何故こうも自分に都合の良いようにものを考える人が多いのか甚だ疑問が尽きません
ジリアン氏の書籍には「英語のchargeには「チャージする」という意味はありません」とはっきり書かれています
言葉のあやとして解釈を歪める行為は書籍の内容が嘘であると暗に言っているようなものです
また>>279に関してもチャージすると等価と言える記述は装填や充電を除き見受けられません
請求とはありますが入金などという言葉は一言も出てきていません
もし仮に使えるのであればどこかにそういった記述がないのは変だとは考えられませんか
頑なに間違いではないと主張するその理由も最終的には使えるはず伝わるはずと客観性を欠いています
世間一般にはこういったものは証拠や根拠とは言えません
こういった場合主観ではなく客観に基づいた反証を示さなくてはなりません