。骨董趣味の人が少し増えた程度。 小中学校なんて、子供に絵を描かせるだけで終わり
美術史を教えたり、作品の鑑賞や鑑定や、
コレクションすることを教えないから全然駄目 昔は教科書には鑑賞に関するページもあったけど教員が無視して絵を描かせてた。
今でもそうなのかな。 ちゃんとした授業をやって色々教えるよりも、
適当に絵を描かせた方が教師は楽だからな
あと美術教師は元々、子供の頃から一人で絵を描いてただけだから
性格が暗い奴が多いし、人と話すことすら苦手な奴も多い傾向があるためだろう 日本は美術とか哲学とか教養を軽視してる。
受験戦争の所為か資本主義の所為か何かで
すぐ役に立たないものは切り捨ててきた。 >>156
しかし残したものはそもそも役に立たないものだったw 教養とか人倫を軽んじるがゆえに小泉や竹中のような阿呆に騙される。 確かに。哲学などを教えないのに、安倍内閣で道徳を必修化して
国や企業にとって都合のいい人材(聞き分けの良い奴隷)に仕立て上げようとしてる国だわ 衣食住足りてやっと美術とか興味が出てくるんじゃないかな。
新自由主義のせいで中所得層がどんどん少なくなって
そんな余裕がなくなってきてる。 そもそも鑑賞眼が育てられるって考えが道徳と同じで嫌いだ
正解のある鑑賞だけになるのは目に見えてる
おまけに「現代美術はマネーロンダリングの愛称だ」って言い出してる白人までいる
せっかくモダンアートを相対化できる国なんだから現代美術なんて趣味で充分
本当はまともな日本美術史を作り直すほうが先なんだ
東郷青児も岡本太郎も安藤忠雄も、前衛陶芸だって、あんなもん、なにもしてないのと同じじゃないか。
日本人として近代と芸術の有り様を達成したのは、手塚治虫、藤子不二雄、円谷プロ、土門拳と横山大観、ヒーローとしての田中一村くらいだよ。
大多数の関係者が普及してないことで食ってるただの海外通に堕する覚悟で買い手を育てる気がないなら
デザイン史教える方がまだマシだ。 >>161
だってそうだろう?
空欄を埋める形のモジリアニ鑑賞のテストでもやって丸でもつけるのか?
丸暗記バカしかいないもんなこの国は。
そんなもん、税金の作文や、道徳の感想文と同じ結果になるに決まってるよ。
バンクシー論なんかせっかく理解した上でくだらないと断じられる国にあって、
いまさらAIに代替される鑑賞なんて、アート思考でもなんでもないよそんなものは。
これから美術史教えるやつは、「ゴッホを出してはならない」から、「シャガールはもういらない」になったモダンアート市場のスローガンを本気で子供に教えたいのか?
モダンアートが実は不自由な創造性であること、技術の否定であることとどう向き合うんだ?
文化のニヒリズムを既成事実化して、さらに自由に鑑賞しましょう。哲学っぽいでしょ。
でも、通説は抑えてね、恥かくから。なんて
子供にそんなこと教えたいやつはバカだよ。 アート思考とか追ってるなら、上ふたつになんか発展的なアドバイスしてみなよ
カンディンスキー鑑賞できるならできるでしょうよ
自分は、アートは資本主義を予見するって考えには一部賛成だけど、アート思考なんてインチキは信じないね
水平思考など、変わりになるのものは沢山あるから
そして、むしろアート村の部外者の方が自由にものを考えてると思う 今まで散々、価値創造する責任を白人にアウトソースする形で、イズムの物真似で凌いできた
コスプレ連中が、近代的理性ぶって詩的な観賞や個人的な感想をバカにしてきたのに
今更庶民に笑顔でアート思考といわれても、山の手の卑怯者な没落貴族のご都合主義としか思えない >>160
そのミドルクラスを没落させた新自由主義の賜物がモダンアートじゃないかな
ダダイズムからピカソ、ダリくらいまでは工業化って意味での近代化
ウォーホルくらいになると、グローバル化や国際金融市場化って意味での近代化。
どうも、文化研究としてみるなら、モダンアートは総括と、継続の2派が生じる時期になって
教育カリキュラム化するには本物の文化論エリートが必要な時期だと思う。
いまさらバブル期のモダンアート礼讃をもう一度じゃ、東京五輪とかわらない走馬灯だとおもうけど
主体のない教養主義者、多分1960年代生まれの小賢しい爺さんの老後資金作りにならないことを祈るばかりだよ モダンアートは自分たちの文化じゃないと断じる派閥があっても良さそうだけど
分散してて、独自の文化を築いているし
アニメマンガの方が世界を侵略してる
昨今の色んな諍いや企みは、どうも日本の現代美術業界の独り相撲だと思うけどね
作家やりたいなら、技術なら美術予備校や独学で、海外の美術ジャーナルをGoogle翻訳にぶち込んで、
芸大すっとばして海外コンペのリンクがあれば
幾分すっきりすると思うよ
藝大なんて、変な教授全員クビにして学芸員とバイヤーの相談窓口を据えた、大作練習用の貸しアトリエにすればいいw >>164
価値創造って創◯学会の人たちが大好きな言葉… だけど、ゴッホ・モネ・フェルメール・バンクシーなどのブームにはすぐに飛びつく。 寂しい、
才能もあって努力も惜しまなかった画家志望の若者が薄気味の悪い拝屋に成り果てて、
主体もなければ主題もない空漠とした繰り言。 >>167
価値創造がカルト宗教くさいなら
コンセプトの更新でもマーケットの創造でもなんでもいいよ >>170
主体も主題もあるじゃない
ないのは陶芸家や日展だろうに
おまけに、日本美術史をどう更新するかとか問題点も明らかにしてるし
アイデア出しのきっかけとして解決案まで提示してる
空漠? 白人様がこさえたかっこたる既成事実にタダ乗りして
ずっと嘆いてるあんたの方が空漠としてるよ
本当に海外デビューした方がいい
日本は教育が更新されづらい
日本の60年代生まれの変なジジイと謝恩会やるくらいなら
アウトサイダーやイラストでそこそこ稼ぐか外国人キュレーターと真剣にやった方がいい >>167
むしろ創価は伝統語る人間とは組まなくない?
心外だよ 陶芸って楽しそうだな。
機会があれば試してみたい。 >>174
陶芸楽しいよ!
自分は器がそこそこ高い理由が体で実感できた
繰り返しになるけど、自分が現代アートがあってもなくてもってスタンスなのは
そういう時期にきているからで。
壁にダクトテープでバナナをはっつけたやつがあったでしょ?
あれはオークションの匿名性を利用したマネーロンダリングのためのおふざけのような気がしててねw
真面目にアート思考で鑑賞すると
壁よりバナナは腐りやすい、有機物の固定の困難さ、宇宙そのものが壁なら、種のない(自己家畜化で野生を一部放棄した)バナナは、有機物である人間界の大義名分の脆さを表してて
時間と空間として見たら、壁(宇宙)の面積の有り様よりも腐っていくバナナ(人類)に流れる時間のなんと、儚いことかw
まさに現代アートすらも滅びうるものだと
鑑賞してもマネロンの道具としてみても
今の現代美術の有り様な二重に表現されてるねw やっぱり日本ではダメだな。海外で認められるしかないんだろうな ニューヨーク在住のギュウちゃんは長いこと、作品は日本で売っていたのだが、最近はアメリカでもマイノリティ枠で売れるようになったらしい。 >>177
あれでよく売れるね。あの絵を欲しいとは微塵にも思わないなあ・・・ 他人がほしいと思ってるであろうものが売れるということはありそう。
ヒロポンとかナラミチとかもそうだ。 買おうとしたときに他人が欲しがっているであろうものを選んでしまう。 日本人は白人が褒めたものに殺到する習性がある
浮世絵も音楽家もノーベル賞の学者もみんなそう
それまで日本国内でゴミ扱いされていても、
白人に褒められると急に態度を変える アカデミックな訓練うけた芸大卒の連中が現代美術史上で遅れてるとされる様式で食ってる人に
これはアートではないとか喧嘩売って弱いものいじめしてるの見るけどさ
信用毀損気にして芸大の洋画の先生の立場や権威性の曖昧さを批判しないのは欺瞞だよ
今抽象画習ってトップ走ってる人より不勉強な人から気まぐれな印象批評で総評されてなんになるの?
鶴太郎批判もなにも、鶴太郎は自分のこと現代美術だって言ってなくない?
その矛先を芸大に向けないの?
よく大学を就職予備校扱いすることに対して怒る人いるけど、現代美術って売り物なんだから
コンセプト更新できてない芸大卒がサンドバッグ代わりにイラスト風の画家叩いてなんになるの?
写実的な洋画でインチキやってるのが日展なら
芸大卒は芸大卒でそれを現代美術でやってるだけじゃないか
現代美術以後を創るのも白人だろうけど、こんどはその物真似するの?
普及して欲しいのに存命中の関係者気にして、そこを言えないのはダメなんじゃない?
本当にシビアな世界ぶって現代美術の鑑賞を伴う教育改革語るのは勝手だけど
中高の教科書から岡本太郎削除できるわけ?
芸大卒のインチキアバンギャルドも、日展批判のように公然の秘密として秘術化して、何が評論だよまったく >>185
日本にマーケットが無いことで凌いでる人らを、自分や自分の同級生、恩師を含めて全員偽物だと言う覚悟はあるのかよ
そこを無視して鑑賞態度や感嘆符としてのアート(ヨーロッパにもいるし、法的には事業申請することになんの問題もない)
日本のアカデミシャンは、ラッセン批判じゃなくて、ラッセン批判程度の睨みを効かせることでしか権威性が保てない己を省みるのが先だ 村上隆が嫌われてるのは
日展批判のように現代美術風のインチキ芸大卒、つまり同業者を批判したからで
暴露もなにも海外なら学生のカリキュラムレベルのスタートラインを教えてるわけで
「日本には値付け機関がない」ことを抜きに、業界人が現代美術鑑賞を云々するのはおかしいよ
西洋人が写実を捨ててから写実を追求した日本の洋画史を肯定、または無視するキャリアしかないくせに >>183
浮世絵がある国で最先端のものとしてアンディウォーホルをスノビズムな態度で有り難がるのって
当時でも文化音痴の振る舞いだよね
美術関係者は村上隆を名誉白人呼ばわりしたら日本のアカデミシャンの国内向け名誉白人文化が道連れになるから
そこだけは決してやらない
近代的理性ぶってシャガールを詩的に愛でる鑑賞態度は冷笑にするくせに
商売人(れっきとした現代美術家である証拠)としての村上隆を遠まわしに嫌悪してて
言いやすい方にばかりケンカ売ってて本当によくわからない >>187
>「日本には値付け機関がない」ことを抜きに、業界人が現代美術鑑賞を云々するのはおかしい
ここにぶち当たる以上
美術教育の議論も、嘆き続ける風を装って糊口を凌ぐ流れしか今は見えない 現代美術が美術とイコールである、または上位に位置するという認識をまずは改めるべきで
素人相手に嘆いてみせて権威でございますなんて、プロとしておかしい
海外の現代美術の人たちをみてみなよ
イラストレーターに食ってかかってる人なんていないから
民主主義や人権が舶来品だから
同じ舶来品である現代美術で差別的な振る舞いができるんだろうよ
山手サロンのバカ芸大卒とその取り巻きなんて人として気色悪いよ >>190
現時点の関係者の振る舞いを見てると「絵画は死んだ」って現代美術の視点を庶民に教えるのは非常にまずいと思わない?
海外は純然たる価値づけ機関があるから住み分けできてるのに、日本はそれが存在しないから線引きが曖昧になってしまい
芸大卒を誇るような文化事業の失敗作みたいな「元生徒」が批判しやすい他ジャンルを容易に肩書き背負ったアカウントで叩けてしまう
そんな、海外だと追放されてしかるべき逸脱行為がさも批評のように振る舞えるのは問題だ
日本語圏内であたかも追放する側のように振る舞うのはどう考えても追放される側、つまりルーザーの振る舞いであって
本当に醜いし、おかしいことだ >>191
現代美術を教育したいなら、必ず日本が西洋美術の移植に失敗した歴史を語れなきゃ
はじまらないと思う
鑑賞者を育てるってことは、芸大で公然の秘密となっていた部分を含めて、制作者の目が育つことも意味する
そうなった場合、日本にある現代美術風のゴミの山をどうするの?
曖昧さを廃してインチキ同級生やインチキ恩師を殺す武器を子供に与える覚悟はあるの?
以上の意味で自分は、教育を語る現代美術関係者は本腰を入れないと思っている
アウトサイダーのふりしたインサイダーか
インタイダーのふりしたアウトサイダーかがバレるんだから 様々な関係者の責任はあってないような名誉を毀損せぬように有耶無耶にしながら
「鑑賞者のみを育てたい」なんて、そんな都合のいい知識伝達がカリキュラム化できると思う?
いびつなものになるに決まってるよ
現代美術のマーケットそのものや、それに代わるものは思いつかないくせに
下位者の実直さから搾取しようなんて
同じマネーロンダリングの道具と見ても下等だよ
東京芸大の過ちを中高カリキュラムで繰りかえすだけだと思う 現代美術の鑑賞法(感性に基づかない)を教える記事や本のタイトルをみてほしい
「大ウソ」「世界の一流」「残念な日本のエリート」
なぜありもしない劣等感を煽るの?
これじゃ写実的絵画を教えてる人や水彩画家がバカみたいじゃないか
海外でモダンアート市場があることと、そういったリーグ違い人たちがそこそこ食えてることはイコールなんだよ
お決まりのセットのようにリーグ違いの人々を貶して、見物人にばかり理性を推奨しときながらインチキな日本同時代人を批判したりちゃんとした議論することは放置して
アートに理解がないのは知識止まりの現代美術ライターじゃないの? >>194
自分たちの怠慢を棚にあげて
感性と理性を対立物や価値の上下のように流布するのは大きな間違いだと思う
西洋人ぶりたいならフラッシュなしの撮影すら禁止されてる日本の美術館のパブリックの考え方を批判したら? 金の話で恐縮だけどロックフェラーが他界してコレクションがどんどん売られているらしい
そろそろ向こうのモダンアートも値割れするんじゃないか? >>197
少なくとも資金提供者はグローバル経済で食ってる富裕層なんじゃないかな
だから英米の白人か華僑かは分からない
Black Lives Matter の作品を出したから、どのみち人権派のふりしたクズだと思う
あの手の込み入った問いに人様を付き合わせる知性がありながら
マイノリティーが強者になる時代性を語らないんじゃなくて
語れないと思っといた方がいい >>197
モダンアートのリーグだと思うよ
デニスホッパーがコレクションしてて
パンク風のドクロマークを取り入れたハイブランドみたいで気色悪いから自分は嫌い
アートと落書きの違いとは、アートの価値は誰が決めるのかって問いは理解できる(←ここまでは美術手帖が語る範囲)けど、
「革命」すら富裕層に私物化された象徴だと思うとぞっとするね(←これは言論人しかやらない) >>197
富裕層による庶民の啓蒙表現の私物化でもあるから、実はストリートアートでもない
「メッセージ」という語に引っ張られがちだけど
グラフィティアートそのものやメキシコの壁画運動とは大きく違うことだけは留意してて欲しい
ドイツは西側諸国唯一の敗戦国だったけど
EUのリーダーとしてアメリカの真似をやめた
今日本のアート関係者が下品だったり、肩書き背負った人の物言いがふわふわしてるのは(80年代からだけど)
そのマンハッタンごっこが通用しなくなった東京の断末魔だよ >>183
ランボーの詩どころか、稲作伝来から変わってないのよ
そのときそのときの大国の真似するだけで 革命というのは富裕層のものだった。
煽られて動員された人には停止したように見えるかもしれないけど。 >>202
そうだねw
しかしなんで誰も反体制が売り物になってしまう悪趣味な皮肉としてバンクシーを論じないのかねえ
礼賛とアート扱いで気味が悪い
こういうのがアート思考なんだろうけど
こんな意見ですら生業にかかわる範囲を浸食したとして
実利主義のレッテル張られて排除されちゃうのが目に見えてるからアート思考の普及には期待してないw
・感性的鑑賞を否定し、三流サラリーマンを煽るかたちで理性的鑑賞を広める
・子供向けの本には睡蓮には見えないカエルがいる、自由な鑑賞を勧めてる→自然から学ぶのとなにがちがうの?
・コンセプトアートから発想する→美術として語るならマーケットの成り立ちがなければ不可能、文字化してない(アウトサイダーアートの場合等はキュレーターが文字化してる)重鎮ぽい人は無能無価値が確定する
実は理性で鑑賞する方が簡単なのに
理性で嫌悪してる初心者を、国内の偽物に忖度して歯切れが悪い片手落ちの説明で牽制したまま
実利主義者のレッテルを貼ったツケが回ってきてる
現代アートほど実利的な商品はないのにw
普及させたいのか、権威性を保つために秘術にしておきたいのか
わからないのはインサイダー風のアウトサイダーのせいじゃない?w >>201
稲作から現代アート、IT技術に至るまで
伝来元の覇権国家でなぜそれが必要になったのか
負の側面を教えなさすぎ >>203
だからこそモダニズムは文化から過程を殺した
カメラから起こり、またデュシャンから始まり、ポロックなどにより何度も終わった絵画がその証拠
ましてや工業国で部品みたいに暮らすしかない生活の中で
一服の息抜きとして情緒的に愛でる類の作品を前に転がせないただの丸暗記バカの欧米リーグ通が飯の種に貶し
さも一般人を越えた学があるかのように装うなんて
人間と芸術の関係、または知性に対する冒涜だよ
要は日本の美術って、美術評論においても「勉強」なんだよ
本質的に現代美術を相対化できる日本で、その絶対化を図るのは危険行為だし
注意深くなるべきところに素人いびりを交えるとか愚の骨頂だし
むしろ、現代アートが(発明品として面白くても)ただの趣味判断の域で止まってることに安堵し
興味がない人に対して一定の感謝はすべきなんじゃない? フェルメールも人物画だからだしね
フェルメール自身はそういう客層も認めそうだけど
オランダ風景画の説得力には個人的にはひれ伏したくなるんだが >>208
少しも悪いことではないと思う
草間彌生の表面にエネルギーを感じたり
現代美術よりもイラストの方がささっと構図モチーフ等を
選んで簡単に古典回帰できたりするから
これ、侮辱や皮肉のように聞こえるかも知れないけど、そんな意図は全くなくて
いよいよアカデミシャンに文化が作れない時代がやってきたんだと思う
それまで教会と宮廷という権威の下にアカデミーがあって、戦後にアカデミーそのものが権威のようになったでしょ?
そして、論理が神の代わりにならなかったのが平成時代(人によっては湾岸戦争やソ連崩壊からカウントするかもしれないけど)で
先にフロンティアを失った現代音楽の有り様になぞらえると
人々から愛されたシンフォニーの偽物(ジョンウィリアムズの映画音楽やゲームのBGM)の方が力を持ってきはじめたのが今の時代で
発展主義で補完したアカデミーの権威性が頭打ちになって
主権者である国民(選択者)とせめぎ合ってる
映画がサブカルチャーではなくなったように
現代美術が一個人から見てサブカル扱いされてもなんら不思議はないよ
なぜなら「教養」そのものが「選択されうる情報」に絡め取られてしまったから
若い芸術家は二足のわらじの二足目の方が稼げるだろうし
上でインチキが通用しなくなったといったけど
むしろ現代美術を標榜しないYouTuberとしての明和電気の方が本流(正確には人々が選択する無限の傍流のひとつ)と呼ばれるかもしれない
受け手も作り手も洞窟壁画のようなアート感情とつながってて
イラストと現代美術が等価値になってしまうと、もはや編纂することすら難しく
>>208 さんがやったように各個人が効果的に紹介するしかなくなってしまう
こんな面白い時代ないよ
芸術闘争論を読んだくらいで無学者を煽ってる黒瀬ナントカなんてなにもしてないのと同じで
SNS時代の池田満寿夫くらいの意味しかないw >>210
ポロックで例えると分かりやすいよ
80年代ならそのままイメージからの解放だったけど
イメージからの解放の「独占」って側面が強調されてきたんだと思う
美術鑑賞板だから言うけどさ、そもそもポロックって鑑賞できる?
どこまでいっても教養の確認でモナリザ見物の方が理性と感性(感嘆)がない交ぜでしょ?
散々理性による鑑賞を推して、閑古鳥が泣いてから感性とか言い出してさ
ただ、若い作家に意趣返ししたってしょうがないとは思うのよ
黒川紀章の建築は醜い。アラーキーの写真はハービー山口ほどの価値もない
と、こう20世紀の目上を正攻法で批評するべきでね
ほんと、批評家ふくめ宮廷文化の真似事してる分際で性根が卑しいんだよ
60年代生まれの日本の美術関係者って
広告もそうなってるでしょ?w
それで、自分は上でイラストをアウトサイダーアートですらないアウトサイダーの優位性として強調してみせたけど
文明として見たら、本当はアウトサイダーとインサイダーを超えた課題が横たわってるんだ
古今和歌集の国でもあるから余計に 話は変わるけど、伝統工芸のマグカップの耳って
絵柄との兼ね合いで様式的な改善の余地があるよね >>213 に補足
>ほんと、批評家ふくめ宮廷文化の真似事してる分際で性根が卑しいんだよ
60年代生まれの日本の美術関係者って
広告もそうなってるでしょ?w
・宮廷文化の真似事に、アカデミシャンのコスプレを追加
・若い作家はむしろこの年代の逃げ切り戦略の駒であり被害者の側面もある
・いまや現代絵画は白紙を目指しているに等しい
・意趣返しされたくないなら、現代絵画の更新を怠りながらイラストレーターの展示に呆れて遺恨残して回ってる
バカ教授の悪いとこ真似して権威主義だけいっちょ前の美大芸大卒のバカのルサンチマンをどうにかしろ
死体蹴りに死体蹴りが返ってくるのは当たり前だ
味気ない話ばかりで申し訳ないけど
ついでに。D.ロックフェラーが死去した際、現代美術のコレクションが大量に売りに出されたらしい
これ、投資の商品としてみたら売り抜けのような気もするんだよな
暴落まで見越したアート投資バブルというか
MoMAも人員削減されてるし >>213
>黒川紀章の建築は醜い。アラーキーの写真はハービー山口ほどの価値もない
と、こう20世紀の目上を正攻法で批評するべきでね
親の因果が子に報いで、90年代生まれの若い作家だけ叩くのは人として避けるべきだと思う
そして、奈良美智なんか見てみなよ、顧客がラッセンと重複してるって言われたくらいで
下を黙らせるために断筆宣言ほのめかしてさ
みんなウォーホル節の焼き直しに憧れてばかりで、誰もその振る舞いを注意しない >>129さんの意見に補足させて
自分が野放図に批評してるのの巻き添えになるといけないから一応、
業界ぶった人らの陰口の名誉回復を無関係な自分が担うみたいで嫌な気分だけどw
えっとね、鶴太郎、長渕、ジュディオング、ラッセンとか、ああは言われてるけど、実のところは結構わきまえてる人たちなんだよ
美術館、とくに現代/近代と頭につくようなとこじゃ決して展示やってないから
チムポムが登場したあたり?の時期に美術館が木梨憲武展で集客するようになってから
なにかやな予感がしてた
だから代替わりに失敗した美術手帖ライターの記事とか(最初から権威主義的引用者の墓場だったけどね)
スプなんとか子、表現の自由展だなんだといった、あの辺りの歴史的に全く無意味な議論や記事に頭使うよりも、
英語でググッてでてきたアートジャーナル記事を翻訳ぶち込んでた方がなにかと面白いよ
本の紹介がトップに出ないだけでも時間の短縮になる http://imgur.com/gallery/60KT2GP.jpg
海外のトップアートスクール(大学院)は倍率25倍〜35倍とかだしレベル高い。卒業後すぐ契約作家になる子も多い。若い作家がニューヨーク、ロンドン、香港などアートシーンを作り上げている印象。 緊急事態宣言やら自粛要請やらで大変だ。
景気が悪くなると意地悪になるやつも多い。
皆さん無事ですか? ps://youtu.be/UKg-wzLQ7nk 日本のアート村の欺瞞で明らかになった点がひとつある
表現の自由展や黒瀬らの活動に関して、連中は発表する権利だけに味方してばかりで、誰も作品論で展示内容を語らない
ラッセンはおろか、近代美術人気にまで呆れてみせてたような連中がだよ?
実は、日本の現代アートごっこ連中の弱点って
オリンピックロゴと同じで、ストレートな作品論なんだと思う お金持ちのお子様たちが集まって遊んでる、ただそれだけ、 >>226
まじそれ
そんな社会ではなく世間しかないような
アートを軽視している連中が「アートに理解がない」って
規制事実の側の振りして嘆く側をやってるからややこしくなる
百貨店しかコマーシャルギャラリーがない貸し画廊文化の犬だったくせに
鶴太郎けなせば素人騙しながら消去法で本物感が出せるとかそんなインチキばっか繰り返して
本当の意味でアートを批評してこなかったからな
カオスラ、チムポム、表現の自由展程度のものは「語るに値せず」ってのが向こうのプロの姿勢なんじゃないの?
まず作品の質がゴミ以下の、赤瀬川源平以下の政治的アート、60〜70年代レベルの程度の低い自由の観念、カオスラに至ってはまだ同人活動の域をでていない 別にいいじゃないですか。
美術大学も多すぎですから、整理すべきですね。
まず、東京藝術大学から潰したらどうでしょうか 減らすこともないだろ、
他所のことや、過去のことであれ、わけのわからない文化について説明をできる人間を一定数揃えておく必要はある。 日本画科は存続する意味あるのか?(東京藝術大学だと絵画科の日本画専攻)
余白描けない(あれは対象物以上に描くもの)、肥痩抑揚のある線引けない、薄塗り出来ない
から絹本の掛軸なんて描けない
日本画科は自身の存在意義を考えて戦後変わったが、その結果皮肉にも単に無価値な、先人より
下手な絵を生産するだけの存在になり下がった
代わりに出来るようになったのがマチエール()
川合玉堂や松林桂月や横山大観と比べれば下手だと思っていた加山又造>東山魁夷>平山郁夫が
今やましに見えるくらい酷い >>228
どばたみたいな美術予備校なんかで学芸員の資格のあるアート村嫌いの尖った人雇って、成人した芸術家向けにアーティスト戦略の補助してやればいいんじゃない?w
少子化してるし、なにより芸大の問題点は洋画家の教授が中途半端に作品を作れてしまうのが学生の邪魔になってると思う >>234
続き
なぜなら、卒業生が助教の空きを狙ったり展覧会作家に落ち着いたり、またはギャラリー作ったりする程度には有名無実だから
日本画はまだ気合い入れたら輸出できたりする可能性はある(発展主義を捨てようが捨てまいが)
問題なのは洋画と彫刻だと思う
洋画なんて設立当初から迷子じゃんw 東京芸大出ても有名になって歴史に名前が残るようになる芸術家って一万人に一人くらいですか? >>236
歴史が現代美術史をさしているなら
20世紀じゃないことを加味したら
世界中の画家合わせて50年に数名出してみて様子見ってとこじゃないかな? 日本の国は狭いから、これ以上美術品は必要ないよね。
置き場がないじゃん。
一般家庭はもちろん、美術館だってこれまでの収蔵品を維持するのに精一杯。 古美術は大事にされてるけど、
流行りのアートな作品はゴミ箱にいってそう。 近過去のモダンやポストモダンの作品だって多くはゴミになった >>243
調べてみたら、メシががっつり系でウケたw >>241
おれたち外野のゴミ呼ばわりならまだいいよ
もし自分がインサイダーだったとしてよ?
現代美術の発展主義が静止して、古典になったとき、現代美術やその他全てのアートの価値はどうなるんだろうか?
なんて問いにキュレーターとして向き合うところを想像すると、これはなかなかのホラーだよ チョコレートもヨーロッパではちゃんと文化として根付いてるのにな >>240
いわゆる現代アートでないのもでかいのが多過ぎる
どこに飾るんだというのを何枚も描き、置いておけないがさりとて寄贈したくもない
遺族が「寄託」して地元の公共施設の収蔵庫を無駄に埋める
創作者はもうちょっと鑑賞者のことも考えるべき
現代家屋では日の目を見ないと言われる軸装は収蔵を考えると結構合理的 寄贈しても受け取ってくれるところあるの?
ゴミしかなりようがない、
未発表のままゴミになることも多いだろうな。 >>249
だからこそMoMAなんかを作って、所有者の義務のようにしつらえて、保存と展示をアウトソーシングしてるんだけど、
巨大さが問題なんじゃなくて、
歴史的な保存価値がゴミな現代美術もどきを、日本のキュレーターが決定ないのが問題
保存価値のあるものは暗記知識で決められるんだけどね...
向こうの現代芸術の価値って、キュレーターやコマーシャルギャラリーの人が決めてたりするんだよw キュレータやコマギャラが問題提起なり煽りなりをして、観衆なりコレクターなりからのレスポンスがあって、価値が生成されるのかな。 そもそもこの女性、きちんとでてきて相手の前でまともに話できんだろ 原因は生活様式(特に住居)が完全に西洋化・無国籍化して歴史と断絶したからでしょ?
日本美術は仏教系以外は、漆器・陶磁器・屏風・金工など工芸的要素が強いけど、そういうのは今の住居には合わない。
日本人は上っ面は西洋化したけど、西洋美術は日本の歴史と繋がっていない所詮「借りもの」だから「お勉強」で、深い精神性に根差さないから身にならない 昔は全体性を表すための道具立てとして弁証法をもちいるために、仮に西洋と東洋という言葉をもちいていたのではないかな。 アジアは非ヨーロッパをさすヨーロッパのことば、実態としてはカオス。 >>255
言わないならなんて言って説明すればいい?
モダニズムの普及した個々の国名?
むしろ様式に特化して区分けするなら国名も要らなくなるじゃん?
その程度の手直しで釘を刺す人っているんだよ な
総じて発明家の才能がない、実は不勉強な人
抽象画は内面を描いているから具象画だとか言うには言うけど、そこから先のない人 >>7
ネアンデルタール人や人間のアート性を持って
現代美術嫌いを人間ではないと暗に示す論法は間違い
原人の芸術をもって美術の定義とするならば
人間であればだれでもアーティストで
アートを定義づけられる条件は人間であればこと足りることとなる
加えて、今まで散々アンチヒューマンだったのは現代アートだったでしょ
現代アートの価値を独占するならまだしも
アートの定義を独占したようにふるまうのは暴虐以外の何物でもない >>19
それだよね
バカな山手文化人と、そのマンハッタンごっこのスノッブさに気後れして育った変に権威主義的な現代美術ファンの目こそが腐ってる
知性でも感性でもなく、見栄の世界で生きてるからそうなる トーハクは常にガラガラだけど
版画やマンガ・アニメは受容されているので
単に嗜好性の問題だと思うけどね。 >>261
元々嗜好性の問題だったはずなんだよね
日本の現代アートの問題点は
元々庶民にアートの定義づけが可能だった稀有な国柄をアカデミシャン気取りの美術ライターが口悪く罵って居座った結果でしかない
真っ当な日本人現代美術作家にも害悪でしょ
でも、アンチなんかより、自警団かって出るような無能な取り巻きに嫌気がさすだけで
現代美術をリーグごと離脱しうる国って、日本の文化力ってすごくない?w
パンクロックと同じ漂流物なんだからw
キリスト教国家にならないと民主化できなかった国より特色あるよ
その特色が現代美術信者には邪魔みたいだけどね
日本人批判抜きで現代美術を進める手段を持ってないライター連中はなんなんだろうね 労働者としてはだな
生活が苦しくて美術どころではない
20年前はもう少しましだった
リーマンショック以降は全く駄目だ 古い物そのものより
古い物に何か作用がないかに興味がある
紀元前二千年とかの物を見たからなんか作用があると良いなぁ https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC-667487#:~:text=%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%80%90psychometry%E3%80%91,%E3%81%93%E3%81%AE%E8%83%BD%E5%8A%9B%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A4%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82 プロダクションにつくらせた日曜美術館をありがたく視聴してるんだから、ゲスな興味が育つだけ。 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして授業をサボって遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
結局不正がバレて平塚学園高卒の資格を剥奪されたのにも関わらず
芸大を受験する資格すらないのに"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
鎌倉市由比ヶ浜在住のこいつん家をけんまするのは大歓迎!!www『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ 行政の仕事をしていましたから、そういう気持ちはなかったです。ただ、ミナミで飲んでいる時に「どういう仕事をしているの?」と聞かれた時がありまして、「今度、大阪市が世界的な美術館を作る仕事をしています」と話すと、「そんなん、いらんで!」と言われたんですね。「美術館は京都にあるし、神戸にあるし」って。「大阪市は美術館にそんなに税金を使ったらあかんわ」とか、よく言われました。正直、辛かったですね。
―――「モディリアーニ19億円もしてもったいない」とか言われるんですね。
そうです、そうです。「大阪市にそんなカネあったんか!」と言われるわけです。「それならこっちにカネ回してほしいわ」と言うのが町の声ですよね。市民の方々から直接そのような声をかけられたのが一番辛い思い出ですね。 沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」 - 紡ぐプロジェクト
https://youtu.be/jMYk6u7skUk 絵画に関して言えば。
戦前は襖絵が当たり前にあって「日本人は庶民でも芸術と同居している」と欧米人から感動されていた。
生活は欧米化して掛け軸や襖絵を鑑賞することはなくなったが、額絵に移行したわけでもないので
単に絵画と縁が離れてしまった。 昔観た絵を探してます
当方美術ど素人なので詳しい方にお力添え願います
@秋っぽい夕暮れ?草原で子羊抱えた少女の絵
サイズはipadくらいで小さな絵でした
A10年ほど前に名古屋ボストン美術館の光と何ちゃら展で展示。エドワードDボイドの娘たちという絵がメインとして開催されていました。他にフェルメール?もメインとされていた様な
BGoogleで子羊、羊飼い、ミレーなどで探しても出て来ません
ミレーの作品は似た雰囲気がありました。
美術に興味なく暇だから正直洒落で美術館に行きその絵を観て初めて何か良いなと思い30分くらい観続けてました
その後もちょくちょくあの絵は良かったなと思いながらいつかまた観れるかなと放置してましたが改めて検索しても作者すら分からない状態です
心当たりある方が居ましたらぜひ教えて頂きたく、宜しくお願いします これって下手だから首長過ぎちゃった様に見えるけど、わぞとなの?
何を根拠にわざとだと評論家は言うの?
https://i.imgur.com/TuWMxqV.jpg エリザベス英女王の国葬、2週間以内に開かれる見通し
さすがやでレプタリアン
どこぞのアホウヨデンデングローバル葬とは違うな!
ネトウヨ死ね
ウヨスパイ死ね
ふははははははは 絵の解釈は個人の自由なんだけど、
作者がそう言ったのならともかく、勝手に解釈して公の場で「性器」とか言うのホント気持ち悪い
https://i.imgur.com/p8OvRB7.jpg 疑いの余地なく含まれる
けど、何の話が変わるんだ? >>297
ああ、スレタイね
確かにこのマンガ文化は美術と言える アニ漫画がみとめられて、日本における近代的ファインアートは、ますます駄目だな。 美術手帳のポップアート特集だったと思うが、村上隆が現代美術は難しいから日本人が理解出来るはずかないみたいなこと述べてたな
何かその号では日本のポップアートの代表例として、きゃりーぱみゅぱみゅが大きく紹介されてた SNSやらなにやらで同時代の外国の作品がみれるようになると、
美術手帳みたいな 美術手帳みたいな、
本場ではこれが流行ってますとかガセネタをながす輩が壊滅した。 椅子だけで取れるポーズは芸術点たかし
しかし机が加算されると途端にダサくなるのが厄介なこの世界 芸術への熱意と「身の丈に合わぬ高級マンション」 沖縄「おでん東大」店主殺害事件 娘夫婦の横顔
12/7(水)
沖縄タイムス
人気の店だった「おでん東大」。「閉店のお知らせ」が張られたままになっている=6日午後5時半ごろ、那覇市安里
沖縄県那覇市安里の通称・栄町にある「おでん東大」の店主の女性(58)を殺害した容疑で6日、逮捕された娘(34)は画家として活動し、夫(34)はギャラリーを経営していた。知人の話では芸術に熱意を持つ2人の横顔がうかがい知れる一方、「ギャラリー経営はポケットマネーで大変そうだった」との声も。捜査関係者は「夫婦は被害者から資金援助を受けながら、身の丈に合わない高級マンションに住んでいた」と明かし、財産目的の犯行を視野に調べを進める。
https://news.yahoo.co.jp/articles/80efea2d9aef62f611c0bb98e45ccd517eb9ed7e 新町は元々「特殊飲食街」として知られていた地域。2017年5月にオープンした当ギャラリーも元性風俗店の店舗を賃貸し改装した建物です。
沖縄県内においても複雑な背景を持つ地域に、多様なアートと触れられる場を作ろうと県内外、海外のアーティストに個展の場を提供してきました。 「初めて画廊で会ったとき、運命だと思った」彼氏ヅラを止めない「40代美術コレクター」に狙われた20代女性作家の悲劇
1/10(火)
文春オンライン
時には大学のアトリエにまで押しかけることも……。美大生や若手アーティストの女性を執拗につきまとうのが「ギャラリーストーカー」だ。きらびやかに見える美術業界で、悪質な性加害がはびこるのはなぜなのか?
◆◆◆
「今、真奈美の大学の前にいるんだけど」
美術大学の大学院生、山口真奈美さん(仮名)は、携帯から流れる声に背筋が凍った。美術コレクターの男性、A氏(40代)だった。
その日、山口さんはいつものように大学のアトリエで制作に取り組んでいた。集中していると、A氏から電話がかかってきた。
「真奈美に会いにきたよ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c435d18c2ed15217bc49c2f5ceacabd2989f86af ながながと話し込んでいく人については、途中で画廊のお姉さんが割ってはいっていたような気がする。 書店から美術に関する書籍が無くなったな。
美術館もメッキリなくなった、80年代には都内の百貨店は大体美術館をもっていたのだけど。 今でも名残はあるよね
ワンフロアまでいかなくても、定期的に展示会はしてる 百貨店でブリューゲルやレンブラント、ピカソやボナールの絵が観れた。
あるいは秋葉原の電気屋にダリの個人美術館があった。
みんな美術が好きだったのかは今一つわからない。 一般人は美術に触れる機会がなくなったけど、お金持ちは売り買いして楽しんでるのかな。 内面的生活がネットに吸収された今となってはアナログな美術なんて誰も関心がないのかな 近代的美術はそろそろ消えそうだけれども
骨董趣味は残るのかな 映画って大衆芸術になるのだよね。
ファインアートには分類されない。 浮世絵とか漫画とかなら分かるんだけどそ、こいらの公園に現代彫刻家の作品とかよくあるけどさ
あんなに金かけて石がもったいないよな。自治体もあんな無駄金つかうなよ。
どうせやるんなら古代彫刻のレプリカでも置いておいた方が100倍価値あるよ 日本人が興味がある美術
昔は浮世絵、今は漫画やアニメ そういやウィキペディアの英語版で検索するとラッセンは出てこず、日本でしか知られていない画家だと言う。
試しに平山郁夫を英語版ウィキで検索してみたところ、あれれ? ありましたよ!
『平山 郁夫(ひらやま 郁夫、1930年6月15日 - 2009年12月2日)は、日本の日本画家の画家、教育者。
広島県瀬戸田町に生まれ、イラン、イラク、中国の夢のような砂漠の風景を描いたシルクロード画で日本では有名です。』
日本では、ねw
『一部の(自称)愛好家は、彼の非常に収益性の高い作品の信憑性に疑問を投げかけ、彼の妻や他の人々が彼の名前でそれらを
作ったと主張しています。 』
このことは日本語のウィキには載ってないな〜w
ではと、米国のAMAZONで、Hirayama Ikuo で検索してみたが、ヒットするのは日本の書籍ばかり。
レビューも日本人ばかりだった。
まあ、平山の作品が海外の美術館に収蔵されているという話も聞いたことがないし、所詮その程度。 「芸術」観念というのはキリスト教を母体とした西洋近代のものなんだよきっと。
鉄斎没後百年展やってるね。
瓢箪の中で寝転がって本を読んでいるような図がある。東洋の教養人の典型的な幸福観念だろう。
西洋からみたら稚拙で芸術ですらないだろう。だか、いいもんだ。