***御茶碗 6つめ***
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>>108
ぐい呑みならある程度好きにしていいもいいけど、茶碗と銘打つなら点前に使える物を作れって現代作家を見てて思う時がある
極める必要はない初歩的でもいいけど、茶道への理解ある陶芸家ってどれほどいるんだろうか >>89
ゴミ杉ワロエナイ。
古物の十右衛門(共箱)でも20未満、下手したら10近辺で買える(10位の十右衛門でももっと上手い)のにこんなゴミに手を出す奴おるんか? >>115
「茶道に使える」ってどういう茶碗を指してる?
口縁は茶巾が回せるようツルツルにしろとか高台はある程度高さ持たせて指が引っかかりやすくしろとか飲み口は飲みやすいように薄くしろとかそんなの?
それは使いやすいってだけで、使いづらい道具をあえて使うような楽しさも茶の湯だと思うけどな 茶道に使えるっていうと、それこそ加藤十右衛門の作はなかなかいいね
確か自身も表千家らしいが、実際に使ってみるとなるほどと感じる >使いづらい道具をあえて使う
使ったことはないが、当代の楽あたりの前衛レベルになると、これで一体どうしろとと思うがな 使いづらいってのは亭主だけの問題じゃなくて客にもそれを強いることになるんだがな
それでも「使いづらい道具を使える俺カッコいい!」なんてただの自己満足だな >>121
まあ自服だけしてる分にはお好きにどうぞってことでいいだろ
あるいは作家名で判断するような客、兎に角外せば通だと思ってる客相手にならむしろ「使える」し 客も「使いづらいものを楽しむ」っていう事を知ってる人に使う、とか「茶道にはこんな楽しみ方もあるんですよ」という提案だったりとか楽しみ方は無限だろ
こういうのが織部の精神だと思うよ >>119
十右衛門いいね
県の重要無形文化財には何の技法での認定だっけ? 何かやや荒れてる感があるが、
たぶん「使いづらい/使えない茶碗」のイメージがそれぞれ違うから会話が噛み合ってないように見える 美濃の話題はよく出る気がするが他の産地は話題ないの? 茶の世界が点前作法だけだと思うなら楽だけ使ったら? まあ価値観は人それぞれだな
茶を嗜む人間にとってみれば茶碗はそのための道具として適した(これまた人によって許容範囲が違うが)物を望むし、できない人間にとってみれば単に景色や造形、その他で楽しめればいいだけだし
他人の意見より自分の好みで買ってればいいんじゃないの? >>123
いや織部のはああ見えて実はすごく使いやすく作ってあるんだよ >>126
これ行ってみたかったんだよな
なかなか機会ないだろうし
またやってくれないかな >>130
そうね
本物の織部とそれを真似ただけの似非物とはまるで違う 今織部の悪影響でただのオブジェみたいな茶碗作る人多いもんな >>133
オブジェでも作ってる分には別にいいのよ
思想()世界観()とやらの表現したければお好きにどうぞって感じ
クラフト作家の内面なんて毛ほども興味ないがな
だが高く売り付けたいがためそれに茶碗と名付けるのは烏滸がましい >>134
マジでそういった作家ばっかなの困る。
お茶方の方を見ても写と称する写し未満の作品だらけだし…。
後、100も出すんなら作家物よりもそこそこの御本狙っとけってなるしなぁ…。 茶を知らないからか理解できずに逃げたからだよ
作る方も持て囃す方も
だからへんてこりんなゲテモノを臆面もなく織部の精神と履き違えられる
風評被害もいいところだ >>85
あくまでも「市の」無形文化財だろ?
たいしたことないよ
その市の人なら誰でもなれるっしょ
ふさわしい人がいなくても、市出身者だから良いな〜みたいな
47都道府県のすべての市町村が勝手にそれぞれ認定できる
そんなものに意味はない "汝らはすべからく茶を知れ、そして茶家の指導を受けよ、しからざれば茶器は生まれないぞ" >>123
前者
メクラ同士で楽しむなら確かに「使える」ね
自称「織部の精神」とやらで舐めあってればいいんじゃない?
後者
それこそ典型的な自己満足だな
付き合わされる客が可哀想だ 今の時代を耳庵が目にしたらどんな反応するか
怒りすぎて血管切れそう まあ今のがなんちゃって織部が多すぎなのは否定できない >>130
この前黒織部手に入れたが、よくわかる
昔はこんな形だから嘘だろと思ってたが、実際手にとるとよく馴染むんだわこれが ちょっと疑問なんだが、このスレにまさか茶道やってないで茶碗買ってる奴いんの?
好みはどうでもいいことだが、使わない物買ってどうすんの? >>147
>好みはどうでもいいことだが、使わない物買ってどうすんの?
おまえ不昧に同じこと言えんのw そりゃ畏れ多い名物だからだろ
このスレの奴が買ってるような安物とは訳が違う くだらない揚げ足とりのつもりなのかしらんが茶道をしてない奴が何のためにって話だろ 茶器を楽しむ文化は茶道ができるはるか前からあるのに何をいってんだか 茶道やってない人は家で茶碗で茶を点てて飲むことはないと思ってるの?
中学生かな? 147だが別に煽ったつもりはなかったんだがな、そうかいるのか
別にやりこむつもりないなら、いっそ飯茶碗か丼で代用すればもっと安上がりだろと思うが
ま、もうこれ以上はやめとくが >いっそ飯茶碗か丼で代用すれば
むしろそれはそれで1つアリなんじゃね 茶道始めた頃、家で手頃な大きさと形の丼を代わりに使って練習してた
今は当然抹茶茶碗を持ってるけど、時々懐かしんだり初心に立ち返る気持ちで使ってみたりもするな 茶道具に興味持ち始めて、家で使ってた茶碗や皿がやけにいいやつだったことに気づいた
家はまったく金持ちじゃないんだが、母親が顔広くて年配の友達たちがいろいろくれたんだよな
飯茶碗にしたり犬の餌皿にしたり、罰当たりだった まずうちさぁ、丼・・・あんだけど・・・飲んでかない?(迫真) >>159
その心、ゆめ忘れるべからず。だ
ただの道具自慢になったらいかんぞ
目指せ未来の大茶人
>>160
幼い頃に良い物に触れてたからこそ、その素養が今に生きたと思えば悪いことばかりでもないかろう
巡りめぐって興味をもってくれたなら俺なら嬉しいね >>156
高い物さえ買えば文化人を気取れるからじゃないかな
見栄を張りたいがためだけだから、修練は面倒だし、何より他人に頭下げて教えを乞うのが嫌ってんだろな 丼点前か
いっそのこと全部キッチン用品でやってみるかw そもそも茶碗は何かを飲むための道具であって、茶道のための道具ではない。
茶道の中に茶を飲む工程があるために使われているに過ぎない。
宋代の人は茶道をやってないから天目や青磁を使う価値はないってか? 自慢の茶碗って持ってても恐ろしくて使えないんだよなー
普段使うのは昔安く買った黄瀬戸の茶碗と木米の偽物がお気に入り 茶道を知ってた方がいいか、知らなくていいかってこと?
そりゃどう考えたって知ってる方がいいさ
俺の知り合いの範囲でだが、目利きの人達は全員茶をやってるな
俺自身も習う前よりも善し悪しの理解度が違ってる実感ある >>167
俺もまだなかなか使えないけど、いつかは晴れ舞台を用意してやりたいのがある 俺なんかは茶碗持ってる内に使いたくて堪らなくなってきたから茶道始めた口で、高かろうと安かろうと仲間内でどんどん点前に披露してるな
小弥太みたく稲葉天目でも手に入れたらわからんが 仲間内で披露か
骨董屋で見つけた茶碗に一目惚れしたが、その時は買えず、次には売れてしまってて、落ち込んでいたところ稽古の時に実は先輩が買っていたって経験あるな 萩なんかの変化が大きくて育て甲斐のあるのをよく使うな お前らの中で粉引でこれはって陶芸家がいたら教えてほしい 田原陶兵衛の12代目なんかどうよ
あと、個人的に金重素山でお気に入りのがある。ちょっと特別な相手をもてなす時に出してる >>174
粉引なら武末日臣で良いんじゃない?
殿様の粉引は独特すぎて嫌いだし、小林東五も良いと思うけどもう作陶してないし。 >>175
>>176
サンクス
検索でみた感じだがどれもいいな >>164
昔遊びでそれやってみたことあるw飯茶碗やら文化鍋やらお玉やら醤油差しやらでw
今を思えば1人とはいえバカやってたと思うが、やってみて侘び茶人の凄さを改めて思い知った
見立てってのは凡人には到底真似できないものだと悟ったわ >>178
お前がゴミカスなだけな事にバカは気づく事すら出来ないのね >>179
知らなかったから今ググって画像をパッと見ての印象だけど、作品から真面目さが見えるね
まだ若いみたいだし今後に期待 まあ釣瓶や魚籠を茶室に入れようという発想すら普通は思い付かんし、ましてそのスタイルが今もあるんだからな 茶道やってるだけで随分偉そうですな。茶道やると人間性が悪くなるわけやね。 茶道やってるオレ意識たけえええええ!
ってことですかねぇ たくさん茶碗買ってるうちに自分でも作りたくなってきた 茶碗好きが高じて茶道始めたが男性かつ若い世代がまるでいない >>187
多少いることもいるが、まあ年配が主だな
逆いえばいつから始めても問題なしということでもある
年いってから始めて大成した茶人もいるし、若い内だと伸び方が違うよ お師匠に連れられて宗匠のところで所謂名碗を触らせてもらえたのはいい思い出 去年の上野の茶の湯展いったとき卯花墻でいただいたことあるって女性がいたな
なんとも羨ましい 茶の湯はよかったな
あれだけのものはたぶん生きている内にはもうないだろうが 最近斗々屋茶碗のよさがわかってきた
「広島」が好き >>192
おいくつかは存じ上げないが、あと40年くらい生きてればあるいは >>193
俺は斗々屋なら「かすみ」が一番好きかな
でもこれからの季節平もいいね >>183
え?茶道いいじゃん
俺も落ち着けるようになったら始めてみたいんだが >>187
男性だと若くてもご婦人がたから正客を勧められがちだけど、自信ないうちは丁重にお断りしときなよ >>192
国立近代の樂家展と茶の湯展と畠山の3館ですごいことになってたな
>>193
斗々屋や雨漏り手はだんだん好きになるねえ
平斗々屋ってどういう手前になるんだろう。飲むのにも気を使いそう
>>198
どうやって断るのがスマートなのかな。 >>199
大事なのはスマートさよりも、とにかく「せっかくのお申し出ではございますが、不勉強ですので・・・」の姿勢で折れないこと
上級者でも遠慮するのが普通だから一回言っただけじゃ、ただの謙遜と捉えられる
あと気の利いた言い回しはかえって「できる人」と思われかねないから、丁寧だけど、ごくシンプルにした方が無難 >>176
武末日臣とかねーわ
東五の劣化版猿真似じゃん >>191
卯花墻で飲めるような女性がねらーだというのは意外www >>202
端折り過ぎたかな?順に説明すると
・俺は去年の茶の湯展に行って、卯花墻を見てた時、隣の女性客(グループ)が話していた
・ある1人が「先生はこれ(卯花墻)でいただいたことあるんですよね?」とその中で年配の女性に問いかけた
・年配の女性は「もう随時昔のことね」と答えた
細かい会話はもう覚えていないが、国宝でいただける人って実在するんだなってのが印象に残ったという話
たぶんあり得んが、その年配の女性がねらーかどうかは俺にはわからないな 静嘉堂文庫の曜変天目茶碗は今は知らんけど昭和の頃は茶事に使われてるらしいね
三菱商事の社長だかが何かに書いてたわ >>201
俺は武末さんのほうがアベレージは高いと思うし、粉引に関しては上だと思う。
粉引って意外とそっくりそのままの再現をやってる作家いないよね。 >>205
本家の粉引って全然粉吹いてるように見えない
なんかねっとりしてる
今の粉引は方向性が違うよね >>199
平茶碗だと千鳥茶巾や洗い茶巾といったちょっと変わった茶巾の扱い方があるよ
まあ平茶碗でまず注意するのは言わずもがな、こぼさぬよう湯水の入れる量や茶筅の振り方だね 画像で見る限り刷毛目も粉引もやりすぎ感はあるけど面白くていいんじゃないかな 茶碗の偉さって
工芸品としての出来
作者
どこぞの大名が持ってたとかの来歴
どれが最大のポイントなの?
それとも総合評価なの? 自然坊は好きだけどきちんとした席で使うのは敬遠されるんじゃないかな >>212
そりゃ本当は茶碗自体の良さが一番なんだろうけど、大抵の人はわからないから本当か嘘かもわからない作者や来歴で判断されがちだよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています