信長、秀吉は茶の湯を政治に取り入れて茶器の価値を上げてどんどん良いものを作る基盤を作った
いわば国家予算でやきものをやってるようなもの
家康は茶の湯の文化が好きじゃなかったので茶の湯に携わるモノの地位はどんどん下がり必然的に良いものを作る事もできなくなり庶民向けのやきもの作りにシフトしていった

桃山のやきものがずば抜けててそれ以降レベルが下がってるのはこういう事だと俺は認識してる