さしすせ書道★書の未来を考えるスレ8★
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>>47
あ、この意見、今まで出てなかったの?
書は作品を売るつもりがないから
技術を磨く人や開発する人が
ほとんどいないよね。 アーティストになりたい生徒でなく、タレント系の書道家になりたいと言い出した生徒をどうするかって話だったよね? >>44
書道業界にテレビに出たいやつがいないから、タレント系書道家がタイトルを書いたりするのかと。
高校生には、書道業界には興味はないけどイベントでパフォーマンスをしたり
テレビや映画のタイトルを書いてみたいという生徒はいそうだよ。
そういう声に対する教員の対応の話だと思ってました。 >>49
そんなニーズあるのかね。
紫舟氏のメッキが剥がれたら
一気に「書家=うさん臭い」ってなるで。 >テレビや映画のタイトルを書いてみたいという生徒はいそうだよ。
youtuberになるくらい難しいと現実を伝えよう。 モコモコ来ない話になるのは
結局、みなさんが、日展、毎日、読売に出して
支持しているから、自業自得なんです。
知ったコッチャありません。 Eテレの書家の題字じゃなく
紫舟さんを採用したんだろうね。
NHKは彼女だけ複数採用だもんね。 >>48
悲しいかな、おっしゃる通りなんですよね。書道の作品が美術と互して戦えるとこまで行かなきゃいけないんですが >>60
小池邦夫氏の作ならまだしも、
花や果物なんかが拙く書かれた
おかんアート絵手紙は芸術とは
言えないと思う。 >小池邦夫氏の作
相田みつをさんも
小池さんも
芸術とは言えないと思うよ。
ただ、そういう文化を作ったことは素晴らしいことです。 なにか高級なものか高度なものだと芸術で、稚拙だったら芸術じゃないと言われると釈然としない 芸術のくくりのなかで巧拙があるに過ぎないように思う
なにをもって芸術とするんでしょう?
個人的には書と歌曲は、芸術と文学の中間のなにかだと思っています 日展の人やそこを目指す人は芸術家ではないと思います。
大学受験をしている人に、研究者がいないように。 作品そのものや作者の思想だけでなく、現代では受け取り手がどのように
読み取って自らその作品をどう構築するかという視点も出てきている。
もはや何が芸術で何が芸術でないかを議論するのはナンセンス。
良いか悪いかは別の話だし議論の余地がある。 話変わるけど
今年、調和体を推しているみたいだけど
なんかあったの? >>68
仮にすごい作品を出しても、公募展で芸術作品がしっかり評価されることはないだろうね。
審査員側が芸術の眼を持っていないから、見向きもされずに終わる。
将棋の藤井くんのように書壇内からヒーローを作り出せば、活性化していくのに。
前例や慣例を無視することはありえないから、絶対に無理だけど。 >>70
藤井四段みたいなヒーローは無理でしょ
将棋は勝負に勝てば出世できるという誰もが納得する明快なルールだけど、
書道は審査基準が曖昧だし、素人には判断がつかない つまり、
曖昧な審査基準 → 各会派の忖度 → 結局はお金
というエンドレス >>69
もう調和体しか伸び代がないんだよ。
もう古典とか古筆は、増えないだろ。 芸術と言えばなんでも芸術だよ。問題は、美術品として扱われるかどうかだよ。 >>81
古典とあと1950年代の前衛書のいくつかしか扱われていないけどね。 >>83
1950年代の抽象表現主義絵画は、日本の前衛書道に刺激を受けた面があり、発展した。
で、日本の前衛書家は影響を与えたには与えたんだけど、その後はポップアートの台頭で、国際的に注目もされなくなり、尻すぼみに。 学生の頃、某有名書家先生が講演で「書は芸術ではない」と断言してた
書家の先生でもそう思ってるんだと衝撃的すぎて、その理由を忘れてしまった 「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」なんて言葉がある。
二十歳を過ぎてまだ神童の頃のように世の中が受け入れてくれると思ってるようではいけません。
凡人は努力を重ねないと生き残れないです。努力しない凡人は、自分が一番有能と思い、他人は無能と思っているようです。自分が優位に立つために、他者を貶めることばかり考えて行動しています。
少し前まで神童と言われていたあの子は、今では努力しない凡人になっているかもしれません。
書道界にこんな人はいますか? 「字書きは芸術家なんかじゃない」と言ってたかな
市販の教本も出版されてた著名な先生だったけど >>90
ここに来るとね、その「芸術」という言葉のレベルが「書道界内だけで通用するもの」という話になってるんですよね。
美術マーケットで取り扱ってもらえるレベルにならないと、プロの作る芸術作品としては不完全だと申し上げたい。 >>91
の言ってることの意味が、
ここにいる低レベルの話をしているほとんどの人には
わからないんじゃない?
「美術マーケットで取り扱ってもらえるレベル」
これの意味がわからないと思う。 >>92
なるほど。では、少し説明しましょうか。
自分、画廊勤務しているので「ガロ」というハンドルなんですが、自分のいる世界からすれば、
まず新人は1万円とか2万円など、安い値段で作品を出します。取り扱い作家、というレベルです。ギャラリーと作家は50:50で売り上げを分け合います。
それで作品が売れて来ると、少しずつ値段を上げていきます。長くやっていても、人気がなければ数万円のまま。人気が出れば、値段は上がります。人気作家は専属作家にレベルアップします。
その後、例えば井上有一は海外オークションで名前が出てきて、今では国内外のオークションで必ず取引されるスター作家になりました。落札価格数百万円は当たり前です。
これが「美術マーケットで取り扱われる」過程です。
そのために、私も持ち込みを続けています。 ガロさんは、いつごろにこの仕組をしったのですか?
(美大出身者なら常識でしょうけど) なるほど画廊か・・・
そいえば親のいとこが昔、銀座(木挽?)で画廊をしていたらしい・・・ それだと伝統芸術としての書道は救えませんよね。
つまり世界のルールに適応したものだけが残って、今ある書道は無理。
書道を救うなら、国内でしっかりと伝統芸術や書芸術の価値付けをして発信するべきと感じますね。
そもそも見方自体が独特です。世界の美術に合わせていくよりは、国内で価値付けをしてから、
世界に提示する方が自然な世界です。
きちんと価値付けした上で、これが日本のアートです、と。
あとは国力次第ですな。日本は世界のアート業界の中央には居ませんが、それなりの先進国ですから
本気でやれば出来なくもないです。 この中で独自の技術をお持ちの方いますか?
そんな人、皆無じゃないですか。
極端な話、1ジャンル1人で十分。
枠は1つしかないんですよ?
芸術の世界に持って行かれて
最後の一人になる自信あるんですか? マーケットの仕組みを知ることと、人気が上がることは別なんですね でも仕組みを知らないと
人気を自分から上げる方法もわからないよね。 >>94
美大の人でも知らない人多いです。勤め始めてから知りました。20年前かな。 >>96
現行の書道作品の価値づけをすることは出来ないですよね。
伝承によるところが多いものですからね。師匠から弟子へのコピーに、価値を感じられるかどうか。
それは、国内の我々にも素直にそう出来るものでしょうか? >>96
現行の書道作品の価値づけをすることは出来ないですよね。
伝承によるところが多いものですからね。師匠から弟子へのコピーに、価値を感じられるかどうか。
それは、国内の我々にも素直にそう出来るものでしょうか? >>103 不正解とは言いませんが、人気書家に憧れるティーンエイジャーが聞くと、大きく誤解されそうですね。「俺はちゃんと書いたんだから、お前らギャラリーが俺の人気を上げれば儲かるだろ?」とか言う勘違いさんが出てきそうです。 >>102
価値づけすることが出来ないとは価値がないということでしょうか? >>105
まー痛い目にあうでしょうね、そんな態度なら。 ガロさんはギャラリーがアートの中心と思ってらっしゃるんですか? >>108
横入りごめん
私はお金を出して作品を買ってくれるところが中心になると思っていますよ。
だから、ギャラリーじゃなくても
書道業界が別途そういう市場を作ることができるならそれでもいいけど
戦後、発展してきた間、何もしなかった体質を見て
公募展=学園祭での演奏会
ギャラリー=プロの演奏会
みたいなイメージで理解しています。
学園祭で盛り上がるのは、よいし、それで生活している人がいるんだから否定はしません。
でも、プロの世界があるのに、
そこに目を向けないで内向きな創作活動って楽しい?
って思います。 >>104
神様に見えると思いますが
現代美術って
そういう領域ですよ。
甘 く 見 る な ! >>110
大事なことをおっしゃっています。
書道作品が書道の世界で商品となっているなら、何も申しません。
しかし、実際には書道作品のマーケットは存在せず、
いわゆるお稽古ごとを通じてお金のやり取りが行われているのみ。
そこで作られた作品は、その伝承のみを使用目的として存在するだけになっているのですね。
それが書道作品の意義と言えば意義なのかなと思ってはいます。 ガロ氏、うど氏の書展で
「書家のための現代美術入門」という講演会をしたそうです。
評論家が「10万円で芸術作品を売ると元が取れない。」
と言っていると書いています。
これは、実感としてありますか?
私なんか10万円で売れたらすごいと思っちゃうんですけど。
ソース http://wayoh.jp/archives/900 >>111
それは>>96で言う世界のルール、言わばガロさんの業界でということですよね。
>>96はそこに合わせにいかないという趣旨の書き込みなわけですが。 >>115
わかります。
では、その「合わせにいかない世界」をまず作らないといけない。
今のところ「ヤフオク」くらいしか思いつかないですけどね。 結局、同じ人たちの同じサイトを見せられるんか、、、
着地点が毎度同じなのどうにかならんか? >>113
書は高尚すぎるんじゃないですかね。理解してもらうには勉強しなければいけないことが多すぎる。
勉強だけでなく実体験も必須と思います。実作者さえ理解してない人もいますから。
昔はみんな筆文字でしたから、成り立ってたとも言えると思います。
>>112
そんな極端な世界でもないですから…
買う側を説得さえできれば良いんです。そのためにいろんな仕掛けが必要ですけど。 >>114
10万円だと、かなり安い作品ですからね。
例えば、書道の場合
・裏打ち代
・額装(掛け軸)代
・輸送費
で2万円かかるとしましょうか。
それを10万で売ったら、ギャラリー側が5万、アーティストに5万なわけですよ。 >>120
また途中で送ってしまった。失礼。
となると、3万が利益となります。
しかもね、売れるかどうかわからないのに、先に2万円出して、仮に5点ギャラリーで飾る。
それで1点しか売れなかったら、赤字になる。そういうことかなと。 >着地点が毎度同じなのどうにかならんか?
書道業界の腐敗やマンネリ化は、やはり肯定できない。
作品を売って生活できるように書道団体が動いてほしいけど
もう、それは無理だと思われる。
かといって、個人で戦えるわけもない。
だから、答えはわかっているが、変える力がない。 ガロさん、フォームで文章作らないで、ほかのアプリで作ってから投稿してください。 >>117
ヤフオクですか。笑
それも個人であって、業界の救済にはならないですね。
日本はもう一度、道という概念を価値づけすべきだと思います。
茶道や華道も含めた文化的な芸術の概念です。伝承という現象も矛盾しないです。
国レベルでこの価値を輸出できる程度にまでしっかりしてあげるのはどうでしょう。
分野は違いますが、和食の世界進出が似ています。
世界の味覚に合わせるのでなく、日本の基準を価値付けして世界に提案しました。
たぶん和食を世界の味覚に合わせて勝負していたら失敗したと思います。 結局いつもあの人の所に連れて行かれるよねw
楷書と続け字は禁止、活字体はOKとか何度聞いても意味が分からない >>122
これも続きあるんだよね。
つまり、2万円かかるものを、5点並べて3万しかもらえないことになれば、アーティストとしては続けていけないわけですよ。 >>126日本の伝統芸能である書道をある程度までまとめて輸出するってことですか?
毎日展が確かパリで何年か前まで、巡回展をやってましたよね。それで何かが変わったという事は無いわけなんですよね。
やり方が悪いのか、そもそも日本の書道をそのまま形で輸出することが、果たして可能なのかということになりはしませんかね? 読める書とか調和体とか言われなかった時代でも、
たとえば石川啄木のペン字は多分誰にでも読める
やっぱり自分で歌が作れて字が書けたら強いね >>132
書家じゃないけど、与謝野晶子は金策のために自作の歌百首を屏風に書いて、
「百首屏風」として50円(当時の教員の初任給は11円)で販売した
字はそれほど上手くないけど、与謝野晶子の歌ってだけでプレミアがついたのかな >>131
?? ガロ氏名義で「うどです!」って。、?? >>134
うどですが何か?
って、全然面識ないですわ。 >>123
だって書道団体は、作品を売るんじゃなくて技術を売って生徒を増やして、
その生徒がまたお弟子さんをとってっていうネットワークビジネスだもの >>130
今までのは単なる国際交流ですから。
国が本腰を入れてやれば、道の文化から生まれるものの価値はもう少し上がると思います。
自国の文化価値は自国で明示するのが本来じゃないですかね?
美術市場へのチャレンジは個人単位でするのは良いことですが、日本が育んできた価値で
作られた書道を西洋のルールでジャッジして無価値とされるのは悲しく感じますな。 つづき。
中国が自国の芸術に対してこれをやる気満々ですよね。いや、すでにやってますよね。
やはりここでも国の勢いとお金の流れが関わってきそうです。 うどさんの書は好き嫌いが分かれそう
ていうか受けつけない人のほうが多そう >>139
アートバーゼル香港で、中国の書家がほとんどそのままの形で作品を売ってましたよね。
私が言ってるのは、現在の書道界の書道家が、従来の作品を作って売れないかなと思ってやってるのは、やっぱり無理だと思うんですよね。いつかは認められる、自分だって、死んだら値が上がるとか。
師匠の受け売りを下地にアレンジしてるだけですからね。
中国の方たちは、貪欲にマーケットで通用するようなものを作ろうと思ってやってると思うんですよ。
売れたかどうかは僕は知らないですけど、確かにやられた感がありましたね >>140
なんでそんなに1人の作家の評価を聞きたがるのかがわからん ガロさんの思い出話し、素性がわかるとこで話した方がいいと思う。ここは匿名だから、説得力のかけらも感じない。なんか勿体無いですよ。 >>139
後は実際に中国に行けばわかるかと思いますけど、彼らの書道に対する造詣の深さだったらないですからね。
一般の方々が、書道にものすごく詳しかったりするわけですよ。書道家ではない人が
日本でそんなことないわけですよ。だから自国の文化である書道が、日常にまで入り込んでいく、その度合いが全然違うんですよね
だから日本人が書道が自国の文化だと言っても説得力がないんですよね。いくら行政が主導したって、根本は変わらないわけですから。
いかに西洋かぶれになっちゃったかって話ですよ。僕を含めてね 高校の教科書を見よう。東洋独自の芸術を理解するためにはあまりにも貧弱ではないか。私が昭和二十年代に
編集していた当時は今よりまだ少しはページ数があった。他の教科のものと比べたわけではないが、その後世間
の条件がよくなっていながらページ数が減っているのはどうしたわけか。私は教育の場でそれほど必要としない
からだと思う。お役所は民意を反映するところだ。皆が必要とすれば教科書のページは増えるはずだ。それでは
なぜそんなに必要でないのか。書くことが中心となっているからだ。書くための手本なら、それほどのページが
いらない。教育の現場の経験は私は持たないが、現在は少し熱心な学生生徒は創作とか展覧会に走って教師もそ
のように指導する。書を鑑賞し、書を通じて文化を考える方向へ進むことはまれである。また、書を文化として
とらえるには教科書があまりに貧弱だし、その貧弱さは現場の指導方向の反映、といった形で悪循環している。
書くことのみによる指導からは受け手が生まれないのは道理である。このことは学校教育の場のみではなく書壇
全体の傾向だと思う。受け手のない書壇は技術競争の場となって、古来、書に深い関係を持っていた分野とも縁
を切り、自ら世間を狭くしてしまった。
(今井凌雪『書を志す人へT』(二玄社)P.14〜15、昭和五十一年二月) >>146
書に限った話じゃないね。
絵にしても彫刻でも芸術教育は最低限の手本を示して、あとはとにかく自分の感性で
やってみましょう、創作してみましょうだからね。
この歪んだロマン主義的教育はどこから生まれたものやら… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています