どうも例の雑談スレが消滅したらしい。その中に書いた拙稿も。で…こちらに再録する。
佐藤道信『〈日本美術〉誕生 近代日本の「ことば」と戦略』(講談社選書メチエ)P.38。

> 実は、「美術」の語が誕生する下敷きとなったのは、ほかならぬ「芸術」という語だっ
たように見える。
>「芸術」の語は、中国でも日本でも近代以前からあったことばである。しかしその意味
は、いまとかなり違っていた。
>『大漢和辞典』で「藝」の字を見ると、礼楽射御書数の六藝、易詩書礼楽春秋の六経な
どもさし、わざ、才能、才智、学問、技術といった意味があった。つまりいわゆる人文系
の学問一般のほかに、数学や音楽、また弓術や馬術などの武芸も含んでいたのだ。清代の
『鼎文版簡目彙編巻四』によれば、「藝術典」には占星術から農業、漁業といったものま
で含まれている。晋書・周書・北史・隋書などで「藝術伝」といえば、卜祝筮匠の技に長
じた人の列伝で、占いの意味も大きかったらしい。
> もう少し「藝」の字を見てみると、「藝」は「蓺」の俗字で、「埶」は種をまく意味。
まいた種が成長して立派な樹木となることから才幹の意味にもなり、「艹」冠をつけて
「蓺」、さらにそれが「藝」になったという。
> 日本では「藝」を略して「芸」とし、これを「ゲイ」と読むが、中国ではもともとこ
の両字は別のものだった。「芸」は読みは「ウン(云)」で、虫よけなどにも使う植物の名
前のこと。阿辻哲次氏によれば、中国で宮中の蔵書機関を「芸閣」と言うのもこのことだ
が、日本では本来のこの「芸」の字がほとんど使われなかったために、「藝」とバッティ
ングを起こすこともなかったという。
> つまり、「芸術」は、学問から武芸など幅広い技術までを示すことばだったわけだ。お
そらくは、そこから武芸や占いなどを切りおとし、“美”に関する術に限定する意味で、「美
術」という語が作られたのではないかと思われる。