先日、議論を引き取った者です。アクセントの話ばかりで申し訳ないけれど、
アクセントスレへの引っ越し(乱入?)の提案も考えましたが、
琉球が関わってくる以上、ここで話を済ませてしまいたいようにも思います。

>>366は鋭い指摘だと思います。ただし、399氏の評価とは異なりますが。
366を読むまで気づかなかったのですが、
361説には、次のような難点があるように思うのです。
この説は、つきつめれば、「下り目は有無だけが問題」となるため、
院政京都以下、甲種乙種の大半の本土アクセントに対し、「本質的により単純な体系」です。
院政来の京都アクセントは、文献上正確に記された歴史的事実です。
そして、上げ核または登り核はともかく、任意の位置につく滝核の一貫した存在は自明ですから、
(院政京都は、「凹型を認めない声調だ」とする考え方もあり得ますが、情報量としては同じ議論になります)
下り目は有無だけが本質→下り目の位置が任意で弁別される
という変化を、最低限でも考えなければなりません。
これは、いわば「アクセントのエントロピーが原因なく下がった」とすることになり、
歴史的アクセント論として、極めて苦しい展開になります。

別の言い方をすると、361説は、3音節名詞を考えるに当たり、
「最初から3音節目までに全情報が収まる」ような、アクセント体系を示していることになるとも言えます。
ちょうど現代鹿児島方言の逆バージョンですが、それでよいのか?という疑問が正直浮かびます。
「頭から3音節目まで」でアクセントの全情報が決まる、という体系は、
共時的にみても、日本語アクセントとしては、かなり奇異です。

おそらく、語頭Rを持ち込んで類と系を統合するのなら、
現存する本土アクセントの様相と歴史記録を踏まえれば、
数学的に、型の数はもっとたくさんになるはずです。
366のような整序が出来てしまうのなら、これは却って重大な問題をはらむものだ、と私は思います。
あくまで、この統合論は、日琉祖語(院政京都より上流)の仮説であって、
琉球祖語プロパーの問題では無いのですから。