習字も書道も捨てたもんじゃないよね!! その2
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お陰さまでその2になりました。お習字の人も、趣味の書道の人も、芸術書の人も、学問の人もみんなで語ろう!!! 書は奥が深いです。一生やってられます。いろんな人がいます。いろんな書があります。素晴らしいじゃないですか(*^◯^*) 自分が一番上手いと誰もが思ってます。そう、自分の中ではそれでイイんです。でも、自分より頑張ってる人がいるかも! 自分より悩んでる人がいるかも! まさかそんなことはないけど、自分より上手くて博学な人がいるかもしれないですよ(°_°) …まさか 語り合えばお互いに高めあえるかもしれないです。そんな淡い期待を胸に秘め、匿名の会話を楽しんでみませんか(*^◯^*) ★自慢話しや宣伝活動はお控えください。 ★勧誘もお控えください。 ★作品を見せ合うのはお控えください。 ★荒らし・ほぼ荒らしには付き合わないでください。 ★挑発的な言葉は控えましょう。 ★意見が合わないこともあります。 ★自論を押し付けないこと。 ★結論を焦らないこと。 ★カッとなって失礼なこと言ったら、頭を冷やしてちゃんと謝りましょう。 ★お友達は出来ないと思ってくださいね。 ★でも、みんな本当はいいヤツなんだよ(*^◯^*) 以下、その2から追加します ★基本sage進行でお願いします。 ★ネタが無ければ黙ってましょう。 ★意見は簡潔に述べましょう。 ★比喩表現はよく吟味してから使いましょう。多用は嫌われます。 ---------- ◎前スレ 習字も書道も捨てたもんじゃないよね! https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/gallery/1498919452/l50 書と大災害は密接?って聞かれてるのに オオカミがーーーー!!!!!! って言い出す病気です 妄想… ありもしないこと、起きてもいないことに、(病的な) 誤った判断や確信を持つこと。 不安を感じて倦怠感が出たり、頭痛、腹痛、下痢、嘔吐、過剰な睡眠、不眠などがあれば不安障害になるのかな。心療内科や精神科を受診されるのが望ましいです。学校や職場にカウンセラーさんがいらっしゃれば、一度相談されるとよいですね。 妄想だよな >>231 がオオカミの吠える暗がりの庵で書いてるわけないよな 本人は妄想だと思ってないみたいだけど 水滸伝なんか読んでると峠の茶屋で眠らされて、山賊に捉えられて鍋料理にされて食われちゃったみたいな話は普通に出てくる 日本だってカチカチ山のタヌキじゃないけど、暗闇と騙しに乗じて人が食われちゃうほどの恐ろしい日常というもんが描かれているように、そんな安全じゃないわけ 現代のように防犯カメラと24時間体制の警察に守られている、清潔で除菌で消臭な ライフスタイルなんか全っっ然有り得ないわけ 北のほうじゃ、登山中に熊におそわれて死んじゃう人は現代でもいるしね いまより格段にはかなき命だった100年以上前なら、思いを託すために筆を執るのはなにもマニアックでもオカルティックなことでもないよ いつ死んでもおかしくないと、みんな思っていたからこそ、現代人とは違う感覚がある。 これぐらいのこと言ったら精神病扱い。なにせ想像力の欠如した馬鹿というもんは始末に負えないな。おめでたいとしか思えない 油煙墨と松煙墨ではどちらが好みですか? 最近わたしは松煙墨が好みです。 誰でも死ぬのよ 人は生まれた時から いつ死んでもおかしくない 死なない人はいない いつ死ぬのか、やら どんな死に方がいいのか、やら そんな思いに取り憑かれても いつどんな死に方をするのかなんて たいていは選べない 先のことでくよくよしてないで 生きてる今を楽しんだらどうだい? >>283-284 あのねー昔の人が字が上手だったのは才能でしょうか?っていう質問があったからこの話なの。 きみたちのは、なにかを解ってもらおうとして述べているんじゃなくて、 ただの野次なの。 おれが「馬鹿」というワードを向けるのはこの人種に限るの。 自分の言葉ではなにも説明しようとしないで、他人の揚げ足取りに終始。 昔の人は、「書いとかないとアレを忘れる、アレが忘れられる、もったいない」の想いが、現代の筆文字屋さんより格段に濃厚である、だから技法が確か、かつ芸術的要素が濃い。 これを言った、ここへ反論する気持ちが無いなら黙っとけ おれが厨二病だとか?論外だわ >>287 お前最初は>>217 に対して「昔の人はいつ死んでもおかしくないという思いがあった」 なんて話はしてなかっただろ 分が悪くなって>>226 から急に主張を変えたくせに >>218 から>>226 の間に分が悪くなって?話を掘り下げたり展開したから次第に内容が広がっただけじゃん だれかと言い合いをした覚えもないし、必然的に分が悪くなるわけもないだろ? 途中、雑音を発する野次馬に一言ふた言罵声をあびせたかもしれんけどw みんな興味を無くしてるのよ 面白くもないし、的外れだし、 勝手に話しをデカくしたり、 他人を攻撃したり、 すり替えたり、 そんなヤツがどんな立派なことを言っても もう無理でしょ >>290 >>223 までの主張をどう掘り下げたら「いつ死んでもおかしくないという思い」になるんだよ ああ言えばこう言うの典型だな >>291 が結論を出してる そう「的外れ」 その一言で終わる >>292 >ああ言えばこう言うの典型 まったくだ この手のチキンに付き合うと終わりが無いんだよな ほぼアラシになってるからほっとこう はああ? こんな時間に立て続けに5レス伸びるか? いろんな人が口々に言ってる風な演出するほうがよっぽど馬鹿だし病的やぞ? そこの約一名、おまえが病原菌だっつのマジ消えろ、とは言わない。せめて自覚しろw >>291 おまえおまえ。 俺はな、いちおうは質問者の疑問が張れるようにあの手この手で話題提供してるだけ この話題はもう期限切れかもしんねーけど。 ただ「他人を攻撃したり」っていうのがマジに性質が悪りーよ。 おれは悪意のない他人は一切攻撃してないからな。 あと同じ話題が延々つづくのも、いっこ書いたらイチイチしょうもない質問口調の野次が飛んでくるからだろ? もう一回同じような説明を「させてる」んだっつの。「もう飽きた」じゃねんだよまったく。 ちなみにこの三連投はぜんぶ俺。おれはチマチマ校正しないので言い足りず、一人でも連投しちゃうことがあります。 馬鹿には馬鹿になって付き合ってあげるお人よしなんで、ある意味しょうがないねw 「妄想」の一言で言い訳成立ってのがよくないよな。 アイデーとかワッチョイ入れて欲しい。 ここのスレ主>>1 さん、比喩表現の多用は嫌われます、とかくっだらねえ私見をテンプレに入れてるヒマがあったら、そっち工夫して欲しいなあ 比喩表現は理解力に難があるなと思った相手に対して使う「優しさ」だからよww これ言っちゃうとますます荒れるか(爆笑) 例えが下手ってことを教えるのも優しさだけど 口答えするな!って逆ギレして発狂するから始末に負えない 口答えするな!っていうのは正論だよw 口答えは邪魔なだけだが、それならちゃんと反証なり反論をすればよろしいw >>303 >口答えするな!っていうのは正論だよw 基地外だなこいつ(笑) >>283 昔の厨二病なら、諭吉の場合こうだった(「福翁自伝」中、「幼少の時」より) https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/1864_61590.html 年十四、五歳にして始めて読書に志す私は坊主にならなかった。坊主にならずに家に居たのであるから学問をすべき筈であ る。所が誰も世話の為人がない。私の兄だからと云て兄弟の長少僅か十一しか違わぬので、その間は皆女の子、母も亦たっ た一人で、下女下男を置くと云うことの出来る家ではなし、母が一人で飯を焚いたりお菜を拵えたりして五人の小供の世話 をしなければならぬから、中々教育の世話などは存じ掛もない。云わばヤリ放しである。藩の風で幼少の時から論語を続む とか大学を読む位の事は遣らぬことはないけれども、奨励する者とては一人もない。殊に誰だって本を読むことの好な子供 はない。私一人本が嫌いと云うこともなかろう、天下の小供みな嫌いだろう。私は甚だ嫌いであったから休でばかり居て何 もしない。手習もしなければ本も読まない。根っから何にもせずに居た所が、十四か十五になって見ると、近処に知て居る 者は皆な本を読で居るのに、自分独り読まぬと云うのは外聞が悪いとか恥かしいとか思たのでしょう。夫れから自分で本当 に読む気になって、田舎の塾へ行始めました。どうも十四、五になって始めて学ぶのだから甚だきまりが悪い。外の者は詩 経を読むの書経を読むのと云うのに、私は孟子の素読をすると云う次第である。所が茲に奇な事は、その塾で蒙求とか孟子 とか論語とかの会読講義をすると云うことになると、私は天禀、少し文才があったのか知らん、能く其の意味を解して、朝 の素読に教えて呉れた人と、昼からになって蒙求などの会読をすれば、必ず私がその先生に勝つ。先生は文字を読む許りで その意味は受取の悪い書生だから、之を相手に会読の勝敗なら訳けはない。 既に完全に信用されなくなってるから、どんな立派なことを言っても無理です 信用を取り戻す努力をしてください ファミマのスティックケーキなるものを初めて買った。これはうまいな 昔の人の書はすごい綺麗ですよね。 やはり何回も練習したんでしょうか? それとも昔の人は簡単に綺麗な字が書けたのでしょうか。 たくさん練習しても全然上手くならないので、才能が違うんじゃないかと悩んでます。 高斎単山の書塾(高田竹山の話) 先生は、弟子に対してとても厳しい人でした。私達のような内弟子には、決して手を執って教えることをしません。初めて 書法を教えてくれるのは三年以上たってからですし、七年以上も先生のそばに内弟子として仕えなければ、書論の講義をして もらえませんでした。どんなに書技が早く進んでも、年数による階級の区別は厳重だったのです。そこで、年数が少ないもの は、毎月五日か六日、先生が揮毫して見せる日に、そばで墨を磨ったり紙を抑えたりして、先生の揮毫の仕方を覚えたもので す。私は学僕(塾に住み込んで塾の雑用をしながら学ぶ若者)でしたから、月謝も食費もいりませんでしたが、その代りに、 炊事もやれば拭き掃除もやりました。それはこき使われるという感じのきつい仕事で、昼間はいろいろな用事を言いつけられ、 とても落ちついて勉強などできませんし、夜は仕事がすむと漢学塾(植村蘆洲の塾)へ漢学の勉強に行きましたから、書の練 習は、しばしば夜通しの修業になりました。夜も寝ずに夢中になって漢学の書物を開き、筆をとり、その場に疲れ切ってぶっ 倒れるまで学んだものです。冬の夜は、他の塾生が起きているうちは火の気もありますが、他人が寝てしまえば広い稽古場は 火の気がなくなります。まだ十代なかばの私は、ついうとうとと眠ったりしますが、目が覚めると手が寒気ですっかりこごえ てしまい、文字を書こうにも動きません。息を吹きかけたり、もんだりするぐらいでは全く利きませんから、そういう時は庭 へ下りて井戸まで走って行き、はだかになって頭から一気に水を浴びるのです。山の手の井戸はしゅろの葉の繊維で編んだ縄 の十三、四ひろ(約十四、五メートル)も下る深さがありましたから、冬の水は温かく感じます。それを何度もかぶると、体 や指先がポカポカしてくるので、そこでまた机に向かって稽古を続けたものでした。 また、昔の書家は、木版の版下(印刷用に文字をきざむ版木に、はりつけてほるための文字の下書き)を書いたものですが、 私も若いころによく書きました。もちろん修業を積み、先生に許されてから版下書きができるのですが、木版の版下はそれほ ど細かい字ではありません。細かすぎては版木に彫るのもむずかしいし、彫れたとしても刷るのがまたむずかしくなるからで す。明治時代に入って木版に代わり銅版が使われ出しました。銅の板で造った印刷用の原版で、原稿を手彫りしないですみま す。薬品で腐食させて作るのですが、今のような活字がない時代ですから、文字は書家が書かねばなりません。しかし、銅版 は手彫りの必要がないからと、三ミリぐらいのごく小さな文字を書かされることになりました。もちろん、銅版の版下書きは 値段が高いわけです。私はまだ少年のことですから、目に自信がありましたし、お金も多くもらえるので、進んで銅版の版下 書きをしました。昼は学僕ですから、先生の用事も多く、時には先生の代りに子供の弟子へ稽古をつけることもしなければな らなかったので、仕方なく夜の間に版下を書くことになります。今のような電灯はありません。魚油をともした行灯の薄暗い あかりで書いたのです。行灯は三方を墨で塗り、一方に光を集める工夫をしてはありますが、その暗いあかりで三ミリ以内の 小さな文字を根気よく書いたわけですが、今考えると、よくあの様な仕事ができたものだと思います。 書家になろうとする者は、大字は方一丈といって約三メートル四方、小字は方寸といって約三センチ四方に、千字は書かな ければいけないと言われますが、大きな字を習うには普通の紙に書くわけにはいきません。そこで朝早く掃除をする時に、玄 関の広い式台(玄関の上がり口にある土間)に、しゅろの葉で作ったほうきを水につけて書いたり、砂場へ行って竹ぼうきで 書くということをよくやりました。そうすると、思い切って大きな字が習えたのです。 また、昔の師匠は早起きの人が多く、日の出るころには起きて庭先の手水(手や顔を洗う水)を使いましたが、単山先生も その例にもれません。先生の屋敷には、差し渡し三尺(約一メートル)ぐらいの手水鉢があって、私ども学僕は毎朝、先生の 起きる前に、それにいっぱい水をくみこんで用意しておかなければなりませんでしたが、それがなかなかいっぱいにならず、 実につらかったものでした。冬の最も寒い朝は、手水鉢の底まで氷が張っているので、くんだばかりの井戸水をどんどんかけ て、氷を井戸水の温かさで溶かさなければなりませんでした。それをどんなに寒い朝でも、はだしで、針のようにとがった霜 柱をふんでしたものです。 私が単山先生の門に入ったのは、明治二年で数え年九歳の時です。私は十二、三の時に先生について萩原秋巌の根岸の塾の 新年会に行き、単山先生の揮毫の後で書いてみせましたが、その時の秋巌の顔を今も覚えています 単山先生の代りとして、東京山の手に住む仙台の若殿(私より三つか四つぐらい歳下だった)のところへ教えに行ったこと があります。私も十代なかばで、お互い子供同志の遠慮のなさでの稽古ですから、先生が教えるより、私が教えた方がよく覚 えるというので、その後たびたび代稽古をしました。単山先生も、もちろんそこへ、出稽古をすることがありました。 こうして私は、十四、五歳まで先生のところで過ごしましたが、そのころから時勢が段段変わってきて、年二回の御礼が月 謝となり揮毫料なども決まって、先生の家の収入は次第にふえてきました。ある時、先生がいつものように私に代稽古を命じ て、熱海温泉へ二週間ほど遊びに行かれましたが、あいにく、私はかぜがもとで肺炎を起こし高熱を発してたおれてしまいま した。心配した父母が私を実家へ引き取って看病してくれたのですが、先生が帰ってこられてそれを知り、ひどく怒って私の 家へ来られ、「いやしくも師匠の代理をしておりながら、師匠の留守中に自分の家へ帰るとは何事だ」と言いました。私の父 はカンカンに怒って、「伜が重病だというので連れて帰ったのがなぜ悪い」と言いましたから、とうとう二人でけんかになり、 父は「そんなわからない師匠なら、もう行くに及ばん」と言い出しました。そのため私は住みこみをやめなければなりません でしたし、父の怒りもしばらく続きましたが、その後また稽古に往き来するようになりました。 明治五年に初めて小学校の制度ができて、これまでの私塾などがほとんどそのまま小学校になりましたが、単山先生の塾は、 そのような小学校よりずっと高等なもので、普通の小学校の卒業生などに教えていました。私などは、先ず最初に草書を一字 ずつ大きく書いてから、楷書を習ったものです。そうすると手がほぐれて、腕の回転が自由自在になるからです。 私は十八歳の時に単山先生の塾をやめて、薬研堀(今の中央区東日本橋二丁目あたり)に書塾を開きましたが、やめる時は 私の苦しい修業振りを理解していた植村蘆洲先生が同情して下さって、私の退塾に不機嫌な単山先生から私をかばってくれま した。書家の高林五峰さん(父の高林二峰も書家で、菱湖の高弟達と親交があった)は私と同じ年齢ですが、私より三年前か ら蘆洲塾の門弟です >>301 違う違う 誰が見ても例えがおかしいので、それを指摘するのも優しさだけど 口答えするな!って逆ギレして発狂するから始末に負えない >>309 わたしも同じようなこと思ったことありましたよ。 焦らず練習されるのが良いかと思います。そのうち上手くなるさ、くらい気持ちで練習するようにしてから、少し肩の力が抜けた気がしてます。 