ぶっ叩いたらレスが止まってしまったw

与太話に脱線しないと、盛り上がらないのかね。
仕方ないから、俺流の与太話でも出して、燃料投下してみるか。
他スレの連中に嘲笑されそうだが、笑われてみるのも一興かね。
繰り返すが、以下の話は、比較言語学の外側にある、100%妄想与太話であることに注意。


比較言語学で遡れる打ち止め地点、つまり日琉祖語は、次のような過程で成立したものと思われる。

まず、西南日本、具体的には現在の福岡県に住んでいた部族の言語として、縄文時代まで遡れる【言語X】があった。
この言語Xは、アイヌ語とは言語連合として、音韻と文法は比較的よく似た構造をしていた。
音韻は、貧弱な子音群で音節はCVC型、母音はわからないが、4か5ぐらい。
文法は、「抱合語と、左側語順の孤立語の二重構造」になっていた。

ここに、弥生人第一波として、満州方面から南下し、朝鮮を一気にヌルーして、玄界灘を渡ってきた部族の【言語Y】が接触した。
言語Yは、今のアルタイ諸語と、ゆるやかな言語連合にあった(系統関係ではない)
ひょっとすると高句麗語と同系かもしれない。性質は高句麗語について、現在語られるものにほぼ準じる。

言語Xを基層、言語Yを表層として、今の板付空港付近でクレオール言語が生じた。これが日琉祖語。成立は紀元前10世紀頃。