>>253
書くという事には筆路の問題が先立つ一方、模倣のアプローチにも臨書以外のがある。
似せようとする形臨とか、似ても似つかぬ意臨とか。臨書にも色々あるが、それ以前。
教育現場では「俺のは意臨」も、極端な「似せればいいんだろ」型の筆路無視も困る。
特に後者は筆順崩壊型の「見た目」優位指向が強い。つまり書くのではなく、似せる。
双鉤填墨といっても本格的なのではなく、書を字でなく絵の様に見れば自然そうなる。
字と認識できないまま臨書する現実がある。古典は国語でも書道でも見るのが初めて。
素直な感性とは、徹底した無知状態の感性を意味する。それが保存されたまま、授業。