名詞と動詞の連用形の境界
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
たとえば、
友人を見送りに行く
人を調べに出す
お聞きの事と思います
お願いです
謀反の疑いありだ
などの「見舞い」や「調べ」や「聞き」や「願い」や「あり」は名詞なのか?
それとも動詞の連用形なのか? 見劣りもしない
見送りもしない
見舞いもしない
話もしない
「もしない」はニュアンスでどっちとも取れるのが多いな
まさに名詞と動詞の境界線 ヨーロッパの言語でいうところの分詞とはどう違うんですか? この モンダイ は ぜひとも センモンカ の ミナサン に はなしあって もらって イッテイ の キジュン を しめして もらいたい な。 >>47
「見劣r-」という動詞はないと思う。
ミオトリモ┐シナ┐イ〜ミオトリモシナ┐イ: 名詞「見劣り」
ミオクリ┐モシナイ: 動詞「見送r-」
ミオクリモ┐シナ┐イ〜ミオクリモシナ┐イ: 名詞「見送り」
ミマイ┐モシナイ: 動詞「見舞w-」
ミマイモ┐シナ┐イ〜ミマイモシナ┐イ: 名詞「見舞い」
ハナ┐シモシナイ: 動詞「話s-」
ハナシ┐モシナ┐イ〜ハナシ┐モシナイ: 名詞「話」 >>48
分詞は形容詞的
連用形は名詞的
連体形は形容詞ときどき名詞的
>>45
それは連体形 今の日本語には、「を」の前で「楽しく生きる」が名詞節になる文法はない。では古語かというと、この文には古語的でない要素が多い。結局、「楽しく生きる」は引用節であり、引用節が名詞類として機能しているといえる。 正しくは「あなたの生きるを応援する」なのか。
それでも同じことだ。「生きる」が引用節で、名詞類としてはたらいている。 >>48
現在分詞は形容詞的派生形であると同時に
能動的行為者を指す名詞「〜する者/物」に転じうる形
(印欧語では形容詞はその性質を持つモノを指す名詞でもあるから)
過去分詞は受動的分詞なので被行為者名詞「〜される者/物」になる
またどちらも従属節の中心的な動詞としても働く(それぞれ「〜して」「〜されて」)ので
その場合は接続形の役割を肩代わりしていることになる(分詞構文)
日本語の連用形には「動作そのものを指す名詞」すなわち動名詞「〜する事」と
従属節の中心となる副詞的派生形すなわち接続形「〜して」の役割がある
ラテン文法では分詞participleと動名詞gerundは機能も形も別のものだが日本語の連用形はこれらを兼ねる
英文法でも現在分詞と動名詞は歴史的変化の結果同じ-ing形になったので
奇しくも日本語の連用形と一部重なりあうものになった 確実にどんな人でも可能な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
時間がある方はみてもいいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
HOZFV ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています