藍田たんが修行中のころ、山谷は枝に蛇が垂れ下がり、東坡は石につぶされたヒキガエルのように、と教わったそうじゃ
両名ともそうした自然の中に見えるある種グロテスクなほど強い生命力を
文字の書きぶりの中へ投影していくことで、完成度においてピークを極めた唐代の書を超えようとした。
唐代に山水が描かれるようになり、しだいに文人画として書画一体の世界が徐々に形成されたことと無関係ではなかろうが
注意しなくてはならぬのは山谷も東坡も画家であるまえに文豪であり
書そのものの立ち位置はもとより画よりも文学との結びつきを強く持つものである
ここのところを誤解が、文学性を無視する立場としての前衛書道の発生を余儀なくさせた。