現在進行形で意味が変わってきてる言葉
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辞書にある意味が変わってきてる言葉、最近新しい意味がつけ加えられた言葉
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例1
スレタイに使ったが
現在進行形という単語は英語の〜ingの説明につかうわけで
「現在進行形で〜している」という用法は
おそらく英語の義務教育が普及してからの新語だろう。
そんなにあたらしくもないが昭和50年代(1970年代なかば)くらいからか?
例2
あざとい
1 やり方があくどい。「―・い商法」
2 小利口である。思慮が浅い。あさはかだ。
↓
相手から「かわいい」や「セクシー」といった肯定的なアクションを引き出すために
知らない素振りでわざとやってるのだ、と指摘する時に使われている
例)赤ちゃんや小動物のかわいい場面を見て→あざとい!
「あつい」と言ってシャツをひっぱって谷間をチラチラする→あざとい! ×肯定的なアクション
○好意的な反応
辞書的に意味をまとめるの地味に難しいね 戦犯
文字通り戦争犯罪者をあらわすことばだが
スポーツの団体戦などで敗因を作った人という意味で使われている 経験値
RPGゲームなどで次のレベルに上がるまでの数字
↓
ほぼ経験と同じ意味に
今じゃ会社のエライ人まで「しっかり経験値つんで・・・」とか普通に使ってるが
単に経験を積むでいいだろう
かっこつけたいなら経験知を得る、とか すべからくも「べし」の係り結びで、「すべて-しないといけない」という意味なのが、
べしが取れて単に「すべて」という意味になりつつあるような。今はまだ正式には誤用か >>6
「すべからく〜べし」は『当然〜しなくてはならない』だぜ。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E9%A0%88%E3%81%8F&stype=0&dtype=0
『すべて〜』という意味への誤解がいかに浸透してるかってこったな。
まあ将来的には正用になるかもしれんね、これも。 全学連世代の弊害だな。ま、ちゃんとした使い方もしてたけど。 王道・・・王のために用意された近道、楽な道。あるいは王がすすむべき道
↓
ベタな展開、定番
かなり使われてるけど、これはあんま古い言葉じゃないと思う >>9
> 王道・・・王のために用意された近道、楽な道。あるいは王がすすむべき道
これ自体が英語 royal road の訳語で、かなり新しい。
元来はもちろん「徳をもととして国を治めること。儒教で説かれた理想的な政治のあり方」。 すべからく ・・・すべての
これは本来「さながら」で置き換えるとかっこよさを保持できると思う
リツコ「最近の男はさながら自分にしか興味が無いのよ」
しかしこれではもっと意味が通じない可能性あるな。だが正しい用法
正しいとはいえこの、さながらも辞書見ると
たくさん意味があって
1よく似てる様2そのまま 接:そうはいうものの
など、すべてのって意味は3番目に乗ってて
徐々に変化したものと思われる、これは興味深い
日本人にはすべての、みたいな言い回しをカッコつけて言いたくなるなにかがあるんだろうw おっぱい揉んで
激安で抜ける
○1000円〜
「新宿 アイアイ 」
○1500円〜
「西川口 マーガレット 」
○2000円〜
「新宿・錦糸町 あんぷり亭 」
「新宿 ダブルエロチカ 」 センター試験
国語で歴史的不適当問題(超難問)
理系重視の社会で
没落激しい文系教授の怨念、うらみを絵に描いたよう。
難問出して価値上げようと必死。
わけのわからぬ複雑怪奇な難問の読解を
理系全学生にまで強要しきわめて悪質。
ニッポンの衰退起こす老害そのもの。
センター国語廃止を >>14 本文は難しいが、誤答の選択肢ははっきりしている。
雰囲気さえつかめればそこそこ解ける。
ボロボロに終わるような理系こそ日本には要らない。 変化と誤用は被りはしてもイコールではないと思うんだよなあ Jヴィレッジ
昔は日本代表の合宿などが行われるサッカー施設。
今は… ネットにおける「正論」はちょっと意味違うんじゃね?って感じる
例)引用
川越さんのインタビューが掲載されているのは
2013年5月19日付で配信された雑誌「サイゾー」のウエブサイト。
「食べログ」のような評価サイトをどう思うかと質問され、
「くだらないです」と即答。年収300万円、400万円の人が
高級店に行って批判を書き込むこともあるが、
そういう人たちには高級店の企業努力や歴史がわからない。
以前に自分の店が「水だけで800円も取られた」と非難された
こういうのに川越シェフが言ってることは正論、だという人がいるんだね。
反発したい奴がいるだろうけど、言ってることは正しいとかそういう意味か?
その上で反対意見述べる人もいる。
でもこれって特定の立場からみた主張であって、正論ではないと思う。
あくまで「貧乏人から見たら水800円は高い」の価値観の対立でしかないだろ。
つまりどっちが正論ってことにはならない
逆にわかりにくいかもしれんが、とにかく正論の使われ方に疑問がある
今度意識してみ 敷居が高いは
「相手に不義理などをしてしまい、行きにくい」
でもなく
「高級すぎたり、上品すぎたりして、入りにくい」
でもなく
「何か物事を新しくはじめるのに、
覚えることが多そうだったり、高齢過ぎたり、で気が進まない」
という意味で使われてる 「ハードルが高い」の干渉だろうね。
この「ハードルが高い」も変な言葉で、高跳びのバーと間違っている感じがする。
ハードルが高いなら蹴り倒して行けばいい。好タイムは出ないだろうけど。 なにげに
これ、「なにげなく」の誤用+新しい意味の追加、として定着してきてるけど、
私が若い頃(79〜80年)は、なにげなくの反意、つまり「意図的に」という意味で
使っていた。もちろんふざけて。
やぶさかでない → やぶさかである、みたいな関係。
このように使ってた人、いる? R大学の後輩、O君は造語が特異でそんなこといってたな。
78〜79年だったかな、ナニゲってのが回りで流行ったのは。
たとえばバイト先で、「あ、Mさん(俺のこと)、またナニゲにさぼってますね」とかいうの。
これは「堂々とさぼってる」っていう意味。何気なく、のまるで反対の意味で使ってたもの。 それはいわゆるアン語ですね。
やぶさかでない→やぶさかである。
アンちゃん、おもろいねー、とオモテタラ、やぶさかである、という言い方も
古来は正しい表現だったのですね。 >>22
つまり、「初心者には敷居が高い」というように使われてるのか。
そらあ、知らなんだ。
ハードル(hurdle)は障害物だし、「ハードルが高い」なんて慣用句じゃないんだから、
それはそれでいいんじゃない? きゅんきゅんする方の萌えって、
「可愛くてチンコ/クリトリスが勃起して萌えい出るようだ」
という意味でいいのよね? いわゆる痴漢行為をする女を痴女と言うのは、どこまで浸透した表現なんだろう。
あるいは、いつごろまで痴漢とは使い分けられてたんだろう
普通に「女の痴漢」と聞くようにも思うけど
エロ系の文章ではことさら「痴女」と使い分ける気がする PCよりマックのほうが俄然として使いやすいですよ、
みたいに言うの?
そんな誤用はまったく理解できないけど、「俄然」ってことばも
あんまりなじみないね。 「俄然として」の「として」は入らないけどそんな感じ
こっちの方がガゼン使いやすいですよーみたいな
思うに断然よりも響きがかっこいいからなのではないか この場合「全然」を使うのは誤用だ、というのは浸透してきたか 古来(少なくとも明治中期)、「全然」は否定・肯定双方で使っていたというのは
知ってるよね?
すると、比較で「全然」が使えないという根拠はなんだ? >>39
最近(江戸時代頃から)の流行りだわ。
しだらない を だらしない などというしだらない言い回しをしているのも最近(江戸時代頃から)。 全然は、全くってことだから、これに相対的な要素あるか?
最大値の評価を絶対的に下したことを表明する語じゃないか。
最大だから「それ以外は話にならん」というついでの意味も派生するけどさ。 >>39
明治の文豪が〜とか言う馬鹿、まだ居たのか
「全然いい」というと違和感を覚える人間がなぜ多いか、少しは知るべき
明治時代が古来とか、平成生まれのガキだろ 明治が古来でないということは>>43は明治生まれなのか 全然まずい、とか否定的な意味の言葉には肯定文で使ってもいいと思う
個人的な見解だけど 「確信犯」はどう?
