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訓読ではないけど、日本漢文の現代語訳でも。明治五年1872壬申。
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「夕立がやんで涼風が起こり暑さを一時忘れていた時、本屋の万鍾房の主人が訪れて、子供の学習に
役立つような新しい本を書いてほしいと頼まれた。人は先ず下学(身近な所から学ぶこと)しなけれ
ば深い道理に達しない(論語にあることば)と私はよく人に言っている。それについて、文安年間(室
町時代の初め)に作られ、寛文年間(江戸時代の初め)に訂正出版された『下学集』という本があり、
また、正徳年間(江戸時代の中ごろ)には『新撰下学集』という小さい本も出版されて子供の学習の
役に立ってきている。初めて学習する者にはなお不足なところもあるが、しかし、ほとんどの人はそ
ういう本があることさえ知らない。ここにもう一つ『消息往来』という本が出版されていて、これは
皆知っている。しかし誰が書き著わしたものか判らない。その文章の体裁は俗っぽく、字句の分け方
もまちまちで、まるで文に成っていないが、寺子屋の先生は、ほとんどこの本を使って子供を教えて
いる。しかし世の中が一変し、手紙を書くことが多くなってきた今日では、『消息往来』はやめるべ
きであるが、相変わらずそれを手本にして「一筆啓上」と書き出し、返事には「御華墨(手紙のこと)
拝見」と書いているのは大変時代おくれでおかしいことだ。新しい本を作りたいという本屋の考えは、
ここにあるのであろう。そこで、子供のための本としては、あまり難しくなく煩雑でなく、しかもそ
の『消息往来』を参考に手紙用語をのせるようにすれば、これまでの本に慣れきっている者にも理解
しやすく、もっと深い勉強にも進みやすいと思うので、そのような考えのもとにこの本を作った。幸
いに、これから学ぼうとする人がこの本を選んでくれて、大いに活用してくれれば大変満足である」