桜挺身隊(広島39Dの上官に嫌われたり、上官に暴行した者、志願した成績優秀な兵の広島師団組
と陸軍中野学校出身者で構成された)が、そこでも、上官に嫌われた広島師団悪兵追放組が
一番勇敢で、次に広島師団の志願者で、逆に一番駄目じゃったんが陸軍中野学校出身の
武道達人猛者じゃったよ。
「西川中尉(陸軍中野学校)は、敵を怖れて出動しないので、佐竹中尉(広島第231聯隊)が
常に中小隊長を兼務した。
「「突撃ー」佐竹中尉の号令で着剣して突撃に移った。先頭を走る岩岡曹長のまるい体が
三村上等兵の眼には猛牛のように映った。
三村上等兵も伝家の濃州作関之住人兼門の宝刀を抜いて駆けた。
早くも岩岡曹長が裂帛の気合いをかけて刺突している。小隊の兵たちも、それぞれの生きた
標的に向かって次々と突っ込んで行った。
三村上等兵は、チェコ機銃を担いで山を登ろうとしている兵を見つけて猛然とダッシュし、
背中越しに刀を下から斜め上に斬り上げた。すかさず二の大刀を首に叩きつけた。
ポキッと異様な音がして首がぶら下がり、大量の血が噴き出して山の赤土に吸収された。
続いて、腰でも抜けたのか坐りこんで命乞いしている兵の首に斬りつけた。
その首は胴から離れ落ちた。二条の血潮が噴水のように二メートルも噴き上がった。
首の無い胴体が、膝で立ちかけたがそのまま前に倒れた。」
「三村上等兵が家の中に飛び込もうとしたとき、「三村、入るなッー」岩岡曹長が怒鳴った。
家の中には敵兵が残っており、騒然とした様子が壁越しに聞こえて来る。
この残敵を目標に、再び手榴弾が次々に投げ込まれてた。挺身隊の奇襲による戦果は、
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チェコ機銃四、擲弾銃四、自動小銃二、小銃、弾薬多数。遺棄屍体約五◯、戦傷二◯であった。」

と、陸軍中野系は、戦場じゃ主役に成れんよ。歴戦の広島師団に戦闘を任せるとか無ぁ。

じゃが動かん捕虜の首を斬ることや捕虜青酸カリ人体実験にゃ陸軍中野の武道達人猛者連中は

喜んで張り切るけぇのう。 陸軍中野の西川中尉は、広島師団連中に先頭立てとヤジられても、

逃げ腰で後方引き下がるんじゃけぇ、他国なら軍法会議もんじゃが、日本じゃ許されるん

じゃけぇ、役に立たんもんは引っ込んどれで、広島師団の戦闘をするだけよ。