>車輪に焦点を当てるのは結構だけど、『車輪が地面を磨り潰す』に主眼がある、という解釈はやはり無理があるよ。
>繰り返すけど「挽」には『磨り潰す』という意味は無く、さらにそれが「車を挽く」という動作の眼目ではないからね。
それじゃ豆を挽いてコーヒーすら飲めないな。

>はて、今は福沢の「挽碓」と「車挽き」の話だったはずだけど、福沢は薬研の話もしてるのかい?
>自分は福沢の用字についての議論をしているのかと想ってたんだけど、違ってたのかな。
だったら面が違うとか茶々を淹れなければいい。そこに引用してあるように用途によって形が変わっただけだろう。

>碓を廻すという作業について、人力から水力・風力・蒸気へと動力源が移り変わって楽になった、ということだね。
>これは、それまでの文章で「当たり前の人力なんかに焦点をあて」ていたからこそ成り立つ説明じゃないかい?
動力に焦点をあてているのが、何故人力に焦点を当ていていることになるんだ?