一般に、いじめをなくすよう行動することは善良であるとされていませんか。
善良であればいじめをやめさせるために行動するはずであるということですね。
ということは何もしないでじっと耐えるだけのいじめられっ子は悪人であるということになりますね。

良心に関しても
「人をいじめてはいけない」という良心(一般的価値観)と
「人を殺してはいけない」という良心(一般的価値観)は別物です。
世間にはさまざまな一般的価値観があります。
それらがすべて自分の価値観と一致していなければ「良心がある」と言えないのかといえば
そうではありません。
「タバコのポイ捨てをする」ような人でも、「粗大ゴミの不法投棄」をする人に対して憤りを感じたりするかも知れません。
程度が違うからです。
いじめで良心が痛まないような人でも、相手が死んでしまったら良心が痛むということもあるでしょう。
いじめのみに絞っても、いじめにすら様々な程度があります。
多少小突くくらいのいじめなら良心が痛まない人でも、相手が泣き出したら良心が痛むということもあるでしょう。
>いじめっ子に良心はない。ないからいじめができる。
このように言い切れるほど、こういう問題は単純ではないでしょう。