>>190
実際その通りだと思う。
つうか、日本語には「動詞の定」という概念がない。
印欧語目線で言えば、いかなる意味においても、「全部分詞」というか、「全部不定形」のまま。

逆に言えば、日本語母語話者は、「主語が動詞が定にする」という概念を、なかなか理解し難いことになる。
英語だけしか知らない人は、今でも全く分かっていない。
「ふていし」「ふていし」と、中学英語以来連呼されるけど、
「ふていし」の意味が解ってる中高生は、
独仏などからの帰国子女か、英語以外の欧州言語に少しでも触れたことのある、ごく少数の生徒だけで、
英語文法しかしらない中高生は、たとえ東大の文一や理三の前期合格者でも、
解ってる人は、ほとんどいないんじゃないかね。
彼らのうち、独語や仏語を第二外国語で選択した学生は、4月中には理解するだろうけど、
中国語選択者なんかは、結局知らないままだろうなあ。


余談の余談になるが、江戸時代に長崎から江戸へ向かったオランダ通信使が使っていた
江戸城での将軍への【口上のオランダ語】は、全部分詞か不定形で書かれていたそうな。
動詞を定形にしないということで、【人称を超越する最大限の敬意を払った】のだ、とケンペル本人が書いている。