韓国は中期朝鮮語を現代文の中に活かすような修辞法は発達しなかったから仕方がないが
日本では伝統校の校歌や明治大正の論説文や新体詩など、文語は普通にある
現代語の文章にも口語文法の活用表では説明の付かない言い回しがいくつもあるが
古典文法や漢文訓読体を知らないと「せざる負えない」「せざるえない」「やむ追えない」
みたいな表記を平気でするようになる
英語圏内では欽定訳聖書の文体は基礎教養と言っていいし、
もっと前のシェークスピアは原文でも年中行事の中で愛好されている
言語的な距離から言ったらその辺が中等教育や国民文学で広く教養化できる領域で、
日本語の古文はせいぜいその程度のものだ。音を上げるのがみっともない
そもそも古英語なんかは全くの別言語で、
ノルマン・コンクエストによるピジン化から始まる壮大な英語史の前史でしかない