>>226が松浦武四郎の引用なんだろうし、>>176のカイチーという語形は廃棄だな
さて、aynuには「お父さん」という意味がある
親族名称の所有表現は分離可能形と分離不可能形が入り乱れていて、
理屈で割り切れないものがあるようだが、
田村辞典では同じ「私のお父さん」をku=kor tottoと分離可能形
で言う人と、ku=miciという分離不可能形で言う人がいることを指摘している
またaynu「父」についてはe=kor aynuのように分離可能形で挙げている
だが仮にこれに*k=aynuという分離不可能形が過去の天塩方言にあったと仮定してはどうだろう
226のうちカイノーとアイノーは「私の父」「彼/彼女の父さん」で説明がつく
(「訛って」というのは違いの理由がよくわからずに仮にそう判断したのだろう)
カイナチーはk=aynu aca=hiと解けば「(私の)父」+「(誰かの)おじさん」という意味だが、
ここでのacaは成人男性全般に対する敬称として文法化したものと考える
すなわちaynu acaで一つの名詞であり、前後に所有者人称接辞k(u)=と
被所有物接辞=hiが付くという、典型的な分離不可能形になって「私のお父さん」という意味になる
セカチーはそれでも解けないが、あとは子供たちの父たちへの呼称の記述だろう
「互いに呼ぶ」というのは他のメモとごっちゃになったか、何かの間違い