則天武后は「國」の字には「惑」が使われているのを嫌って字形を「圀」に改めた。
だが、本人が亡くなるとこの字も敢え無く使用禁止とされた。
だが禁止令は日本までは及ばず、水戸光國さんは自分の名にこの字を使い「光圀」に改めた。