最近『が』の使い方がおかしい人が多いよね。
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>>172 揶揄でも主格の強調のように聞こえるような話し方や使い方をする人が増えたからだと思う。 「だが」は「であるが」が約まったもんだよ。 この「が」は接続助詞で、「である『ものの』」の意味の格助詞から派生したもの。 本質的には逆接ではなくて、語法としてそういう意味が生まれたに過ぎない。 >>172 麻痺してるな。最近のクズ企業は安易に「操作が簡単です。」と書く。 「これは〜です。」 「これが〜です。」 強調ではないの? >>175 だ と であ では 縮まったのか訛ったのかわからないんじゃないか? 操作であるものの簡単である。 操作だけど簡単だ。 操作が簡単な。 >>177 「これは〜です。」 は「これは何ですか」に対する答え。 「これが〜です。」 は「どれが〜ですか」に対する答えであり 「〜はこれです」と同じ意味だ。 >>173 主格の強調ならそれはそれなんだが、>>156 は、「特定の事の強調」と言っているだろ?これがポイント。 分かり易くするため、「普通文風の文語」に翻訳してみる。 A 正しい共時的理解(俺の説ということw) 操作が簡単です。 = 操作簡便ナリ。(無標) 操作は簡単です。 = 操作ハ、コレ簡便ナリ。(主題を明示強調した有標表現) B >>156 のノスタルジー的理解(少なくとも共時的には誤りだと俺は考える) 操作が簡単です。 ≒ 操作ゾ簡便ナル。(こちらが強調表現だとする) 操作は簡単です。 = 操作簡便ナリ。(無標) >>156 の発想は、「総記のガ」なる怪しい表現を、ラベリング命名してしまった一部の国語学者の発想に近い。 本来は補集合なのだが、補集合であることを、心の底で納得できなかったのだろう。 僕の意見は、置き換え可能な場合の「は」と「が」の違いは 聞き手に対して、「が」は新情報で、「は」は旧情報、というものです。 新情報は聞き手に対し何も含意しない話者による純粋な情報。 旧情報、すなわち「は」の持つ主題性は何がしかを聞き手に含意させる。 『操作が簡単です。』= 裏の含意の無い新情報だが、 操作は難しいと思っている聞き手には新情報として「簡単」が強調されているように感じる。 『操作は簡単です。』= 「操作」は主題で、聞き手が主題をどう思っているかで意味が変わる。 操作は簡単と思っている聞き手には、一般論として中立的表現に感じる。 操作は難しいと思っている聞き手には、予想外感を抱かせる。主題の期待された述語を裏切られる。 『テレビが信用出来ない』= 話者による新情報として提示されているので、聞き手は話者個人の意見と捉える。 『テレビは信用出来ない』= 主題として提示されているので、聞き手がどういう先入観を持っているか話者が予想する事で意味が変わる。 聞き手も同意する一般論となる場合と、聞き手の予想を裏切る場合がある。 『シートが後ろに倒せない』= 「シートが倒せない」のは話者の提示した新情報である。 『シートは後ろに倒せない』= シートは倒せるものだという聞き手に対しては予想を裏切る意図、 シートは普通後ろに倒せないものだという認識を共有してる場合には一般論の提示となる。 置き換え可能なハとガについては、 旧情報、新情報という説明もよくなされますが、 それだけでは説明できないこともよくあります。 私は、いま述べたような危険性ハ、容易にはまだ解決できないものだと と思っています。 このハはガでもおかしくないのですが、旧情報、新情報という区別で 説明ができるでしょうか。 >>184 常識の「は」、提唱の「が」というのはいいとして、 聞き手で変えてたんじゃそれは敬語になってしまう。 同じ言葉でも話者で意味や重みが違うのが日本語だろう つまり、話者が聞き手を見て選択するものではなく、 聞き手が話者を見て意味を判断するものだ。 >>182 >操作は簡単です。 = 操作ハ、コレ簡便ナリ。 何で指示代名詞「コレ此」が入るのか分明でなかったが つらつら考えると漢文の繋辞「是」だな。 操作是簡便也。 白話だと「操縦很容易。」 (「很」は「容易」という形容詞が比較級でないという文法標識) 用戸:「操縦難不難?」 営業代理:「(操縦)很容易。」 操作が簡単だと売り込んだ営業に後日クレームをつけるとき 「オイ、操作ガ六箇敷ぞ」と言い 「オイ、操作ハ六箇敷ぞ」とは言わない。 「は」は一般に恒常的、固定的であるものに対して使われる。 これはペンです。私の名前は〜です。 これがペンです、私の名前が〜です。これが話題の〜か。 とは間違いを指摘する時や特定の物を指して言いたい時以外はあまり言わない。 そもそも「操作が簡単」、という片言の漢字を組み合わせた表現もどうなんだろう。 〜は簡単に操作(することが)出来ます、で済む話。 これはペンです。This is a pen. これがペンです。This is what they call a pen. これが(その)ペンです。This is the pen. >>187 中国語の形容詞が述語となる文では「是」を使わないのが原則。 >>188 >あまり言わない これが崩れてきているんだよね。ついに、「が」が無標(平たく言えば「デフォ」)の主格の地位を獲得しつつある。 主格の無標が、近年まで上古以来の「ゼロ助詞」の伝統を引きずっていて、 その部分に「は」が割り込んでいたのが、この問題をわかりにくくさせていた真の原因だった。 >>156 やら、 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1320948588/82 やらの、旧時代のシーラカンス頭が、感覚的に忌み嫌っている「が」の無標的用法の浸透により、 日本語の助詞が表す概念は、徐々にクリアーで論理的なものになりつつあると言える。 一つの語に"が"と”は”の両方が付く状況では”が”を消去しなくてはならない ってルールだと認識してたが… ”が”と”も”、”を”と”は”(これは古語だと”をば”アリ)も同様で。 >>193 例外はあくまで例外にすぎない。 「操作は簡単です」という単純な形容詞文の中国語訳で例外を適用する理由はない。 挙げられた3つの例はぜんぜん単純な形容詞述語文の例ではない。 >>195 >挙げられた3つの例はぜんぜん単純な形容詞述語文の例ではない。 書面語と白話の違いを知らないようだ。 193で挙げた例は「複雑謂語」というほどのものではない。 例えば「簡便且能定量」は 「簡便」と「能定量」という形容詞述語の並列若しくは累加だ。 「且」は二つの形容詞句を繋ぐ接続詞に過ぎない。 能願(助)動詞+動詞句は文法的には形容詞に相当する。 例:「很会講話=話が上手」 >>192 わかるんだが、抽象的な広がりが無くなってきている気がする。 わかるんだけれども、抽象的な広がりは無くなってきている気はする。 印象論になるが、「が」を多用すると決断を急いでいる感じがするな。 「は」は落ち着いている印象を持っている。 彼の要求は少なすぎる。 彼は要求が多すぎる。 彼の要求が多すぎる。 >>199 「その理由は彼の要求が多すぎるからだ」等と使う。 これだと >↑彼の要求は多すぎる、でも通じる。 とはならないだろう。 >>198 >彼は要求が多すぎる。 「彼は要求は多すぎる。」 とは、単に「は」が重複しているから云わないだけではないわけではないようだ。 >>200 いや、「彼の要求は(いつも)多すぎる。」と言う状況もある。 >>1 これは最近の話なの? 俺は英語文法を学ぶようになってからは、ちゃんと主語述語を意識してるので「を」を使うけど…。 お前らの嫌いな物 とか こう言う「の」はどうかな 英語文法的に考えたら「が」やけど あぁでも名詞節?化したものだから良いのか。 your嫌いなもの >>204 なんで your を ヨー と書かず ユア と書くのか? 或いはそう発音するのか? in japan. >>203 むしろ>>1 の文の方が古い 連体修飾の主語のガも本来属格なんじゃないかと思ってるんだけども >>196 原則を無視してまで>>187 で「是」の例としてわざわざ形容詞文を挙げたのは迂闊だろw 代名詞が繋辞になる言語なんて漢文を持ち出すまでもなくほかにいくらでもあるのに。 >>126 の「違いをわからない」 許容できないわけではないけど違和感がある。 「わかる」は基本的にガ格だと思うんだけどな。 違いがわからない。 違いはわからない。 違いを理解できない。 20年ほど気になっている表現が2つあります。 どちらもおかしいと感じる私が間違ってるのでしょうか? 1.葉書を読む時に、「兵庫県は神戸市…」 耳障りが良くて好きな表現なのですが… 読み手が喋りやすいようにアクセントをつけただけだと解釈しています。 2.縦縞な服 「な」がつくから形容動詞「縦縞だ」の連体形? いやいや普通は名詞+助詞「縦縞+の」でしょ。 >>212 「耳障りが良くて」は気にならないのなw > 1.葉書を読む時に、「兵庫県は神戸市…」 叙述の範囲を示している。例えば「象は鼻が長い」では『鼻が長い』という節が『象』についての叙述に内包される (つまり『象>鼻が長い』という叙述のディレクトリ構造が示されている)のと同様の発想で、 「兵庫県は神戸市(にお住まいの○○さん)」では『兵庫県>神戸市(に〜)』という叙述の構造が示されている。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%AF&dtype=0&dname=0ss&stype=1&index=115399100000&pagenum=11 少し前まで、地名についてはこういう言い方は一般的だったんだが、違和感を覚える世代も出てきたのか。 正しくはこうだな 最近『が』の使い方おかしい人多いよね。 >>218 丁寧なご説明をありがとうございました。 スッキリしました。 >219 ネタにもなっとらんがな。 間違っていますよ。 >>7 倒せないは可能形だろ、たから「が」(しかも、自動詞的なニュアンス) >>219 「あの人は『が』の使い方がおかしい」←これがOKなら、 ↓ 「『が』の使い方がおかしい人」←これもOKです 助詞の連続が嫌いだから「を」と「が」を文法通りに使わない やっぱ最近「が」の使い方がおかしいよね 特にコンピュータ関連で凄くおかしい 「新機能が追加」とか「大容量キャッシュが内蔵」とか がじゃなくてをじゃないの?って思う場面が凄く多い 後ろに「した」とか「する」をつけると 「が」ではおかしいことがわかる。 >>228 >「新機能が追加」とか「大容量キャッシュが内蔵」とか >がじゃなくてをじゃないの?って思う場面が凄く多い 「追加」や「内蔵」で終わるなら明らかにおかしい。そんな文あるか? 「新機能が追加されました。」「大容量キャッシュが内蔵されている」でしょうに 短く済ます文なら、その通り「を」を使えば良いだけだが 「が」は即時、「を」は逐次って感じがするな。 原発がゼロ、原発をゼロ。 が だと副次的にそうなった(主体は別)感が半端ない >最近『が』の使い方がおかしい人が多いよね。 最近言語版の某スレで指摘したら日本語の文法について勘違いしてると言われた スレの流れ無視しているとも言われた 大学で言語学を勉強しているかは知らないが人を見下す奴が何言ってるんだろうと思った・・・ 話題変えられるとついて行けない系の人ってすぐ怒るよね >>231 省略表現だけでなく、全般的にヴォイスに鈍感な文をよく見かける。 ニコニコ動画のニコレポというコーナーの案内で 「○○ で 生放送を開始されました」(○○は作品名) と言っているのが毎回引っかかる 「生放送を開始しました」でいいと思うのだが、そう言うと必ず 「誰が?という点が気になって不自然に感じる」という反応がある ヴォイスのつじつまを合わせることよりも 能動文に必ず動作主主語を明示する事を優先する、って現代の書き言葉としておかしいだろ >>236 「生放送が開始されました」でも良いのでは? >>237 まさしくそうで、「生放送を開始しました」「生放送が開始されました」の どちらかがヴォイスのつじつまが合った文だという話 なお、「迷惑受け身文」と呼ばれる文なら>>236 と違って 「を」にそういった制約がないので 何かの事情で生放送をしてほしくない人を主語として 「嫌だったんだけど(私は)生放送を開始されちゃったよー」という発話が可能 「を」ではなく「が」のほうが適当な場合: が 広義の形容詞(「〜したい」なども含む) が 動詞の可能形(または、〜できる) が 〜すぎる >>231 最近のテレビのCMやナレーションってむやみに体言止めを使うよね それを耳で聞いただけで言葉を覚えた人たちが 今ではCMやナレ原稿を作成する側になってきたってことじゃないかな 伝統的な属格と逆接以外では、使うのをなるべく避けている。 「が」を多用する文章を見てると、考えずに作文してるなあ、と思ってしまう。 そのうち、「これが欲しい」ではなく「これを欲しい」が普通の日本語になると思う。 「これを欲しい」は少しずつ違和感がなくなってきている。 「これをない」はまだまだ違和感を持つが。 だって「これを欲しい」の場合は最低限、欲求の対象なわけだけど、 「これをない」の場合は何の対象でもないんだから容認されるわけがないじゃん >>231 >>241 「今日から映画○○が公開!」「いよいよ雑誌○○が発売!」 などをテレビではよく見かける。 >>246 じゃあ、「薬を苦い」ならオーケー? 苦味の対象・苦さを感じる対象=薬 >>249 そうかなあ? 「海を泳いで渡った」ならしっくりくるけどね。 「空を飛ぶ」も「空を飛んで渡った」の省略なんだろうか? 逆に「海で泳ぐ」は言えるけど、「空で飛ぶ」は変。 しっくりはしないが、非文ではない。 「川を泳ぐ」「池を泳ぐ」等も言いうる、「で」の方がいいだろうけど。 「空で飛ぶ」に比較するのは「水で泳ぐ」なのかしらと思ったり。 主格の「が」は用言の主体で、用言を対象に持つ属格と言える。 「鼻が長い」の「長い」は「鼻」に属する性質。 「鳥が飛ぶ」の「飛ぶ」も「鳥」に属するメソッド。 「象の鼻」の「鼻」が「象」に属するように、 「鼻が高い」の「高い」も「鼻」に属するプロパティだし、 「犬が吠える」の「吠える」も「犬」に属するメソッド。 これらの「が」格は、広い意味での属格。 コロケーションと非文との境界線ってファジーでなく、きっちり引けるものなのか? >>255 きっちりは無理だろう。 言ってしまえば言語そのものがファジーなんだし。 ぼやけているだろうけど、そのぼやけてる境界を考えて、何か見出すのが言語学だろ。 ファジー集合論は数学の概念だから、 いちおう数値的に(ディジタル的に?)表せることになっている。 言語学の場合はコーパスで度数を決定することになるんだろうか? ○ これが欲しい △ これを欲しい ○ 薬が苦い × 薬を苦い ○ 薬を苦いと思う 確実にどんな人でも可能な嘘みたいに金の生る木を作れる方法 時間がある方はみてもいいかもしれません グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』 G9DYY 「空を飛ぶ」のヲは「移動の経路」の用法 「国道を行く」「いつものコースを走る」など 「泳ぐ」は移動の動詞ではないらしい 「て行く」「て渡る」を加えると許容されるのは、 それらが移動の動詞だからだろう この動詞の類においては、出発点や目的地は事務的ではなく、 移動の経路も複数ある可能性の中から選択されるものであるらしい >>250 ×事務的 ○義務的 音声入力後の推敲漏れ >>1 の例は文法的に正しいけど 「が」を焦点マーカー代わりに使う奴は多いね 「が」の役割は「主語ではない」と言う誤解が広まっているからね 主格であって主語ではないという意味ではそうなのだが、 「が」は「は」と同様に述語の要求する格に縛られない、と思うならそれは誤解だ 目的語にガ格を要求する述語は限られている さすがに固い文章で間違える奴はいないけど 口語やline,twitterみたいな安い文章で間違える奴は多々いる こういうところから言語変化は起こるのだろう ガの使い方がおかしい理由って、大半は見切り発車で喋った結果、目的の文がズレちゃってるからだよな 「それが、今の私の目標です」という目的の文が、漠然と脳裏に存在している →「それが、」まで喋ってから、あやふやなままだった文を具体的に考えはじめる →「今の私は目指してます」という文が脳裏に浮かんで、前後の整合性を考えないまま喋る →「それが、今の私は目指してます」という歪な非文が出来上がる それもとりあえず新情報を「が」で提示するという習慣ができてしまっているからだよね 「そこで探していた服を売っている」の「を」が迷わずパッと出せる人はそうならない 「服を売っている?誰が?」とはならない 琉球語に「ぞ」に由来する「どぅ」という助詞が存在するけど あれは誤用の「が」に近い機能を持つよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる