度々すみません。アクセントの話をしつこくしてしまったのには、ある理由があります。

琉球方言に関しては、分岐の「年代観」に関する、伝統的な対立がありますが、
「分岐年代繰り下げ陣営」の牙城が、アクセント論という面があります。
(もう一つが、「上代かなづかいの痕跡がないんじゃね?」という母音論ですが、
これはペラールを鍵として、現在進行形で越える議論がされつつあるので問題ありません)

従来は、琉球のアクセントは、「西南九州と連続」とすら考えられてきたわけで、
これでは、分岐は「京都の時間目盛で鎌倉期(14世紀)」になります。
八丈のように「情報ゼロ(無アクセント)」なら、却って無視することも可能ですが、
単純で中世九州的?なアクセントが残っている以上、これは無視できない。
これに対して、松森説が出てきたわけですが、
琉球方言の諸アクセント自体が、比較的情報量が少ない体系をしていることもあり、
まだ松森説の普遍化には、学問水準は到達していない。

これに対して361という一つの案が出てきたわけですから、
「系列を鍵に、日琉祖語の、院政京都の上流の古形を探る道はあり得る」
ということが一つ提示されたということで、
「アクセントによる中世分岐論の壁」は、仮処分的にクリアしたとして、
母音論に集中すべきかもしれません。