逆鱗にふれてしまいましたかね。どのような経緯であれ、スレを荒れさせるのは大変に申し訳ない。
怒りのレスについて、だいたい人定部分は当たっていて、
そういうところだけは、しっぽの探索は上手なんだなあと思いますけど。

私はかつて、そのアクセント地理論を書いたことがありますが、
今は、言語地理学的部分には、必ずしも固執していないし、
387で書いた「学問水準」とは論理的に独立です。

387で嘆いたのは、全然別のところ。ダイナミズムとは、その話じゃないんですわ。
ちょっとだけ書きましょうか。
上野は、甲種高起類を”[◯…”と記します。私の考えでは、これが致命的誤りで、
これが問題視されないうちは、私の思うダイナミズムは「はあ?」という問題だろうと思われる。
正しくは、高起類は”◯…”であり、低起類が、”]◯…”であると私は理解しています。
これだけで、質問にはお答えしたことになります。よろしいでしょうか。6類には契機があるのです。

この問題、核概念を使って、さらに話を進めることができるように思うのです(ここがエキセントリック説の本丸)
鎌倉以来の本土アクセントの本質は、どうやら「上げ核」なのではないか。
当時の考えの発展といえるのは、この部分です。
だから、乙種外輪も甲種も、23類も456類も1つの闇鍋に放り込んだのです。
ただし、「踏み込む(音程が下がる)だけで、すっぽぬける(上がらない)上げ核」という、変なしろものがあるらしい。
逆に言えば、スッポ抜けるようになっても、核は潜在的に残り続ける。
これが京都の史料に残るせり上がり現象の顛末と、本土アクセントの分裂の大本ではないかということです。
そうすると、上野が頭を抱えていた、「今の甲種にすら、12/3/45という隠れ型別がある?」という問題に、
何らかの示唆が与えられるんじゃないか?というのが、私のたぬきの尻尾の意味です。