>>98に書いた疑問は、俺は中学生の頃、起源論に関する論考を趣味で読んでいて、
すでに気づいたことなんだけど、これ、誰も疑問に思わないんだよね。
日本語の語形は、アルタイ祖語論に対しても、AN祖語論に対しても、
一切、全く何も影響を与えないのが当たり前で、
常に、外国語(もちろん推定も含む)が所与のものとして、比較の対象になり、
日本語の側だけが調子よく操作される。

とっても奇妙なんだよ。
AN祖語論は、台湾諸語の分析で、一気に複雑な様相を呈した。
印欧語の場合は、ヒッタイト語がこの役割を果たした。
系統が遠い言語は、祖語構築により豊富な情報を与え、大きく影響するはずだ。

ところが、日本語は、どの言語からも「遠い」「遠い」と連呼されるのに、
日本語と他の語族との関係を説明する学説は、日本語の音韻の寄与を一切認めない。


これ、認めないんじゃなくて「認めることが無理」ということだよね。
つまり、比較言語学的に無理なんだ。