根拠のかけらもない決め付け、信じがたいほど短絡的な推論、概念と用語の無意味なもてあそび、過去になされた言明の神格化…漢籍の大半はそういったもので構成されてる。
そしてそれらがあろうことか学問を名乗っていて、理解不能なものを無批判にありがたがる精神がそれを称賛する。
「さかしら」という言葉は見事にこのありさまを表現してる。

どんな言語でも明晰で論理的な思考の表現は可能だ、というのが言語学的には普通のものの見方だ。