コピペは少しにして、リンク先で読ませてもいいかもしれん 文章が整理されてるから、ここに貼っても読めるけど ヒマな時に読むわ(笑 「読ませてもいい」じゃなくて「読んでもらってもいい」だろ >>319 リンクすれば元ネタの紹介者がバレるし、全体は本一冊分くらいの長文だよ。 その中から抽出箇所を見つけるだけで十分めんどくさい。だからコピペが最適と判断。 あれでも原文から少し省いてるの。まさか四分割になるとは思わなかったけど。 コピペの動機は>>318 に同じく、「これは読んで貰いたい史料だ」と思った。 最初に読んだ時は衝撃を受け、その後の人生まで左右した。さすが子供向けの文章。 >>322 要約しても良かったかもね。 何ヶ月かしたら読み終わるわ(笑) >>321 お読みいただいてもおよろしいかもしれませぬ、だろ。 こんな面白い話なかなか読まれんのに、、、 野次馬キャラの人が多い、、けどなんか解った 野次馬キャラの人ってやっぱ生まれついての、根っからのひと山ナンボなんだね セレブな奥様は今日もつらつら考える 移民問題 この記事のコメント欄で全文が読める >>313 おもしろいです たっぷり味わいたいね 関連情報こ追記も楽しみ 外野が五月蝿くても 気にせず味わいましょう >>329 です。 ごめん間違えた × 関連情報こ ↓ ◯関連情報の >>327 このほうがいいよ 長文コピペでスレを汚すよりはね >>310-313 引用のレベルを遥かに超えている 著作権侵害だ戯け >333 ワーグナーはバイロイト以外での《パルジファル》上演を禁じたとか。1886年のベルヌ条約で1913年までの 独占上演が認められたものの、著作権が切れるのは没後三十年まで。条約批准しない米蘭では構わず上演。片や 日本は不平等条約改正問題が背景となり、1899年にベルヌ条約加盟。〜この時期が一番ややこしい。日本の出 版文化は明治十年頃までに概ね活字化し、開国前とは状況が一変した。つまり著作権概念の導入と活字化の流れ と国語の確立が同時並行し、書字文化はいきなり置いてきぼりにされたかの様な。西洋では音楽であれ出版であ れ、すったもんだの熟成期間が法概念を鍛えたのに対し、日本では国際的規範性に適応するのがやっと。今でも 後遺症を引きずってるんじゃなかろうか…中韓ほどではないにしろ(こっちは過剰適応、あっちは適応不全?)。 >>334 著作権者が誰かを聞くということは当然許可を取っていない 著作権の保護期間が過ぎているかどうかも当然知らない 法に抵触する可能性を知りながら何の確認もせずに他からここに転載した戯け wikiより。 高田 忠周(たかだ ただちか、文久元年5月9日(1861年6月16日) - 昭和21年(1946年)10月24日)は、 日本の書家、説文学者、漢学者である。名は忠周、字は士信、竹山・未央學人と号した。『古籀篇』により、帝 国学士院賞を受賞。『五體字類』の監修者として広く知られる。 歿後72年でも著作権侵害になるらしいが、その根拠を示せ。 >>338 転載元のブログで確認しろ >>310-313 は 苹とやらの「三十年以上前の蔵書」の学童向け雑誌記事の 巻末にある「ご家族のためのページ」に掲載されている内容だ その記事が高田忠周の没後に掲載されたのではなく 出版社から依頼を受けて高田忠周が執筆したという証拠を示せ戯け >>341 君は誰の何の権利を守ろうとしてるのだ? それを先に言いなさい。言えないならこの話はオシマイ。 >>344 逃げの体勢に入ったwww ダッサwww >>341 どう見ても昭和五十年代、「記事が高田忠周の没後に掲載された」のは分かる筈なのに… >>338 どう見ても昭和五十年代、「記事が高田忠周の没後に掲載された」のは分かる筈なのに… 今は保護期間が50年だから 2015年から30年以上前に発行された雑誌ならアウトの可能性もあるね あくまでも発行された年だったらの話 >>344 誰かを守ろうとかそんな大袈裟な話じゃない 違法アップロードされている物をわざわざ探し回ったりはしない 目にしても通報ボタンを押さない時のほうが多い その程度のことだ ここで違法性を指摘しているが、権利者を調べたり通報するつもりはない 反省しているようには全く見えないが 著作権者に許可も取らず保護期間の確認もせずに 著作の内容をここに記載したことに対してどう考えているんだ 当時『文化書道』学童版に連載された渋谷有康「近世習字教育のあゆみ」の話か オリジナルの出版物での引用を問題にするなら、版元の代々木文化学園に聞け 転載の転載といった連鎖を問題にするなら、ネット情報の多くが焚書状態になる 共産中国みたいに検閲強化を言い募るかの様な姿勢は、如何なものかと思う >>348 発行年から50年なのですか? 著者が亡くなって50年後に発行されたら、歿後100年に延長されますか? >>349 お前また妄想が始まってるぞ 日に日に悪くなってるから 早く病院行けよ >>339 やめなよ! 知ったかぶりたいだけなんだから ほっとくのがいい 付き合っても何の得も無いよ ,.-‐、 / ゝ--──--、._/'⌒ヽ /,.-‐''"´ ヽ / | / | l \ l .| ● / | l , , , ● l 荒らしはいいかげんにしなョ! 彡、 ( _●_) 、、、 / `ー 、__ |∪| ミ /`''ー‐ヽノ─‐‐‐┬''' ""´ ./ ___ l __ l ./ / |/ | `ー-< / ./ ./ `ー‐--{___/ゝ、,ノ このスレは著作権の啓蒙活動スレではありません。 習字や書道のスレです。 お忘れなく。 >>352-360 連投キチガイ もうちょっと間隔あけろよ間抜け それ、たぶんあってるw っけど、著作権って営利目的の転用じゃなきゃ問題視されない慣例じゃろ? 常態的かつ無許可の営利目的だと、権利者の訴訟に応じて処罰の対象になるけど そういう悪意がない場合は、良い意味での紹介効果・宣伝効果のほうが大きいわけだからさ 俺おもうんだけど、話がそれたり長引いたら「荒れた荒れた」って騒ぐのもどうかと思うね いっこ疑問が出てきたら、納得いく着地点のないまま「次!次!」なんてあまり知的でもないw なんか体裁を気にして「ただいま不適切な映像が〜しばらくおまちください」の昔のNHKの放送みたいだよなw >>363 そうだね、放置されてるよね 連投キチガイの今回の転載は合法だし 著作権の「権」は、著作物の販売によって収益を得る権利のことでしょ? そもそもが芸術などの尊くも非実業的な人文系の生活を保障するための救済手段であり、人文系が苦手なおカネの問題を補助する目的の法。 だから、転用は収益を得る権利を侵害すると見ることもあるし、逆に紹介効果によって支援しているとも見ることができる。 勝手にパクッて販売を行っているかどうかが分かれ目だけんね。 ネットでの発信だとちょっとそこがグレーになるね 無断で行った行為がネタ元の閲覧数を増やすのか減らすのか、収益に影響するか、、 もうちょいカオスな問題だと思うね。 連投キチガイというのは誰かと誰かを混同してるかもよ。 ただ、これを書いたのはこの人物、とわかりやすい人とね、超わかりにくくしてる人がいるだけ。 >>344 勝ち目がないと思って 話 を 終 わ ら せ よ う と す る 馬 鹿 あんたのやったことは合法ですよ お ば か さん^^ 月刊競書誌、幼年から中三までが対象の学童版。置き場所に困る。捨てられがちでは。 昭和五十年代は書塾最後の隆盛期だから、それこそ大量の部数が出回っていた筈。 そこに大人用では見た事のない記事がある。でも競書誌だから月が過ぎればお払い箱。 勿体ない。子供の頃のを保存している中高年なんて、そんなに多くは居ないだろう。 どれくらい読まれたのか。大抵の子供は手本のページだけ見るか、全く見なかった。 大学教育学部書道科にも現存しない筈。となると引用対象の質や事情が違ってくる。 >>368 こないだNHKか日テレかなんかで特集見たけどねー まず嫁の稼ぎを取り上げる甲斐性なしなうえ超絶自堕落な鬼畜親父だったのと 生涯を通じるとあまり真剣に規範的書法の修行をしてないなと思った なんか目立つことがやりたいなあと思っていただけの二流書家 いまの若い連中に、「あんな感じでもアリなのか」と思わせた功罪について、そろそろ見直されるべき 本人の死後に美空ひばりが絶賛したことで人気に火が付いたゴッホタイプなんだけど 嫁は来世では結婚したくないと断言してたのが面白かった 書道少しかじった者です教えて下さい。元が文字を書いた物じゃなくても書と呼ぶのでしょうか?前衛や抽象的な作品でも今まで全て文字という認識でいたので最近の風潮に???です ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる