さしすせ書道★書の未来を考えるスレ8★
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>>31
目指すところがポップス歌手なら、バカなこととは言わないですよ。
「テレビに出て書道を教える」なんて、そんな突拍子もないことより、
まずは目の前の人を教えるべきではないかと。その延長として、テレビ講座の依頼が来るならわかりますけどね。
ましてや、実力のない書家もどきの人が、タレントよろしく「テレビで狭い了見のもと書道を教える」なんて、
全力で引き留めないで、どーすんの!って感じですね。 >>32
同意。ジャパンエキスポって、出品者から結構な額を集金してるんですよね? >>31
フリーの書道家って学ぶことなのかな?がそうなればいいのでは? >>37
途中で押してしまいました。
フリーの書道家って学ぶことなのかな?生徒本人がそうなればいいのでは?というか、すでにその生徒自身もフリーの書家なのでは。 >>35 ええやんか、っていうのは名前くらい出してもええやんか!ってこと? >>38
学ぶより知ることが重要だと思いますよ。
高校生なら本人が見つけ出せる選択肢は知れてますから。
高校生相手にあなたはすでにアーティストだ、ではなく、
進路指導程度の教師のサポートは必要かと。 >>41
なるほど、進路指導ならわかります。でも、アーティストって基本的に職業ではないですよね。そのあたりは? あのね、芸大にいく奴に
「美術でテレビに出たい!」
というやつはいないでしょ。
書道業界が頭おかしいんですよ。
「美の壺」のタイトルを紫舟氏に取られているみたいだから
素人に負けるんだから
察するところでもあるけど。 確かに書道業界はもっと営業頑張ってくれ。読売と毎日の伝手を使えよ。 出品料総額 数億円
更に御礼が、同額程度はあると思う。
市場はドンドン縮小するのに何もしない。
いったい何に使ってるんです?
こんな宝くじ以下の投資をしても意味がないと思わないのが
アマチュア書家のすごいところ。 >>44
美術でテレビに出たいやつはいない
正解を言ってしまいましたね >>47
あ、この意見、今まで出てなかったの?
書は作品を売るつもりがないから
技術を磨く人や開発する人が
ほとんどいないよね。 アーティストになりたい生徒でなく、タレント系の書道家になりたいと言い出した生徒をどうするかって話だったよね? >>44
書道業界にテレビに出たいやつがいないから、タレント系書道家がタイトルを書いたりするのかと。
高校生には、書道業界には興味はないけどイベントでパフォーマンスをしたり
テレビや映画のタイトルを書いてみたいという生徒はいそうだよ。
そういう声に対する教員の対応の話だと思ってました。 >>49
そんなニーズあるのかね。
紫舟氏のメッキが剥がれたら
一気に「書家=うさん臭い」ってなるで。 >テレビや映画のタイトルを書いてみたいという生徒はいそうだよ。
youtuberになるくらい難しいと現実を伝えよう。 モコモコ来ない話になるのは
結局、みなさんが、日展、毎日、読売に出して
支持しているから、自業自得なんです。
知ったコッチャありません。 Eテレの書家の題字じゃなく
紫舟さんを採用したんだろうね。
NHKは彼女だけ複数採用だもんね。 >>48
悲しいかな、おっしゃる通りなんですよね。書道の作品が美術と互して戦えるとこまで行かなきゃいけないんですが >>60
小池邦夫氏の作ならまだしも、
花や果物なんかが拙く書かれた
おかんアート絵手紙は芸術とは
言えないと思う。 >小池邦夫氏の作
相田みつをさんも
小池さんも
芸術とは言えないと思うよ。
ただ、そういう文化を作ったことは素晴らしいことです。 なにか高級なものか高度なものだと芸術で、稚拙だったら芸術じゃないと言われると釈然としない 芸術のくくりのなかで巧拙があるに過ぎないように思う
なにをもって芸術とするんでしょう?
個人的には書と歌曲は、芸術と文学の中間のなにかだと思っています 日展の人やそこを目指す人は芸術家ではないと思います。
大学受験をしている人に、研究者がいないように。 作品そのものや作者の思想だけでなく、現代では受け取り手がどのように
読み取って自らその作品をどう構築するかという視点も出てきている。
もはや何が芸術で何が芸術でないかを議論するのはナンセンス。
良いか悪いかは別の話だし議論の余地がある。 話変わるけど
今年、調和体を推しているみたいだけど
なんかあったの? >>68
仮にすごい作品を出しても、公募展で芸術作品がしっかり評価されることはないだろうね。
審査員側が芸術の眼を持っていないから、見向きもされずに終わる。
将棋の藤井くんのように書壇内からヒーローを作り出せば、活性化していくのに。
前例や慣例を無視することはありえないから、絶対に無理だけど。 >>70
藤井四段みたいなヒーローは無理でしょ
将棋は勝負に勝てば出世できるという誰もが納得する明快なルールだけど、
書道は審査基準が曖昧だし、素人には判断がつかない つまり、
曖昧な審査基準 → 各会派の忖度 → 結局はお金
というエンドレス >>69
もう調和体しか伸び代がないんだよ。
もう古典とか古筆は、増えないだろ。 芸術と言えばなんでも芸術だよ。問題は、美術品として扱われるかどうかだよ。 >>81
古典とあと1950年代の前衛書のいくつかしか扱われていないけどね。 >>83
1950年代の抽象表現主義絵画は、日本の前衛書道に刺激を受けた面があり、発展した。
で、日本の前衛書家は影響を与えたには与えたんだけど、その後はポップアートの台頭で、国際的に注目もされなくなり、尻すぼみに。 学生の頃、某有名書家先生が講演で「書は芸術ではない」と断言してた
書家の先生でもそう思ってるんだと衝撃的すぎて、その理由を忘れてしまった 「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」なんて言葉がある。
二十歳を過ぎてまだ神童の頃のように世の中が受け入れてくれると思ってるようではいけません。
凡人は努力を重ねないと生き残れないです。努力しない凡人は、自分が一番有能と思い、他人は無能と思っているようです。自分が優位に立つために、他者を貶めることばかり考えて行動しています。
少し前まで神童と言われていたあの子は、今では努力しない凡人になっているかもしれません。
書道界にこんな人はいますか? 「字書きは芸術家なんかじゃない」と言ってたかな
市販の教本も出版されてた著名な先生だったけど >>90
ここに来るとね、その「芸術」という言葉のレベルが「書道界内だけで通用するもの」という話になってるんですよね。
美術マーケットで取り扱ってもらえるレベルにならないと、プロの作る芸術作品としては不完全だと申し上げたい。 >>91
の言ってることの意味が、
ここにいる低レベルの話をしているほとんどの人には
わからないんじゃない?
「美術マーケットで取り扱ってもらえるレベル」
これの意味がわからないと思う。 >>92
なるほど。では、少し説明しましょうか。
自分、画廊勤務しているので「ガロ」というハンドルなんですが、自分のいる世界からすれば、
まず新人は1万円とか2万円など、安い値段で作品を出します。取り扱い作家、というレベルです。ギャラリーと作家は50:50で売り上げを分け合います。
それで作品が売れて来ると、少しずつ値段を上げていきます。長くやっていても、人気がなければ数万円のまま。人気が出れば、値段は上がります。人気作家は専属作家にレベルアップします。
その後、例えば井上有一は海外オークションで名前が出てきて、今では国内外のオークションで必ず取引されるスター作家になりました。落札価格数百万円は当たり前です。
これが「美術マーケットで取り扱われる」過程です。
そのために、私も持ち込みを続けています。 ガロさんは、いつごろにこの仕組をしったのですか?
(美大出身者なら常識でしょうけど) なるほど画廊か・・・
そいえば親のいとこが昔、銀座(木挽?)で画廊をしていたらしい・・・ それだと伝統芸術としての書道は救えませんよね。
つまり世界のルールに適応したものだけが残って、今ある書道は無理。
書道を救うなら、国内でしっかりと伝統芸術や書芸術の価値付けをして発信するべきと感じますね。
そもそも見方自体が独特です。世界の美術に合わせていくよりは、国内で価値付けをしてから、
世界に提示する方が自然な世界です。
きちんと価値付けした上で、これが日本のアートです、と。
あとは国力次第ですな。日本は世界のアート業界の中央には居ませんが、それなりの先進国ですから
本気でやれば出来なくもないです。 この中で独自の技術をお持ちの方いますか?
そんな人、皆無じゃないですか。
極端な話、1ジャンル1人で十分。
枠は1つしかないんですよ?
芸術の世界に持って行かれて
最後の一人になる自信あるんですか? マーケットの仕組みを知ることと、人気が上がることは別なんですね でも仕組みを知らないと
人気を自分から上げる方法もわからないよね。 >>94
美大の人でも知らない人多いです。勤め始めてから知りました。20年前かな。 >>96
現行の書道作品の価値づけをすることは出来ないですよね。
伝承によるところが多いものですからね。師匠から弟子へのコピーに、価値を感じられるかどうか。
それは、国内の我々にも素直にそう出来るものでしょうか? >>96
現行の書道作品の価値づけをすることは出来ないですよね。
伝承によるところが多いものですからね。師匠から弟子へのコピーに、価値を感じられるかどうか。
それは、国内の我々にも素直にそう出来るものでしょうか? >>103 不正解とは言いませんが、人気書家に憧れるティーンエイジャーが聞くと、大きく誤解されそうですね。「俺はちゃんと書いたんだから、お前らギャラリーが俺の人気を上げれば儲かるだろ?」とか言う勘違いさんが出てきそうです。 >>102
価値づけすることが出来ないとは価値がないということでしょうか? >>105
まー痛い目にあうでしょうね、そんな態度なら。 ガロさんはギャラリーがアートの中心と思ってらっしゃるんですか? >>108
横入りごめん
私はお金を出して作品を買ってくれるところが中心になると思っていますよ。
だから、ギャラリーじゃなくても
書道業界が別途そういう市場を作ることができるならそれでもいいけど
戦後、発展してきた間、何もしなかった体質を見て
公募展=学園祭での演奏会
ギャラリー=プロの演奏会
みたいなイメージで理解しています。
学園祭で盛り上がるのは、よいし、それで生活している人がいるんだから否定はしません。
でも、プロの世界があるのに、
そこに目を向けないで内向きな創作活動って楽しい?
って思います。 >>104
神様に見えると思いますが
現代美術って
そういう領域ですよ。
甘 く 見 る な ! >>110
大事なことをおっしゃっています。
書道作品が書道の世界で商品となっているなら、何も申しません。
しかし、実際には書道作品のマーケットは存在せず、
いわゆるお稽古ごとを通じてお金のやり取りが行われているのみ。
そこで作られた作品は、その伝承のみを使用目的として存在するだけになっているのですね。
それが書道作品の意義と言えば意義なのかなと思ってはいます。 ガロ氏、うど氏の書展で
「書家のための現代美術入門」という講演会をしたそうです。
評論家が「10万円で芸術作品を売ると元が取れない。」
と言っていると書いています。
これは、実感としてありますか?
私なんか10万円で売れたらすごいと思っちゃうんですけど。
ソース http://wayoh.jp/archives/900 >>111
それは>>96で言う世界のルール、言わばガロさんの業界でということですよね。
>>96はそこに合わせにいかないという趣旨の書き込みなわけですが。 >>115
わかります。
では、その「合わせにいかない世界」をまず作らないといけない。
今のところ「ヤフオク」くらいしか思いつかないですけどね。 結局、同じ人たちの同じサイトを見せられるんか、、、
着地点が毎度同じなのどうにかならんか? >>113
書は高尚すぎるんじゃないですかね。理解してもらうには勉強しなければいけないことが多すぎる。
勉強だけでなく実体験も必須と思います。実作者さえ理解してない人もいますから。
昔はみんな筆文字でしたから、成り立ってたとも言えると思います。
>>112
そんな極端な世界でもないですから…
買う側を説得さえできれば良いんです。そのためにいろんな仕掛けが必要ですけど。 >>114
10万円だと、かなり安い作品ですからね。
例えば、書道の場合
・裏打ち代
・額装(掛け軸)代
・輸送費
で2万円かかるとしましょうか。
それを10万で売ったら、ギャラリー側が5万、アーティストに5万なわけですよ。 >>120
また途中で送ってしまった。失礼。
となると、3万が利益となります。
しかもね、売れるかどうかわからないのに、先に2万円出して、仮に5点ギャラリーで飾る。
それで1点しか売れなかったら、赤字になる。そういうことかなと。 >着地点が毎度同じなのどうにかならんか?
書道業界の腐敗やマンネリ化は、やはり肯定できない。
作品を売って生活できるように書道団体が動いてほしいけど
もう、それは無理だと思われる。
かといって、個人で戦えるわけもない。
だから、答えはわかっているが、変える力がない。 ガロさん、フォームで文章作らないで、ほかのアプリで作ってから投稿してください。 >>117
ヤフオクですか。笑
それも個人であって、業界の救済にはならないですね。
日本はもう一度、道という概念を価値づけすべきだと思います。
茶道や華道も含めた文化的な芸術の概念です。伝承という現象も矛盾しないです。
国レベルでこの価値を輸出できる程度にまでしっかりしてあげるのはどうでしょう。
分野は違いますが、和食の世界進出が似ています。
世界の味覚に合わせるのでなく、日本の基準を価値付けして世界に提案しました。
たぶん和食を世界の味覚に合わせて勝負していたら失敗したと思います。 結局いつもあの人の所に連れて行かれるよねw
楷書と続け字は禁止、活字体はOKとか何度聞いても意味が分からない >>122
これも続きあるんだよね。
つまり、2万円かかるものを、5点並べて3万しかもらえないことになれば、アーティストとしては続けていけないわけですよ。 >>126日本の伝統芸能である書道をある程度までまとめて輸出するってことですか?
毎日展が確かパリで何年か前まで、巡回展をやってましたよね。それで何かが変わったという事は無いわけなんですよね。
やり方が悪いのか、そもそも日本の書道をそのまま形で輸出することが、果たして可能なのかということになりはしませんかね? 読める書とか調和体とか言われなかった時代でも、
たとえば石川啄木のペン字は多分誰にでも読める
やっぱり自分で歌が作れて字が書けたら強いね >>132
書家じゃないけど、与謝野晶子は金策のために自作の歌百首を屏風に書いて、
「百首屏風」として50円(当時の教員の初任給は11円)で販売した
字はそれほど上手くないけど、与謝野晶子の歌ってだけでプレミアがついたのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています