最近『が』の使い方がおかしい人が多いよね。
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>>97 > 「水 {を/*が} がぶがぶと飲みたい」 * は間違いだった。不可とまではいえず ? ぐらい。 >>97 >「自動詞」とは定義していないと思う そうなの? でも可能動詞「倒せる」の語幹を「倒s-」とは分析しないはず ちょっと話がそれすぎた。 本題にもどると、 動詞「倒せる」はガ格をとるのが一番ニュートラルな形なので 「後列はシートが後ろに倒せない」っていう文の「が」の使い方は別におかしくない 「後列はシートを後ろに倒せない」って言う文は、むしろ特定の意図を持った言い回しの時にしか現れない やや特殊な形 >>99 > でも可能動詞「倒せる」の語幹を「倒s-」とは分析しないはず そりゃそうだ。学校文法はローマ字を読めないから。 つまり、ガ格は完全にニュートラルで、どんな場合にも使えるのか、それともヲ格のほうがよい場合 (ガ格も不可ではないが) があるのか、という問題。 「名古屋とラインが持てる」も可能動詞のガ格の問題か。 つまり両方とも可能動詞にヲ格をとるのが標準で、ガ格をとりたくないって感じる人が増えてきたって証拠なんだな。 >>1 を筆頭に。 何が原因なんだろう? 二重ガ格の忌避が原因にしても、両者の例文で二重ガ格なんて出てきてないし。 >>101 >> でも可能動詞「倒せる」の語幹を「倒s-」とは分析しないはず >そりゃそうだ。学校文法はローマ字を読めないから。 「○行××活用」の「○行」というのは語幹の頭子音を反映したものなのだから、 実質上は「倒s-」のような分析をしていると考えるべきだろう。 >>102 格は動詞が潜在的に支配するもので、日本語の場合、文脈でわかれば省略が自由だ。 「名古屋とラインを持t」u 動作主、「後列のシートを後ろに倒s」u 動作主は、いずれも潜在ガ格 (X ガ) だから、 「(X ガ) 名古屋とラインが持てる」「(X ガ) 後列のシートが後ろに倒せる」と解釈されれば、2 重ガ格になる。 そうでなくて、「持てる」「倒せる」は潜在ガ格をニ格に転換する、すなわち「(X ニ) 名古屋とラインが持てる」 「(X ニ) 後列のシートが後ろに倒せる」と解釈されれば、2 重ガ格ではなくなるが、 「??誰に英語が話せますか」はほとんど不可で、「誰が英語が話せますか」あるいは「誰が英語を話せますか」のほうがはるかによい。 >>103-104 「語尾」の「頭」子音と言った時点でダメ。語幹末子音なのだから。 >>105 なるほどねー。可能動詞や希望の表現が感覚動詞からだんだん離れて行ってる過程なのか。 「誰に山が見えますか」「誰が山が見えますか」は、まだ普通なんだけどな。 「見る」←→「見える」に対して 「話す」←→「話せる」の方が同単語の異形態だという認識が強まっているのかもしれない >>105 103-104 だが、あわてて変な事書いたw そうそう、語幹末子音と言いたかった。 >>106 > 「見る」←→「見える」に対して > 「話す」←→「話せる」の方が同単語の異形態だという認識が強まっているのかもしれない 「話す」と「話せる」とは意味が違うから異形態ではない。渡辺実氏と同じ誤りだ。 普通、「見える」は辞書の見出しに立つが、「話せる」は立たない。 もともと別物だと直観されている。比較すべきではない。 >>107 学校文法はあくまで「語尾」ととらえている。 「倒s-」という分析はしていない。 >>108 「話す」と「話せる」は異形態ではない ... 「話せる」は独立した単語だという認識 「話せる」は辞書の見出しに立たない ... 「話せる」は独立した単語ではないという認識 どっち? >>109 どっちも間違い。 「話せる」は 1 語ではないという認識。 >>110 ああなるほど、「話す」に仮想的な可能形接辞「eる」のよなものが付属したものって認識か。 じゃあ異形態じゃなくて、「仮想的な接辞追加」とでも読み替えてくれ。趣旨は同じだよ >>111 仮想的ではなく実在し、生産的なので可能動詞はいちいち辞書に載せない。 「異形態 (Allomorph)」とは、同じ語または形態素が持っている複数の形を言う。 当然意味や機能は同じでなければならない。 >>112 そうか、じゃ、こんな感じな。 「見る」←→「見える」は異なる単語という認識だけど 「話す」←→「話せる」はそうではなく、 単語「話す」に実体を持った接辞「eる」が付属された形だと認識されるようになった 主たる動詞「話す」と接辞「eる」の結合力がだんだん弱くなったので、 「後列のシートを後ろに倒す」+「eる」という結合を取る人が多くなって 「後列のシートが」+「後ろに倒せる」という結合を不自然に感じるようになった そして>>1 の質問に到る、と。 シートの認識の差じゃないの? 布切れなのか椅子なのか >>28 「寂しさが感じた」とか「服が売っている」というのは、自他の区別が崩れてきているんじゃないのか? 新しいサ変動詞には、自他両用のものが少なくない。 「近似する」という面白い例もあって、これは普通は自動詞として使うが、科学技術関係の文脈ではもっぱら他動詞として使う。 そのせいか、「ハードディスクが認識しない」などと言ってしまう人が少なくない。 OSが周辺機器を認識するということの意味を知っている人であれば、たちどころに非文と感じる用例だが、 意味不明の専門用語として使っている人は、「認識する」が自動詞でも不自然に感じないのだろう。 >OSが周辺機器を認識するということの意味を知っている人であれば、たちどころに非文と感じる用例だが、 あなたがわかってない。 OSは下請けで、主の命令に従うものにすぎない。 つまり、地方が(総督を)認めないというようなもの。 >>116 スレチだけど、まさかOSが周辺機器の下請けだとでも思ってる? ユーザーやアプリケーションソフトウェアから見れば下請けと言える面が大きいけど、一方で特権と責任を持っているのも事実。 まして周辺機器から見れば、割り込みをかけるのが精一杯だ。 主が誰で地方が誰で総督が誰のアナロジーなのかはっきりさせてくれ 主=オペレータ 総督=オペレーティングシステム 地方=ハードディスク 何をどう誤解しているのか何となく見えてきた。 OS(とデバイスドライバ)は、周辺機器に信号を送ってみて、どんな機器が接続されているか調べようとする。 ところが、OSの知らない識別コードが返ってきたら、そのデバイスをどうやって動かせばいいのか分からない。 ひどい場合にはデバイスの存在自体を検出できないこともある。 あるいは、あるデバイスが別のデバイスを隠してしまうこともある。一昔前はよくあった。 これが「○○を認識できない」ということ。 >>121 総督の言葉が通じていないから、植民地が上手く経営できないのさ。 結局、誤解をしているというのが誤解そのもの。 蟹とドーナツの食べ方位はわかるよ。 >>115 「ハードディスクが認識しない」と言う人は「ハードディスクが認識する」との言い方もしているのかな? 同じ服が(安く)売っている ハードディスクが(全然)認識しない 寂しさが(ひとしおに)感じた とりあえず(ビールを)飲んだ 助詞の使い方には言語に対する感性出るな >>1 の言う感覚の違いを全然わからない人が増えてる 小説家にでもなるんでなければ、別に構わないとは思うが 状態を表す言葉の前に「〜が」が付くな。 「ラインが持てる(状態にある)」 「シートが倒せない(状態にある)」 「ピーマンが好き(な状態にある)だ」 「国語が得意(な状態にある)だ」 「頭が痛い(状態にある)」 「将来が楽しみ(な状態にある)だ」 名詞や形容詞には違和感なく「〜が」で済む。 動詞も可能な“状態”を表す可能動詞なら「〜が」でOKなんだろう。 >>7 逆のような気もする。 「シートが後ろに倒せない」における文意の力点は「シート」、 「名古屋とラインが持てた」における文意の力点は「ライン」、 「象は鼻が長い」における文意の力点は「鼻」にあるんじゃないかと。 >>129 > 「名古屋とラインが持てた」における文意の力点は「ライン」 焦点は「名古屋と」にありそうだから、「ラインを」のほうがいいように感じる。 「ラインが」がダメだとまではむろん思わないが。 を持てた だと、なんかモノを持ってる感が出るんじゃないかなあ? が持てた なら、なんかモテモテ感がするみたいな。 「彼とテレビが見られる」「彼とテレビを見みられる」 の二つの表現の意味の違いを説明できる日本人はいるの? 後者はテレビを見ているが、前者はテレビを口実に彼をみている。 最近では、「が」よりも「を」のほうに「焦点」があると感じる 日本語話者が多くなってきたのかなあ。 かれとてれび◯ みられるの かれとてれび◯ みられるわ 「が」は自動的、自然発生的 「を」は他動的、人為的、意思的 「見られる」を例にするのはやめてほしい。 40台半ば東京出身だが、おれは既に(昔から?) 可能の表現は「見れる」じゃないと違和感を覚えるようになった。 「見られる」と「見れる」では意味が多少違うという説もある。 「見れる」はおっしゃるとおり可能と能力を表す。 「見られる」も可能を表すが、能力というよりは「享受」を含意している。 >>132 それは確かに難しいね。ただ、 「本当にテレビ {を/(?)が} 彼と見られるんですか?」 やはり、「テレビが」以外に焦点がある場合は、「テレビを」としたくなる。 >>139 面倒をみる機会を与えられて享受できるというニュアンスか? >>140 「彼とテレビが見られる」が普通で「テレビが彼と見られる」が変なのは、 「テレビ」と「彼」とに焦点が二重化してボヤけてしまうから? >>143 1 彼とテレビが見(ら)れる=彼と「テレビが見(ら)れる」 2 テレビが彼と見(ら)れる=テレビが「彼と見(ら)れる」 3 彼と見(ら)れるテレビが=「彼と見(ら)れる」テレビが 「が」の後ろには可能の表現が期待される 2は「テレビが」と「見(ら)れる」の結び付きが弱く感じられる 英語はS+V+O+Cという文法要素が動詞で決定されるから文中の位置が重要 日本語は助詞で修飾関係を表すが修飾語は被修飾語の直前に置かれる鉄則があるので距離が重要 >後席はシートが後ろに倒せない。 (ある状況では)シートが後ろに倒せないって事では駄目なの? 後席はシートが後ろに倒せないかわりに足場が広く設計されている だとかなり許容 後席はシートが後ろに倒せない 後席は足場が広く設計されている おたがい単体だと許容度は少し下がる 「板野友美が性格悪いと思ってる奴wwwwwwww」 ってスレがあって 「が」の使い方に違和感あんだけど、みんなはどうだい? 最近助詞に違和感を覚えるスレタイが多い (板野友美が性格悪い)と思ってる奴wwwwwwww (板野友美を)(性格悪いと)思ってる奴wwwwwwww 単にフルネームだからじゃないの? 7文字+7文字でしょ? ・名古屋とラインが持てた ラインは持てないと聞いていたが持てた。 ・シートが後ろに倒せない シートは倒せると聞いていたが倒せない。 >>22 の返答が端的にあらわしていると思うなあ。 頭がつっかえる、手が届かない、というのは、「障害の存在を訴える」事による弁解説明 あたまを痛めた、手をぶつけた、というのは それらの「怪我を何とかして欲しい」という要求 前者は自発的な援助は期待しているが、無ければ他の手を考えるのでこの時点では要求ではない。 後者は怪我の事情を説明することにより、適切な医療処置を要求している。 .,i´.,/` /`/`.,i´ ,/` ../::;;;;;;;;;::::::::::::::::゙'i、゙l, `i、 ,!: 丶 │,i´ : `"..,i´ .,i´ ,l゙`゙゙゙゙゙゙゙゙''''―-、│ | │ ゙l ゙l ," | .l゙ |: /: `''| l゙ .| .| `), .l゙ | | : : : : .l゙: : :|: : : : l゙ l | .l゙ : l゙ |゙l | | | : : : : │: ::|: : : | /ニニ ,,l゙: ::,!: ../ │ :|: ゙l │ .l゙ | : : : : ": _,,―‐'゙\__/ l゙: :/: :/,i ..,l゙: ,/: :゙l .| .| | : : _,,-'"`  ゙̄:i/: .,/: ./:: : l゙ │: : |: 丶 '゙l、 : `i、/ : : :/:::: :l゙ '|``'-|: : 丶 ゙i、''゙,,ニニニミ' / ,ニニニ、、 |: : :_,,/.:: :│ │、: : \、:ゝ ゙l゙(、 ◎ ,) | ( ◎ )'  ̄i'‐ : : : : :l゙ l゙ │: : \、: :/  ̄ ̄" : 、 ' ̄ ̄" /: : : : : :l゙ .| .":|: : : |゙l::` ̄' l ./: : ::: : : : :, .| l゙ │゙l::: : : .、,,_ _,,i、 \::::::::::::: : :,| 男のくせに、心理やってるの l゙: . | : |;;│: `" : ::,l゙;:,、: : : | |: │ :: |;;;;;゙l,: : ニニニニ=‐ : ./::::l゙: : : : | |、:" | : |;;;;::::丶、: .,,,,,,,,,,,、 : ,,'":: |: : : | |: : : ,! : |;;;;;::::;;;`-、: ..,,i´;;;;;: |: : : :| | : : :|` : |;;;;;;;;;;;;;;;;,/'-,_: : ._,,/;;;;;;;;;;; |: : : l |:: : : |: │;;;;;;;;;;;;/ : `''-,,_: .__,,,,,,,-‐'゙);;;;;;;;;;;;;;;;;;;│ : : 「が」は特定の事を強調したいときに使うんだよ。 頻繁にガーガー言うもんじゃない。 ×操作が簡単です。事前に準備が必要です。 ○操作は簡単です。事前に準備しましょう。 ウイルススキャンが実行中です。 ↓ ウイルススキャンを実行しています。 それは意味が違う。 ウイルススキャン行為を行う主体が「ウイルススキャン」という名称なのだ。 >>158 ギスギスしていて綺麗な表現ではないということだよ。 それは意味が違う↓ それは違う意味になる。 つまり、それは意味が違う の「それ」は置き換え後の文を指している。 それは違う意味になる の「それ」は置き換え前の文を指すだろう。 >ウイルススキャンが実行中です。 「違う意味になる」のはこれ。 ウイルススキャンを実行しています。 「意味が違う」のはこれ。 >>157 「X が VN-中」は、「X が VN する」「X を VN する」どちらもあると思う。 ウイルススキャンを実行中です。 不自然ではないな。 さっき注意されたんですが 「テレビが信用出来ない」と「テレビは信用出来ない」 は同じ意味なんですか? 前者はテレビの特定の何かが信用できない、後者はテレビなら無条件で信用できない。 そうとばかりは言えない。文脈に因っては逆にもなる。 前者は何かの条件によってテレビ(の放送内容)を信頼することができない状況が生み出されている。 「僕にとっては」「近頃」などのどれかが条件としてあり、その条件の外側(「他の人にとって」「以前」など) については当てはまらない。少なくとも話し手の捉え方はそうだ。 後者はそういった条件を考慮に入れず、テレビ(の放送内容)そのものを信頼することができない と話し手が考えている。 どちらも「テレビ」を強めに言うと、新聞やラジオについては信頼できないとは特に思っていない。 ということではないかな。 >>169 ではそこを詳しく。 俺は>>156 が得意になって言っている指摘(これは俺に言わせれば誤り)のほうが、 むしろ気になるんだよなあ。 >「が」は特定の事を強調したいときに使う これ、誰が言い出したんだろう。「が」はあくまで主格表示であって、強調なんかではないのに。 「じみんがー」「げんぱつがー」「みんしゅとうがー」という怪獣に例えた揶揄は、 主格を表示することによる揶揄であって、「特定のことの強調」ではないんだけどね。 まあ、俺に言わせれば、「総記のが」が、徐々に「補集合としての意味」を得つつあって、 正しい意味でUnmarkedになってきつつあるのだと思う。 ようやく、「が」は「純然たる主格表示の格助詞」になり、 「属格転用の系譜を引きずる、「は」不在のMarked」という地位から解放されつつあるのだろうな。 その変化が、>>156 はどうしても趣味として気に入らない。 >>172 揶揄でも主格の強調のように聞こえるような話し方や使い方をする人が増えたからだと思う。 「だが」は「であるが」が約まったもんだよ。 この「が」は接続助詞で、「である『ものの』」の意味の格助詞から派生したもの。 本質的には逆接ではなくて、語法としてそういう意味が生まれたに過ぎない。 >>172 麻痺してるな。最近のクズ企業は安易に「操作が簡単です。」と書く。 「これは〜です。」 「これが〜です。」 強調ではないの? >>175 だ と であ では 縮まったのか訛ったのかわからないんじゃないか? 操作であるものの簡単である。 操作だけど簡単だ。 操作が簡単な。 >>177 「これは〜です。」 は「これは何ですか」に対する答え。 「これが〜です。」 は「どれが〜ですか」に対する答えであり 「〜はこれです」と同じ意味だ。 >>173 主格の強調ならそれはそれなんだが、>>156 は、「特定の事の強調」と言っているだろ?これがポイント。 分かり易くするため、「普通文風の文語」に翻訳してみる。 A 正しい共時的理解(俺の説ということw) 操作が簡単です。 = 操作簡便ナリ。(無標) 操作は簡単です。 = 操作ハ、コレ簡便ナリ。(主題を明示強調した有標表現) B >>156 のノスタルジー的理解(少なくとも共時的には誤りだと俺は考える) 操作が簡単です。 ≒ 操作ゾ簡便ナル。(こちらが強調表現だとする) 操作は簡単です。 = 操作簡便ナリ。(無標) >>156 の発想は、「総記のガ」なる怪しい表現を、ラベリング命名してしまった一部の国語学者の発想に近い。 本来は補集合なのだが、補集合であることを、心の底で納得できなかったのだろう。 僕の意見は、置き換え可能な場合の「は」と「が」の違いは 聞き手に対して、「が」は新情報で、「は」は旧情報、というものです。 新情報は聞き手に対し何も含意しない話者による純粋な情報。 旧情報、すなわち「は」の持つ主題性は何がしかを聞き手に含意させる。 『操作が簡単です。』= 裏の含意の無い新情報だが、 操作は難しいと思っている聞き手には新情報として「簡単」が強調されているように感じる。 『操作は簡単です。』= 「操作」は主題で、聞き手が主題をどう思っているかで意味が変わる。 操作は簡単と思っている聞き手には、一般論として中立的表現に感じる。 操作は難しいと思っている聞き手には、予想外感を抱かせる。主題の期待された述語を裏切られる。 『テレビが信用出来ない』= 話者による新情報として提示されているので、聞き手は話者個人の意見と捉える。 『テレビは信用出来ない』= 主題として提示されているので、聞き手がどういう先入観を持っているか話者が予想する事で意味が変わる。 聞き手も同意する一般論となる場合と、聞き手の予想を裏切る場合がある。 『シートが後ろに倒せない』= 「シートが倒せない」のは話者の提示した新情報である。 『シートは後ろに倒せない』= シートは倒せるものだという聞き手に対しては予想を裏切る意図、 シートは普通後ろに倒せないものだという認識を共有してる場合には一般論の提示となる。 置き換え可能なハとガについては、 旧情報、新情報という説明もよくなされますが、 それだけでは説明できないこともよくあります。 私は、いま述べたような危険性ハ、容易にはまだ解決できないものだと と思っています。 このハはガでもおかしくないのですが、旧情報、新情報という区別で 説明ができるでしょうか。 >>184 常識の「は」、提唱の「が」というのはいいとして、 聞き手で変えてたんじゃそれは敬語になってしまう。 同じ言葉でも話者で意味や重みが違うのが日本語だろう つまり、話者が聞き手を見て選択するものではなく、 聞き手が話者を見て意味を判断するものだ。 >>182 >操作は簡単です。 = 操作ハ、コレ簡便ナリ。 何で指示代名詞「コレ此」が入るのか分明でなかったが つらつら考えると漢文の繋辞「是」だな。 操作是簡便也。 白話だと「操縦很容易。」 (「很」は「容易」という形容詞が比較級でないという文法標識) 用戸:「操縦難不難?」 営業代理:「(操縦)很容易。」 操作が簡単だと売り込んだ営業に後日クレームをつけるとき 「オイ、操作ガ六箇敷ぞ」と言い 「オイ、操作ハ六箇敷ぞ」とは言わない。 「は」は一般に恒常的、固定的であるものに対して使われる。 これはペンです。私の名前は〜です。 これがペンです、私の名前が〜です。これが話題の〜か。 とは間違いを指摘する時や特定の物を指して言いたい時以外はあまり言わない。 そもそも「操作が簡単」、という片言の漢字を組み合わせた表現もどうなんだろう。 〜は簡単に操作(することが)出来ます、で済む話。 これはペンです。This is a pen. これがペンです。This is what they call a pen. これが(その)ペンです。This is the pen. >>187 中国語の形容詞が述語となる文では「是」を使わないのが原則。 >>188 >あまり言わない これが崩れてきているんだよね。ついに、「が」が無標(平たく言えば「デフォ」)の主格の地位を獲得しつつある。 主格の無標が、近年まで上古以来の「ゼロ助詞」の伝統を引きずっていて、 その部分に「は」が割り込んでいたのが、この問題をわかりにくくさせていた真の原因だった。 >>156 やら、 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1320948588/82 やらの、旧時代のシーラカンス頭が、感覚的に忌み嫌っている「が」の無標的用法の浸透により、 日本語の助詞が表す概念は、徐々にクリアーで論理的なものになりつつあると言える。 一つの語に"が"と”は”の両方が付く状況では”が”を消去しなくてはならない ってルールだと認識してたが… ”が”と”も”、”を”と”は”(これは古語だと”をば”アリ)も同様で。 >>193 例外はあくまで例外にすぎない。 「操作は簡単です」という単純な形容詞文の中国語訳で例外を適用する理由はない。 挙げられた3つの例はぜんぜん単純な形容詞述語文の例ではない。 >>195 >挙げられた3つの例はぜんぜん単純な形容詞述語文の例ではない。 書面語と白話の違いを知らないようだ。 193で挙げた例は「複雑謂語」というほどのものではない。 例えば「簡便且能定量」は 「簡便」と「能定量」という形容詞述語の並列若しくは累加だ。 「且」は二つの形容詞句を繋ぐ接続詞に過ぎない。 能願(助)動詞+動詞句は文法的には形容詞に相当する。 例:「很会講話=話が上手」 >>192 わかるんだが、抽象的な広がりが無くなってきている気がする。 わかるんだけれども、抽象的な広がりは無くなってきている気はする。 印象論になるが、「が」を多用すると決断を急いでいる感じがするな。 「は」は落ち着いている印象を持っている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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