「故意犯」の意味で使ってる人が多いよね 同級生 同じ学級同士(英語で言うclassmate)ってことか、同い年(コーホート)ってことか
そろそろ意味を一つにしてくれ さあ、タメと同窓で使い分けだ
タメを公式語として認めればOKだ
等命とでも充てれば格好つくだろ >>46
正しいと信じてするという本来の意味が伝わらなくて困る
「あいつ確信犯だよ」は褒め言葉なんだがなー 拘る(こだわる)
本来は1つのことにとらわれてしまうこと。つまりあまりよくない意味。
拘泥を字を見ればネガティブな意味だと分かる。
しかし近年は(特に料理などで)妥協せずとことん追求することを示す。つまりよい意味。
「料理人こだわりの一品」など。 「拘るのは悪いこと」という価値観には仏教のニオイが感じられる。
それだけ仏教的な考え方が廃れたということだろう。 なんでも仏教やら大和魂やらにからめるのはやめましょう 悪い意味が逆に良い意味にって語は結構ありそうだね
ぱっと例は思い浮かばないけど >>56
鳥肌
昔は「気持ち悪い」という意味でしか使わなかったけど
最近は「素晴らしい」と賞賛するときにも使う >>54
仏教だって、というか全ての宗教には「拘り」があるけどな。
というか、「拘り」が無ければ宗教では無い。 初體驗(first sex)はショタイケンと讀み
初體驗(first experience)はハツタイケンと讀み明確に區別していた
しかし昨今では初めてのセックスのみを初體驗の字で表し讀みはハツタイケンだけである
本來の意味のファースト エクスペリアンス(初體驗)は文中での使用が許容されるが限定的であり
初めての體驗との言い換えが主流である 「戦犯」とか、比喩表現で用いられたものが、そっちのほうが
使う場面が多いから、元の語の本来の意味で使われる場面が
相対的に減ってみえるだけなんじゃね?
そのような語は、他にも多くありそうだよね。 >>63
管見のかぎりでは100年前からかわりませんが。 やばい
鳥肌
間抜けな芸人が広めたような言葉を正しいと思い込んでる阿呆
感動して涙が出る事はあっても、鳥肌が立つ事はありえない
「鳥肌が立つ」と言ってる奴に限って、見た時に鳥肌は立っていないという事実 「正しい日本語」「美しい日本語」という問題に言語学は答えることができません。
「言語学は規範的であるよりもむしろ記述的なのです」や「言語学板はいつから正しい日本語板になったのだろう」
などのスレッドを参考にしてください。 >>69
「気持ち悪い」という従来の意味で「鳥肌」と言ってる人だって
実際には鳥肌なんか立ってないと思うよ 心臓はドキドキするものと思っていたが、近頃はバクバクするようだ。
元は関西弁臭いな。 >>71
気持ち悪い?どこの地域だよ
本来は恐怖や極寒の時の言葉だ >>28
ハードルが高(たか)・い
乗り越えなくてはならない困難が大きいさま。「初心者に高性能カメラは―・い」
(大辞泉) 「にくにくしい」
最近のTVの食レポで「憎ったらしい」ではなく
「(食感において)肉の存在感がある」のような意味で使われている 当たりが強い
これは最近使われるようになった言葉な気がする
当たりがきつい、という言い方も聞くようになった
辞書見ると
当たる
小言を言ったりいじめたりする
この用法が昔からあるので類推は容易であり
意味が通じないということはないとは思う いろもの
本来は落語・講談以外の演芸と演者
↓
歌手・俳優と対比しての全てのお笑い芸人・お笑い全般 謙譲語の「上げる」の使はれ方はもう酷いですね。
謙譲語の「叮嚀語化」などと嘯く連中のせゐで滅茶苦茶になつてをります。
文部省は敬語委員會の座長を勤めた北原保雄のやうな者が率先して敬語破壞
に勤しんでゐますから破壞の速度が非常に急激であります。
いはゆる「猫に餌を上げる」「子供に小遣ひを上げる」などに見られる上下關係
を無視した誤用がありますが、此の「上げる」を勸誘する際にも使ふ馬鹿が一部
ゐるやうです。「動物園 餌をあげる」などで檢索をかけると其の手の文章が出て
來ますが、「どうぶつに餌をあげませう」などの文ですがもう酷い。
譯すと「客が謙つて、動物園が所有する動物に餌をやりませう」と、斯ういふ意味
になるのですがをかしいと思つてゐないやうです。
更に動物愛護センターの例文もあつて「猫に餌を上げないでください」は、
「ネコキチども、謙つて猫樣に餌を與へるな」の意味にもなりさうです。上げるを
否定を伴つた勸誘文で作るとかうも面白い物が出來るのですね(笑)
かういふ結末を煽つたのが學者と呼ばれる連中なのですから心底馬鹿にされて當然でありませう。
明鏡國語辭典モドキにはかうあります。
あげる
「表現」
(1)本來は當該の人を高めて言うべきものとされるが、今はむしろ同等またはそれ以下の人に使い〜
(2)動作主が恩恵を与えるような立場にあるため、相手を一段下の者として扱うような感じと
ともに、恩着せがましさや押しつけがましさを伴うため、目上の人には使いにくいことが多い。
引用をはり
「あげる」は千年以上も謙譲語として使はれた言葉でせうから、その意味を變へるに當たつては
相當の根據が必要だと思ひますが、上記のやうに妄想を最大限炸裂したかのやうな嘘出鱈目を
竝べ立てゝゐます。糖質北原によると、佛壇に線香を上げる、燈明をあげる、は
恩着せがましいのださうです。彼は「やい、佛、今から線香をくれてやる」とかういふ意味と捉へて
ゐるやうです。本物の氣違ひは一味も二味も違ひますね。 「やる」のほかに「くれる」といういい方もあるな
水やりを「水くれ」と言うように
自分の行動に「くれる」を使うくらいだから、与えてやっているという意味合いが一番強い語ということか
亡くなった園芸研究家の江尻光一さん(1926年生)がよく使ってたな 「なにげに」はなにげなくの変わったものじゃなく
関東の方言 なお、水をあげるという人はいるけど、水あげとは言わないな
同音異義語があるからか 「子ども」
は複數の感覺が消えて二乘の「子どもたち」が當り前のやうに使はれてゐるが
最近はこれも複數の感覺が消えて「子どもたちなど」と複數の三乘化が
進んでゐる。檢索をかけると大企業はもとより文部省のサイトでも掛かり
呆れ果てるばかりだ。まあ、國語破壞機關の文部省ならば當り前なのかも
しれないが大企業がかういふことをやるのは情けない。
斯う言ふのも漢字で書かないのが原因の一つだと思ふが單複の區別が嚴しい
言語からすると實に滑稽なことだ。
英語であればchildrenにsを雙つ附けて「チルドレンズズ」と云ふと、恰もメキシコ移民
のやうな印象を受けて迫害されるだらう。
獨語であれば單數das Kind(キント・一格)、複數das Kinder(キンダー・一格)であるが
中性名詞の複數に附くerを更に雙つ附けて「キンダーアーアー」と云ふと、おめへはトルコ移民か
若しくは最近流行りのトルコがピストンした僞裝シリア難民かと突つ込みを受けるだらう。
露西亞語であれば單數ребёнок(リビョーナク・主格)、複數Дети(ディエーチィ・主格)
であるから「ジェーチジェーチジェーチ」と云ふやうなもので、貴樣は英米イスラエルのユダヤスパイ
かと突つ込みを受けるだらう。
英語のchildrenは語源を調べると面白く矢張りノルマン・コンクエストすなはちバイキング
の侵略と密接な關係にあつた。
http://en.user-info.net/2009/12/post-230.html 因みに複數に「en」を附けるのは獨語における女性名詞のそれであり、單數Frau(女・フラウ)
複數Frauen(フラウオエン)であり、ゲルマン系の英語も中性名詞の複數erに似たchildruが複數であつたが
侵略を受けて女性名詞の複數に附くenが附いたchildrenといふ形となつたのだ。
言語の破壞は侵略と移民と密接不可分の關係にあるのだ。
それにしても二乘の「子供達」と三乘の「子供達等」は一體どういふ意味なのか今もつて謎である。
二乘のはうは「日本中の子供」であらうか三乘は「世界中の子供」であらうか。
僅か100年にも滿たずにここまで破壞されたのだから四乘化もすると思はれるが
「子供達等ら」となると宇宙人の子供も含まれさうである。
實に壯大な咄である。未知との遭遇である。
漢字で「子供達等」と書くと滑稽さに氣附くと思ひますが皆さんは馬鹿なことをしませんやうに。
抑、和語の「ども」の意味が分からないなどといふのは恥かしいにも程があるのです。
「子供達」などとやらかした時點で「移民か!!」と罵られても文句が言へないのです。 広辞苑辞典部に広辞苑に書いてある『「詐欺@」いつわりあざむくこと』の意味の問い合わせたら
最初は「他人を騙そうとする意思がある」ことが必須だと説明していたが
次に問い合わせたら「どのような意味で使っていただいても構いません」だって
社会的影響のある広辞苑が無責任だよな
そんなこと言ってるの辞書の中で広辞苑だけだよ
普通は詐欺っていわないことまで詐欺よばわりされて迷惑してるんだよ >>87
裁判に用いる法律用語としての詐欺ならそれなりに意味も固まって来ようが、広く一般の会話で使う分には厳密性なぞ求めても意味なかろう。 特撮
本来の映像制作技術としての特殊撮影は浸透と拡散し、映像制作における基本中の基本の技術となった
その過程で特殊撮影技術は事実上「SFX」という単語に置き換わり、本来の「特撮」は使われなくなる
一方で「特殊撮影技術を駆使して作られた映画」を指したはずの「特撮」の派生用法は
上記の変化が起きたときに特撮映画として盛んに作られていた「変身ヒーロー映画および怪獣映画」に近い意味へと変化していった
ただし、「変身ヒーロー映画および怪獣映画」が現在の「特撮」の用法に完全に一致しているとも言い難く
多分に話者の主観で特撮ジャンルに含めるかが決まっている面も 正統(or正当?) - 進化
評論とかレビューでよく見る正統進化って言葉は
辞書の進化の項目にはないと思う
もちろん「進化」は生物学の言葉だが
「正統進化」という術語はおそらくない
例えばとある新しい製品がバージョンアップしたときに
成功すれば「正当進化だ」と言えるだろう
また、新バージョンのバリエーションが幾つも用意されてるとき
その内の一つを指して「正統進化だ」と言えるだろう
なんとなく通じてしまう言葉ではあるがあくまで推測だ
厳密な定義はない、と思われる エゴサーチとは
自分の名前で検索すること
自分の評判について検索すること
転じて
誰かの評判について検索すること
転じて
自分で何かを検索すること
となったらしい
ネットで流行る言葉は変化もしやすい
ただし意味を確認しないで伝播するということならなんでも同じ エゴサ、すなわちエゴサーチは一応定義があるが
壁ドン>>24なんかは元がスラングなので誤用もクソもない
でもきれいに意味が変わった例だと思う
広告代理店とか雑誌が仕掛けたんだったけか 雑誌や広告屋如きが広めた言葉なんぞ、いちいち覚える気は無い 【グルメ】
本来は人間(食い道楽の人、食通)を指す言葉だったはずだが、
いつの間にか食べ物を指す言葉に変わった。 黄金比
本来の意味は1+√5:2の比率を指す言葉
ざっくり言うとA4の紙の長辺と短辺の長さの比率
この比率を使ったデザインは不思議と人の心を掴むことが知られている
だったはずが、人の心を掴むデザインの比率であれば
どんな比の数字でも黄金比と言っていいとかいう最近の風潮
曲がりなりにも理系人間なんで、ニュースサイトのタイトルを見て
「こんなところに1+√5:2が?」と胸踊らされて記事を開いて何度失望したことかw >>97
> ざっくり言うとA4の紙の長辺と短辺の長さの比率
それは (広い意味での) 白銀比 ざっくり言うと、名刺の短辺と長辺の比率に近いね
ただ、長辺を2ミリ短くしたほうがより正確だけど 役不足は誤用ではなく使われ方が変わった
という解釈が一番自然だと思う
根拠1
正しい使われ方を見かけない
「おれにはそんな端役は役不足だ」という正しい使われ方はまず見かけなくなった
役が役不足 ←正しい用法
人が役不足 ←誤用
のように文法が違ってるので意味で混乱することはまずない
しかし、人が役不足 なのに正しい用法で使おうとすると途端に混乱する
「そんな端役、おれには役不足だ」
↑ 一見正しい用法だが 人が役不足 で正しい意味ではめったに使われてないはず
根拠2
力不足などとは無条件で置き換えられない。
必ずしも実力不足が確定というわけではなく
謙遜や自身のなさも含まれてるというニュアンスが
力不足では感じられないから
・意味のない誤用の指摘は有害
役不足の正しい使い方ではないという主張は
言葉の健全な使われ方をひどく阻害してると感じる
「人が役不足」を新しい意味としてもっと早く定着させるべきだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています