いじめを適切に伝えるための言葉
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>>452
では私の書き込みにも文脈があるということになりますねw >>426
どのような状況下において言葉のみで判断する必要性があるのですか? >>453
そうだけど、なにか可笑しいの?
「ある」からといってもそれがあなたの求める
「必ずこの文章はある特定のひとつの意味であると言える」ほどの証拠能力のある文脈
とは限らないよ? どうでもいいけど、単独ならいじめ容認というのは確定したみたいだね いじめられたと言っている子供の証言だけでいじめ容疑者を無期限出席停止という案は
確かにやりすぎな気もするけど、いじめ問題の現状を考えれば仕方がないのかもしれないな 昔から自演が横行していた上に最近ステマだのなんだので
さらに情報操作に敏感になって目が鍛えられてきている昨今の2ちゃん住民相手だよ。
こんないかにもな白々しい誘導をしようとしてもひっかかる人は少ないかと。 >>458
本心ではそう思ってないからわざわざ書き込んでんだろ? とりあえず、いじめられたと言っている子供がいたら
いじめ容疑者を即出席停止にするというのでやってみたらいいじゃない 女の子に対するいじめに関する文章で股の間にほうきを入れて突き上げた
というのがあったんですけど
それって性器に挿入したという意味なんでしょうか? 男の子に対するいじめに関する文章で股の間にほうきを入れて突き上げた
というのがあったんですけど
それって性器に挿入したという意味なんでしょうか? 「いじめられてもしかたがなかったなんて思わない」
ってどういう意味? >>462
性器に挿入とか意味がわからん。男の性器は突起物じゃボケェ 頭大丈夫け?
股を付き上げた。そのまんまの意味やろがい。 突きではなくたたき上げるカンジの攻撃でも
股の間にほうきを入れて突き上げるって言うんだろうか? いじめられてる本人の証言だけではいじめ容疑者を出席停止にできずに
まわりの証言があれば出席停止にできるというのであれば
いじめられてる子供がいじめている子供達の偽証で出席停止になって
いじめている子供たちは出席停止にならないということになるな
それならいじめられてる本人の証言だけで出征停止にできるという
システムの方がまだマシだろ
顕正新聞 平成24年2月5日号「原発全廃特集号」
原発は日本を滅ぼす、即時全廃せよ
人のDNAを破壊、国土を居住不能にする
代替は天然ガス・コンバインドサイクルで十分
惨禍もたらすを知って推進するは犯罪
ttp://d.hatena.ne.jp/kensho01/20120208/1328718592 いじめられてたといじめられてるの境界線は難しいから
先生等が質問するときは、「いじめられてた、またはいじめられてるという人はいますか?」
と質問するべきだと思う イジメ師はいじめられた側から見れば絶対悪である。
いじめの解決法なんてあってないようなもの
無くてあるようなもの
いじめられてひねくれようが
いじめられて強くなろうが
いじめられて自殺しようが
全てが正解
全ての感情が人間である証
そしての全ての対策が正解であり 間違いである
きっかけは全てであり1つである
どうすればいじめられなくなるか?
考えても考えなくても同じであり
同じじゃなくても全てが正解となる
考えるだけ無駄であり
考える必要がある
4次元世界でどれだけ頑張り
どれだけ諦めるか?
全ては正解であり全てが間違いなのである。
いま戦っている。今抜け出せた。いまいじめが始まっても
全て同じであり、間違いである。ただそこに頭の狂ったイジメ師が対象に付きまとう
構図がただただそこにあるだけである。
2chとか掲示板を見てたら、荒らし叩きが荒らしになって板を荒らしてる場合が多いな。
何にしてもしつこいのは良くないな。イジメにしても一発ガツンとやり返すのが良い。
イジメの仕返しにイジメっ子になる場合も同じだろう 殆どの人が「適切で十分な愛・教育」を受けないまま大人になるから、虐め・虐待が無くならない。
「何度学校を変わっても虐められるのは、虐められる側に原因があるから」「虐められる側が変わったら虐めが止んだ。これは虐められる側に原因があった証拠」等の論理的間違いを解説@感情自己責任論 いじめられる側に"責任"はほぼないと言ってよいが、
何度学校が変わってもいじめられるなら本人に何かしらのいじめられる"原因"があるのは確かだろうね。
いじめが発生する原因というよりは、いじめの対象として選ばれる原因だけれども。 それこそ菌だな。
無害な奴でも病んでる者と接触すると発症させてしまうのさ。 いじめられっ子というのは、どこかで「善良であろう」としてるんじゃないかな。いじめっ子は人格障害者だから、善人は格好の餌食になってしまう。
いじめに遭わない普通の子は、大人に怒られないようにしてるだけで、本気でよい子になろうとは思ってないもんだよ。 結局のところ、イジメが黙認される原因は一部の親にある。
自分の子供を守ろうとするのはいいが、教師からも守ろうとして学校側が持つ抑制力を失わせてしまった。
子供が悪いことを注意されるだけで親が学校に文句を言うこともあるし、学校が何も出来なくなっても仕方ない。
その結果、イジメに関われるのは当事者である子供たちだけとなり、何も知らない子供は何をやってもいいと勘違いをする。
子供を守るつもりが、子供の暴走、勝手な理解を許すことに繋がっているのは明白。
昔みたいに殴って当然の教育をしろとは言わないが、今の騒ぎを何事もなく終わらせたら「間接的になら殺人をしてもいい」と思う子供が、必ず出てくるだろう。
自分の子供が捕まろうが死のうが平気だと言うのなら話は別だが、本気で守る気があるのなら、「子供」とはどのようなものなのか、一度考えるべきだ。 教師も管理されていて何もできない。昔は面談で親とつかみかからんばかりに怒鳴り合う教師がときどきいた。 >>480
いじめっ子が人格障害者と言うだけなら構わないが、
いじめられっ子は善人だとか言い出すともういじめられっ子擁護のただの妄想だな >>481
黙認じゃなくて単なる見逃しだろ。
目の前で起こった現象でも、もっともらしい別の理由があれば気がつかないのが人間だよ。
疑うのが仕事の警察に指名手配犯が自首してきてもわからないのに、
一般人にそんな働きを期待する隣組社会がおかしいよ。 >>483 だから「善人」ではダメだと言ってるんだがな。
ヴァイタリティがあれば善良ではいられないはずなのだ。 別に善人でなくても
嫌われる要素+抵抗能力の乏しさ+周囲に人格障害者
の3条件が揃えばいじめられる 抵抗能力の乏しい人のことを俗に「善人」と言うだろう?w >>487
言わない。
善人は抵抗能力に乏しいが、抵抗能力に乏しくても善人とは限らない。 小理屈捏ねるなよ。善人でなくなれば 3 条件から外れるんだからそれでいいじゃないかw >>489
抵抗能力を持たなくても善人とは限らないのだから、
善人でなくなっても抵抗能力を得るとは限らず、ゆえに善人でなくなっても3条件から外れるとは限らない。 まず善人をやめないことには話にならん。
数学や論理学をやってるんじゃないw 議論してもまとまった
結論は出ないと思いますが・・・・ 善人
1 善良な人。行いの正しい人
抵抗することが正しい行いだとするなら、
抵抗しないのなら悪人ってことになるが。
何を善とするのか曖昧な時代に、善人をやめるのは難しい。
ヴァイタリティがあることと善良ではいられないことに関係はないだろ。
どんな見方をしているのかわからないな。 >>488 で「善人は抵抗能力に乏しい」と言っている。
ちゃんとわかってるじゃないかw
まず必要条件をみたそうぜ。 493は488じゃないんでよろしく。
俺は善人が抵抗能力に乏しいというお二人の共通前提に異議がある一人。
じっと黙って耐えること自体も、ある意味で抵抗になる場合もあるし
そう単純に判断はできないと考える。
自殺すらある意味で抵抗の場合もあろうし。 >>495
> 自殺すらある意味で抵抗の場合もあろうし。
そんなわけないだろう。
自殺に追い込むのが相手の目的なのだから、全くの無抵抗。
「こんなにうまくいくとは…」と、いじめっ子らも拍子抜けしているかもしれん。 >>494
抵抗能力以外の部分で善良性を失ったところでいじめに関しては全くの無力なわけだから、
「善人でなくなる」ということに固執しても意味がない。
抵抗能力を持つようにすることのみが重要。
それに付随して結果的に「善人でなくなる」だけ。 >>497
> 抵抗能力以外の部分で善良性を失ったところで
そんな珍しいかたちで善人でなくなった人は、残念だがどうしようもない。
太りすぎの人が生活習慣病に罹ると、必ずやせろと言われる。
やせればよくなるとは限らない。病気がよくならないかたちでやせることもありうる。
しかし、やせることに固執しても意味がないという医者はまずいない。
現状を変えようとすること (病気の治療もその 1 つ) は、論理じゃないんだよ。 >>496
> 自殺に追い込むのが相手の目的なのだから、全くの無抵抗。
そんなわけないだろう。
すべてのいじめが自殺に追い込むのが目的などということがあるはずがない。
わずかでも良心があればそれが痛む者もいるだろうし、
そうでなくとも、周囲になんらかの影響は必ず出る。
それをいじめへのひとつの抵抗と考えることもできる。
「抵抗されなければつまらない。抵抗してくるからいじめ甲斐がある」
という加害者がいれば、「抵抗しない」という行動が抵抗になる。
何が抵抗になりうるかは場合によりけり。 窮鼠猫を噛む
猫にとって獲物という認識なのか敵という認識かで、問題は違うんじゃないかな? >>498
いじめを解決するのに必要なのが抵抗能力を持つことだと分かり切っていて、
そのうえいじめられっ子は単に抵抗能力がないだけでそもそも善人とは限らないのに
「善人でなくなること」をいじめ解決の手段として挙げるのは愚かとしか言いようがない。
「抵抗能力を持つ」には「善人である場合は善人でなくなる」は含まれているのだからその医者のたとえは不適切だよ。
より具体的な十分条件がわかっているのに、曖昧で適用できない場合もある必要条件を提示する必要はない。 >>499 すべてそれが目的とはいえないだろうけど、いじめっ子に良心はない。ないからいじめができる。いじめられっ子が自殺しても「へへへ」と思うだけだ。
>>501 善良であろうとすることが、抵抗能力を持つことを妨げているのだから、まずそれをやめようと言うことは実際的な対処法だ。善人をやめたからといって抵抗能力を持てるとは限らないというのは、論理的には正しいが、先の話だろう。
いじめられっ子のなかには、信仰絡みで抵抗できなくなっている者がときどきいる。 一般に、いじめをなくすよう行動することは善良であるとされていませんか。
善良であればいじめをやめさせるために行動するはずであるということですね。
ということは何もしないでじっと耐えるだけのいじめられっ子は悪人であるということになりますね。
良心に関しても
「人をいじめてはいけない」という良心(一般的価値観)と
「人を殺してはいけない」という良心(一般的価値観)は別物です。
世間にはさまざまな一般的価値観があります。
それらがすべて自分の価値観と一致していなければ「良心がある」と言えないのかといえば
そうではありません。
「タバコのポイ捨てをする」ような人でも、「粗大ゴミの不法投棄」をする人に対して憤りを感じたりするかも知れません。
程度が違うからです。
いじめで良心が痛まないような人でも、相手が死んでしまったら良心が痛むということもあるでしょう。
いじめのみに絞っても、いじめにすら様々な程度があります。
多少小突くくらいのいじめなら良心が痛まない人でも、相手が泣き出したら良心が痛むということもあるでしょう。
>いじめっ子に良心はない。ないからいじめができる。
このように言い切れるほど、こういう問題は単純ではないでしょう。 良心あってもイジメするやついるし。
むしろやっちゃいけないってこと知ってるから
よけいやりたくなってるようなやついるし。
周りの注意ひきたかったり、ワルアピールしたいからだったり。 >>503
> 一般に、いじめをなくすよう行動することは善良であるとされていませんか。
されてない。何倍にも仕返しさせないようにいじめっ子を殺しても善良か?
>「タバコのポイ捨てをする」ような人でも、「粗大ゴミの不法投棄」をする人に対して憤りを感じたりするかも知れません。
それ、軽度だけど人格障害者だよ。
> このように言い切れるほど、こういう問題は単純ではないでしょう。
いたって単純。人はそう簡単に自殺などしない。
自殺に追い込んでおいて「そんなつもりじゃなかった」は通らない。
本当にそんなつもりじゃなかったんだとしたら、それがすなわち良心がないということだ。
世の中にはたくさんの人格障害者がいる。重い者はそのうち法にも触れる。
たいていは軽度なのでそこまでいかないが、仕事上のトラブルを起こしたり、
社会的にはセーフでも家庭を壊したりする。思い当たる人がいるだろう。 いじめをなくす行動=何倍にも仕返しさせないように殺す行動
だと直結させて論じようとする君こそ人格障害じゃないのかと疑うわ。
世間一般に聞いてみろよ。「いじめをなくすにはどうしたらいいと思うか?」
「いじめてるやつを殺すこと」と答えるやつなんて君くらいしかいないんじゃないか。 蚊をつぶすことにたいした良心の痛みはないけど
犬猫を殺すのは良心が痛む
とか思う人も人格障害になっちゃうのかー
そういう、程度によって考えもかわってくるような曖昧な境界線を持っているのが普通の人だと思うけどねえ。
対象が何であれそれを殺すことは絶対悪だとかいって二元論的に考えてしまう人のほうが
普通はちょっと怖い人だよね。
只の確信犯だろ。
シュレディンガー症候群は厨二病だな。 >>502
>善良であろうとすることが、抵抗能力を持つことを妨げているのだから、
>信仰絡みで抵抗できなくなっている者がときどきいる。
抵抗能力を持たせようとした時に信仰を理由にそれを拒絶したらはじめて「善良でいようとするな」と言えばよい。
そもそも抵抗能力を持つ人間が善良であろうとしているとは限らないのだから「善良でいるな」という指摘は根本的に意味がないことも多々あるだろう。
いじめられているというだけで善良であろうとしていると決めつけ、いきなり「善良でいるな」などと言っても言われた側は何のこっちゃだ。
善良であろうとするために抵抗できない場合でも、本人にその自覚がないことは多い。この場合もいきなり「善良でいるな」などと言っても意味がない。
結局重要なのは抵抗能力を持つことで、善人であろうとするためにそれが阻害されているケースなのだと分かった時点でそれを自覚させてやめさせればいいのだ。
順番が逆だよ。 >>506 だから、世間一般はいじめられている者を救えないんだよ。
誰に相談したところで、凄惨な仕返しに遭うだけだと思うから、いじめられっ子は何もできない。いじめ抜かれる。
少年法の使い方をちょっとは考えてみろ。
>>507 どんな犬猫だ? ペットか? それなら殺そうとする理由自体ないだろう。
野犬とか山猫とか、害獣なら蚊と変わらない。殺すのに労力が要るだけだ。
その仮定でも良心が痛むとか言うのは人格障害者だ。 >>509
> そもそも抵抗能力を持つ人間が善良であろうとしているとは限らないのだから
間違い。そういう人間は誰も善良であろうとはしていない。
その態度を真似しなさい、そうすれば必ず強くなれるとは限らないけど、ということだよ。
> いじめられているというだけで善良であろうとしていると決めつけ
いい子でいたいという欲がないにもかかわらず抵抗能力がない場合は、ちょっと救えない。
適正体重なのに生活習慣病を発症すると、おそらく遺伝的なもので、治療は非常に難しい。 この一言で解決
刑務所の囚人同士でもいじめがあるw
囚人はどっちも悪人
いじめられてる側だけ善良でいようとしているなんて理屈は通らなーい >>510
ペットなら殺そうと思わない? いや、そんなことない。家族が全員ペット好きとは限らないし、誰かの一存で飼っている場合は他の家族にとっては迷惑&邪魔以外の何物でもないから。
まあ、極端な言い方をすれば、それが罪になるかどうかの差ではないかと。野良犬や野良猫がうるさければ黙らせたい(殺したい)と思うことはあるかもしれないけど、それを寸止めさせるのは罪になる=逮捕されるという意識が働くから。それがなければ…。
虫が好きだから蚊を泳がせるという人はいるかもしれないけど、そんな人でもゴキブリは殺すかもしれないし。でも、それだって罪にならないから出来ることだよね。ゴキブリを殺したら罰金だの逮捕だの言われたら、放置プレイせざるを得なくなる。 >>511
ああ前半はただの言い間違いだよ
「抵抗能力を持たない人間が善良であろうとしているとは限らない」だ 害獣なら蚊と変わらない。殺すのに労力が要るだけだ。・・・って。
おもっきしサイコパス思考じゃん。
成獣よりは幼獣殺すほうが可哀想とか、害獣でもあばれたり断末魔あげたりしたら可哀想になるとか
色々あるじゃん・・・?共感性ないのか? >>480
> いじめられっ子というのは、どこかで「善良であろう」としてるんじゃないかな。
道徳的に努めて善良であろうとしているかは分からないけど、
性格的に自然に善良な人というのがいる。
他人への攻撃性をほとんど出さない、抱かない人が。
> いじめっ子は人格障害者だから、善人は格好の餌食になってしまう。
たしかに、犯罪者にとって、善良な人は攻撃しやすい。
暴力団の事務所で強盗を働く強盗団はそう居ないだろう。
つまり、暴力団はそれだけで犯罪に対する抵抗能力/免疫をもっていることになる。
だからって、暴力団よりその抵抗能力に劣る一般市民が犯罪被害に遭っても
抵抗能力が犯罪者たちよりも低いのだから仕方がないという理屈にはならない。
ちょうどオリンピックやってるけど
人間の攻撃性をまったく抜きにした競技なんてひとつもないわな。
だからってオリンピック選手は悪人だっていうやつはいないわな。
まあ悪人もそりゃいるけど。今回は審判のほうがよっぽど黒く見えるわ。 >>513
寸止めさせるのは罪になるのか。
寸止め罪が適用されるのか。
おまえの国語力は頭の悪い小学生以下。
バカの意見など誰も耳を傾けない。
書くな。 >>512
> 囚人はどっちも悪人
いいや。ただ法に触れた人ということ。
合法・不法と善悪とは重ならないところがある。
江戸時代までの日本人はそのことを理解していたし、明治に入ってもしばらくはわかっていた。
しかし、しだいに「不法=悪」ととらえられるようになって、近代日本は 1 度破局に至る。
> いじめられてる側だけ善良でいようとしているなんて理屈は通らなーい
模範囚で過ごして早く出所したいという欲があるといじめられる。 >>518
> だからって、暴力団よりその抵抗能力に劣る一般市民が犯罪被害に遭っても
> 抵抗能力が犯罪者たちよりも低いのだから仕方がないという理屈にはならない。
暗黙のうちにそうなっている。加害者の人権は守られ、被害者の人権は蔑ろにされる。 その被害者側が加害者を優遇する法や社会に耐えられずに復讐しちゃったら
被害者が囚人になっちゃう。悪人ということになっちゃう。 >>480には
> いいや。ただ片方が人格障害、片方がそれに対する抵抗能力が低かったということ。
抵抗能力が低い人と善良な人とは重ならないところがある。
と反論されていて、それには小理屈こねるなと言っておきながら
>>524では同じような小理屈をこねる不思議。
いじめられっ子=善良になろうとしている
囚人=悪人
どちらも短絡的に一般化しているという点では同じですよね。
模範囚で過ごして早く出所したいという欲がある=善良であろうとしている
だからいじめられるのだという理屈も短絡的。むしろ模範囚の例はどちらかといえば
自身が>>480で挙げている「いじめに遭わない普通の子」のほうにより近いでしょう。
刑務所職員に怒られないように、心証が悪くならないようにしているだけで、
全員が本気で善良になろうとしているとは限らない。
早くシャバでまた暴れまわりたいだの、
善良とはほど遠い理由で模範囚を演じる囚人なんていくらでもいることは想像するに易い。
複雑な要素が絡み合っているであろういじめ問題を
「いじめられっ子=善良になろうとしている人」とし
「善良になろうとすることをやめればいい」などと単純に論じては
極端な暴論ととられても仕方がありません。
自殺は悪行だと考える者がいれば、
いじめられて自殺するような者は善良でいようとしていたはずはないと考えるかも知れない。
再三言うけど、世の中そう簡単に何が善かなんて決められるほど単純ではありませんね。 この場合の「善良な」とは他者に対する善良な態度を常態とするという意味であって、
「善良になろうとしている」ではないよ。社会心理学では、攻撃性とか利己性/利他性
という言い方をしている場合もある。
刑務所の囚人にもこの差異は応用できる。
問題になっているのは刑務所内でのその囚人の対人態度での行動形態なのであって、
刑務所の外で何があったかはその刑務所で生活する囚人同士の関係には関係がない。
その囚人がどういう罪状を持つかというのは刑務所内での対人関係の善良さとは関係がない。
この場合、囚人仲間や看守に対して善良であるかどうかが問題になっているのだからね。
家庭内暴力(DV)で苦しんでいる妻が暴力夫を、今渡こそ殺されるというほどの激しい暴力の
前で相手を殺害してしまったとしたらその妻は殺人者になり、結果として暴力夫よりも罪状は
重くなるかもしれない。
しかし普段はその妻はDVをされてもその暴力夫の苦しい心中までも察して夫を責めることなく
長年にわたって耐えつづけ、暴力夫に奉仕しつづけた温厚な細君であり続けてきたかもしれず、
もしそうだとすれば刑務所内でもその本来の彼女のその性質が出ることだろう。
そのとおり、その妻の刑務所内での同僚である囚人たちは、彼女を至って温厚で心やさしく
他人を傷つけることを苦手とする善良な人だと分かっている。
しかし善良な人は犯罪(いじめなど)のターゲットにされやすいだろう。元暴力団の囚人よりもね。 親の悲しさや、
自分がいなくなることで他に
ターゲットが移るかもしれないことも考えないで、
ただ苦痛から逃れたいという欲を満たすために自殺に走るほうが、
よっぽど利己的で悪人だっつってね 俺たちがいじめた奴は自殺したから悪人だ、
俺たちがいじめて死んで当然だった、俺たちはその悪人を成敗しただけだと、
いじめっ子がそこまで開き直ってまで自己正当化したいのかねえ。 訂正:
いじめっ子やそれに共鳴する連中はそこまで開き直ってまでも自己正当化したいのかねえ。 哲学の偉人西田幾多郎は
利己的でいることこそ善であるというようなことを書いていた気がするがな。
利己を追求すれば自然主客合一の境地に至り、究極の利己は結局利他となる、と。 >>526 「囚人=悪人」というのは統治者による洗脳だよ。
社会で生きる以上、法に触れれば罰を受けなければならない。
しかし、それと悪人だということとは重ならない。
結局、自分が善だと思うことが善なのだ。
法は法、善悪は善悪。いじめっ子を殺してもし罰を受けたなら、少なくとも親は
「よくやった。お務めご苦労」と言ってやるべきだ。絶対に相手の親に頭を下げてはならない。
まして、14 歳未満は刑事罰を課せられないのだから、いじめっ子に負けない残酷な方法で、どんどんやり返せばいいんだよ。
>>527
> いじめられっ子=善良になろうとしている
> 囚人=悪人
> どちらも短絡的に一般化しているという点では同じですよね。
だから、善良になろうとしてないのにいじめられるとしたら、もうどうしようもないと言っている。
「囚人=悪人」は、例外が 1 件でもあれば成立しない。
全然違うだろ。 >>532
それは「情けは人のためならず」の諺と同じ意味だろう。
「情けは人のためならず」は西田と同じことを逆の方向から言っているにすぎない。
利他的であることは巡り巡って自己にも利するという考え方をすれば、
利他的に振る舞うことを惜しんではならないということになる。
近代の福祉国家の理念と近い。しかし、これは本質的に利他の論理だ。
> 結局、自分が善だと思うことが善なのだ。
そうだよ。だからこそ再三言っている。善良であることをやめる必要はないと。
残酷にやり返すことが最"善"策だとするなら
それが善だと思ってやり返せばよいだけであって
なにも善であることをやめなければならないということにはならない。
残酷にやり返す以上に、先生や親に相談するなり、自殺するなり、じっと卒業まで耐えるなり
他のなんらかの方法をとるほうが最"善"だと思うならそうしたらいいというだけ。
どんなケースの誰にとっても残酷にやり返すのが最善だ、とは到底思えないけどね。 >>535 それは反則だよ。
どうすればいじめをやめさせられるかという議論の土俵、リングから降りてしまっている。
> どんなケースの誰にとっても残酷にやり返すのが最善だ、とは到底思えないけどね。
最も有効な、そして、唯一の有効な方法だと言っている。善悪は関係ない。 いじめられている側が、犯罪の被害者が、強くなればいい、護衛術、格闘技を習えばいい、
という議論は、じゃあ、みんなが格闘技の達人になったらどうなるかを考えていない。
本当にばかばかしい議論だと思う。 >>536
そんな議論がはじまっていたとして、
どうしてそんな結論になるのかわからない。
直近のレスだけを読んでも、
いじめを回避する方法を例に挙げ、ケースにあわせていくつもあるはずだ
という意見を持っていることがわかると思うが。
実際のケースを見れば、相手を殺すだの残酷にやり返すだのしていじめがとまったケースより
介入を頼ったり自然消滅なり、他の様々な形でいじめと縁を切った者のほうがはるかに多いことがわかるはず。
「過去にいじめを受けていた」という人の全てが、相手を殺すなり残酷にやり返すなりしたおかげで
現在のいじめられていない自分がある、とでも主張しだしたりしない限りは、
唯一有効な方法が仕返しできないよう殺すことだのという
そんな極論が大勢に支持されることはないだろうね。
そして善良云々を持ち出してきたのはそちら。>>480
「最も有効であり唯一でもある」という表現もよくわからないが、
その有効な方法をとって抵抗するには善良であることをやめなければならないと言っているのだから、主張に善悪が関係している。
その部分に対してこちらや他の人が、抵抗にも多種あろうし抵抗能力の有無は善悪とは関係ない、と反論しているにすぎない。
だから降りるもなにも、そちらが議論に使おうとしている主張内容についてこちらは疑問があるので
すりあわせ作業として別の議論をしているにすぎない。まだそちらのしたいらしい本題の土俵にあがっていない。
こちらから何か有効案を提示する必要性もない。
そもそもどうすればいじめをやめさせられるかという議論ではなく
いじめられる側に原因があるかないかという議論から始まったとも思うけどね。
そこで原因はあり、それは善良であろうとしていることだというような主張がなされ、こちらはそれに反論している。←いまここ
「いじめられる側に原因があり、その原因とは私が唯一有効だと思う方法であるところの、
"相手を殺すなり残酷な仕返しをすることによって何倍にも仕返しをされないようにするという方法"を採らない態度にある」
という主張だけなら理解しやすい。 >>537
「菌」の側が強くなったら、発症が酷くなるだけだな。
発症を抑えたいんだったら、ワクチンを打つか、無菌室を作るかだけど、
そもそも「菌」が特定できないのが一番の問題だってことを失念している人が多いな。
対象がハッキリしさえすれば、介入方法はいくらでも検討すればいいじゃないか。 環境汚染をなんとかしたい
↓
地球人皆殺しでおっけー♪
いやまてよ、地球が残っている以上汚染はありうる。
地球爆破でおっけー!
あっほらし 極論厨多いな
スレ当初の即出席停止の奴とは内容が違うのに同じ臭いがする >>537
> じゃあ、みんなが格闘技の達人になったらどうなるかを考えていない。
そんな起こりそうもないことは考えなくていいw
>>538
> 介入を頼ったり自然消滅なり、他の様々な形でいじめと縁を切った者のほうがはるかに多いことがわかるはず。
介入を頼って何倍にも仕返しされ、重い心的外傷を負い、一生屈辱感に苛まれている人が大勢いる。それが現実。
つまり、形としてのいじめは終わっているのに、消滅もしていないし、縁が切れてもいないのだ。
> 唯一有効な方法が仕返しできないよう殺すことだのという
> そんな極論が大勢に支持されることはないだろうね。
支持されないかぎり、いじめという現象の前で、社会はなす術も無く立ちすくんでいるだろう。
> そして善良云々を持ち出してきたのはそちら。>>480
> その有効な方法をとって抵抗するには善良であることをやめなければならないと言っているのだから、主張に善悪が関係している。
「最善の方法」という表現がすり替えだと気づかないのかね?
> まだそちらのしたいらしい本題の土俵にあがっていない。
> こちらから何か有効案を提示する必要性もない。
> そもそもどうすればいじめをやめさせられるかという議論ではなく
> いじめられる側に原因があるかないかという議論から始まったとも思うけどね。
つまり、やめさせる気はないわけだなw
>「いじめられる側に原因があり、その原因とは私が唯一有効だと思う方法であるところの、
> "相手を殺すなり残酷な仕返しをすることによって何倍にも仕返しをされないようにするという方法"を採らない態度にある」
> という主張だけなら理解しやすい。
いじめが始まる原因はいじめられる側にはないが、いじめが止まらなくなる原因は、いじめられる側にもあるといえる。 ここまでの流れを見ると、いじめをやっている者、やったことのある者が、
逆に相手から牙を剥かれることを、どれほど怖がるかよくわかる。
文明社会では暴力は不法とされ、罰せられる。これは動かない。
しかし考えてもみよ。大勢で寄ってたかっていじめた相手に、いじめの首謀者が殺されたり、
重傷を負わされたりしても、まともに同情はされないだろう。
それは相手がやりすぎだと、みな理性では思うが、心情は違う。
やられたいじめっ子やその遺族は、身の置き所があるまい。
そうなって初めていじめ事件は減るだろう。極論でも何でもない。 パーソナリティ障害 (パーソナリティしょうがい、英: Personality disorder - PD)とは、
精神医学においては、一般的な成人に比べて極端な考えや行為を行ったりして、
結果として社会への適応を著しく困難にしていたり、精神病理学的な症状によって本人が苦しんでいるような状態に陥っている人を言う。 大津市の事件に負けず劣らず創価学会の集団ストーカー(嫌がらせ、個人攻撃、陰口、悪口等々)も陰湿極まりないものです。
しかも創価学会の集団ストーカーの場合は組織的に行われその命令は東京都新宿区信濃町の創価学会本部から出されます。
信徒数一千万人を擁し宗教法人として正式に認可された宗教団体の中枢部がこのような犯罪行為をしているのです。
命令しているのは竹内一彦元全国総合青年部長です。
私の場合、郵政省内で郵便法違反を指摘しただけなのですが、その法令違反を犯した大勢の中に たまたま偶然公明党足立区議会議員U幹事長の親友M本
がいたがゆえに13年以上にわたり職場で集団ストーカーを受けました。陰口、悪口、暴力、他の人を唆しての窃盗等々。
自宅近くでは創価学会の支部長からいきなり後ろから殴られたり家の中に物を投げ込まれたり、、、、まさに人間の皮を被った獣です。
要するに公明党足立区議会議員U幹事長の親友が大量法令違反を犯したことがバレるとやばいので創価学会本部(新宿区信濃町)自ら隠蔽工作に乗り出した訳です。
現在、足立創価学会は竹内一彦元全国総合青年部長の下、汚い集団ストーカーや隠蔽工作に汲々としています。
↓こちらに創価学会の集団ストーカーの様子が多数書き込まれています。
http://anago.2ch.net/koumei/subback.html
>>542
> そんな起こりそうもないことは考えなくていいw
じゃあ、いじめっこも格闘技を習ったらどうする?
あるいは格闘技をやっているDQN友達を数名率いてきたら?
いかにもありそうなことだぞ。
格闘技を習えがいかに幼稚な発想かがすぐに分かろうというもの。
格闘技を習えなんて一言も言ってない。
だいたい、素手で人はめったに殺せないよ。 幼稚というより短絡的で極端、つまり人格障害者。相手にするだけ無駄。 自殺した人が一番悪いとか言ってるクズいるけど
悪いのは自殺に追い込んだ人であって自殺した人は悪くないだろ
頭おかしいの? 自殺を殺人と捉えるならば、本人も実行犯ということになるのでは?
一番とか言うのはよくわからないけど、信仰によってはそういう教義もあるのかもね。 >>550
自分に対する殺人だとしても自殺に追い込まれた人は悪くない 悪くないなら誰も止めないんじゃないか?
よくないから止めようとするんだよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています