最近『が』の使い方がおかしい人が多いよね。
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>>198
>彼は要求が多すぎる。
「彼は要求は多すぎる。」
とは、単に「は」が重複しているから云わないだけではないわけではないようだ。 >>200
いや、「彼の要求は(いつも)多すぎる。」と言う状況もある。 >>1
これは最近の話なの?
俺は英語文法を学ぶようになってからは、ちゃんと主語述語を意識してるので「を」を使うけど…。
お前らの嫌いな物
とか
こう言う「の」はどうかな
英語文法的に考えたら「が」やけど あぁでも名詞節?化したものだから良いのか。
your嫌いなもの >>204
なんで your を ヨー と書かず ユア と書くのか?
或いはそう発音するのか? in japan. >>203
むしろ>>1の文の方が古い
連体修飾の主語のガも本来属格なんじゃないかと思ってるんだけども >>196
原則を無視してまで>>187で「是」の例としてわざわざ形容詞文を挙げたのは迂闊だろw
代名詞が繋辞になる言語なんて漢文を持ち出すまでもなくほかにいくらでもあるのに。 >>126の「違いをわからない」
許容できないわけではないけど違和感がある。
「わかる」は基本的にガ格だと思うんだけどな。 違いがわからない。
違いはわからない。
違いを理解できない。 20年ほど気になっている表現が2つあります。
どちらもおかしいと感じる私が間違ってるのでしょうか?
1.葉書を読む時に、「兵庫県は神戸市…」
耳障りが良くて好きな表現なのですが…
読み手が喋りやすいようにアクセントをつけただけだと解釈しています。
2.縦縞な服
「な」がつくから形容動詞「縦縞だ」の連体形?
いやいや普通は名詞+助詞「縦縞+の」でしょ。
>>212
「耳障りが良くて」は気にならないのなw
> 1.葉書を読む時に、「兵庫県は神戸市…」
叙述の範囲を示している。例えば「象は鼻が長い」では『鼻が長い』という節が『象』についての叙述に内包される
(つまり『象>鼻が長い』という叙述のディレクトリ構造が示されている)のと同様の発想で、
「兵庫県は神戸市(にお住まいの○○さん)」では『兵庫県>神戸市(に〜)』という叙述の構造が示されている。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%AF&dtype=0&dname=0ss&stype=1&index=115399100000&pagenum=11
少し前まで、地名についてはこういう言い方は一般的だったんだが、違和感を覚える世代も出てきたのか。 正しくはこうだな
最近『が』の使い方おかしい人多いよね。 >>218
丁寧なご説明をありがとうございました。
スッキリしました。
>219 ネタにもなっとらんがな。
間違っていますよ。 >>7 倒せないは可能形だろ、たから「が」(しかも、自動詞的なニュアンス) >>219
「あの人は『が』の使い方がおかしい」←これがOKなら、
↓
「『が』の使い方がおかしい人」←これもOKです 助詞の連続が嫌いだから「を」と「が」を文法通りに使わない やっぱ最近「が」の使い方がおかしいよね
特にコンピュータ関連で凄くおかしい
「新機能が追加」とか「大容量キャッシュが内蔵」とか
がじゃなくてをじゃないの?って思う場面が凄く多い 後ろに「した」とか「する」をつけると
「が」ではおかしいことがわかる。 >>228
>「新機能が追加」とか「大容量キャッシュが内蔵」とか
>がじゃなくてをじゃないの?って思う場面が凄く多い
「追加」や「内蔵」で終わるなら明らかにおかしい。そんな文あるか?
「新機能が追加されました。」「大容量キャッシュが内蔵されている」でしょうに
短く済ます文なら、その通り「を」を使えば良いだけだが 「が」は即時、「を」は逐次って感じがするな。
原発がゼロ、原発をゼロ。 が だと副次的にそうなった(主体は別)感が半端ない >最近『が』の使い方がおかしい人が多いよね。
最近言語版の某スレで指摘したら日本語の文法について勘違いしてると言われた
スレの流れ無視しているとも言われた
大学で言語学を勉強しているかは知らないが人を見下す奴が何言ってるんだろうと思った・・・ 話題変えられるとついて行けない系の人ってすぐ怒るよね >>231
省略表現だけでなく、全般的にヴォイスに鈍感な文をよく見かける。
ニコニコ動画のニコレポというコーナーの案内で
「○○ で 生放送を開始されました」(○○は作品名)
と言っているのが毎回引っかかる
「生放送を開始しました」でいいと思うのだが、そう言うと必ず
「誰が?という点が気になって不自然に感じる」という反応がある
ヴォイスのつじつまを合わせることよりも
能動文に必ず動作主主語を明示する事を優先する、って現代の書き言葉としておかしいだろ >>236
「生放送が開始されました」でも良いのでは? >>237
まさしくそうで、「生放送を開始しました」「生放送が開始されました」の
どちらかがヴォイスのつじつまが合った文だという話
なお、「迷惑受け身文」と呼ばれる文なら>>236と違って
「を」にそういった制約がないので
何かの事情で生放送をしてほしくない人を主語として
「嫌だったんだけど(私は)生放送を開始されちゃったよー」という発話が可能 「を」ではなく「が」のほうが適当な場合:
が 広義の形容詞(「〜したい」なども含む)
が 動詞の可能形(または、〜できる)
が 〜すぎる >>231
最近のテレビのCMやナレーションってむやみに体言止めを使うよね
それを耳で聞いただけで言葉を覚えた人たちが
今ではCMやナレ原稿を作成する側になってきたってことじゃないかな 伝統的な属格と逆接以外では、使うのをなるべく避けている。
「が」を多用する文章を見てると、考えずに作文してるなあ、と思ってしまう。 そのうち、「これが欲しい」ではなく「これを欲しい」が普通の日本語になると思う。 「これを欲しい」は少しずつ違和感がなくなってきている。
「これをない」はまだまだ違和感を持つが。 だって「これを欲しい」の場合は最低限、欲求の対象なわけだけど、
「これをない」の場合は何の対象でもないんだから容認されるわけがないじゃん >>231
>>241
「今日から映画○○が公開!」「いよいよ雑誌○○が発売!」
などをテレビではよく見かける。 >>246
じゃあ、「薬を苦い」ならオーケー? 苦味の対象・苦さを感じる対象=薬 >>249
そうかなあ? 「海を泳いで渡った」ならしっくりくるけどね。
「空を飛ぶ」も「空を飛んで渡った」の省略なんだろうか?
逆に「海で泳ぐ」は言えるけど、「空で飛ぶ」は変。 しっくりはしないが、非文ではない。
「川を泳ぐ」「池を泳ぐ」等も言いうる、「で」の方がいいだろうけど。
「空で飛ぶ」に比較するのは「水で泳ぐ」なのかしらと思ったり。 主格の「が」は用言の主体で、用言を対象に持つ属格と言える。
「鼻が長い」の「長い」は「鼻」に属する性質。
「鳥が飛ぶ」の「飛ぶ」も「鳥」に属するメソッド。 「象の鼻」の「鼻」が「象」に属するように、
「鼻が高い」の「高い」も「鼻」に属するプロパティだし、
「犬が吠える」の「吠える」も「犬」に属するメソッド。
これらの「が」格は、広い意味での属格。 コロケーションと非文との境界線ってファジーでなく、きっちり引けるものなのか? >>255
きっちりは無理だろう。
言ってしまえば言語そのものがファジーなんだし。
ぼやけているだろうけど、そのぼやけてる境界を考えて、何か見出すのが言語学だろ。 ファジー集合論は数学の概念だから、
いちおう数値的に(ディジタル的に?)表せることになっている。
言語学の場合はコーパスで度数を決定することになるんだろうか? ○ これが欲しい
△ これを欲しい
○ 薬が苦い
× 薬を苦い
○ 薬を苦いと思う 確実にどんな人でも可能な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
時間がある方はみてもいいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
G9DYY 「空を飛ぶ」のヲは「移動の経路」の用法
「国道を行く」「いつものコースを走る」など
「泳ぐ」は移動の動詞ではないらしい
「て行く」「て渡る」を加えると許容されるのは、
それらが移動の動詞だからだろう
この動詞の類においては、出発点や目的地は事務的ではなく、
移動の経路も複数ある可能性の中から選択されるものであるらしい >>250
×事務的
○義務的
音声入力後の推敲漏れ >>1の例は文法的に正しいけど
「が」を焦点マーカー代わりに使う奴は多いね 「が」の役割は「主語ではない」と言う誤解が広まっているからね
主格であって主語ではないという意味ではそうなのだが、
「が」は「は」と同様に述語の要求する格に縛られない、と思うならそれは誤解だ
目的語にガ格を要求する述語は限られている さすがに固い文章で間違える奴はいないけど
口語やline,twitterみたいな安い文章で間違える奴は多々いる
こういうところから言語変化は起こるのだろう ガの使い方がおかしい理由って、大半は見切り発車で喋った結果、目的の文がズレちゃってるからだよな
「それが、今の私の目標です」という目的の文が、漠然と脳裏に存在している
→「それが、」まで喋ってから、あやふやなままだった文を具体的に考えはじめる
→「今の私は目指してます」という文が脳裏に浮かんで、前後の整合性を考えないまま喋る
→「それが、今の私は目指してます」という歪な非文が出来上がる それもとりあえず新情報を「が」で提示するという習慣ができてしまっているからだよね
「そこで探していた服を売っている」の「を」が迷わずパッと出せる人はそうならない
「服を売っている?誰が?」とはならない 琉球語に「ぞ」に由来する「どぅ」という助詞が存在するけど
あれは誤用の「が」に近い機能を持つよね 「ぞ」も「である」というコピュラ的な機能があったようだし、
そういう意味では焦点の提示、すなわち新情報の提示という機能を
持っていたと言えるだろう
「どぅ」は連体形との係り結びを起こすところまで「ぞ」に似ているが、
それに対して「本が売っている」は「売っているのは本だ」のようなパラフレーズができない
すなわち「が」で焦点を提示したあとのつじつま合わせが足りていないというか、
「投げっぱなし」になっているような印象を与える
(連体形を使う係り結びは古代日本語でも現代琉球語でも、
連体形によって述語部分を体言化(現代共通語なら動詞+「の」に相当)していると言える) 両方に共通の祖先があったと言うことを否定しているわけではない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています