上代特殊仮名遣い 三音目
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>>161 mangio un onigiro って言うのが普通で、 Io mangio un onigiro という風に主語を付け足すのが日常ではまれなんだよね。 俺も生成文法とかよくわからんけど、イタリアで赤ちゃんが生まれて、 言語を習得する過程で両親や兄弟や近所の人が話すイタリア語を聞いてイタリア語を習得する時、 動詞のマーカーである語尾によって、主語の Io が消去されてると分析してイタリア語を習得するとかありえないと思うんだよ。 幼児期の言語習得過程を考えれば、動詞の語尾のマーカーを主語と認識する処理システムが脳内で出来上がると思うんだ。 幼児期に幼児の脳内で、mangio un onigiro ってマンマが言ってるけど、隠された主語 Io があると仮定してこのテキストを理解しようとは、 絶対に考えないと思うよ。 マンジョ ウノジロ?マンギョ ウノニギロ?これ何語だ? >>172 イタリア語でないことは確かだな。 エスペラント・スレにはonigiroのようなキチガイ造語をして嬉しがってる低脳がよく出るから 劣化版エスペラントだろうか。 >>170 おれの考えもそれだよ オニビシとかカケキヨは、日本語を学んでいたアイヌが自分達のセンスでつけたものであって、 >白人がタタンカ・イヨタケをシッティング・ブルと呼ぶ のとは違う。 アイヌの中にも文明化五部族みたいなのはいただろう。 >>163 oniだけ借用語っていう可能性もあったか。でも尋ねるはたしかにko-pisiな気がする。 やっぱりどうもシッティング・ブル説に分があるんじゃね? 繰り返すけどアイヌ人がつけたらonimpisiにならんの? >>171 三人称では普通に文頭に主語が来るので、一人称・二人称と三人称で主語の場所が違う、という分析はしないと思う。 どうも生成文法では「空主語現象」って言って、動詞が「主語を省略しろ」というパラメータを持っていると解釈するみたいですよ? ってことは子供のうちは*Io mangio un onigiri っていう非文を作ってしまって 大人が「Ioは言わないんですよ」って訂正してる現象が見られるんじゃないか >>173 onigiroは変かな?と思ってしらべたらun onigiriでよかった。omusubiも可。 http://it.wikipedia.org/wiki/Onigiri つうか、おまえらさ、「屈折」の本来的語義を忘れてないかい? mangioの「直接法+現在時制+主語1人称単数による定形」の語尾が、 どうして膠着的に切り離すことが出来ず、抱合接辞とも読めないのかを、一度考える必要がある。 mangioはmangioなのであって、 「ioを示す部分」は、単語でないばかりか、接辞としても、どうしても上手に「単離」できない。だから屈折なんだ。 あまりにも屈折が摩耗した英語を、最初に教育する弊害かもしれないけど、 今の日本人(外国人はそれぞれだろうけど)は、 「印欧語族がありまして、屈折語なんですわ」という世界史の勉強でも、 ほとんどは、屈折の意味を理解していないんじゃないかと思う。 >>154 例えば、下の(1)と(2)を見比べて、 (2)のほうが、語順が自由になるか? (1) とびら ひらく。 わたし とびら ひらく。 とびら わたし ひらく。 (わたし)とびら ひらく。 (2) とびら あく。 わたし とびら あける。 とびら わたし あける。 (わたし)とびら あける。 >>177 いや、「私 扉 開ける」「扉 私 開ける」の方は、文脈でわかるから大丈夫 「太郎 二郎 殴る」の方がうまくいかない ゆえに「二郎 殴られる」の構文が発達したんじゃないかと >>176 屈折語の定義から逆照射してイタリア語を規定しようという態度は間違ってると思うぞ。 言語分類の定義を以ってして、対象となった言語の分析を枠にはめる考え方は態度としておかしい。 態度が間違ってるだけで、イタリア語の活用語尾に主格機能をみるという論旨を否定するあなたの態度は間違ってないと思うけど。 屈折語・孤立語・膠着語という分類は相対的なものだからね。 分類を絶対視してはいけない。屈折語と分類される言語のでも、孤立語的要素もあれば、膠着語的要素もある。 英語なんかは孤立語に分類されても文句は言えない。 >>179 やっぱり、全くこれっぽっちも分かってないなあ。 mangioから語尾-oを抽出することは、記述的にも規範的にも、問題なく可能なんだよ。 ところが、この語尾が担うのは、 「定形直接法&主語一人称単数&現在時制」という、不可分一体のパッケージで、 「主語一人称単数」を、どうしても【単離】できない。 印欧語は、意味を単離できない語尾が、「一体のパッケージごと」にずらりと並ぶ。 この性質は、英語ですら変わらない。He understandS it"のSは、いわゆる「三単現のS」であって、 「三単現」から、「3人称単数定形」だけを単離できない。 もっとわかり易い例をあげる。 Sono un Giapponese. sonoから"io"をどう単離する?できますか? mangioはmangioで-oは屈折語尾なんだ、というのはこういうこと。 結局、>>176 (=>>181 ?)氏は何を論じたいのかな Mangio un onigiri. を Io mangio un onigiri. とみなすのなら、 なんでいっそのこと Io mangio un onigiri adesso veramente. にしないのかってこと? (このイタリア語合ってるかどうかわからないが) それは確かにごもっともなことだと思うけど… >>182 Io mangioとみなすとは、俺は言ってないよ。 そういう、英語の基礎を忘れた英語かぶれの「生成的発想」はおかしいと俺は思う。 mangioは一体としてmangioなんだ。なぜなら屈折だから。 屈折語尾の抽出は可能でも、意味ごとのマーカーの単離は無理。 mangioの語尾-oには、「主語が一人称単数で定」「現在時制」「直接法」の3つの意味が合体している。 だから、mangiまで聞いて「食うのか」、そして-oと聞いて「主語は俺」マーカーだな、と理解する、 だからこれは主語が動詞に後続しているVS型なのだ、という理解はおかしい。 その証拠に、essereは語尾の抽出すら出来ない。sonoはsonoなのだ。 >>183 ああなるほど、語順の話とつながってたのか つまり形態論的な接合順序と統語的な語順を同列に語るのはけしからんってことだよね VSかSVかというのと、接辞の前置後置というのは そこに対応関係が認められるにしても、同じ根源から発しているとみるのは飛躍だろうっていう 現在時制と直説法と定って、ゼロというか、無徴じゃなくね? 語尾-oて有徴として三人称単数を示してるだけじゃね? 有徴と無徴を総合すれば、三単現になるけど、有徴でみれば、単離はできてんじゃねーの?三人称単数で。 >>181 英語の動詞語尾の-sが、「三人称単数現在の全てを一体として表す」から屈折なのかというと、それは違うんじゃないか? 複数の概念を一つの膠着的な語尾で表すことはあって、例えば、トルコ語の人称語尾の、一人称複数や二人称複数を、一人称部分と複数部分に分けることはできないが、それゆえに屈折であるわけではない。 三人称単数現在の語尾は屈折だというなら、それは-sを三人称・単数・現在に切り分けられないからじゃなくて、have-has do-does be-isの組み合わせをあげられるから。 ただ、三つの例外があるだけなら、私は膠着的な語尾として理解して差し支えないと思う。 印欧語の動詞の活用で、人称と時制と法とが分かちがたいのは分かるんだが、 それでも活用語尾の前半は時制や法が同じなら人称に関わらず似た活用形になっていて、 後半は人称が同じなら時制や法に関わらず似た活用形になる傾向はある。 屈折語以前の膠着語らしい要素を化石的に残していて、その化石的な部分が生成文法の深層にあったり、とか妄想するテスト。 http://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/Nostratic2_1.html >中学校で初めて習った外国語、英語で苦労した「三人称単数の -s, -es」の正体は、三人称代名詞 (女性形)sheと同源という事になるのです。 >人称語尾というものは、究極的には、本来の動詞要素と結合した後置代名詞をあらわすのではないかという憶説がある 考え方としては古くからあるみたいだね。 日本語には名詞しかないってケンブリッジの先生に教わったと言って司馬遼太郎を驚かせたロジャーメイチンさんの話を思い出した。 京都に来て、泉井久之助先生に世話されてたケンブリッジの日本語学科卒業の人。 英語ももはや屈折語から離れつつはあるけど、ケンブリッジ大学卒業で、古い英国のグラマースクールでラテン語を習得した彼からすれば、 日本語って厳密に英訳するならば、分詞構文になってしまう。 動詞は人称に左右されない、時制も決定しない、どなれば、これはING 日本語には名詞しかないってケンブリッジの先生に教わったと言って司馬遼太郎を驚かせたロジャーメイチンさんの話を思い出した。 京都に来て、泉井久之助先生に世話されてたケンブリッジの日本語学科卒業の人。 英語ももはや屈折語から離れつつはあるけど、ケンブリッジ大学卒業で、古い英国のグラマースクールでラテン語を習得した彼からすれば、 日本語って厳密に英訳するならば、分詞構文になってしまう。 動詞は人称に左右されない、時制も決定しない、どなれば、これはING形の動名詞を主要部にした名詞句だけで存立してる言語だって認識したのだろう。 ケンブリッジで日本語には名詞しかないって教えた先生は。 そんな、日本語ネイティブと屈折語ネイティブの意識のズレみたいなものを感じた。 >>190 はミス なんか、エンター一発で書き込まれるようになってるような感じです。 出直してきます >>186 印欧語族でも、標準トルコ語などでも、 「一人称」と「単数」を分離するのは、「講学上の概念」で、言語に内在する概念区別じゃないよ。 その証拠に、英語でもトルコ語でも、 「Iとweに【共通する】形態論上の性質」を、何か1つでも挙げられますか? これは何もない。 印欧語にもトルコ語にも、「一人称」という概念は、実は内在しないんだ。 「一人称単数」と「一人称複数」という、2つの独立した概念が存在するだけ。 トルコ語の人称語尾は、人称しか担わない。 だからトルコ語の動詞人称語尾は、純然たる膠着語尾であり、 人称以外の要素も単独で担うイタリア語の動詞人称語尾は、純然たる屈折語尾になる。 >>190 実際その通りだと思う。 つうか、日本語には「動詞の定」という概念がない。 印欧語目線で言えば、いかなる意味においても、「全部分詞」というか、「全部不定形」のまま。 逆に言えば、日本語母語話者は、「主語が動詞が定にする」という概念を、なかなか理解し難いことになる。 英語だけしか知らない人は、今でも全く分かっていない。 「ふていし」「ふていし」と、中学英語以来連呼されるけど、 「ふていし」の意味が解ってる中高生は、 独仏などからの帰国子女か、英語以外の欧州言語に少しでも触れたことのある、ごく少数の生徒だけで、 英語文法しかしらない中高生は、たとえ東大の文一や理三の前期合格者でも、 解ってる人は、ほとんどいないんじゃないかね。 彼らのうち、独語や仏語を第二外国語で選択した学生は、4月中には理解するだろうけど、 中国語選択者なんかは、結局知らないままだろうなあ。 余談の余談になるが、江戸時代に長崎から江戸へ向かったオランダ通信使が使っていた 江戸城での将軍への【口上のオランダ語】は、全部分詞か不定形で書かれていたそうな。 動詞を定形にしないということで、【人称を超越する最大限の敬意を払った】のだ、とケンペル本人が書いている。 >>186 そうだね。>>183 あたりでは「表層構造のマーカーが複数のプロパティを持つこと」と 「語幹とマーカーが分離不可分なこと」の議論がごっちゃになってる。 >>193 あたりではだいぶすっきりしてきたけど 人称と数って別のプロパティだけど、多くの言語では不可分なマーカーにしてしまうんで、 これをもって言語の類型をすることはできないだろう。 ヨーロッパの言語では人称・数の他に時制や法のプロパティもマーカーに含んでしまうってだけで。 ちなみにアイヌ語の「行く」は単数形oman 複数形paye で、語幹からはマーカーが全然分離できないんだけど これをもってアイヌ語は屈折語だという人はいない。 っていうのもこの手の単語が少なくて不規則活用で片付けられるからであって、 結局「どんな変化をする単語が大勢を張っているか」っていう基準でしか分類できないんだと思う この手の屈折膠着孤立抱合っていう分類は >>195 >っていうのもこの手の単語が少なくて不規則活用で片付けられるからであって、 >結局「どんな変化をする単語が大勢を張っているか」っていう基準でしか分類できないんだと思う 膠着語と屈折語の境界線は存在しないor学者によってまちまちですか? >>186 屈折というのは、そういう「ただの音便的な訛り」の話じゃないぞw そして、繰り返すが、印欧語などにおける、「(単複両方を包含する)一人称」という概念は、 言語内の概念ではなく、文法書にしか存在しない概念だ。 つうかなあ、390氏も含めて、どうしてここをgdgdにしたがるかな… わかりやすくするために英語で例えるが、 三単現のSが「膠着語尾」であることは、絶対にあり得ない。 もし、これが人称を示す膠着語尾であるのなら、 She loves me. She lovdes me. I wish she loves me. こうなるはずだ。でも下2つはあきらかに誤り。 真ん中の例は非文が明らかなので、ここでは語らない。 I wish she loves me. これを聞いた時、聞いた人は?どう思うか?を考えてみて欲しい。 非文ながらも、強引に解釈して、「もげろもげろ」としか思えないはず。 (もげろの意味をご存知なかったらググってください) つまり、ここでは-sは、人称ではなく法を示しているということ。 (現代英語では、she love meよりshe loved meとするのが普通でしょうけど、問題状況は同じこと) なお、標準トルコ語では、上の3つのような形で人称語尾がきれいに出現する。だから膠着語尾なのだ。 だから、俺自身としては、 【標準トルコ語】の語順は、事実上OVSである という議論は、それなりに成り立ち得ると思う。 トルコ語の人称語尾は、動詞に対して完全な膠着接辞で、もっと言えば、かなり代名詞臭い。 本来は、動詞に後続していた主格代名詞を軽く擦り減らして、 膠着成分として後続させている、と考えることは、これは可能だ。 「イタリア語はVSO言語である」というのは、100%全くのイカレポンチだが、 「トルコ語はOVS言語である」というのは、俺は同意はしないけど、 話にならないデタラメな議論ではなくて、それなりに意味を持つ議論ではあると思う。 トルコ語には、斜格代名詞の動詞膠着接辞は存在しないはずなので、 「トルコ語は鉄板のOVSだ」という議論には、論理矛盾は存在しない。 俺は、接辞のつきかたと語順の問題を峻別しろ、といってるわけじゃないよ。 「印欧やセム語の屈折部分に、語順の議論を持ち込むこと」は絶対に無理、といっているだけ。 ちょっと早まってしまった。 △イタリア語はVSO言語だというのは、イカレポンチ ◯動詞語尾を理由にイタリア語はVSO言語だというのは… イタリア語自体は、実際の語順はやや柔軟なところがる言語で、 語尾云々ではなく、言い回しの雰囲気で、VSOやらOVSやらの配列を、 ある程度許容する傾向にある。 あれは南欧的な「その場のノリの雰囲気」にみえる。スペ語も似てる。 人称変化がない動詞は動詞ではなく名詞に感じるというのはどういう感覚なんだろう? 連用形で箇条書きされた文章を読んでるような? 主語で動詞を変化させるかさせないかがそれほど大切なのか? 独仏は色々と変化するけど、親戚言語の英語は三単現を除けば違いはなくても別に普通に運用されてるし。 >>194 の余談を読むと、>>144 の敬語表現が動詞にくっついてるようなのと似たような感覚なのだろうか? 二人称で敬意のある主語と親しい主語が複数あって、それに応じた動詞の変化があるのは敬語みたいな感じだろうのは理解しやすいんだが、 そういった人称変化がないと動詞が名詞に感じるというのはどういう感じなのか、感覚的に想像しづらいな。 藤井游惟 『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い』 はこのスレ的にはどういう評価なの? アマゾンのレビュー見たら酷評だけどネトウヨが古事記や万葉集を亡命朝鮮人が記録したと思いたくないみたい でも学会も無視と聞く そこまでレベルの低い本じゃないと思うんだけど ポーランド語はVOSらしい イタリアは知人がいるので少し話せるがSVOが主体だよ SOVの部分もある 早とちりした 屈折語尾の起源が人称をあらわす語が付加したということか ごめん >>201 ここは3スレ目だが、1スレ目で完全論破されてる。 >>185 のツッコミは面白い。 無徴と有徴の差異というのはもっと着目すべきだ。 イタリア語の話と英語の三単現の話がまぜこぜになっているが、 有徴されなければ過去時制ではない、完了相ではない、進行相ではないetc というのは多くの言語でそうだろう。パッケージングされたセットの屈折というのも、 有徴が必須のパラメータを+にするかしないかの組み合わせで、パラメータ相互間で上書きされるかされないかという上位下位の関係もあるなら、 実質的にはさほどのパラメータを操作する仕組みに言語はなってないという理解はありうる。 つまり、三単現のSは、三人称単数・定形・現在のパッケージングかもしれんが、 三人称単数のパラメータだけを+にして、非定形のパラメータは+にしない、過去時制のパラメータを+にしないという結果うまれたパッケージングだろう。 つまり、三単現のSが働いたのは三人称単数であるという示唆だけだ。 もちろん、だからといって、三単現のSが主語だと言ってるのではないよ、>>188 が言うように、語源はSHEと同じで三人称単数の代名詞だとしても。 >>205 でも、同じ主語・同じ動詞でも、過去時制の場合や、仮定法(接続法)の場合は、 主語が三人称単数であるにもかかわらず、-sは【無徴が義務的】だよね。 なんで消えるんだろ?という話なんだ。 印欧語やセム語の屈折は、このような、形態と意味パラメータが1:1対応で分節できない語尾が、 それも、本来は大量に存在することにある。 この点、英語は著しく減ってはいるが、性質自体は変わっていない。 典型的屈折語じゃなくても、屈折的な振る舞いをする例はもちろんある。 意外な例だが、日本語の「は」と「が」は、パラメータの上では、共時的には一種屈折的に振る舞う。 ただ、義務的じゃないので普通は膠着接辞扱いなんだけど、 意味の上では、限りなく屈折に近い振る舞いをしてる。だからこそ、これは難問中の難問扱いされてきた。 >>206 提出された疑問に全面的に答えることはできないが、 仮定法現在の米国用法(共通一次世代、センター試験初期世代ではない若い人は、接続法原形というのかもしれない)のことだろうけど、 そこは無徴が義務的なのは当然だと理解できる。 I insist that she kiss me のthat節の中のsheは主語ではないから。 She kissing me,I feel moe のSHEと同じだよ。意味上の主語というやつだ。そこはなんか、受験英語の話になりそうなので、次にいく。 形態と意味パラメータが1:1で対応できないものが大量にある、そこなんだよね、>>185 のおもしろさというか、私のしりたいところは。 活性化されないと働かないパラメータがあるというのも、パラメータのスイッチを減らす仕組みだろうし、 上位といっていいのだろうか、あるパラメータを操作すると、下位のパラメータは区別を失うような仕組みもある。 時制のパラメータを入れると、人称のパラメータが簡素化するような仕組みになってる言語とかもある。 そこらへんのおもしろさを感じたという話なんだ。 あと、逃げたけど、はとが、これは答えがない。現在のはとがは、現代日本語学習者の外国人には、 定・不定ですよってとりあえずは適当に教えることはできる、たしかに、共時的には、一種の屈折だと教えていいと思うが、 しかし、これって、なんだろうね。定・不定を生み出す時代の過渡期なのかな。 フォーカス理論とかあるけど、あれは主題の話と定不定の話を網羅したうえで整理してみましたという感じで、 あんまり筋のいいものとは思えないし。 ああ、最後に、パラメータの上位下位だけれども、これって、有徴であるか無徴であるかと相互に関係ありそうだよね。 時制のパラメータは無徴だと現在時制で押し通す力があるから、時制パラメータが有徴になって動き出すと、人称パラメータを簡素化させる力がある。 そういう上位下位関係になる相互的な関係だと思う >>207 1段目、それはおかしいよ。法の意味を理解していないことになる。 その例文のkissは、that内の主語sheに定されている。 【定(finite)されてはじめて、法(mood)という問題が生じる】わけで、直説法ではなく接続法(仮定法)になる。 英語の場合、接続法現在は、全人称ゼロ語尾だから、不定形と見た目は区別がつかないが、 that節がある以上、中身には、「きちんと定されたSV」が存在しなければならず、 宙ぶらりんの不定詞を放り込んで済ましてしまうことは、これは出来ない。 she kissing me,...という分詞の場合、もちろん定の問題は生じない。 本来は、her kissing me, が通時的には規範的であるはずで、 このsheは、kissingという分詞に属する属格の成れの果て。 (与格だったかもしれない。英語史にはあまり詳しくない) 定できない主語名詞は、斜格に化けて修飾関係に潜伏するしかないからだ。 確かに、insistの内部は、英語しか知らない高校生には、「不定詞だと思ってください」と教えてしまうことがある。 でも、これは英語のあまりに衰退しすぎたmoodの問題を、実践的に回避して教育する一種の方便。 ドイツ人やフランス人なら、すぐにこれがmoodの問題だとわかる。 でも、日本人は、「英語【で】moodを知る」わけだから、こんな変態的な形だけ孤立されても、教えるのは大変に難しい。 めんどくさいから、受験で誤答を導かない範囲において、「嘘も方便」にしてるだけ。 >>204 ネットに過去ログがあったので読んだ ありがとう しかし論破したと思ってる人は感情論でしかない 藤井氏の本も読んだ 確かに論拠の不確かな部分が多い しかし論破したと思ってる人は本を読んでいないこともわかった 国語学の研究者は他の学問にコンプレックスがあるのか ちゃんと読めば自分が斜め下の反論しかしてないことがわかるだろうに >>207 藤井説が現代朝鮮語で百済語を議論しているという批判がある 君がやってるのは将に現代英語で印欧語を議論している それと同じ ただし藤井氏は現代朝鮮語が古代百済語と同じでないことを明言している 君よりは常識がある 英語は印欧語の中のゲルマン語の西ゲルマン語の低地ゲルマン語の一派のれっきとした印欧語だと思っていたのだが、 藤井説支持者によれば、どうやら違うらしいな。 国語学者は論理学を学んでいないのか 俺は211と212を書いたが藤井説を支持していない また現代英語で印欧語と書いた 英語は印欧語だが現代英語が印欧語の特徴を具備しているか 屈折語ではなく中国語のような独立語になっているだろう 国語学者は劣等感をバネすればいいのに 劣等感に感情で反論している 感情論を論破するのは赤子の手を捻るようなもんだ 三歩歩けば忘れる君のためにまとめるが 俺は藤井説の支持者ではない 現代英語は印欧語の特徴の多くを失っているので現代英語から印欧語を議論できない 藤井氏の本を読んで思ったこと 国語学者の劣等感を逆撫でするような書き方だ これじゃあ感情的な反発を招くのは必須 馬鹿を相手にすれば自分も馬鹿と同じレベルに落ちる 無意味な感情的な揶揄を止めれば 感情的な反論はなかっただろう 学術的に藤井説を否定するのは難しい なぜかというと同レベルのトンデモは国語学者の論文にも多いから トンデモを攻撃するとブーメランになる 琉球諸島の言語/方言は別に北に行けば行くほど音韻構造が本土の日本語と類似するという訳ではなく、関係なしにヤマトでは見慣れない母音や子音の登場するかけ離れた音韻(有気音、放出音、中舌母音、音節末子音など)が突然分布してる様に見えるんだが そういう本土と比べて変わった音韻構造の土地は主要な航路を外れていて、ヤマトと似通った音韻構造の地域はヤマトと比較的密接な繋がりがあるみたいな関連はあったりするのかな? 過去ログを読んでも藤井が何十回と論破されつくしてることが理解できないとは 「俺は藤井説の支持者ではない」とかなりすましても、チョンバレだねえ 藤井は名無しで潜伏するって過去ログでも言われてるなw >>217 国語学者だか国語学徒か知らんがレベル低過ぎだろう 藤井説を俺は信奉していない しかし藤井説を論破したと言ってる奴は論破しきれてない 今回の君も同じ 本人認定=論破 その程度の議論しか出来ないのか 問題のすり替えでしかない >>216 幾何学的な距離だけが決定因子じゃないだろう 社会学的というか人間のつながりとしての距離を座標にとらないといけない その上で各事象に確率過程が乗ってくる これをマルコフ連鎖というんだが国語学の連中には理解不能だろうな >>218 じゃあ君が藤井説を決定的に論破してお手本を見せてね。 >>216 「航路」と言ってもねえ、本土と往来するのに各駅停車ならぬ各島停船でゆっくり行ってもいいし直行で行ってもいいわけで。 中舌母音や音節末子音なんかは本土でも一部地域にある、または近年まであった。 最も「ヤマトと似通った音韻構造の地域」ってのは、実は琉球王国の中心だった沖縄本島中南部なわけで、 人の流入や交流がもっとも激しい地域だから、特殊な音韻は生じにくかったんじゃないかな。 >>220 国語学の連中は国語の読解力がないのか >>215 に藤井説を学術的に否定するのは難しいと書いているだろう そんなことも見落とすレベルで藤井本を論破するのは不可能 国語学で一番難しいと言われる東大の文Iでさえ他の大学の法学部や経済学部より偏差値が下 つまり国語の読解力がなくても入試には受かるということ 藤井は論議の対象になる代物ではない。 あんなものに劣等感抱く国語学者がどこにいるんだよ?いいかげんなこと言うな。 >>217 みたいな安易な本人認定もこれはこれで不快甚だしいが、 論破しきれてないといいつつその根拠を全くあげないのも 相手に国語学者やら感情論のレッテルをこれまた根拠を全くあげずに貼るのも詭弁以外の何物でもないだろうに。 あ、俺は国語学者でも国語学徒でもないけどね? 学術的に藤井説を否定するのは難しいのに藤井説の支持者ではない? 何だそれw 藤井説は松本説の五母音説のモディフィケーション 森説のα群とβ群のモディフィケーション それ以上のものではない 上代語を直接耳で聞いた人間が現代にはいない 現代朝鮮語と古代百済語の関連についてわかっていない とすれば藤井説の仮定が自明な間違いだと言えるか タミル語起源説とどっこいどっこいだろう >>226 お前が森説を全く読んでいないか全く理解していないことはわかった >>225 力学の分野になるが勘弁してくれ 他に今すぐ思いつかない あらゆる物体は単位時間当たり長さを2倍にする つまり 人間の身長が一時間ごとに2倍になる 物差しも2倍になる 地球も2倍 太陽も2倍 太陽と地球の距離も2倍 ということだ この仮定を科学的に論破できない 藤井説も同じ 正しいという証拠もないが間違いだという証拠もない だから論破するのが難しい しかし支持もできない なんら矛盾はないだろう >>227 国語学の連中は2ch的論法しか使えないのか 人物Aが学説Xに言及する 人物Bが証拠も示さずAは学説Xを理解していないと発言する そのことで人物Aの意見を否定しようとする そんなのに騙されるのは高校生か高校生レベルの知性しかない人間だろう なんとなれば人物Bが学説Xを理解しているかどうかが不明なのだから ここにいるのが国語学者や国語学徒なら 君たちを論破するのは赤子の手を捻るようなものだぞ 全く論理学の訓練を受けていないことが明白だから 何だ、それだけ。てっきり条件異音の補説でもあるかと思ったのに、残念。 森説の唐代音韻も直接耳で聞いた人間は同じく現代にはいない。 人物Aが学説Xに言及する 人物Bが証拠も示さずAは国語学者だと発言する そのことで人物Aの意見を否定しようとする >正しいという証拠もないが間違いだという証拠もない 過去スレの人たちが藤井説が誤りである根拠を山のように提示したのは全く徒労だったようだなw 見えない敵と戦ってる人だなぁ、国語学者や国語学徒という脳内の仮想敵とのこの戦いっぷり。 むしろ、生成文法屋さんが最近の主流だと思うが。 荒らしにいっても無駄だろうけど、帰ってほしいな。 >>231 そういうのを「一階述語論理」という 一階述語論理の範囲内で藤井説を否定することは出来ない 論破したと言っているのは論破したと思っているだけ 論理学では初歩の初歩だがネットに詳しい説明がある 各自調べてみたまえ 勉強になるだろう 2ch的ロジックは無駄だから止めるように 反論するのもあほらしい 君たちは高校生から全く進化していない 少なくとも論理学に関しては 一階述語論理に関して この説明は正しい http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%9A%8E%E8%BF%B0%E8%AA%9E%E8%AB%96%E7%90%86 しかし不親切ではある なお日本語でわかりやすく説明した本を俺は知らない 国語学の連中がもっとも不得意とするところの英語の文献を読むしかない では今日はここまで 今後偽物が現れるかもしれないな (この話題と一階述語論理との関係性が全く読めないんだがただ単に俺が一階述語論理を完全に理解していないだけなのかさっき覚えた言葉を使いたがるだけのガキなのかは不明) >>239 藤井説を論破したと言う奴のログを読んだが感情論でしかない オカルトなら何でもありだから感情で会話してもいい しかし学問と名の付くものなら最低限の論理的推論が出来ないと議論する資格がない 一階述語論理はそういう常識のほぼすべてを一般化したもの ほぼと言うのは数学的帰納法が二階論理だから まあ数学的帰納法を数学以外の分野で使う場面が思いつかないけどな 必ずしも一階論理を知っている必要はない 知らなくても常識的な推論が出来ればいい しかし藤井説を論破したと言う奴はその常識がない あれば論破したなどというはずがない 一階論理を知っていると次のような問題の答が即座に出せる 人間の集合を考える 男でない者は女であるとする このとき次のことは言えるか @女でない者は男である A男でも女でもない者が存在する B男でも女でもある者は存在しない 久々に盛り上がってると思って覗いたら藤井。 ここまで頻繁に出てくると、「なぜ人は藤井説に惹かれるのか」っていう興味の方が湧いてきたわ。 同じ人が一人で盛り上げてるんなら語調が似てくるから、やっぱり別々の人なんだよね? >>216 入植した時代が新しいと、本土に近い方言になってうんじゃないの?で、先島諸島がその新入植地の位置にあるんじゃないかな 北日本がもっと顕著で、東北方言(7世紀入植)より北海道方言(19世紀入植)の方が地理的には遠いのに標準語に近い。 >>196 屈折とか膠着とかっていう言語類型論って、一時代前の類型な気がするがどうなの 中間系や例外、時代変化の影響が多そう。 英語みたいに「ほぼ孤立」って言われる屈折語あるし、 通時的には孤立語の中国語は先史時代には屈折を持っていたっていうし。 北琉球諸方言は一般に「ア行子音」ともいうべき「音韻としての」声門閉鎖音を持つけど これ上代畿内語にはどう見ても無いよね 日琉祖語にはあったのか無かったのかどっちだろう? >>243 琉球方言の音韻としての声門閉鎖音は、有無による意味的対立を有する語彙から考えて、二次的発達じゃないですか? 日琉祖語には無かった、と考えるのが妥当でしょう。 >>243 例えばドイツ語で母音始まりの語の前には声門閉鎖音があると言われてる一方、英語には無いけど、 ゲルマン祖語には声門閉鎖音は音韻としては無かったはずだよね? 母音始まりの語に二次的に発達してもおかしくなさそうだけどどうだろう >>242 俺は昨日が始めての書き込み 藤井説が正しいとは言っていないので間違えないでくれ 藤井説は現在までに得られた知見を説明する仮説なので肯定も否定も出来ない それだけのことを言っている >入植した時代が新しいと、本土に近い方言になってうんじゃないの?で、先島諸島がその新入植地の位置にあるんじゃないかな 北日本がもっと顕著で、東北方言(7世紀入植)より北海道方言(19世紀入植)の方が地理的には遠いのに標準語に近い。 その仮説は北海道方言が共通語に近いことを説明するには使えない 北海道方言は内陸方言と海岸方言にわかれる 内陸部は全国各地からさまざまな方言の話者が集まった 方言のままでは会話が成立しないので自然発生的に共通語化に向かった 北海道の内陸部で起こったような現象はアメリカ合衆国でも起こった その結果母国のイギリスと比べて均質化された方言分布となった >>241 の最後の問題は論理学の初歩の初歩 常識的な思考能力があれば誰でも解ける 高校の数学でも教えるレベル 一階述語論理は形式的な手続きなので簡単で証明が早くできるだけ しかし藤井説を論破したと思い込んでいる人や >>232 や>>240 が中学生レベルの詭弁だということに気付かない人には解けないと思う 反論するならまず問題を解いてからだな 反論するならまず問題を解いてからだな(キリッ っていきなり俺様ルールで仕切りだすキチガイさんですね。 これは名前を名乗っていただいたから、ありがたくNGワードに設定が一番ですな 241 ◆RTVQOknmVI > 俺は昨日が始めての書き込み > 藤井説が正しいとは言っていないので間違えないでくれ やっぱり何人もいるんじゃないか・・・村山説より怖いわ つーかただ論理学の話したいんなら他の板行くか、あえて言語学板でやるなら形式意味論とかのスレでやってくんねえかなあ。 生成文法だけでもお腹いっぱいっすよ >>243 前スレで話題になったペラール眺めてみると、 *eや*oの高舌化で押し出された*iや*uが代償として子音に声門閉鎖の影響を与えたように見える http://www.academia.edu/4260621/Ryukyuan_perspectives_on_the_proto-Japonic_vowel_system いずれも子音が「強くなる」というか、 ・nやmの場合はNを先行させる ・kやtの場合は口蓋化させる(iのみ) ・母音の前では声門閉鎖音を加える って感じかな? それはどうだろう、母音の変化は関係ないのでは? *a *i *u *e *o 全てに等しく声門閉鎖音が付加されてる点が他の子音の変化とは違う 声門閉鎖の有無で区別される例ってどんなのがあるの? もうちょっと眺めてみるとまた違うな・・・ http://www.academia.edu/2374529/ 岡前と首里で、ア行のイ・エが声門閉鎖、ワ行のイ・エ、ヤ行のエが閉鎖なし だな。 高舌化じゃなくてjやwの代償のような気がしてきた。 これが代償じゃなくて日琉祖語の名残だとすると、ア行は実は声門閉鎖子音を持っていた ってなって楽しそうだけど、どうもそれにしては琉球諸語で語中の声門閉鎖音がないっぽいな・・・ >>252 本土でも、音素としては区別しないが、語頭の母音には声門閉鎖がつく方言もある。 ドイツ語でも、語頭の母音には声門閉鎖がつくし。 その資料を見る限り、声門閉鎖の有無で区別される語彙はないんじゃないか? 豚が/?wa:/で、私が/wa:/なのか。 語源はなんだろう。 >>254 wi ゐ(猪) + -aː(名詞の接尾辞) ↓ *wiʔaː ↓(母音の同化&2拍化) *waʔa ↓(1拍化の代償として声門閉鎖音が語頭に転移) ʔwaː wa わ(我/吾) ↓(1音節語の長音化) waː 豚のʔwaːは諸方言の語形からは*uwaないし*owaと再構するのが適切だろう 語源は鳴き声の擬音か、福建あたりの外来語か、それはわからない ゐ(猪)に由来するというのは諸方言からは導けない また接尾辞-aːが声門閉鎖音を伴ったり新たに生じさせる例は全くない そもそもmiːʔwaː(雌豚)のような複合語を除いて声門閉鎖音は語頭以外に一切現れない >>251-255 北琉球方言では、本土方言の形態素先頭のア行に対応する音節に音素 /ʔ/ が現れる。 これは北琉球方言に一般的に見られるもので、声門閉鎖音が現れないワ行に対応する音節と対立する。 方言によってはヰ・ヱ・ヲ・ヤ行エに対応する音節の子音が落ちている場合があり、そういう場合は純粋に声門閉鎖音での対立が生じる。 例えば「音」(おと)が /ʔutu/ になるのに対し、「夫」(をっと)は /wutu/ または /utu/ になる。 http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN03613 (音) http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN05074 (夫) なお、共時的に見て単に語頭での異音だとみなせないのは、語中でも形態素境界が来ると /ʔ/ の有無による対立が保持されるから。 例えば首里・那覇方言で、「足音」は /ʔasiʔutu/となる。一方で、「前の夫」は /saciutu/(先夫)になる。 http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN00283 (足音) http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN16216 (先夫) 北琉球方言の中の一部の方言では /ʔiCV/, /ʔuCV/ (Cは /j, w, m, n/ ) という音配列が /ʔCV/ に変化して、咽頭化した半母音や鼻音が生じている場合がある。 「豚」の場合、首里・那覇方言などでは /ʔwaː/ だが、方言によっては /ʔuwa/ である場合があり、 そちらのほうが古形だと分かる。 似たような例としては、「家」 /jaː/ に対する 「お前」 /ʔjaː/ などがあるが、 これも諸方言を当たると /ʔjaː/ の古形は /ʔija/ だと分かる。 首里・那覇方言では、さらに「馬」が /ʔuma/ から /ʔmma/、「稲」が /ʔini/ から /ʔnni/ になっていたりする。 親/ʔuja/に対して親方/ʔweːkata/、親川/ʔweːgaː/なんてのもあるね >>243 上代畿内語にも、音声としてはあった可能性はあるんじゃないか?主に語頭に >>245 ドイツ語の声門閉鎖音だって音韻としては扱わないのが普通じゃないか もし日琉祖語のア行が声門閉鎖で、北琉球方言にそれが残存していたとすると ・語中のア行が櫂以外にもっと現れてもいい ・ア行のイとヤ行のイ、ア行のウとワ行のウが対立しててもいい ・分岐前の日本語に、のちの上代特殊仮名遣いに通じる母音融合は発生しない っていうのが北琉球方言に見られるはずだけど、そんなことないから 分岐後の発達ってことじゃないかな 南琉球では声門閉鎖音がないかわりに、語頭のワ行をbで扱うようなので、 ア行・ヤ行・ワ行の区別のために導入された音のような気がする あーなんとなく見えてきたかも ・まず北琉球と南琉球で大きく2系統に別れる ・北琉球ではア行とヤワ行を分けるためにア行側に声門閉鎖音が来る ・南琉球ではア行とヤワ行を分けるためにワ行側に有声音が来る(ヤ行にdを当てる方言もある?) このルールと ・日琉祖語でu、iだった音の一部に音が消滅するものがある ・muの組み合わせはN(後続の子音の調音点に合わせた鼻音)になる ・kuの組み合わせは南琉球ではɸuになる ・北琉球ではそのかわりkoの組み合わせがhuになる このルールがあわさって、ペラールの示したような分布になっているのかも それにしても高舌化をするoとしないo、消滅するuとしないuがあって、もっとルール化が必要にも思える *usu[臼] ⇒北琉球 ʔusɨ 南琉球 us 本土 usu *moko[婿] ⇒北琉球 muku 南琉球 muku 本土 muko >>248 =>>249 ? >ていきなり俺様ルールで仕切りだすキチガイさんですね。 典型的な2chロジックだな 俺様ルールでもなんでもない およそ学問と名の付くものを目指すなら当然具備すべき論理的思考能力 ここの連中にはそれが欠けているから感情論と詭弁に終始している それでいて自分が詭弁を使ってることに気付かない やってることは中学生レベルの詭弁 俺様ルールとかキチガイさんとかのレッテル貼りの詭弁が通用すると思ってるのか それこそ君たち特有のガラパゴス的中華思想 藤井氏が感情的言辞を弄する動機は君たちへの反発だろう 抽象的思考力ゼロの君たちだから何度も言うが 藤井説を俺は支持しない 藤井説を論破したと誤認する君たちの論理的思考能力の無さを指摘しているだけだ ところで>>241 の問題は現実の人間を考えると解けない 男や女を抽象的概念して考えること 君たちは抽象的思考能力に欠けている >>241 の問題は良い勉強になると思う >>249 >やっぱり何人もいるんじゃないか・・・村山説より怖いわ 君のスタンスはこうだろう 「素人の皆さんは藤井説や村山説を無闇に信じますね でも僕ちゃんは専門家だからね 尊敬してね」 おそらくリアル世界では誰にも相手にされないから バーチャルな世界に自分が君臨できる王国を作ろうとしてるんだろう 考えていることが手に取るようにわかってしまうぞ >論理学の話したいんなら他の板行くか 藤井説を論破したいなら論理的にやってほしい 俺は論理的な議論を期待している しかし君たちのは単なる感情論 藤井説っていうのは単なる仮説だ 今までわかってることを都合よく説明できる仮説は五万とあるだろう その中のたったひとつだ しかし今までわかってることと矛盾しないように作ってある 新しい証拠が現れない限り論破は出来ない たとえば君が>>242 に書いたことは君の仮説だ しかし俺が>>247 で君の知らない事実を提示したから 君の仮説は否定された 藤井説にも同じことをしてほしいんだ それに>>241 に書いたことは論理学でも何でもない 学問と名が付く議論をするには当然具備すべき論理の話だ 中学生並みの論理だぞ その程度のことがわからないから感情論でしか議論できないんだぜ >>261 >あーなんとなく見えてきたかも 君は頭の回転がかなり遅いな おそらく国語学出身者だろう その程度のことは言語学をやった人間なら一瞬にして考え付く しかし同時に別のことも考える 君は仮説を一つ思い付くとそれがすべてと考えてしまう単純な頭脳の持ち主だ 君が感情論から反発する藤井説と似たようなものだ 君に貴重なヒントを与えよう ラテン語の伝播に関する文献を読むことだ 常識だからヒントでも何でもないが 君は知らないようだから教えておこう 国語学の人間が言語学の常識を知らないのは英語が壁になっているのかもしれない しかし学問と名の付くことをやろうとするなら現代に生きる限り英語は必須だぞ NG回避で名前欄の数字変えてくるとか、どこまでかまってちゃんなんだよ。 ◆RTVQOknmVI NGはこれで >>249 >やっぱり何人もいるんじゃないか・・・村山説より怖いわ 君のスタンスはこうだろう 「素人の皆さんは藤井説や村山説を無闇に信じますね でも僕ちゃんは専門家だからね 尊敬してね」 おそらくリアル世界では誰にも相手にされないから バーチャルな世界に自分が君臨できる王国を作ろうとしてるんだろう 考えていることが手に取るようにわかってしまうぞ >論理学の話したいんなら他の板行くか 藤井説を論破したいなら論理的にやってほしい 俺は論理的な議論を期待している しかし君たちのは単なる感情論 藤井説っていうのは単なる仮説だ 今までわかってることを都合よく説明できる仮説は五万とあるだろう その中のたったひとつだ しかし今までわかってることと矛盾しないように作ってある 新しい証拠が現れない限り論破は出来ない たとえば君が>>242 に書いたことは君の仮説だ しかし俺が>>246 で君の知らない事実を提示したから ←ここのレス番号を訂正 君の仮説は否定された 藤井説にも同じことをしてほしいんだ >>265 自分が反論できない発言に出会うとNGを呼びかける 反論できない上に無視できない 自分の存在が脅かされる だからNGを呼びかける 典型的な2chの小物の反応 俺が期待しているのは論理的な議論だ 君たちは自分を脅かす説には感情論で反発するか 感情論も使えないとなるとNG登録の呼びかけだ やっていて恥ずかしくないのか 中学生レベルだろ 藤井に劣等感を持つ国語学者がいるそうだがどこにいるんだ? かまってほしいなら、ちゃんとした言葉づかいで、常識をわきまえた振る舞いをしないと誰も相手してくれませんよ って、幼稚園で教わらなかったのかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる