>>94>>98>>99
実は、音痴かどうかは全く関係ないんだよ。
「音の高低を、言語の音素として(=単語を区別するための要素として)認識できるか」という問題。
いくら音の高低に敏感になっても、ここの「音韻脳」が形成されないと、全く駄目なまま。

これは日本語の高低アクセントでも同じ。
福島県は、無アクセントで大変に有名な地域だが、
同時に、合唱の大変に盛んな地域で、地域住民の歌唱力はかなり高い地域でもある。
でも、歌が上手だからといって、日本語の高低アクセントを知覚できるようにはならない。
逆に、知覚できたつもりになって、悲惨なことになる。
アクセント関係のスレッドで、めちゃくちゃなことを言って引っ掻き回すのが、この地域の人たち。
首都圏方言で、「神戸(関西の港町)」のアクセントが「平坦化」しているなんて言ったり、
鈴木福(子役タレント)は、高低アクセントを自在に変化させてしゃべっているから、
あれでも通じるということは、日本語にアクセントなんて存在しないのだ、なんて平然と言ってのけたり、
もう、絶望的すぎてどうしようもない。
これは、音程の高低を、ただの音楽的な周波数変化としてしか理解できず、
音韻と結びつける「音素脳」を持っていないことから生じる結果。