上代特殊仮名遣い 三音目
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
そういえば日本語とアイヌ語のピジンでいうならマタギ言葉ってのもあるよね >>120 マタギ言葉って東北地方山岳部に残存していたアイヌと話すためのピジンだったんじゃないん? 左側言語ってのはなにかな?っておもったけど、おそらく、ツリー構造で主要部終端型のことなんだろうなぁって理解でみてたけど、 そこってそれほど注目すべきことなのかな?言語類型論的には重要論点なのかもしれないけどさ、 プログラミングとかやってると、入れ子構造をどうするかっていう話だよね。 いや、それ以前に、主語優勢型と主題優勢型で全く、ことなるわけじゃない。 ツリー構造で分析するって、英語とかの主語優勢型言語ならわかるけど、日本語とかだと、ひとつのセンテンスそのものが一つの主題であったりするわけで。 そういうのって、結構簡単に入れ替わるんじゃないかなぁ >>122 単にアイヌ語のp音を松前藩側がバ行で聞き取っただけじゃないの? そもそもアイヌ語の/p/は実際の発音は[p]でも[b]でも可 特に石狩方言は[b]で発音する傾向が強いらしい 左側言語の話でちょっとメモ的なこと。 新情報と旧情報の語順。これって、旧・新という順序になりやすい、人間って新情報を出されると、まず、は?ってなるからという話だよね。 新旧はどんな言語でも、大体は新→旧という順序が守られる。 けど、これが、核心情報(造語)と付随情報(造語)みたいな場合、言語によって順序は適当だよね。 カレンダーの日付とか、住所の書き方もそれに類するのかもしれない。 日本国東京都千代田区1−1か、チヨダ1−1、トウキョウシティー、ジャパンか、 みたいな話で。形容詞・名詞か、名詞・形容詞かというのもそれに類する話だと思うんだ。 けど、こういうシンタックス的なものって、簡単に入れ替わると思う。しかも、入れ替わると、全てが入れ替わるから、質的な分析しか不可能で、 量的な分析もできないし、無視するのがいいと思う。それこそ、商の帝乙とか帝辛が、その後代と順序がおかしいみたいな話で。 やはり、単語をみていくしかない。語順は信用できない。 >>119 印欧祖語のような、格マーカー修飾マーカー共にフルスペックの厳格な屈折語の場合、 系統を考えるに当たり、語順の統語法論を考える必要がない。 アイルランド語とシンハリ語の、語順に関する対照的な統語法は、全部無視されたが、誰も問題にしなかった。 まあ、これは探究段階では循環論法の誤謬であって、いわゆるひとつの「結果オーライ」だけどな。 なお、アラビア語正則文語は、世界で最も厳格な部類の、鉄板の右分岐言語だww 雲仙って、温泉の訛りだったと今日知った なんか沖縄っぽい >>125 印欧祖語は完璧な屈折語で、語順という概念を持たなかった。「語順による論理的入れ子の発想」すらない。 そんな言語だったから、語順問題は無視されただけで、 ネタが孤立語的になってくると、語順問題は無視できなくなるんだよ。 広東語には、一部に妙な右分岐表現があるが、これはタイ語族の影響であることは、ほぼ見解の一致を見ている。 そして問題は、「主題優勢」のほうだ。 これ、英語世界が知った「はじめての ぶんか・そうたい・しゅぎ(嘲笑)」のようなところがあって、 稚拙なオリエンタリズムそのもの、というところがある。 主語優勢は明確な概念だが、主題優勢は【ごった煮の補集合】にしか見えない。 英語の主語と、サンスクリットの主語では、それほどの概念的差はないが、 日本語の「は」と、タガログ語のangでは、話がだいぶ違う。 今日はぼくは家では晩ご飯はめしはぼくのお茶碗には半分だけは7時前には少しだけは食べてはいるよ。 タガログ語にどうしても訳せないw メモのつづき、 英語で、名詞句の主要部は限定詞だっていう理論あるじゃない、あれ、よくわかるんだ。 たとえば、名詞の性質によって、形容詞が規定されるという言語って、 例外はあるだろうけども、名詞・形容詞っていう語順だよね。 形容詞(単数複数・性を名詞に支配される)・名詞(先に発話される形容詞の単数複数・性を支配する)って無理っぽい。 英語の限定詞って、後続を支配してる。 なら、そういうことかと、形容詞・名詞の語順なら、そこらへんの支配関係はなくなる。 いや、そういう支配関係がなくなるから、形容詞・名詞の語順になると。 っていう風なメカニズムの話だと思うと、左側語順なんか、ドミノのように崩れてしまうし、 左側語順になってしまえば、そこで安定してもおかしくないなって思う >たとえば、名詞の性質によって、形容詞が規定されるという言語って、 >例外はあるだろうけども、名詞・形容詞っていう語順だよね。 ドイツ語さんやロシア語さん無視されてカワイソス(´・ω・`) >>131-132 話はそんなに単純じゃなくて、 どちらかというと、支配・被支配の「マーカー(特に屈折マーカー)が消える」ほど、 なんとなく、右分岐的な語順を取りたがるようになるようになる。 屈折マーカーが完備されている言語では、そもそも語順の問題が生じない。 どんな順番でも、マーカーで「名札」が付いているから、支配・被支配の関係は明確になる。 古風な印欧語の場合、極端に言えば「散り散りの離散状態」でもいい。 これが、語順が定まってくると、右分岐・左分岐どちらであっても、 マーカーを一々付けるのが、だんだん面倒になってくる。中途段階にあるのがドイツ語で、 「修飾句の枠内で、原則一回だけ、格語尾を示せばいい」となってる。 なお、ドイツ語の修飾構造は、名詞を中心に見ると左分岐に見えるが、 英語話者への調査と同じく、ドイツ人も「冠詞が主役」と理解しているのならば、 これは、実は右分岐だ、ということになる。 話を戻すと、「孤立語」と「右分岐&SVO」の相性が良く、「膠着語」と「左分岐&SOV」の相性がよく、 「屈折語」は性質上自由自在で、「抱合語」は語順の概念がない。 >今日はぼくは家では晩ご飯はめしはぼくのお茶碗には半分だけは7時前には少しだけは食べてはいるよ。 >タガログ語にどうしても訳せないw タガログ語以外なら訳せるのか?何語でもいいからぜひ訳してみせてくれやw >英語話者への調査と同じく、ドイツ人も「冠詞が主役」と理解しているのならば、 >これは、実は右分岐だ、ということになる。 ベトナム語も名詞を中心に見ると右分岐に見えるが「類別詞が主役」の実は左分岐だったりして >>134 それ以前に、日本語に翻訳させるべきかと。 語順の話で、日本語に自動詞/他動詞の対立が厳密でたくさんあるのはなぜかって考えてたのを思い出した。 英語にしろ中国語にしろ、語順が厳密でSVOのように主語と目的語が語順で峻別できる言語って 自動詞と他動詞が同じ形してても平気なんだよね。 門開了 : 門が開いた 我開了門 : 私が門を開けた 日本語でこいつを峻別しなければいけなかった理由ってぇのは、つまりSOVでかつ格助詞もなく、 語順すら厳密じゃなかったせいでSとOの区別がつかなかった時代の名残なんじゃないかと思う 「私」と「門」くらいだったら文脈で区別つくんだろうけど、 「AがBを殴った」と「BがAを殴った」の区別になると自由語順、格助詞なしでは何もわからん。 そういうのを防ぐために、SもOも三人称でマーカーがない場合は 「Aが殴られた」という文を使う傾向にあるっていうのが最近アイヌ語スレッドで話題になった話で、 日本語も格助詞がなかった時代は受身形や自発形を頻繁に使っていたんじゃないかと思う。 >>137 朝鮮語は、日本語と文法は似てるのに受動態はない 昔の方が受動態が頻繁に使われていたとは思わない Xの人ですw 面白くなってますね。 脱線も脱線なんだけど、「村山説の脱神話化」にとっては、それなりに有意義な話なんじゃないかと。 「【アラビア語】も、左側語順なわけだが(キリッ」と、ドヤ顔で白眼視したら、 自分自身の視野が全く無くなってしまい、「オラ何も見えなかった」でござるよwww のような、ネタスレとしてのこの板の歴史上屈指の「迷レスww」も含めて、面白い展開を満喫させてもらったよ。 語順の統語論に関しては、ANが俎上に上がっているからこそ、目を配る必要がある、 という性質の問題でもあります。 ANというのは、世界的には、かなり風変わりで少数派の統語法の癖を、 それも、大変にしつこく普遍的に持ち続けている語族で、 ざっくり右側語順(右に分岐)と言うのだけど、 ・VSO語順 ・修飾語後置で、接辞は前置詞 特に際立つのはVSOというかなり少数派の語順で、 これは、フィリピンからニュージーランドまで、一部を除き普遍的に存在します。 しかも、村山はじめ、ANと日本祖語を比較する学説は、しばしば西マレー特にフィリピン諸語との関係に行き着く。 つまり、AN祖語に対して、なんとなく下流にあるわけです。 ところが、日本祖語には、修飾語後置っぽい複合語はあっても、 【VS型】の存在を示唆する複合語なんて、聞いたことがない。 末尾Iの人は、ANの統語論ガーというなら、VS(主語が後ろ!)の名残のある例を出してみて欲しいんだ。 >>137 膠着や屈折で格を示せる言語だと、自動詞と他動詞の形がはっきり異なってるのが普通じゃないか? それなのに敢えて日本語の動詞について特殊事情を作り出すのはなぜ? VSO語順って、動詞の語尾が人称で変わる言語の語尾をある種のSだと考えたら、 それっぽいものになるよね mangio un onigiriって mang(V)io(S) un onigiri(O)って脳内ではVSO処理されてるよな気がする。 そうすると、 onigiriwo taberareru. OV 尊S Onigiriwo tabeyagaru. OV 卑S って脳内処理されてんのかな? そういえば、ロゼッタストーンさんのサイトで印欧語の動詞の活用語尾は人称代名詞に由来するっていう話を、 信頼できないと判断しつつも紹介してたね。 そう考えると隠れVSO語順は潜在的にかなりあるね、VSO語順って実はかなりのメジャー類型? >>145 人称変化を引っ張り出さなくても、せかいのげんごの一割はVSOだから充分メジャーだろ。 SVO「SOV兄さん、一割だからメジャーだとかVSOの野郎が言ってるそうですよ」 SOV「マジかよ、1割でメジャーなら、5割とか4割の俺らってどう表現すればいいの?」 onigiriが駄目な人ってなにが駄目なんだろう? mangio un onigiro mang(V)io(S) un onigiro(O)って脳内ではVSO処理されてるよな気がする。 では、これでおk? >>150 ここは低能児の遊び場ではない。失せろ! いや、性とか数とか分かりにくくなると言うから、オニギロにしたんだけど。 例えば、日本語からイタリア語に入った柿(カキ)、 イタリアでは、単数形ではカコ、複数形ではカキになってるし、 着物は、単数形ではキモノ、複数形ではキモニになってる。 というか、こういう風に外来語でもイタリア語になる時はイタリア語風に変化するので、 男性単数の不定冠詞 un をつけてるなら、オニギリではなくオニギロにしろって意味に理解したんだが。 なんで馬鹿者とか低能児とまで言われてるんだろうか。 ・日本語の膠着語的性質はそんなに古く遡らない。8世紀あたりでは主格のマーカーすら安定的でなかった ・自動詞/他動詞の対立は大野4母音の時代に遡るくらい古い。a←→e2、o2←→i2、u←→i2などの対立がたくさん見られる ココらへんが議論のポイントで、、、 >>138 朝鮮語と日本語の文法が似るようになったのは日本語側に格助詞が出揃ってから そういえば日本語でも格助詞がしっかり整ってから現れた「漢語+する」形の動詞には 自動詞/他動詞の対立がないのが結構見られるよね >>141 原始日本語は膠着語でも屈折語でもなかったと想定されるから。あえて言うと孤立語的ってこのスレでは言われている 孤立語であれば語順の固定は必須かと思ったけど、動詞側にしっかりとマーカーがつけられているなら 語順は自由でも構わないのではないかという仮説をたててみた。 男好きって言葉なんか、 男に好かれる女の意味でも、男が好きな女の意味でも使われてるけど、 文脈で大体わかるから特に問題ないみたいな世界だったのかな。古い時代の日本語。 >>154 格助詞があろうとなかろうと、動詞にマーカーが付くような言語だったら、それは孤立語とは言わないのでは? 例えば、(1)と(2)を見比べて、 (2)のほうが、自動詞と (1) とびら ひらく。 わたし とびら ひらく。 とびら わたし ひらく。 (2) とびら あく。 わたし とびら あける。 とびら わたし あける。 すまん途中送信した。 例えば以下はとりあえず取り消し。 >>139 ベトナム語の例 http://www.coelang.tufs.ac.jp/modules/vi/gmod/contents/explanation/038.html 日本の英語教育で言う「SVOC構文」を使って、受身表現を表すことが可能。 SVO型の完璧な孤立語では、本来は、この形が一番自然なのだろうと思われる。 XVY(XがYをVする。) Y被XV(YがXにVされる。) SVOCというけれど、英語の受動態は、まだSVOCを完全に使いこなせておらず、 現代英語文法の受動態は、 「相手方主格+本人与格+動詞の分詞+受身を示す助動詞」という、 日本語のようなSOV膠着語によくある形の面影を、かすかに残している。 古いタイプの統語法を、まだ残しているんだと思う。 ドイツ語の使役表現だと、上のパターンがSVOCに変わる過渡期の姿が、はっきり分かるよね。 付け足し。 漢文(中国語文言)に、この形ずばりが存在しないのも、大変に興味深い。 「被OC」という構文は、あってもよさそうなものなのに、存在しない。 使役だと、「令OC」「使OC」という構文があるのに。 「為O所C」という構文は、かろうじて存在するが、「所」を挟みたくなったという感覚が面白い。 古典中国語ですら、ベトナム語ほどには、いろんな意味で、孤立語として割り切れてないようだw 英語ネイティブ主導の、今の世界の言語学だと忘れてしまいがちだけど、 受身と使役は、統語法的にも、普遍問題としてかなり親和するということが、よくわかる。 へー、X得YV、X被YV、か 漢文訓読風だと「XはYのVするを得」とか 「XはYのVするを被る」とか読むかな なに、生成文法屋までこのスレに来たの?どんだけカオスなんだよ。 131でDP仮説とか持ちだしたから? 142〜150の議論って、生成文法の人だと [S][[mang (マーカ-)][un onigirio]]]って構造を立てて、動詞のマーカーがあるお陰で経済性の原理によって 主語のSが消去されたっていう分析をしそうなんだけど、どうなの? いや生成文法については門外漢もいいとこだけど 主語に相当する深層構造がマーカーに位置に来ますよ、脳内の深層構造では っていう分析はあんま聞いたことないなあと思って。 >>126 すごく遅レスですまん。 オニビシってonipisにしてもonipisiにしてもアイヌ語で意味通じなくない? 日本語でパ行があんま一般的でないからバ行に転写したとしても ノボリベツとかアンヌムツベとか最低アイヌ語で分解できる意味になると思うんだよ とすれば、アイヌ人が日本語に似た人名をつけてしまったか、日本人が適当に名づけたか。 前者なら空海の例のように「onimpisi」とかになると思う oni-pisi 鬼(借用語)・尋ねる? o-nip-us-i 尻に柄が付いた者? 現地に伝承とか残ってないかね ipisi ものを尋ねる では 意味が通らないから o-(n)-ipe-us-i 実が 成る 所 では? 沙流川以西で ipe'us実が成る 自動詞 で 農耕が可能だから あくまでも 妄想です。 樺太雑記 途中のnは何?人名で実が成る所というのも不自然だし。 ipisiから接頭辞のi-を外せば他動詞だ。普通ko-pisiを使うbェ。 nは母音連続を避ける挿入音 息子の名と平仄を合わせれば、鬼菱 やーさんか? オニビシっていういかにも日本語な名前は、白人がタタンカ・イヨタケをシッティング・ブルと呼ぶ様なもんじゃないんか? >>168 それならシャクシャインも同じように日本語っぽい名前をつけるはずじゃね? オニビシ、カケキヨ、ハルは日本語っぽいが、同時代の日本人の命名とはずれていて、独特のセンスを感じる。 >>169 現代のアイルランドでは 完全に英語の名前の人もいればアイルランド語を英語風に綴った名前の人もいるし 英語とアイルランド語両方の名乗り方を持ってる人もいれば、アイルランド語の名前しか持っていない人もいる とある民族集団の成員が異民族語名を持ってるからと言って全員が同じ名乗り方をするとは限らないと思う >>161 mangio un onigiro って言うのが普通で、 Io mangio un onigiro という風に主語を付け足すのが日常ではまれなんだよね。 俺も生成文法とかよくわからんけど、イタリアで赤ちゃんが生まれて、 言語を習得する過程で両親や兄弟や近所の人が話すイタリア語を聞いてイタリア語を習得する時、 動詞のマーカーである語尾によって、主語の Io が消去されてると分析してイタリア語を習得するとかありえないと思うんだよ。 幼児期の言語習得過程を考えれば、動詞の語尾のマーカーを主語と認識する処理システムが脳内で出来上がると思うんだ。 幼児期に幼児の脳内で、mangio un onigiro ってマンマが言ってるけど、隠された主語 Io があると仮定してこのテキストを理解しようとは、 絶対に考えないと思うよ。 マンジョ ウノジロ?マンギョ ウノニギロ?これ何語だ? >>172 イタリア語でないことは確かだな。 エスペラント・スレにはonigiroのようなキチガイ造語をして嬉しがってる低脳がよく出るから 劣化版エスペラントだろうか。 >>170 おれの考えもそれだよ オニビシとかカケキヨは、日本語を学んでいたアイヌが自分達のセンスでつけたものであって、 >白人がタタンカ・イヨタケをシッティング・ブルと呼ぶ のとは違う。 アイヌの中にも文明化五部族みたいなのはいただろう。 >>163 oniだけ借用語っていう可能性もあったか。でも尋ねるはたしかにko-pisiな気がする。 やっぱりどうもシッティング・ブル説に分があるんじゃね? 繰り返すけどアイヌ人がつけたらonimpisiにならんの? >>171 三人称では普通に文頭に主語が来るので、一人称・二人称と三人称で主語の場所が違う、という分析はしないと思う。 どうも生成文法では「空主語現象」って言って、動詞が「主語を省略しろ」というパラメータを持っていると解釈するみたいですよ? ってことは子供のうちは*Io mangio un onigiri っていう非文を作ってしまって 大人が「Ioは言わないんですよ」って訂正してる現象が見られるんじゃないか >>173 onigiroは変かな?と思ってしらべたらun onigiriでよかった。omusubiも可。 http://it.wikipedia.org/wiki/Onigiri つうか、おまえらさ、「屈折」の本来的語義を忘れてないかい? mangioの「直接法+現在時制+主語1人称単数による定形」の語尾が、 どうして膠着的に切り離すことが出来ず、抱合接辞とも読めないのかを、一度考える必要がある。 mangioはmangioなのであって、 「ioを示す部分」は、単語でないばかりか、接辞としても、どうしても上手に「単離」できない。だから屈折なんだ。 あまりにも屈折が摩耗した英語を、最初に教育する弊害かもしれないけど、 今の日本人(外国人はそれぞれだろうけど)は、 「印欧語族がありまして、屈折語なんですわ」という世界史の勉強でも、 ほとんどは、屈折の意味を理解していないんじゃないかと思う。 >>154 例えば、下の(1)と(2)を見比べて、 (2)のほうが、語順が自由になるか? (1) とびら ひらく。 わたし とびら ひらく。 とびら わたし ひらく。 (わたし)とびら ひらく。 (2) とびら あく。 わたし とびら あける。 とびら わたし あける。 (わたし)とびら あける。 >>177 いや、「私 扉 開ける」「扉 私 開ける」の方は、文脈でわかるから大丈夫 「太郎 二郎 殴る」の方がうまくいかない ゆえに「二郎 殴られる」の構文が発達したんじゃないかと >>176 屈折語の定義から逆照射してイタリア語を規定しようという態度は間違ってると思うぞ。 言語分類の定義を以ってして、対象となった言語の分析を枠にはめる考え方は態度としておかしい。 態度が間違ってるだけで、イタリア語の活用語尾に主格機能をみるという論旨を否定するあなたの態度は間違ってないと思うけど。 屈折語・孤立語・膠着語という分類は相対的なものだからね。 分類を絶対視してはいけない。屈折語と分類される言語のでも、孤立語的要素もあれば、膠着語的要素もある。 英語なんかは孤立語に分類されても文句は言えない。 >>179 やっぱり、全くこれっぽっちも分かってないなあ。 mangioから語尾-oを抽出することは、記述的にも規範的にも、問題なく可能なんだよ。 ところが、この語尾が担うのは、 「定形直接法&主語一人称単数&現在時制」という、不可分一体のパッケージで、 「主語一人称単数」を、どうしても【単離】できない。 印欧語は、意味を単離できない語尾が、「一体のパッケージごと」にずらりと並ぶ。 この性質は、英語ですら変わらない。He understandS it"のSは、いわゆる「三単現のS」であって、 「三単現」から、「3人称単数定形」だけを単離できない。 もっとわかり易い例をあげる。 Sono un Giapponese. sonoから"io"をどう単離する?できますか? mangioはmangioで-oは屈折語尾なんだ、というのはこういうこと。 結局、>>176 (=>>181 ?)氏は何を論じたいのかな Mangio un onigiri. を Io mangio un onigiri. とみなすのなら、 なんでいっそのこと Io mangio un onigiri adesso veramente. にしないのかってこと? (このイタリア語合ってるかどうかわからないが) それは確かにごもっともなことだと思うけど… >>182 Io mangioとみなすとは、俺は言ってないよ。 そういう、英語の基礎を忘れた英語かぶれの「生成的発想」はおかしいと俺は思う。 mangioは一体としてmangioなんだ。なぜなら屈折だから。 屈折語尾の抽出は可能でも、意味ごとのマーカーの単離は無理。 mangioの語尾-oには、「主語が一人称単数で定」「現在時制」「直接法」の3つの意味が合体している。 だから、mangiまで聞いて「食うのか」、そして-oと聞いて「主語は俺」マーカーだな、と理解する、 だからこれは主語が動詞に後続しているVS型なのだ、という理解はおかしい。 その証拠に、essereは語尾の抽出すら出来ない。sonoはsonoなのだ。 >>183 ああなるほど、語順の話とつながってたのか つまり形態論的な接合順序と統語的な語順を同列に語るのはけしからんってことだよね VSかSVかというのと、接辞の前置後置というのは そこに対応関係が認められるにしても、同じ根源から発しているとみるのは飛躍だろうっていう 現在時制と直説法と定って、ゼロというか、無徴じゃなくね? 語尾-oて有徴として三人称単数を示してるだけじゃね? 有徴と無徴を総合すれば、三単現になるけど、有徴でみれば、単離はできてんじゃねーの?三人称単数で。 >>181 英語の動詞語尾の-sが、「三人称単数現在の全てを一体として表す」から屈折なのかというと、それは違うんじゃないか? 複数の概念を一つの膠着的な語尾で表すことはあって、例えば、トルコ語の人称語尾の、一人称複数や二人称複数を、一人称部分と複数部分に分けることはできないが、それゆえに屈折であるわけではない。 三人称単数現在の語尾は屈折だというなら、それは-sを三人称・単数・現在に切り分けられないからじゃなくて、have-has do-does be-isの組み合わせをあげられるから。 ただ、三つの例外があるだけなら、私は膠着的な語尾として理解して差し支えないと思う。 印欧語の動詞の活用で、人称と時制と法とが分かちがたいのは分かるんだが、 それでも活用語尾の前半は時制や法が同じなら人称に関わらず似た活用形になっていて、 後半は人称が同じなら時制や法に関わらず似た活用形になる傾向はある。 屈折語以前の膠着語らしい要素を化石的に残していて、その化石的な部分が生成文法の深層にあったり、とか妄想するテスト。 http://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/Nostratic2_1.html >中学校で初めて習った外国語、英語で苦労した「三人称単数の -s, -es」の正体は、三人称代名詞 (女性形)sheと同源という事になるのです。 >人称語尾というものは、究極的には、本来の動詞要素と結合した後置代名詞をあらわすのではないかという憶説がある 考え方としては古くからあるみたいだね。 日本語には名詞しかないってケンブリッジの先生に教わったと言って司馬遼太郎を驚かせたロジャーメイチンさんの話を思い出した。 京都に来て、泉井久之助先生に世話されてたケンブリッジの日本語学科卒業の人。 英語ももはや屈折語から離れつつはあるけど、ケンブリッジ大学卒業で、古い英国のグラマースクールでラテン語を習得した彼からすれば、 日本語って厳密に英訳するならば、分詞構文になってしまう。 動詞は人称に左右されない、時制も決定しない、どなれば、これはING 日本語には名詞しかないってケンブリッジの先生に教わったと言って司馬遼太郎を驚かせたロジャーメイチンさんの話を思い出した。 京都に来て、泉井久之助先生に世話されてたケンブリッジの日本語学科卒業の人。 英語ももはや屈折語から離れつつはあるけど、ケンブリッジ大学卒業で、古い英国のグラマースクールでラテン語を習得した彼からすれば、 日本語って厳密に英訳するならば、分詞構文になってしまう。 動詞は人称に左右されない、時制も決定しない、どなれば、これはING形の動名詞を主要部にした名詞句だけで存立してる言語だって認識したのだろう。 ケンブリッジで日本語には名詞しかないって教えた先生は。 そんな、日本語ネイティブと屈折語ネイティブの意識のズレみたいなものを感じた。 >>190 はミス なんか、エンター一発で書き込まれるようになってるような感じです。 出直してきます >>186 印欧語族でも、標準トルコ語などでも、 「一人称」と「単数」を分離するのは、「講学上の概念」で、言語に内在する概念区別じゃないよ。 その証拠に、英語でもトルコ語でも、 「Iとweに【共通する】形態論上の性質」を、何か1つでも挙げられますか? これは何もない。 印欧語にもトルコ語にも、「一人称」という概念は、実は内在しないんだ。 「一人称単数」と「一人称複数」という、2つの独立した概念が存在するだけ。 トルコ語の人称語尾は、人称しか担わない。 だからトルコ語の動詞人称語尾は、純然たる膠着語尾であり、 人称以外の要素も単独で担うイタリア語の動詞人称語尾は、純然たる屈折語尾になる。 >>190 実際その通りだと思う。 つうか、日本語には「動詞の定」という概念がない。 印欧語目線で言えば、いかなる意味においても、「全部分詞」というか、「全部不定形」のまま。 逆に言えば、日本語母語話者は、「主語が動詞が定にする」という概念を、なかなか理解し難いことになる。 英語だけしか知らない人は、今でも全く分かっていない。 「ふていし」「ふていし」と、中学英語以来連呼されるけど、 「ふていし」の意味が解ってる中高生は、 独仏などからの帰国子女か、英語以外の欧州言語に少しでも触れたことのある、ごく少数の生徒だけで、 英語文法しかしらない中高生は、たとえ東大の文一や理三の前期合格者でも、 解ってる人は、ほとんどいないんじゃないかね。 彼らのうち、独語や仏語を第二外国語で選択した学生は、4月中には理解するだろうけど、 中国語選択者なんかは、結局知らないままだろうなあ。 余談の余談になるが、江戸時代に長崎から江戸へ向かったオランダ通信使が使っていた 江戸城での将軍への【口上のオランダ語】は、全部分詞か不定形で書かれていたそうな。 動詞を定形にしないということで、【人称を超越する最大限の敬意を払った】のだ、とケンペル本人が書いている。 >>186 そうだね。>>183 あたりでは「表層構造のマーカーが複数のプロパティを持つこと」と 「語幹とマーカーが分離不可分なこと」の議論がごっちゃになってる。 >>193 あたりではだいぶすっきりしてきたけど 人称と数って別のプロパティだけど、多くの言語では不可分なマーカーにしてしまうんで、 これをもって言語の類型をすることはできないだろう。 ヨーロッパの言語では人称・数の他に時制や法のプロパティもマーカーに含んでしまうってだけで。 ちなみにアイヌ語の「行く」は単数形oman 複数形paye で、語幹からはマーカーが全然分離できないんだけど これをもってアイヌ語は屈折語だという人はいない。 っていうのもこの手の単語が少なくて不規則活用で片付けられるからであって、 結局「どんな変化をする単語が大勢を張っているか」っていう基準でしか分類できないんだと思う この手の屈折膠着孤立抱合っていう分類は >>195 >っていうのもこの手の単語が少なくて不規則活用で片付けられるからであって、 >結局「どんな変化をする単語が大勢を張っているか」っていう基準でしか分類できないんだと思う 膠着語と屈折語の境界線は存在しないor学者によってまちまちですか? >>186 屈折というのは、そういう「ただの音便的な訛り」の話じゃないぞw そして、繰り返すが、印欧語などにおける、「(単複両方を包含する)一人称」という概念は、 言語内の概念ではなく、文法書にしか存在しない概念だ。 つうかなあ、390氏も含めて、どうしてここをgdgdにしたがるかな… わかりやすくするために英語で例えるが、 三単現のSが「膠着語尾」であることは、絶対にあり得ない。 もし、これが人称を示す膠着語尾であるのなら、 She loves me. She lovdes me. I wish she loves me. こうなるはずだ。でも下2つはあきらかに誤り。 真ん中の例は非文が明らかなので、ここでは語らない。 I wish she loves me. これを聞いた時、聞いた人は?どう思うか?を考えてみて欲しい。 非文ながらも、強引に解釈して、「もげろもげろ」としか思えないはず。 (もげろの意味をご存知なかったらググってください) つまり、ここでは-sは、人称ではなく法を示しているということ。 (現代英語では、she love meよりshe loved meとするのが普通でしょうけど、問題状況は同じこと) なお、標準トルコ語では、上の3つのような形で人称語尾がきれいに出現する。だから膠着語尾なのだ。 だから、俺自身としては、 【標準トルコ語】の語順は、事実上OVSである という議論は、それなりに成り立ち得ると思う。 トルコ語の人称語尾は、動詞に対して完全な膠着接辞で、もっと言えば、かなり代名詞臭い。 本来は、動詞に後続していた主格代名詞を軽く擦り減らして、 膠着成分として後続させている、と考えることは、これは可能だ。 「イタリア語はVSO言語である」というのは、100%全くのイカレポンチだが、 「トルコ語はOVS言語である」というのは、俺は同意はしないけど、 話にならないデタラメな議論ではなくて、それなりに意味を持つ議論ではあると思う。 トルコ語には、斜格代名詞の動詞膠着接辞は存在しないはずなので、 「トルコ語は鉄板のOVSだ」という議論には、論理矛盾は存在しない。 俺は、接辞のつきかたと語順の問題を峻別しろ、といってるわけじゃないよ。 「印欧やセム語の屈折部分に、語順の議論を持ち込むこと」は絶対に無理、といっているだけ。 ちょっと早まってしまった。 △イタリア語はVSO言語だというのは、イカレポンチ ◯動詞語尾を理由にイタリア語はVSO言語だというのは… イタリア語自体は、実際の語順はやや柔軟なところがる言語で、 語尾云々ではなく、言い回しの雰囲気で、VSOやらOVSやらの配列を、 ある程度許容する傾向にある。 あれは南欧的な「その場のノリの雰囲気」にみえる。スペ語も似てる。 人称変化がない動詞は動詞ではなく名詞に感じるというのはどういう感覚なんだろう? 連用形で箇条書きされた文章を読んでるような? 主語で動詞を変化させるかさせないかがそれほど大切なのか? 独仏は色々と変化するけど、親戚言語の英語は三単現を除けば違いはなくても別に普通に運用されてるし。 >>194 の余談を読むと、>>144 の敬語表現が動詞にくっついてるようなのと似たような感覚なのだろうか? 二人称で敬意のある主語と親しい主語が複数あって、それに応じた動詞の変化があるのは敬語みたいな感じだろうのは理解しやすいんだが、 そういった人称変化がないと動詞が名詞に感じるというのはどういう感じなのか、感覚的に想像しづらいな。 藤井游惟 『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い』 はこのスレ的にはどういう評価なの? アマゾンのレビュー見たら酷評だけどネトウヨが古事記や万葉集を亡命朝鮮人が記録したと思いたくないみたい でも学会も無視と聞く そこまでレベルの低い本じゃないと思うんだけど ポーランド語はVOSらしい イタリアは知人がいるので少し話せるがSVOが主体だよ SOVの部分もある 早とちりした 屈折語尾の起源が人称をあらわす語が付加したということか ごめん >>201 ここは3スレ目だが、1スレ目で完全論破されてる。 >>185 のツッコミは面白い。 無徴と有徴の差異というのはもっと着目すべきだ。 イタリア語の話と英語の三単現の話がまぜこぜになっているが、 有徴されなければ過去時制ではない、完了相ではない、進行相ではないetc というのは多くの言語でそうだろう。パッケージングされたセットの屈折というのも、 有徴が必須のパラメータを+にするかしないかの組み合わせで、パラメータ相互間で上書きされるかされないかという上位下位の関係もあるなら、 実質的にはさほどのパラメータを操作する仕組みに言語はなってないという理解はありうる。 つまり、三単現のSは、三人称単数・定形・現在のパッケージングかもしれんが、 三人称単数のパラメータだけを+にして、非定形のパラメータは+にしない、過去時制のパラメータを+にしないという結果うまれたパッケージングだろう。 つまり、三単現のSが働いたのは三人称単数であるという示唆だけだ。 もちろん、だからといって、三単現のSが主語だと言ってるのではないよ、>>188 が言うように、語源はSHEと同じで三人称単数の代名詞だとしても。 >>205 でも、同じ主語・同じ動詞でも、過去時制の場合や、仮定法(接続法)の場合は、 主語が三人称単数であるにもかかわらず、-sは【無徴が義務的】だよね。 なんで消えるんだろ?という話なんだ。 印欧語やセム語の屈折は、このような、形態と意味パラメータが1:1対応で分節できない語尾が、 それも、本来は大量に存在することにある。 この点、英語は著しく減ってはいるが、性質自体は変わっていない。 典型的屈折語じゃなくても、屈折的な振る舞いをする例はもちろんある。 意外な例だが、日本語の「は」と「が」は、パラメータの上では、共時的には一種屈折的に振る舞う。 ただ、義務的じゃないので普通は膠着接辞扱いなんだけど、 意味の上では、限りなく屈折に近い振る舞いをしてる。だからこそ、これは難問中の難問扱いされてきた。 >>206 提出された疑問に全面的に答えることはできないが、 仮定法現在の米国用法(共通一次世代、センター試験初期世代ではない若い人は、接続法原形というのかもしれない)のことだろうけど、 そこは無徴が義務的なのは当然だと理解できる。 I insist that she kiss me のthat節の中のsheは主語ではないから。 She kissing me,I feel moe のSHEと同じだよ。意味上の主語というやつだ。そこはなんか、受験英語の話になりそうなので、次にいく。 形態と意味パラメータが1:1で対応できないものが大量にある、そこなんだよね、>>185 のおもしろさというか、私のしりたいところは。 活性化されないと働かないパラメータがあるというのも、パラメータのスイッチを減らす仕組みだろうし、 上位といっていいのだろうか、あるパラメータを操作すると、下位のパラメータは区別を失うような仕組みもある。 時制のパラメータを入れると、人称のパラメータが簡素化するような仕組みになってる言語とかもある。 そこらへんのおもしろさを感じたという話なんだ。 あと、逃げたけど、はとが、これは答えがない。現在のはとがは、現代日本語学習者の外国人には、 定・不定ですよってとりあえずは適当に教えることはできる、たしかに、共時的には、一種の屈折だと教えていいと思うが、 しかし、これって、なんだろうね。定・不定を生み出す時代の過渡期なのかな。 フォーカス理論とかあるけど、あれは主題の話と定不定の話を網羅したうえで整理してみましたという感じで、 あんまり筋のいいものとは思えないし。 ああ、最後に、パラメータの上位下位だけれども、これって、有徴であるか無徴であるかと相互に関係ありそうだよね。 時制のパラメータは無徴だと現在時制で押し通す力があるから、時制パラメータが有徴になって動き出すと、人称パラメータを簡素化させる力がある。 そういう上位下位関係になる相互的な関係だと思う >>207 1段目、それはおかしいよ。法の意味を理解していないことになる。 その例文のkissは、that内の主語sheに定されている。 【定(finite)されてはじめて、法(mood)という問題が生じる】わけで、直説法ではなく接続法(仮定法)になる。 英語の場合、接続法現在は、全人称ゼロ語尾だから、不定形と見た目は区別がつかないが、 that節がある以上、中身には、「きちんと定されたSV」が存在しなければならず、 宙ぶらりんの不定詞を放り込んで済ましてしまうことは、これは出来ない。 she kissing me,...という分詞の場合、もちろん定の問題は生じない。 本来は、her kissing me, が通時的には規範的であるはずで、 このsheは、kissingという分詞に属する属格の成れの果て。 (与格だったかもしれない。英語史にはあまり詳しくない) 定できない主語名詞は、斜格に化けて修飾関係に潜伏するしかないからだ。 確かに、insistの内部は、英語しか知らない高校生には、「不定詞だと思ってください」と教えてしまうことがある。 でも、これは英語のあまりに衰退しすぎたmoodの問題を、実践的に回避して教育する一種の方便。 ドイツ人やフランス人なら、すぐにこれがmoodの問題だとわかる。 でも、日本人は、「英語【で】moodを知る」わけだから、こんな変態的な形だけ孤立されても、教えるのは大変に難しい。 めんどくさいから、受験で誤答を導かない範囲において、「嘘も方便」にしてるだけ。 >>204 ネットに過去ログがあったので読んだ ありがとう しかし論破したと思ってる人は感情論でしかない 藤井氏の本も読んだ 確かに論拠の不確かな部分が多い しかし論破したと思ってる人は本を読んでいないこともわかった 国語学の研究者は他の学問にコンプレックスがあるのか ちゃんと読めば自分が斜め下の反論しかしてないことがわかるだろうに >>207 藤井説が現代朝鮮語で百済語を議論しているという批判がある 君がやってるのは将に現代英語で印欧語を議論している それと同じ ただし藤井氏は現代朝鮮語が古代百済語と同じでないことを明言している 君よりは常識がある 英語は印欧語の中のゲルマン語の西ゲルマン語の低地ゲルマン語の一派のれっきとした印欧語だと思っていたのだが、 藤井説支持者によれば、どうやら違うらしいな。 国語学者は論理学を学んでいないのか 俺は211と212を書いたが藤井説を支持していない また現代英語で印欧語と書いた 英語は印欧語だが現代英語が印欧語の特徴を具備しているか 屈折語ではなく中国語のような独立語になっているだろう 国語学者は劣等感をバネすればいいのに 劣等感に感情で反論している 感情論を論破するのは赤子の手を捻るようなもんだ 三歩歩けば忘れる君のためにまとめるが 俺は藤井説の支持者ではない 現代英語は印欧語の特徴の多くを失っているので現代英語から印欧語を議論できない 藤井氏の本を読んで思ったこと 国語学者の劣等感を逆撫でするような書き方だ これじゃあ感情的な反発を招くのは必須 馬鹿を相手にすれば自分も馬鹿と同じレベルに落ちる 無意味な感情的な揶揄を止めれば 感情的な反論はなかっただろう 学術的に藤井説を否定するのは難しい なぜかというと同レベルのトンデモは国語学者の論文にも多いから トンデモを攻撃するとブーメランになる 琉球諸島の言語/方言は別に北に行けば行くほど音韻構造が本土の日本語と類似するという訳ではなく、関係なしにヤマトでは見慣れない母音や子音の登場するかけ離れた音韻(有気音、放出音、中舌母音、音節末子音など)が突然分布してる様に見えるんだが そういう本土と比べて変わった音韻構造の土地は主要な航路を外れていて、ヤマトと似通った音韻構造の地域はヤマトと比較的密接な繋がりがあるみたいな関連はあったりするのかな? 過去ログを読んでも藤井が何十回と論破されつくしてることが理解できないとは 「俺は藤井説の支持者ではない」とかなりすましても、チョンバレだねえ 藤井は名無しで潜伏するって過去ログでも言われてるなw >>217 国語学者だか国語学徒か知らんがレベル低過ぎだろう 藤井説を俺は信奉していない しかし藤井説を論破したと言ってる奴は論破しきれてない 今回の君も同じ 本人認定=論破 その程度の議論しか出来ないのか 問題のすり替えでしかない >>216 幾何学的な距離だけが決定因子じゃないだろう 社会学的というか人間のつながりとしての距離を座標にとらないといけない その上で各事象に確率過程が乗ってくる これをマルコフ連鎖というんだが国語学の連中には理解不能だろうな >>218 じゃあ君が藤井説を決定的に論破してお手本を見せてね。 >>216 「航路」と言ってもねえ、本土と往来するのに各駅停車ならぬ各島停船でゆっくり行ってもいいし直行で行ってもいいわけで。 中舌母音や音節末子音なんかは本土でも一部地域にある、または近年まであった。 最も「ヤマトと似通った音韻構造の地域」ってのは、実は琉球王国の中心だった沖縄本島中南部なわけで、 人の流入や交流がもっとも激しい地域だから、特殊な音韻は生じにくかったんじゃないかな。 >>220 国語学の連中は国語の読解力がないのか >>215 に藤井説を学術的に否定するのは難しいと書いているだろう そんなことも見落とすレベルで藤井本を論破するのは不可能 国語学で一番難しいと言われる東大の文Iでさえ他の大学の法学部や経済学部より偏差値が下 つまり国語の読解力がなくても入試には受かるということ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる